影響と異変
バイセル男爵領からの帰りは、アディがいなかった。その代わり、シドが同行した。シド曰く、アディは別の仕事へと向かった、とルミアに答えていた。
馬車の中でレオとジオルド、スフィラとルミア。そして爆睡のエデンとノックスで、次の迷宮正常化について計画した。冬季休暇はレオの予定が合わないため、来年の夏季休暇に行うこととなった。
レオは普段通りに戻っており、ルミアもいつも通りに会話ができた。『迎えに行く』と言われたことに怯えていたが、アディがいないことの方が、ルミアには気がかりだった。
それ以来、アディはルミアの前に現れなくなった。
夏は、あっという間に過ぎた。迷宮でのことは嘘のように、ルミアは平穏な日々を、温室で送っていた。夕方になり、外では肌寒く感じ始めた——10月末。
秋になり、ルミアは温室にこもってエデンと一緒にマナと魔力を数値化する魔道具の構想を練っていた。アディに言われたから作っていたわけではない、興味を持ってしまったから作るのだ——と無理やり考えて、制作に取り掛かったルミア。
「だから…エデンの体はマナや魔力の流れを察知できる…私もわかったこと、…私はどうやったんだろう…」
『ルミアァ……もう…やめにしない?波紋って言ったでしょ?これは私だけじゃなくて精霊ならみんなわかるわ』
「生まれ持った感覚でしょ?もう一回だけ、その波紋、やって!」
『はぁ…もぉ…眠いのにぃ』
温室の天幕の奥、狭いキッチンの机の上に、散乱していた大量の紙切れ。その紙にはルミアが書き出した魔法陣と、大賢者の知識が描かれていた。その紙束の上に、純白のドレスを着た女性の精霊が横たわって淫らに喘いでいた。
溢れそうで溢れない、絶妙な胸元。スカートの合間から見える美しい足、全てを曝け出して悶えるその女性に、少女は微笑みかける。
ルミアは、エデンに魔力とマナを読み取る『波紋』という技を、何度もさせて実験していた。
「今の、マナ?魔力?」
『魔力』
「じゃぁ、次、マナ、さっきより、もっと強く揺らして」
エデンは目を閉じて、また開ける。温室の建物全体が揺れ、空気が一瞬にして入れ替わった感覚を、ルミアは肌で感じ取る。何度も試して、ルミアの手元にある物質の反応を観察していたのだ。
「なるほど…」
『なにがなるほどよ…もう何十回以上やらせるの?もう寝たいんだけど…』
「それよ!なんでノックスもエデンも寝るの?もう3ヶ月も経つのに、眠りすぎだよ」
『言ってなかったかしら。迷宮一つに溜まった穢れを、ルミアが吸収してマナに変えたの。ルミアのマナが増えれば、私たちは成長するのよ?ノックスなんてブルブルしてたわ。進化の兆候ね』
「精霊って進化するの?魔物が進化するみたいな?…あと、”シーカー”?…からなのかな?よくわからない設計図が流れてくるんだけど…なにこれ?」
『残穢よ。シーカーはどこにでも存在してる、あっち側の存在よ』
「あっちってどっち?」
『異界。世界。冥界。天界』
「……宗教?」
『もう…なんでもいいわ。忘れて。その測定器っていつになったらできるの?』
エデンは机で寝返りをうち、うつ伏せになった。そして両手で顔を支えてルミアの手元を見つめた。相変わらず美しい美貌は、輝きが増していた。
「あとちょっと。それにこの液体、すごいんだよ。迷宮の魔物の——」
ルミアは自慢でにニヤついて説明しようとした。けれどユナがキッチンに入ってきて会話は終わった。
「お嬢様。明日は大切なご予定があるんですから、今日の研究はそこまでになさってください」
侍女のユナが、キッチンの入り口で膨れっ面をしてルミアに声をかける。彼女のお腹は少し膨れ、妊娠していた。
「ユナ、休んでていいのに…大丈夫?」
「代わりの侍女がいないんです。ただでさえ機密情報が多いんですから」
「あはは…。ユナ、本当にギリギリまで働くの?」
ルミアはしんどそうにため息を吐くユナに駆け寄り、椅子に座るように促した。そうして、じろり、とルミアに呆れた視線を向けると、普段言わないような愚痴をこぼした。
「お嬢様がちゃんと殿下にお手紙を書かないといけませんし、エデン様たちのこともあります。何より温室の植物が手をつけられないほどの成長。庭師のビリーさんなんて世話しきれずに腰を痛めてしまって…」
ユナは普段、小言は言うけれど、気落ちしたり、悩んだ姿をルミアに見せなかったが、妊娠の影響か、普段より元気がない。
それもそのはずだった。ルミアが迷宮から帰って、目に見えて、温室に異変が起こった。帰った翌日の朝、植物の蔓が天井に届き、季節関係なく果実が成り、植えたばかりの植物が種をつけていた。
庭師のビリーが毎日管理している温室は、外よりも成長が少しいい、と以前ルミアに話していた。けれど、比べ物にならない異常な成長速度。
——誰もが驚いた。ビリーは天井の蔓を切ろうとして、転倒。そのせいで腰を痛めた。代わりの庭師はまだいないが、植物は元気過ぎるほど異様に成長し続けている。
「…手紙はちゃんと返したよ。ジャベリン家に代わりの使いは頼めないの?」
「内容を検閲して、直せる人がいないんです。お嬢様は機密情報が溢れてますから…」
あれからすぐ、レオからの手紙を急いで読んだ。そしてその日のうちに返事を書いたルミア。
手紙の内容は修道院への慰問についてだった。王子として、公式に王都の修道院へ何度か訪問していて、いつか一緒に行かないか、との誘いだった。
ヘイレスト公爵が王都の修道院に新しく診療所を作った話が書かれており、完成して1年経過したそうで、ちょうど明日、一緒に向かうこととなった。
誰に見られても困ることのない内容だった。けれど、ルミアが書いた返事には、勘違いをさせる文面が書かれてあったらしい。
『あの日』『あの場所』『アレ』など、2人にしかわからないことを指して返事したつもりだったが、これでは手紙以外での交流があり、明からさまに2人だけの秘密を匂わせてしまう、とユナに書き直させられたのだった。
(そうですね、いいですね、すばらしいです、ぜひご一緒に、なんて手紙で送る意味ある?)
(迷宮であんなに一緒にいたんだから、話せば終わることじゃないの?)
と、ルミアは思いながら返事を定型分文通り、書き写して返事を書いたのだった。
「でも、まさか料理長のマッシュさんと結婚してたなんて、驚いたなぁ」
ルミアはユナの気分を変えようと話を変えた。ユナは現在妊娠4ヶ月。ふわぷわのパンの一件からユナとマッシュは仲良くなっていたのだった。迷宮に行く少し前、彼らは契りを交わしたそうだ。マッシュと別姓なのは、まだ教会に正式申請してないからだった。
「お嬢様?私は憂いているんですよ?部屋着がいいと言ってちゃんとした服もお召しになりませんし、最近では、宙をふわふわとを浮いたり、寝ぼけて光り出したり——」
「ごめんって!わかったから、落ち着いてよ。ほら、お茶用意するからさ」
ルミアは空中にポンポンと、茶器を取り出し、あっという間にお茶を用意した。普通、公爵令嬢が侍女にお茶など用意しない。けれどユナを家族だと思っているルミアだからこそ、この態度。
「お嬢様は公爵令嬢なんですよ?私は侍女だとなんど言えば…」
「ユナは私の家族なんだから。代わりはいないよ。それに誰も見てない」
「お…おじょうしゃま…」
ユナはルミアに抱きついて泣き始めた。最近のユナはすぐ泣き、怒り、不機嫌になっていた。ルミアは彼女の妊娠がわかってからは、以前より優しく接するようにした。
とはいえ、彼女はジャベリンの使い。耳につけた飾りから連絡を受けたのか、泣いていた態度をひゅっと引っ込め、仕事モードに切り替わった。
「…お嬢様、シドヴィス様が来られるそうです」
「……アディじゃなくて?」
(ユナってジャベリンの黒烏なんだよなぁ…マッシュさんには言ってないんだろうか…)
「はい、これからこちらに来られます」
「わかった。シドなら大丈夫だよね?」
「何がですか?服なら着替えてもらいますよ?そんな血まみれの状態で——」
「ちょっと汚れただけだよ。それにこれは自分で洗ってるから——」
(血もついてるけど、痕が残っただけだよ。それにこの赤いのは植物で——)
「いったいなんの血なんですか!?あ、いえ、聞きません。着替えますよ!」
ルミアは着替えさせられ、温室でお茶を飲んでシドを待つことになった。時刻は14時になったばかり。




