迎えにくる
「…」
(いつから文字の意味がわかるようになったの?自然とそうなるのは不可能?エリックが言うように、普通は違うの?ダニエル様も辞書がないと読めない?そう言えば文字列の違いを質問してきたことがあったわ…)
「ねぇ、ルミア?…ルミ……あぁ、ここで?……バイセル卿、すまないがルミアはこうなると会話できなくなるんだ。きっと学園でまた会えるからさ」
「……」
(辞書は私も調べた…でもなんで全部の文字が持つ意味を知ってた?あの辞書は簡単な文字列の意味が書かれたもの。一文字ずつの意味は書かれてなかったし、感覚的にわかった?そんなバカな)
「あぁ、すまないね。僕は研究員だよ。だから彼女とは何度か会ってただけだよ」
「………」
(そもそも古代文字の資料は少なかった。だから辞書と言っても組み合わせが違うと意味が違う。その例は書いてあったけど、それ以外は調べようがなかった。だからダニエル様は私に聞いてきた?でも古代文字って魔法が創られたとされる時代だから…)
「そうなんだね。君のおばあさまは僕も知ってるよ。片足を失ってまで、家族と使用人を守り切った英雄だ。君にはさぞプレッシャーがかかってると思う。けどきっと君なら、できると思うよ。ルミアが公開した魔術指南書は、理解するより覚えた方がいい」
「…………」
(でも待って、女神の加護をもらったのは禁書庫の後。加護の力じゃないとしたら…なぜ私にあの難解な文字列を理解できる?一文字で多くの意味を持つ古代文字を…おかしい…加護を持つ前から加護を持ってた?そんなバカな。そんな記憶はない…)
「ははは…重力魔法でしょ?アレには僕も困ったよ。でも雷撃はわかった。それにさ、理解するってそんなに大事なことじゃないんだ。知ったつもりになるより、そうなんだ、って理解の外側に置いておくことの方が、頭に負担がかからない」
「エリック…」
(じゃぁ、やっぱり私は生まれた時から…)
「そうだね、今日は楽しかったよ。バイセル卿。君と話せてよかった。ルミアには僕から説明しておくから安心してよ」
エリックはルミアの頭が思考に引っ張られている間、そのままクリストファーと会話を続けていたのだった。
彼はルミアの腰をしっかりと抱き寄せ、かなり密着していた。それはエリックとルミアが、まるで婚約関係であるかのように見られてもおかしくない振る舞いだった。
そしてやっと現実に帰ってきたルミアは、頭の左上で話すエリックに顔を向けた。
「……エリック」
「あぁ、おかえり」
「私、変だわ」
「え、うん。やっとわかった?」
「最初から気づいてたの?」
「もちろん。だって父さんが30年以上かけて解読した本を、9歳の子供がスラスラ読めるなんておかしいでしょ」
「なんで教えてくれなかったの?」
「聞かれなかったし、そういうもんだと思ってた。それに……おっと、殿下が睨んでる…僕はここで失礼するよ」
「ちょっと待って!まだ聞きたいことが—」
「また学園でね、白銀の君」
「なっ…」
エリックはルミアの腰から手を離し、するりと会場の貴族たちの中に消えていった。入れ替わりにレオが微笑みを浮かべながらルミアの元に近づく。
微笑んでいるのに、なぜか笑っていないと感じる彼の顔に、ルミアは直視できず目を逸らした。
「ルミア、ここは社交の場だよ」
いつもの声なのに、冷たい氷の冷気を感じたルミア。静かに怒っていることがわかった。
「…は、はい」
「踊ってもいないのに、体に触れさせるのは良くない」
「…ぁ…ぃ」
(お…恐ろしい…エリック…あいつ…)
ルミアは顔が上げられずにいた。そしてずっとレオの胸元に輝く黄金の魔石を見つめていた。それはルミアが渡した魔道具。
「それにパートナーでもないのに。アディはどこに行ったのかな?」
「…知らないです」
(知らないってば!勝手にどっか行っちゃったんだよぉ)
「ルミア」
レオは首を横に倒し、ルミアの顔をしたから覗き込む。無理やり合わせられた蒼紫の瞳には、凍てつくような魔力が込められ、光っていた。
「っひ」
「君は公爵令嬢なんだよ。許される振る舞いじゃない」
「…申し訳…ござい…ません…」
レオはルミアの頬に触れ、何かを摘んでルミアに見せる。それは焦茶色の長い毛。
「…!?」
(エリック…………)
「ルミア、僕と”二人で”少し話そうか」
「……はぃ」
ルミアの顔は青ざめていた。
有無も言わさない微笑みのままのレオ。彼はルミアの手を取り、そっと自分の腕に絡ませた。そのまま会場の中央を堂々と通り過ぎ、レオのために用意された控室へとルミアは連行された。
「下がっててくれないかな。二人で話したい。それとルドかスフィラを呼んで?」
レオは控室にいた宮仕にそう告げると、ルミアをソファに座らせた。彼はピッタリとその横にくっついて同じく座った。
手は離さず、いつの間にか握りしめられていた。彼の手は冷たく、ルミアの手は汗ばむほど熱くなっていた。
「僕だってルミアを怖がらせたいわけじゃない。だけど、さっきの君はまるで…エリックに心を許しているみたいだった。研究塔で君がエリックと過ごした1ヶ月、僕はずっと心配してたんだよ?」
「…?」
(怒ってる…心配?)
ルミアはレオの顔をチラッと上目遣いで確認した。レオは口を尖らせて不機嫌に話していた。先ほどとは打って変わっていつも通りの声の調子に、少し安心した。けれど、静かにまたレオの怒気のボルテージが上がっていく。
「それにルミアは僕と会ってくれないし会えないから手紙送ったのに、返事も返さない。僕、これでも王族なんだよ?」
「…」
(あ、手紙…忘れてた…)
「ねぇ、わかってる?王族に対して公爵令嬢が手紙の返事をしないって、どういうことか」
「…ぁ…ぁ」
(怒ってる!?怖い!!読んですらない、なんて言えない!!)
「それにさ、僕たちでしか話せないこと、あるよね」
「……めい—」
(あ…迷宮での…)
ルミアはここで話すのだと思った。二人だけの空間で、ここに宮仕もジオルドもスフィラも、アディもいない。けれどレオは遮った。ルミアの声を発せられないように無理に塞いだ。
それは甘いものではなかった。ミルク味でもキャラメル味でもない。冷たい氷のようだった。
そしてルミアは動けなかった。ソファに押し付けられた体は、重い氷にのし掛かられ、自分まで唇から凍りついてしまいそうだったから。
押しのけることもできた。魔法でぶっ飛ばすことも。けれど、蒼紫の瞳がじっと黒い瞳を押さえつけて離さない。
時間が止まっていた。聞こえるはずの人の声も、聞こえない。代わりに心臓の音が耳にジンジンと響く。
ゆっくりとレオはルミアから離れた。けれど、息が掛かるほどの距離で、眼を逸らすことなく、そのまま静かに告げる。
「迎えに行くからね」
コンコン
レオは何事もなかったかのように満面の笑みをルミアに見せ、立ち上がった。そしていつもの声音で返事をした。
「入って」
扉を開けたのはスフィラだった。部屋に入って放心状態のルミアを見て何があったのか予測しようにも、レオは普段通りだったのでスフィラにはわからなかった。
「どうか…されました?」
「あぁ、ちょっと僕が叱りすぎちゃった」
「え?あ、あぁ、エリック様のことですね。私も注意しようとしてたんですが、兄様のことで手が離せなくて…それで、動かなくなっちゃったんですね」
「ごめんね、僕はまた会場でルドと挨拶してくるから、頼めるかな?」
「もちろんです。殿下、ありがとうございます」
「ううん、こちらこそ。じゃ、また屋敷で」
「はい。失礼いたします」
部屋に残された不機嫌な姉と、あらゆる角度から攻撃を喰らいすぎて凍りついてしまった妹。
スフィラは深いため息を吐いてルミアの横に座った。そして固まったまま動かないルミアの肩を揺さぶる。
「ルミア、あんたが悪いんだからね。エリック様のことで、あんたたち貴族のいいネタにされてたわ。その上あんたは殿下のパートナーとして参加したのよ?」
「…ごめんなさい」
(わかってる…軽率だった…)
「あんた、本当に何したかわかってるの?反省なさい」
「もうやめて…」
(それ以上は…)
「こっちが言いたいわよ。殿下だけでなくアヴァロフの名まで汚してるのよ?」
「…ぅあ」
(迎えにくる…殿下が…)
「それにあんたは誰よりも目立ってる。もっと自覚なさい」
「…目立つ」
スフィラの言葉は、ルミアの琴線に触れた。ポロッと片目から雫が落ちた。
「…と、とにかく、屋敷に戻るわよ。殿下が兄様と一緒にフォローしてくれてるはずだから。さ!切り替えなさい」
「……姉様。私、怖いです」
「は?当たり前でしょ。殿下は一番怒らせてはいけない人なんだから」
「なぜですか?」
「はぁ、あんたは知らないかもだけど、殿下は何度あの兄様を泣かせたと思ってるの?」
「兄様が?泣く?」
「母様と父様に泣きついてたわ。殿下が怖いって」
スフィラは昔のことを懐かしむように話した。彼女だけが知るジオルドの姿を語った。その頃、ルミアは図書室に篭っていたから知らなかった。
「だから…ずっと…」
(殿下って呼ぶんだ…)
(そんな殿下が…迎えにくる…やばい…)
ルミアは認識阻害マントがちゃんと収納されていることを頭の中で確認した。そして、控室を出て、スフィラと一緒に馬車へと移動した。
その足は来た時よりもぎこちなく、何度もつまづいていた。




