知ってることと、伝えないこと
迷宮の地下深くへと進む一行。次第に周囲は平坦な道となり、人工的に開けられた洞窟の壁面に、青く塗られた木の看板が立てかけられていた。今まで見たボロボロの看板とは違い、きっちりと劣化しないように魔法で守られた木の板。
そこに『緊急避難所』と書いてあった。その看板の先に、人が一人やっと通れるほどの小さな横穴がある。ルミアたちは中に入って、岩だらけだった迷宮に似つかわしくない光景に、目を疑った。
小さな横穴を抜けると、一面に青々とした苔が生え、びっしり絨毯のように広がっていた。中央には、大きな壺が置いてあり、その人工物からは水が溢れ続けていた。おそらく、天然の水場が作られているのだろう、とルミアは観察していた。湧水が出続け、透き通った水は高品質の飲料水として使えるとわかった。
天井には突き出たのか、突き刺されていたのか、巨大な透明な水晶が生えていた。この緊急避難所が明るいのは、それが日の光のように光っていたからだった。
(Sの飲料水って、おいしいのかな)
「ここは防護結界の中だ。簡易的な魔石の結界だから、弱い魔物なら防げる。だから二手に分かれて休息を取る」
『その必要はないわ。何かあれば私が見てるから、あなたたちはしっかり休みなさい』
「……ッチ」
シドヴィスの指示はエデンに割り込まれた。彼はまだ精霊に慣れておらず、エデンが目の前に現れる度に、びくついていた。その精霊の言葉を信用できず、舌打ちし、弟に向かって無言で睨むしかなかった。睨まれたアディは半目でエデンを見て聞く。
「精霊は嘘つかないんだよな?」
『当たり前でしょ。それに私はルミアが何より大事なの』
「シド、大丈夫だよ。エデンに任せて休もう」
レオはシドヴィスと面識があるのか、彼を『シド』と呼び、上目遣いで彼を宥めるように見つめて言った。彼はレオの言葉に左瞼が痙攣し、不快感をあからさまにする。
「レオ、俺にそんな目を向けるな。精霊に任せるとしよう。アディ、アレ渡せ」
「はい。アレですね」
アディはアレと言われたルミア考案、母の贋作、収納魔法の魔道具を取り出してシドヴィスに渡した。それを無表情に受け取ると、ニヤっと片方の頬だけ上げて不気味に笑った。
ビクッ!!
その場にいたルミアたちは、彼の笑った顔に背筋がゾワッとした。彼の歪んだ微笑みには、単純に喜んでいるというより、欲望が満たされたような悪魔的な笑みだった。一瞬の表情の変化に誰もがビクついていた。その上、弟のアディまで引いていた。
(……この人も笑うんだ…こわ)
「使い方を教えろ」
アディは兄から視線をすーっとずらしてジオルドと目を合わせた。目が合ったジオルドは一瞬顔が強張る。
「あ〜ルド、お願いできる?」
「え……俺?」
スフィラは勘付いたのか、洞窟の天井を見ていた。
「俺は天幕とか食事の準備するからさ。レオもルドと一緒についててあげてよ」
「僕も使っていい?」
「ダメ」
アディの許しをもらえず、しょんぼりとしたレオは、ジオルドと一緒にシドヴィスの周りに集まった。自分が使える時がいつかくるはず、と諦めず、ひっそりと機会を待ち望んで、ジオルドの指南を一緒に受けていた。
アディとスフィラとルミアで、天幕の準備を始めた。ふと、スフィラがルミアに疑問を投げかける。
「さっきのテントは使わないの?」
「アレは迷宮じゃ使えないらしいよ。エデンが言ってた」
「なんで?」
「うーん……魔力とは違うマナっていうのがあって…マナを使うから…」
「もっとわかりやすく説明して」
「エデン!」
『わかってなかったの?いいわ。お金にたとえたらいいかも。あなたたちが普段使う魔力が使い古された銅貨みたいなものよ。濁って、くすんで、価値も薄い。でもルミアが使うマナは違うわ。打ちたての金貨。純度も輝きも別格なの。だから金貨を迷宮の中で使うと、目立って魔物に気づかれやすくなるの』
おぉ、とルミアはエデンの塗装以上にわかりやすい例えに見直した。
(さすが年の功!)
『褒められた気がしないんだけどぉ』
そう言ってエデンはルミアに絡みついてじゃれつく。ルミアの顔に胸を擦り寄せ、抱きついてきた。アディたちには、ただじゃれついているように見える。けれど、ルミアは体から力が抜けていく感覚に驚いた。エデンはルミアからマナを大量に吸い取ったのだった。
「エデン!?」
『ちょっとだけだから』
「いやいや、今ごっそり抜かれた感覚あったよ!?ちょっとじゃないよ!」
『この迷宮は穢れが溜まってるのよ。私でも長時間となるとダメみたい』
エデンは可愛く萎れたように項垂れた。ルミアは立っていられなくなり、その場に屈み込んだ。
「大丈夫なの!?」
『ルミアは大丈夫よ。補充の方法、教えたでしょ?』
ルミアはエデンに抱きつかれたまま、目を閉じて深呼吸を始めた。そしてそのまま眠った。
『あら、摂りすぎちゃったかしら?』
「ほんとに大丈夫かよ……」
アディは一部始終を黙って見ていた。ルミアが眠ったのを見て、若干心配になり、エデンを睨んだ。
ルミアがエデンに抱えられて眠っている間、天幕の準備を開始した。スフィラは精霊の腕に抱かれて眠る妹に不安を覚える。本当にこの先大丈夫なのか、と姉の眉間に深い皺ができた。
***
ルミアは頭の夢の中で銀色の月を見ていた。周囲で聞き慣れた声がかすかに聞こえ、目を覚まそうと月から目を逸らそうとするも、抵抗できずに意識が遠のいた。
「ここからさらに5階層降りる。このままの速度だと間に合わない」
「兄上。俺たちはさらに下を目指さないとダメなんです。近道とかないですか?」
「シーカーが最奥にいるのは確かなんだ。迷宮がルミアに反応して魔物の数を増やしてるならキリがない」
『それならルミアをこのまま寝かせておくことね。禍々しい穢れはそれだけマナを消費させるもの。だけどルミアは無尽蔵。あなたたちもゆっくり休んでおきなさい』
「何するつもりなの?ルミアに無茶させるんじゃ—」
『私を信じられないのでしょうね、王子。けどルミアに無茶なんかさせないわ。魔物は絶対中に入れないわ。お前たちはただ休みなさい』
******
月が見える。
(月…一つだけ…)
綺麗な銀色に輝く、大きな満月。
(こんなぼろぼろの小屋…知らない…誰の家?)
どうしてこんなに綺麗な夜なのに……誰も助けてくれないの?
(赤い…これは血?……いや…手が…喰われて…)
******
「いやぁぁぁぁ!!!!!」
ペチン!!
「……いたい」
「どうしたのよ!怖い夢でもみたの!?」
スフィラは突然叫び散らした妹の頬をぶっ叩いた。ルミアは数秒間放心状態で、状況がわからずに混乱した。天幕の中に設置されたベッドの上で起き上がったルミア。心配そうにベッド脇に立つ姉スフィラ。ルミアの膝の上に横たわるエデン。
その体はいつもより透けていた。




