ジオルドという男
「戻ってきたか。カレーパンあるぞ?食うか?」
ルミアはアディに突然ビンタされて放心状態だった。それまで考えていたことが真っ白になり、状況が読めずに、ただ返事を返した。
「食う」
ルミアは手渡されたカレーパンを眠たい目をこすりながら食べる。横に座っている王子からルミアがここに来たまでの話を黙って聞いていた。目の前ではジオルドとスフィラがアディの出したみたことない大きさの魔道具を必死に収納しようと練習していた。
「どう?落ち着いた?ごめんね、寝てたのに。僕のせいでノックスを怒らせちゃったみたい」
「あぁ…怒ってると言うか…」
(本人に聞いてもいいこと?)
『聞くしかないだろ。聞いてみろよ』
ルミアと王子の会話にルミアが分けてあげたカレーパンを食べながら割って入ってくるノックス。ルミアはまだ頭が覚醒していないせいか、判断ができずに聞いてしまう。
「殿下はオルグ様の弟子なんですか?」
「え?オルグ様?…いや、違うけどどうして?」
「殿下がオルグ様の弟子って…書いてあるんです…」
「え?どこに?」
「…あ、いや嘘です」
「え…なにそれ…わからないよ。ルミア寝ぼけてる?」
「あー…では精霊王に会ったことありますか?」
「…会ったことはない」
「会ったことはないってことは…存在を知ってる…?」
「知ってるよ。でも言っちゃいけないことなんだよ。ノックス。僕は…」
レオナルドはルミアの膝の上でカレーパンを食べる黒猫に顔を近づけ、ルミアに聞こえない掠れた声でつぶやいた。
「精霊王を解放したい。でもまだルミアが成長するまで黙っててほしい。きっと君の主にはまだ早すぎるから…ね」
『…解放…ね。なるほど』
ルミアに聞こえてないか心配でレオナルドは顔をあげて彼女を見た。ルミアはカレーパンを頬張ったまま白目を剥いて寝ていた。ソファに背を預けて天を仰ぐ彼女のカレーパンを取り上げ、目をそっと指で閉じると、王子は食べかけのカレーパンを静かに食べた。
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昼前までスフィラとジオルドの訓練は続いた。休憩のためにアディは用意した昼食を机に並べて、スフィラたちと一緒に昼食を摂っていた。訓練場に似つかわしくない黒を基調とした木製の机と椅子に座ってアディたちは会議を進めていた。
ルミアはその話し声で目を覚まし、口をムグムグさせながら起きて静かに聞いていた。
「…首が痛い」
(口になんか入ってる…カレーパン?なんで?)
スフィラたちはルミア抜きに迷宮行きの計画を進めていた。今回の目的をはっきりとさせようとアディとレオナルドは積極的に役割を分担した。ジオルドは相変わらずムスッとして腕を組んで黙って見ていた。
「迷宮ができてからバイセル男爵が爵位と同時に領地を与えられた海沿いの辺境地だよ」
「その人って、大会後にうちに来てた人よね。シェリル嬢とは王都の別邸に一度茶会に呼ばれたことがあったんだけど、ちょうど騒動があったから断ってたの。でもその後手紙でやり取りして領地にお邪魔するって伝えしたわ」
レオナルドはスフィラの交友関係の広さに感心していると、アディが疑うように発言した。
「仲がいいようには思えなかったけど?」
「アディ、私は三公爵の娘なのよ?学園で会話しないとは言え、茶会で席を合わせることは何度もあったもの。それにシェリル嬢に対して噂のようなライバル視なんてしてないわ」
スフィラはアディの淹れてくれた不思議な香りのする紅茶を飲んで微笑んだ。
「まぁ、手紙のやり取りできるくらいの仲ってことか。それよりどうやって行くかだ。まだ親に話してないだろ?」
「それなら僕に任せてよ。ルミアが社交に参加するのに合わせて、僕も参加できるようにした。スフィラはルミアの護衛として。ルドは僕の護衛として。アディは自分でなんとかできるでしょ?」
レオナルドはふふん、と自信を持ってアディに話す。アディは首を傾げて幼馴染の王子に向かって意地悪に笑いながら一番大事なことを話した。
「なら、肝心の移動はどうすんだよ?空を飛ぶなんて見られれば大事だぞ?それに中継地には必ずジャベリンの使者が待ってる。バイセル領まで7日かかる。それに安全な街道を進む一本道しかない」
「それなら行きの馬車の途中で姿を消して、迷宮に直接行く。終わってからバイセル領付近で違う馬車に乗り変えるってのはどうかな?」
少し離れた位置で座って聞いていたルミアが提案した。その提案に対して理解できない顔と起きていたのか、という顔が一斉にルミアを見た。アディはルミアの提案に淡々と答えた。
「えっと…消えるってのは姿を消すってことか?じゃ、中継地点はどうするんだよ?それに迷宮に入るにはギルドで登録して記録に残すことになる」
「馬車ってさ、囮でもいいんじゃない?」
ルミアが言いたいことをアディたちが理解できないのは、彼女の作った魔道具をまだ見ていないからだった。その上普段から理解できない行動や考え方をする未知の生物となっていた。その彼女を一番理解していたアディがわからなかったので、皆考えることを手放した。
ルミアは半目の視線たちに説明した。
「えーっと…まず私たちの乗った馬車は一番近くの中継地点に向かって宿で一晩休憩する。でも実際は休憩しなくて、夜、一気にバイセル領に向うの」
「…」
皆、沈黙のまま。返事がないのがわかったルミアは、昨夜頑張って作った魔道具を見せることにした。
収納していた加工後の緑の布を取り出して、被ってみせた。
『「え!?」』
一同椅子から立ち上がって驚いた。緑の布を被ったルミアは姿を消してしまった。ルミアがいた場所から彼女の声だけが聞こえ、アディたちはその声のする場所へ誘われるように近寄った。
「この布には認識を阻害する魔法陣を描いたの。人にならこれで視認されなくなる。でも、これは使い捨てなの。魔石の効果が切れるまでしか使えないから、また魔石で魔法陣を描かなきゃなんだけど…痛いよ!踏んでる!」
ジオルドが近づきすぎてルミアの足を踏んだ。ジオルドはそれに驚いて後ろに転んだ。普段なら王子がジオルドのドジを笑うところだった。けれどアディもレオナルドもスフィラも笑えないほど驚いていた。
「ルミア、それは俺たちでも使えるのか?だからあんなに大きな布と魔石を?お前…すげぇな」
アディはルミアに身悶えてして商人の野望を膨らませた。けれど口にしない。
「こんなの作れるなんて…なんでもできちゃうじゃない…」
スフィラは口に出せないあんなことやこんなことを想像した。
「最高だよ、ルミア」
レオナルドは恍惚とした表情で打ち震えた。
「…ルミア。お前はそれを使って今からやろうとしてることを本当に理解してるのか?」
ジオルドだけは違った。彼は喜ぶどころか顔を強張らせ、問い詰めるように叱責を始めた。
「え?」
「お前の造ったものが招く事態を理解してるのか、と聞いてるんだ。俺たちだけで迷宮に入ることができても、その後の追及にどう答えるつもりだ?またアディや殿下にどうにかしてもらおうなんて考えているのなら浅はかすぎだ。誤魔化せない。そうなった時、お前はそれを公表するのか?大会の後の、魔術を公表したように?」
「…公表できないよ。悪用されるってわかってるし、もし誰かがこれを使ったらって考えると、防ぎようがないもの」
「そこまでわかってるなら簡単には…」
ルミアは認識阻害マントを脱いで、ジオルドの前に姿を表した。地面に尻をついた兄を妹は黒い瞳でじっと見つめる。
「兄様の反応は正しいよ。私もオルグ様に怒られるんじゃないかって思った。でも同時にオルグ様は言葉を残してるの。『反作用を考えていてはこの薬を作ることはできなかった』って」
「は?」
「大会で勝たなければよかった?学園で姉様を放って置けばよかった?ヘイレスト家でエリー様を見殺しにすればよかった?迷宮を放置して国が滅びるのを見てればいい?」
「…」
「レオナルド殿下が線引きした中になんで兄様が入ってると思ってるの?ただの護衛だとでも思ってるの?もしそう思ってるなら…」
「ルミア!」
レオナルドはルミアの言葉を止めた。それ以上は自分の口で言わなければならないと思ったレオナルドは、幼馴染の友人に微笑みかけた。
「ルドは僕の友人で、ずっと隣にいて欲しいと思ったからここにいるんだ。義務だったらとっくに護衛を変えてる。そうでしょ?」
ジオルドは目に熱いものが込み上げてくるのを必死に留め、レオナルドをじっと見つめた。そしてレオナルドは少し恥ずかしげに笑って続ける。
「ルドだってわかってるんだ。僕がやろうとしてることがどういうことを招くかって。人一倍優しいから僕たちを心配してるんでしょ?でもね、ルド」
王子は儚げに微笑み、友人を繋ぎ止めようとした。
「僕にはどうしても君が必要なんだ」
ジオルドはしばらく友人としてのレオナルドを見つめた。そして俯いて疲れ果てたようにため息を吐いた。
「なら…なおさら俺たちだけじゃだめだ。アディ、お前の父親を味方につけるしかない」
「…また俺?」
アディはルミアの認識阻害マントを拾い上げて眺めていたのをやめて、ため息をついた。視線が集まる分だけ、アディは頭を掻きむしる。




