ふんわりパン
それから春になるまで訓練や勉学を休んでいいことになった。それとしばらく絶対安静と外出禁止。両親は仕事で夕方まで王宮にいる。兄弟は皆、訓練や社交に忙しく見舞いには来ない。つまり特に今までと変わらない。
それに今まで書庫に篭りきりだったルミアは外出を求めたりしなかったので、外出禁止と言われてもピンと来なかった。けれど、茶会やパーティーに行くのを嫌がっていたルミアにとっては母に小言を言われずに済んで好都合だった。
自由な時間ができたルミアは、屋敷にあるもの全てを観察してみた。本を視た時は題名と著者がわかり、オルグ・メイデン本人の書いたものは無く、がっかりした。それに加えてオルグ・メイデンに関する新たな情報がわかるかも、と思っていただけにひどく落胆した。
そしてもう一度あの禁書庫の本を確認した時、異変を見つけた。
本の落書きが消えていた。
落書きされた本は間違いないはずなのに、落書きはどこにも見当たらなかった。
(そんなはずない。確かにあったのに…)
(魔法陣だってもう一回描ける…あれ?)
「うそ…思い出せない…」
ルミアは例の魔法陣を頭に思い描こうとするも、浮かばない。どんな形の絵だったかさえも思い出せなくなっていた。
ルミアはしばらく思い出そうとして自室から出なくなった。ぼーっと時間を過ごし、夕日を眺めたり、暖炉に火をつけたりした。
何度考えても思い出せないとなると、やることがなくなってしまった。
屋敷にある本は全て読んだし、頭にも入っている。だから読み返したいとは思わない。屋敷中の物も一通り視たし、部屋に居てもやることはない。庭に出て散歩するのも雪に阻まれて散歩どころじゃなかった。
「お嬢様、禁書庫へはもう行かれないのですか?」
自室でぼんやり数日過ごしていると、侍女のユナが声をかけてきた。
「うーん…本はもう全部読んだの。勉強の教本も一通り目を通したし…ユナだったら何する?」
「私ですか?そうですね…私なら…温室なんてどうでしょう?」
「温室?お母様の?」
「そうです。何度かお茶会のお手伝いでお邪魔しましたが、素晴らしい温室ですよ。旦那様が奥様の癒しの空間にと、お造りになられただけあって素敵な長椅子やハンモックなんてものもありましたし」
「そういえば行ったことないかも…」
「図書室ばかりでしたもの。奥様とスフィラ様で何度かお客様を招いてお茶会を開いておいででしたよ」
「植物かぁ…」
ルミアはユナの提案で温室で散歩することにした。
屋敷の裏庭を抜けると円形でドーム状の温室があった。隣接する建物はなく、周りの木々から隠されているように建っていたため、ルミアは見たことがなかった。
東屋のようなものを想像していたルミアは、その大きさに驚いた。ルミアの自室が4、5
部屋分入りそうな巨大な面積。大きな透明なガラスでできており、外から中の植物や木々が見え、灯りが灯っている。入り口は二重扉になっていて、温室内は暖かい。
(屋敷の裏にこんな大きな建物が隠されてたなんて…。お父様から巨大なプレゼントか…お母様愛されてるな)
中に入ると暖かく、春と夏の間の過ごしやすい気候。これも大賢者オルグのおかげだなと思いながら防寒着を脱いだ。
ユナはルミアが脱いだ防寒着を受け取ると、温室の木々の奥に入って行った。ユナの姿が植物で見えなくなり、どこに行ったのかわからなくなる。
「ユナ?どこ行ったの??」
「こちらですよ」
声のする方へ向かうと、天井から天幕がぶら下がってできた部屋があった。そこには室内と同じように家具が置かれ、絨毯が敷かれている。ユナが言っていたハンモックもそこに置いてあった。
「こちらではゆっくりできるようにベッドもカウチも、簡単なキッチンもあるんですよ」
ユナは楽しそうに花びらのような天幕をめくって奥にあるキッチンを見せた。
「なんか住めそう」
「奥様が妊娠中はこちらで過ごされておりました。空調魔石をふんだんに設置してますから、冬は暖かく夏は涼しく過ごせます」
ユナは少し嬉しそうに説明した。顔が綻んでいて、外との寒暖差に頬は真っ赤になっていた。
「じゃぁ、私がまだお腹にいた時も?」
「えぇ、そうです。実はお嬢様は初めてではないんですよ」
ユナはそのあとも楽しそうに温室を案内してくれた。ルミアは植物を一つずつ観察して、現れる文字を読んで過ごした。
未知の力をもっとよく使いこなせるように、ルミアは植物を集中して観察した。そして新しくわかったことは、観察する植物の部分ごとに出てくる情報の量に差があった。
『カリント 温暖な気候に育つ白い花の植物 種を粉末にして魔力水に浸すと傷薬Bになる』
(Bってなに?…それに魔力水ってなに?)
葉っぱをちぎり、観察すると別の情報が新たに出てきた。
『カリントの葉 解毒効果のある傷薬の原料 魔力水との相性が良く、迷宮に植生するオロントと合わせると解毒効果が高くなる』
(うわ、なんか出てきた…迷宮?ポーションとか魔法薬のこと?)
(うちには簡単な植物の本しか置いてないし…迷宮でしか手に入らない材料かぁ…今は確かめられないな)
温室にある植物はどれも珍しく、薬草や果物が多く植えられていた。ノコビという植物を見た時、ユナは故郷の植物だと教えてくれた。
「私の故郷にあった植物です。王都からずーっと南の海岸近くにある田舎の小さな集落です。この黄色い実は食べても問題ないんですけど、すっっっごく酸っぱいんです。だから子供の頃、イタズラで使ったりして遊んでましたね」
「へぇー」
「あ、食べちゃダメですよぉー」
ルミアがノコビの実を取ろうとして、ユナにスパッと手を払われた。
それでも黄色い実だけを集中して観察する。
『ノコビの実 実をすりつぶした物に砂糖、塩、小麦粉、バター、ミルクを加えて捏ねて焼くとふんわりパンができる』
「パン…」
「パン?昼食は召し上がりましたし…お茶にしますか?」
「…ううん、お腹空いてない」
(パンって言っただけなのに…)
ルミアはノコビの実を数十粒取ると、食べないでくださいとユナに懇願されながら厨房へと向かった。
厨房に着いたのは15時過ぎで、料理長のマッシュが食材を机の上に並べていた。
「お嬢様!どうかされましたか?」
顔を出すと素速く駆け寄ってきた強面の男、マッシュ。
(圧が強いな…)
「あのね、パン作りたいんだけど手伝って欲しいの」
「お嬢様がパンを自ら作るのですか!?」
「ふんわりしたパンを作ってみたくて…」
「な!?パンがお気に召さなかったのですか!?」
「違うよ!マッシュさんのパンはいつも美味しいから!そうじゃなくて、作ってみたいの!」
「なんと!!…わ、わたしと…一緒に…ということでしょうか」
「うん、そう。この実をすりつぶして…砂糖と塩と小麦粉とバターと……ミルク!で作りたいの」
「かしこまりました!お召し物が汚れては行けませんので新品のエプロンで宜しければこちらをどうぞ」
マッシュは嬉しそうに満面の笑み。きびきびと動き、ルミアと一緒にノコビの実を使ってパンを作ることになった。ルミアは話が早くて助かる、と満面の笑みでマッシュと並んだ。
ユナはノコビの実をすり潰しているルミアに、不安げな顔を向けて睨んでいた。きっとイタズラするつもりだとでも思っているのだろう、とルミアは感じ、目を合わせないようにした。
指定した食材以外の物を入れようとするマッシュを必死で説得して、ノコビの実をお嬢様のわがままで無理やり入れた。
厨房にいた使用人は皆、お嬢様のおままごとが失敗すると思っていても口にしなかった。けれど、驚いたことに出来上がったものは見事なパン。
皆で試食してさらに驚愕した。いつも食べるパンよりもほんのり甘くて柔らかい。ルミアの目に現れた文字の通り『ふんわり』と仕上がった為、マッシュはノコビの実をまじまじと見ていた。
試食したユナも驚いてて、ルミアに鋭い質問をした。
「お嬢様はノコビの実を見てパンとおっしゃいましたが、それも本の知識ですか?」
「…う、うん、そうだよ」
「そうですか。お嬢様はご存知だったのですね…おっしゃってくださればよかったのに…」
ユナは寂しそうな目でルミアとパンを見比べる。
「うん…ごめん、確かめたかったんだよ…」
(ごめんなさい!ユナ!いつかちゃんと謝るからそんな目で見ないで…)
温室の管理をしている庭師に話を通し、母エミリスの許可を取ったあと、食卓にふわふわのパンが並ぶようになった。




