11.『過剰な演出の代償(オーバー・クオリティ・コスト)』
親父という名の「低予算の悪夢」が、官房長官の身を挺した演出によって浄化され、地下議事堂の奥底へと消えてから数時間が経過した。
地上に出た俺を待っていたのは、かつてないほどに美しい日本の姿だった。
空は、幾重にも重ねられたブラシ塗りと透過光の処理によって、吸い込まれるような深い藍色から、燃えるような茜色へのグラデーションを描いている。道行く人々は、誰もが劇場版のメインキャラクターのような気品を湛え、その一挙手一投足には、物理法則を極限まで美しく解釈した、滑らかなフルアニメーションの動きが宿っていた。
「……勝ったんだ。俺たちは、ついに『神回』を手に入れたんだ」
俺は道端のベンチに腰を下ろし、安堵の溜息をついた。かつてはドブネズミ色に塗り潰されていた日常が、今や一コマ一コマが絵画のような価値を持つ。
だが、その安らぎは、俺のスマホが放った「警告音」によって無残に引き裂かれた。
「……なんだ? エラーログが止まらない。……嘘だろ、リソース消費量が……!」
コンソールの画面に表示されていたのは、目を疑うような数値だった。
親父という「悪役」がいなくなったことで、世界を縛る「妥当な予算」という枷が完全に外れてしまったのだ。結果として、日本中のすべてのオブジェクトが、一秒間に数千枚もの原画を消費し、無尽蔵にメモリを食い潰し始めていた。
「おい、見ろよ! 空が……!」
通行人の一人が叫んだ。見上げると、あの完璧だったはずの夕焼け空の端が、パラパラと「消しゴムで消された」かのように、不自然な白さに染まっていた。
それは、塗り忘れではない。世界を構成する「データ」そのものが、維持コストに耐えきれず、物理的に崩壊を始めている証拠だった。
異変は加速していく。
新宿の高層ビル群が、窓ガラスの一枚、鉄骨の一本に至るまで詳細に描き込まれていたはずのその姿を失い、まるでラフスケッチのようなガタガタの線へと退行していく。人々はパニックに陥るが、逃げる足元のアスファルトさえも、着色が剥がれ落ち、ただの「真っ白な原画用紙」へと戻っていく。
「……親父がいなくなった後も、物語は続く。でも、描き続けるための『情熱(予算)』が足りないっていうのか……っ!」
俺は必死にコンソールを叩き、崩壊するセクターの復旧を試みる。だが、俺一人の筆力など、世界という巨大なキャンバスの前では、砂漠に撒いた一滴の水に等しい。
かつて親父が言った言葉が、呪いのように脳裏をよぎる。
『美しすぎる物語は、いつか必ず破綻する』
俺は、背景に溶け込み、空や風となって世界を支えている「彼女」の意識を必死に探した。
「官房長官! 答えてくれ! このままじゃ、この国は『完結』する前に、物理的に消滅しちまう!」
返ってきたのは、風のささやきのような、けれど凛とした彼女の声だった。
『……作画監督。あなたは忘れています。物語を動かすのは、設定や予算だけではないということを』
「どういう意味だよ!」
『……一人で描こうとしないで。この作品のタイトルを、もう一度思い出してください』
真っ白に染まりゆく視界の中で、俺は己の無力さと、そしてこれから始まる「本当の戦い」の予感に震えていた。
日本という物語は、未曾有の「制作中止」の危機に直面していた。




