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深夜のコンビニで「死にそうな美女」に豚汁を奢ったら、翌日会社で鬼上司がチラチラ見てくる件  作者: 伊達ジン
第4章 公私混同の同棲生活

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第49話 深夜のコンビニで誓う永遠

 静まり返ったリビングに、時計の秒針の音と、彼女の小さなしゃくりあげる声だけが響いていた。

 俺の広い胸の中にすっぽりと収まり、子供のように声を上げて泣きじゃくる李雪課長。

 その細い背中を、俺は大きな手で何度も、何度も優しく撫でさすった。


 俺が彼女との生活に疲れ果てたのだという、彼女自身の自己肯定感の低さが生み出した最悪の勘違い。

 それを根底から覆すための「婚約指輪」という真実の光が、彼女の心を覆っていた重く冷たい暗雲を、完全に吹き飛ばしたのだ。


「……もう、落ち着いたか? 迷い猫さん」


 俺が夜の『契約』に基づいた自然なタメ口で、頭の上からそっと声をかけると、彼女は俺の胸に顔を埋めたまま、コクリと小さく頷いた。


「ここ最近、休日に一人で出かけたり、スマホを隠すように操作して、帰りが遅かったりした理由。それは全部……あんたに一番似合う婚約指輪を探すために、あちこちのブランドを歩き回ってたからだ。石井や前田にも、こっそり相談に乗ってもらってた」

「……うん」

「あんたに無理をさせてるとか、生活に息苦しさを感じてるなんて、一秒たりとも思ったことはない。……むしろ、不器用で強がりなあんたを、俺の作る夜食で甘やかして守り続けることが、俺の毎日の最大の生き甲斐になってたんだ」


 俺が改めて真っ直ぐな想いを伝えると、彼女はゆっくりと顔を上げた。

 真っ赤に泣き腫らした分厚いメガネの奥の瞳が、俺を愛おしそうに見つめ返してくる。


「……私、なんて馬鹿な勘違いを……。本気で愛想を尽かされたのかと思って、一人で絶望してあんなに泣いたのに……っ。穴があったら入りたいわ……!」


 彼女は恥ずかしさで顔を真っ赤にして、俺の胸板に再び顔をグリグリと押し付けた。

 俺は苦笑し、その愛らしい頭をポンポンと軽く叩いた。


「俺の配慮が足りなかったんだ。サプライズなんて慣れないこと、するんじゃなかった。……でも、あんたが俺のことをそれだけ深く想い、失うことを恐れてくれていると分かって、俺は心底嬉しかったよ」


 彼女は胸から顔を出し、テーブルの上に置かれた小さなベルベットの箱を見た。


「……それ」

「ああ」


 俺は箱の蓋に手をかけた。

 だが、そこでふと動きを止める。


「……こんな、泣かせた直後で、しかもパジャマとジャージ姿で、プーティンとグレービーソースのジャンクな匂いが漂うリビングの中で指輪をはめるのも、ちょっと締まらないな」

「……まあ、確かにムードの欠片もないわね」


 彼女が少しだけ口元を緩め、涙の跡が残る顔でクスリと笑った。

 俺は立ち上がり、彼女に大きな手を差し伸べた。


「着替えて、少し出かけないか。……俺たちの、本当の原点に」


★★★★★★★★★★★


 深夜24時30分。

 冷たい冬の風が吹く中、俺たちはいつものコンビニエンスストアの前に立っていた。

 俺は厚手のダウンジャケットを羽織り、極度の寒がりである彼女には、温かいウールのロングコートとマフラーをしっかりと着込ませている。


 自動ドアをくぐると、レジにはあのアンニュイな店員、長谷川さんが立っていた。

 彼女は俺たちの顔を見るなり、並んで歩く距離感と二人が纏う圧倒的に甘い空気の色から何かを完全に察したように、少しだけ目を細めた。


「……いらっしゃいませ。今日は、ずいぶんと深く、澄んだ色をしていますね。お二人とも」

「こんばんは、長谷川さん。……少し、買い物を」


 俺は真っ直ぐにチルドコーナーへと向かい、あの日の深夜、疲れ果てた限界の彼女に初めて渡したのと同じ商品を手に取った。

 レンジで温めるタイプの『具だくさん豚汁』と、ごくごくシンプルな『塩むすび』。

 それを二つずつ、レジに置く。


 長谷川さんはその商品を見て、ふわりと、心からの美しい微笑みを浮かべた。


「……原点回帰、ですか。マエストロ」

「ああ。今日は俺たちにとって、一番特別な夜になりそうだからな」

「そうですか。……おめでとうございます。お二人の奏でるアンサンブルが、永遠に続くことを祈っています」


 長谷川さんは会計を済ませた袋を、いつもより丁寧に両手で渡してくれた。

 深夜の密会を最初から見守り続けてくれた観測者からの、最高の祝福の言葉。

 俺たちは深く頭を下げ、温かい気持ちで商品を受け取った。


 向かったのは、コンビニの窓際に設置された、防犯カメラに見守られた明るい店内のイートインスペースだ。

 真冬の深夜に、寒がりの彼女を極寒の外のテラス席や、暗い公園へ連れ出すような真似は、コンシェルジュの絶対の安全基準が許さない。俺たちの秘密の関係が始まり、数々の危機を乗り越え、互いの本音をぶつけ合ったこの暖かく安全なイートインこそが、最高の舞台だ。


 俺たちは並んで椅子に腰を下ろした。

 窓ガラス越しに見える街灯の白い光が、アスファルトを冷たく照らしているが、この空間だけは暖房が効いていてポカポカと暖かい。


 俺は袋から、店のレンジでアツアツに温めた豚汁と塩むすびを取り出し、彼女に手渡した。


「……あの日も、こうしてあんたに渡したな」

「ええ。……仕事の重圧でゾンビみたいになってた私に、『今のあんたに必要なのは、覚醒作用でも刺激でもない。優しさだ』って」


 彼女は豚汁のカップを両手で包み込み、その温もりに目を細めて、愛おしそうに微笑んだ。


「……あれがなかったら、私、きっとどこかで完全に心が折れて潰れてたわ。あんたの作ってくれる夜食が、この秘密の時間が、私の張り詰めた心を繋ぎ止めてくれたのよ」

「俺も同じだ。あんたが俺の作ったものを美味しそうに食べてくれる顔を見るのが、俺の毎日の生き甲斐になってたんだ」


 俺は深く息を吸い込み、コートのポケットから、あのベルベットの箱を取り出した。

 パカッと開ける。

 イートインスペースの明るい蛍光灯の光を受けて、派手な装飾を排した、洗練された一粒のダイヤモンドが静かな輝きを放つ。

 プラチナのリングの内側には、俺が指定した小さな文字で『My only Maestro & Stray Cat』と刻印されている。


「李雪……いや、迷い猫さん」


 俺は彼女の、潤んだ真っ直ぐな瞳を正面から見つめた。


「俺は、会社では冴えない部下で、図体ばかりデカくて、料理と犬の世話くらいしか取り柄がない。でも、あんたの心と体を、美味しいご飯で癒やし、守り続けることだけは、世界中の誰にも負けない自信がある」


 彼女の目から、再び大粒の涙がポロポロと溢れ出した。

 だが今度は、不安や悲しみの涙ではない。喜びと幸福で満ちた、温かい涙だ。


「俺の人生に、あんたという最高のスパイスを、永遠に効かせてくれないか。……俺と、結婚してくれ」


 静かな冬の夜のイートインスペースに、俺の声だけが響いた。

 彼女は豚汁のカップを持ったまま、震える唇を噛み締め、何度も、何度も強く首を縦に振った。

 そして、涙声で、彼女らしい最高の強がりを口にする。


「……生意気よ。部下のくせに」


 彼女は泣き笑いの表情で、俺に左手を差し出した。


「でも……契約してあげる。……一生、私の専属コンシェルジュでいなさい」

「……謹んで、お受けするよ。我がオーナー」


 俺は彼女の白く細い薬指に、冷たいプラチナのリングをゆっくりとはめた。

 ぴったりだ。彼女が寝ている隙に、こっそりとサイズを測った俺の苦労が報われた瞬間だった。

 俺が彼女の涙を親指で優しく拭ってやると、彼女は俺の首に両腕を回し、力強く抱きついてきた。

 俺も彼女の小さな背中を、強く、決して壊さないように優しく抱きしめ返す。

 外の凍えるような寒さとは無縁の、暖かな店内の片隅で、俺たちの重なり合った体温と、鼓動の音だけが、確かな永遠を刻んでいた。


★★★★★★★★★★★


 翌日の日曜日。

 昨夜の嵐のようなすれ違いから一転、晴れて「婚約者」となった俺たちは、マンションのリビングで穏やかな夕暮れを迎えていた。

 左手の薬指に光る指輪を、彼女はソファに座りながら何度も眺めては、ふふっと一人で幸せそうに笑っている。

 平和だ。


「さて、婚約のお祝いのディナーにしようか」


 俺がキッチンに立つと、足元で丸くなっていたレオが「おっ、美味いご飯か?」と短い尻尾を振りながらすり寄ってきた。

 今夜のメニューは、俺のこれまでの料理スキルを総動員した『本格・海南鶏飯』だ。

 シンプルゆえに、一切の誤魔化しが利かないプロの味。


 まずは丸鶏……は流石に大きすぎるので、骨付きの新鮮な鶏もも肉を数枚用意する。

 大きな鍋にたっぷりの湯を沸かし、長ネギの青い部分、スライスした生姜、包丁の腹で潰したニンニクを入れる。

 そこに鶏肉を入れ、沸騰する直前で火を極弱火に落とす。グラグラと煮立たせてはいけない。余熱でじんわりとゆっくり火を通すことで、肉のタンパク質が硬くならず、信じられないほどしっとりプルプルに仕上がるのだ。


「いい匂いがしてきたわね。……鶏のスープ?」

「ああ。でも、これは主役のご飯を炊くための、極上の出汁だ」


 茹で上がった鶏肉を取り出し、すぐに氷水に浸して急冷し、身を引き締める。これで皮のゼラチン質がプルプルになる。

 そして、残った極上のチキンスープ。

 フライパンでニンニクと生姜を香ばしく炒め、そこに洗った最高級のジャスミンライスを投入して、米粒が透き通るまで油をコーティングするように炒める。

 これを炊飯器に移し、先ほどの黄金色のチキンスープと、香りの要である東南アジアのハーブ『パンダンリーフ』を数枚入れて炊き上げる。


 炊飯器から甘くエキゾチックな蒸気が上がる間に、味の決め手となる三種類のタレを作る。

 すりおろした生姜とネギに、熱した鶏油をジュワッと香ばしくかけた『ジンジャーソース』。

 生の赤唐辛子とニンニク、たっぷりのライム果汁を合わせた、鮮烈な酸味と辛さの『チリソース』。

 そして、甘みと深いコクのあるドロッとした中国醤油『ダークソイソース』。


「……完成だ」


 大皿に、チキンスープを限界まで吸って黄金色に輝くジャスミンライスをこんもりと盛り、その上に骨を外して美しく切り分けた艶やかな鶏肉を乗せる。

 フレッシュなパクチーとキュウリを添えれば、まるでシンガポールの高級ホテルのような完璧な一皿だ。ペアリングには、鶏肉の茹で汁で作った熱々のあっさりとしたスープと、温かいジャスミン茶を用意した。


「……うわぁ、綺麗。いただきます!」


 彼女はスプーンで、ご飯と鶏肉、そしてジンジャーソースをすくって上品に口に運んだ。


「……んんっ!! お肉が信じられないくらい柔らかくてジューシー! それに、このお米……鶏の旨味が芯の芯まで染み込んでて、ハーブの香りがフワッと鼻に抜けるわ!」

「次はチリソースとダークソイソースを混ぜて食べてみてくれ」

「……美味しい! 醤油の甘さと唐辛子の辛さ、ライムの酸味が一体になって、これは無限に食べられそう!」


 彼女は目をキラキラと輝かせながら、夢中でスプーンを動かす。

 その幸せそうな笑顔を見ているだけで、俺の胸はこれ以上ないほどの多幸感でいっぱいになる。


 そして、食後のデザート。

 俺が用意したのは、東南アジアのローカルスイーツ『チェンドル』だ。


「何これ? かき氷?」

「ああ。濃厚なココナッツミルクと、パームシュガーの黒蜜シロップをたっぷりかけたかき氷だ。中に入っている緑色のゼリーが『チェンドル』って言うんだ」


 パンダンリーフで鮮やかな緑色と香りをつけた、米粉のプルプルとしたゼリー。

 スパイシーで旨味の強いチキンライスの後に、この強烈な深い甘さと冷たさ、そしてココナッツのコクが、火照った体を優しくクールダウンしてくれる。


「……甘くて、冷たくて、不思議な食感。……すごく、幸せな味がする」


 彼女はチェンドルの氷をスプーンで溶かしながら、ゆっくりと味わった。

 そして、スプーンをコトンと置いて、俺を真っ直ぐに見た。


「ねえ、師匠。……じゃなくて、一郎」


 彼女の口から出た俺の下の呼び名に、俺は少しドキリとして心臓を跳ねさせた。


「……これからは、毎日こうして、一緒にご飯が食べられるのね」

「ああ。……毎日、俺があんたの顔色を見て、最高の処方箋を作るよ」

「……太っちゃいそうね。でも、楽しみだわ」


 彼女は左手をテーブルの上に置き、薬指のリングを愛おしそうにそっと撫でた。

 俺も自分の大きな左手を伸ばし、彼女の小さな手の上に優しく重ねる。

 足元ではレオが、味付けなしの茹で鶏とササミで作った特製ドッグフードを平らげ、満足そうにヘソ天で寝転がっている。


 深夜のコンビニから始まった、名前も知らない共犯関係。

 それは幾多の試練とすれ違いを乗り越え、今、かけがえのない「家族」へと確かな形を変えた。

 この温かくて美味しい永遠が、俺たちの未来にずっと続いていくことを、俺は強く確信していた。

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