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深夜のコンビニで「死にそうな美女」に豚汁を奢ったら、翌日会社で鬼上司がチラチラ見てくる件  作者: 伊達ジン
第4章 公私混同の同棲生活

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第45話 手料理の特訓リターンズ

 吐く息が白く染まる、冬の休日の朝。

 俺は、早朝のキリッとした冷たい空気を肺いっぱいに吸い込みながら、愛犬のレオと共に朝の散歩から帰ってきたところだった。


 温泉旅行から帰ってきて以来、週末を李雪課長のタワーマンションで過ごす半同棲のような生活が、俺と彼女の間ですっかり板についてきている。

 今朝も、極度の低血圧で極度の寒がりである彼女は、暖房の効いたリビングのイタリア製の高級ソファに持ち込んだ分厚い毛布にくるまり、サメのぬいぐるみを抱きしめて深い眠りについている……はずだった。


 静かに玄関のドアを開け、レオの足を丁寧に拭いてリビングへ向かおうとした時。

 奥のキッチンから、奇妙な音が聞こえてきた。


 カチャカチャ、バタバタ。

 何かを慌ただしくかき混ぜる音と、フライパンがコンロの五徳にガツンとぶつかる鈍い音。

 そして、「ああっ、また焦げた!」「キャン!」という、彼女の焦ったような小さな悲鳴と、おこぼれを期待しているらしいレオの楽しげな鳴き声。


(……何が起きているんだ?)


 俺は急いでレオのリードを外し、リビングを抜けてキッチンへと向かった。

 そこで俺が目にしたのは、まさに「惨事」という言葉が相応しい光景だった。


「……何してるんだ、迷い猫さん」


 俺が少し低めの声で呆れたように声をかけると、コンロの前で格闘していた彼女が、ビクッと肩を大きく跳ねさせて振り返った。

 彼女は、以前の忘年会のハズレ景品だという、あの無骨で味気ない無地の黒いカフェエプロンを身につけていた。

 髪は無造作なお団子にまとめているが、パラパラと後れ毛が落ち、完全に乱れている。

 そして何より、分厚いメガネの奥の目はパニックで泳ぎまくり、白い頬にはケチャップのような赤い汚れがベッタリとついていた。


「み、見ないで! まだ完成してないんだから!」


 彼女は慌てて、まな板の上の何かを自分の小さな背中で必死に隠そうとした。

 だが、キッチンの惨状は隠しきれない。

 飛び散った黄色い卵液、床に転がる無残な姿のウィンナー、そして少し焦げ臭い煙。

 足元では、レオが落ちてくるかもしれない未知の食材を期待して、完璧なお座りの姿勢で短い尻尾をパタパタと振って待機している。


「……とりあえず、火事になる前にコンロの火を止めるぞ」


 俺は彼女の脇からスッと手を伸ばし、冷静にコンロの火を消して、換気扇のスイッチを「強」に切り替えた。

 煙が吸い込まれていく音の中で、彼女は観念したようにガックリと肩を落とし、手に持っていた菜箸をコトリと置いた。


「……おはよう、師匠。貴方が散歩から帰ってくる前に、終わらせるつもりだったのに」

「俺はてっきり、昼過ぎまで毛布の妖精になってると思ってたよ。……朝から、一体何を?」


 俺が『夜食契約・改』に基づいたタメ口で尋ねると、彼女は俯いたまま、モジモジと黒いエプロンの裾をギュッと握りしめた。

 会社で部下を震え上がらせる「氷の女帝」からは想像もつかない、気弱な少女のような仕草だ。


「……だって、悔しかったから」

「悔しい?」

「ずっと、貴方に胃袋を掴まれっぱなしじゃない。温泉旅行の時も、結局あんな凄い蟹料理から朝食まで全部作られちゃって……。私の完全な完敗だったわ」


 彼女はチラリと、メガネの奥から俺を上目遣いで見た。


「前にオムライスを教えてもらった時、『今度は最初から最後まで一人で作れるようにする』って約束したでしょ。……だから、今日は私がお弁当を作って、近くの公園でピクニックでもしようと思って、こっそり早起きしたのよ」


 俺は息を呑んだ。

 冷蔵庫の中身がゼリー飲料と栄養ドリンクだけで、自炊能力皆無だった彼女が。

 俺のために、たった一人で慣れない早起きをして、不器用な手つきでお弁当を作ろうとしてくれていたなんて。

 そのいじらしくて、あまりにも真っ直ぐな愛情表現に、俺の胸の奥がカッと熱くなる。


「……見せてくれるか? そのお弁当」

「……笑わないでよ。絶対に笑わないって約束して」


 彼女は渋々といった様子で、まな板の後ろに隠していたプラスチックのタッパーを差し出した。

 中に入っていたのは、三種類の料理だった。


 一つ目は、塩むすび。

 形は少し歪で大きさがバラバラだが、海苔が丁寧に巻かれている。

 二つ目は、卵焼き。

 見事に焦げ目がついており、巻くというよりは「なんとか折りたたんだ」といった風情だ。

 そして三つ目は、タコさんウィンナー。

 切れ込みの深さがバラバラで、足が三本しかないものや、逆に細かく切り刻まれてイソギンチャクのようになっているものがある。


「……不恰好でしょ。やっぱり、私に料理の才能はないみたいね」


 彼女が自嘲気味に笑う。

 俺はタッパーを両手でしっかりと受け取り、ダイニングテーブルへと向かった。

 

「……頂くよ」


 俺は割り箸を割り、まずは少し焦げた卵焼きを口に運んだ。

 焦げた風味の奥から、じんわりとした優しい甘さが広がる。

 俺がだし巻きよりも「甘めの卵焼き」が好きだということを、彼女はいつかの会話からしっかりと覚えていてくれたのだ。


 次に、塩むすび。

 それは、あの日、俺が深夜のコンビニで初めて彼女に渡したものと同じメニューだ。

 塩加減が絶妙で、不器用ながらも一生懸命に握る手に込められた力が伝わってくるような、しっかりとした温かい食感。


「……どう? 食べられないレベルなら、無理しないで吐き出していいわよ」


 彼女が不安そうに覗き込んでくる。

 俺は塩むすびを飲み込み、まっすぐに彼女の目を見た。


「美味しい。……本当に、美味いよ」

「……気を使わないで。お世辞なんて求めてないわ」

「気なんて使ってない。……この弁当には、俺を喜ばせようと慣れない早起きをしてくれた、あんたの貴重な時間と愛情が詰まってるんだ。俺にとっては、どんな三ツ星レストランのフルコースよりも、最高のご馳走だよ」


 俺が心からの本音で微笑んで言うと、彼女の瞳が大きく見開かれた。

 そして、みるみるうちに顔全体が、耳の先まで茹でダコのように真っ赤に染まっていく。


「……ば、ばか! 朝からクサいこと言わないでよ!」


 彼女は照れ隠しに俺の分厚い肩をポカポカと叩き、足元にいたレオを誤魔化すように抱き上げた。


「ほら、レオくんも呆れてるわよ! ねー!」

「ワフッ」


 レオはよく分かっていないようだが、彼女の赤い頬をペロペロと舐めて同調している。

 俺はそんな一人と一匹の平和な姿を見ながら、残りのタコさんウィンナーを一つ残らず大切に味わった。


★★★★★★★★★★★


 彼女の作ってくれた最高のお弁当を平らげた後、俺はキッチンの原状回復を請け負った。

 焦げ付いたフライパンを洗い、飛び散った卵液やケチャップを綺麗に拭き取る。

 そして、今度は俺が「マエストロ」として腕を振るう番だ。


「迷い猫さん。せっかくの休日だし、甘いブランチにしよう。特等席を用意するよ」


 冬晴れの空の下、外のバルコニーで過ごすのも一興だが、極度の寒がりである彼女を冷たい冬の空気に晒すのは、コンシェルジュの安全基準が許さない。

 俺は、床暖房とエアコンがしっかりと効いた暖かいリビングの中で、一番陽光が差し込む窓際のソファを「特等席」としてセッティングした。

 ポカポカと暖かい陽だまりの中で、外の冬景色を安全に楽しめる特等席だ。


「甘いもの? 賛成よ。暖かい部屋で食べるのなら大歓迎」


 彼女も嬉しそうにソファに座り直した。

 俺が取り出したのは、昨日、週末の朝食用に買っておいた少し固くなった『バゲット』だ。

 作るメニューは、『プロ顔負けの至高のフレンチトースト』。


 まずはアパレイユを作る。

 ボウルに卵、たっぷりの牛乳、そして生クリームを加える。これでコクが格段に増す。

 砂糖とバニラエッセンス、さらに隠し味として『オレンジリキュール』を数滴垂らす。柑橘の爽やかな香りが、卵の生臭さを消し、高級フレンチのデザートのような気品ある風味を生み出すのだ。


「でも師匠、フレンチトーストって、一晩くらい卵液に漬け込まないと中まで染み込まないんじゃないの?」


 横で見学していた彼女が、メガネを押し上げながら的確な疑問を口にする。


「普通はそうだな。でも、コンシェルジュには『時短の魔法』があるんだ」


 俺は厚さ三センチほどに切ったバゲットを耐熱皿に並べ、そこにアパレイユをたっぷりと流し込んだ。

 そして、ふんわりとラップをして、そのまま電子レンジへ。


「六百ワットで三十秒。裏返してもう三十秒。……パンを温めることで、スポンジのように一瞬で液体を奥の芯まで吸い込むんだ」


 レンジから取り出すと、バゲットはすでにタプタプの重たい状態になっていた。

 フライパンに無塩バターをたっぷりと溶かし、弱火でじっくりと焼き上げる。

 バターが焦げないように、ゆっくりと。

 甘いバニラとバターの香りが、キッチンを圧倒的な幸福感で満たしていく。


「仕上げは、少し乱暴にいくぞ」


 両面にこんがりと美しい焼き色がついたところで、表面にグラニュー糖をたっぷりと振りかける。

 そして、料理用の小型ガスバーナーを取り出し、青い炎で一気に炙る。


 ゴオオォォォッ!


 グラニュー糖が瞬時に溶け、プクプクと泡立ちながら焦げ茶色のカラメルへと変化していく。

 クレームブリュレのように、表面をパリパリの飴状にするのだ。


「……完成。至高のフレンチトーストだ」


 皿に盛り付け、粉砂糖を冬の雪のように美しく振りかける。

 そして、これに合わせるペアリングのドリンクだ。

 極度の寒がりである彼女のために、俺は小鍋を火にかけた。


「合わせるのはこれだ。『スパイス香るホット・アップルジンジャーティー』」


 小鍋に果汁100パーセントのリンゴジュースを入れ、そこにすりおろした生の生姜、シナモンスティック、クローブを数粒入れてコトコトと煮出す。

 スパイシーで甘い香りが立ったところで、濃いめに抽出したアールグレイのホットティーとブレンドする。


「濃厚なバターと卵の甘みを堪能した後に、この紅茶の酸味とスパイスが脂をスッキリと洗い流してくれる。それに、生姜の力が体の芯からポカポカに温めてくれるんだ。……冬の朝にこそ輝く、寒がりのあんたのための最高のペアリングだ」

「……相変わらず、変態的なまでのこだわりね」


 彼女は呆れ半分、感嘆半分といった顔で、マグカップと皿を持って、日差しの差し込む窓際のソファへと向かった。


★★★★★★★★★★★


 陽だまりの特等席。

 俺たちは向かい合って座り、足元ではレオが、日向ぼっこをしながら丸くなって静かに目を閉じている。


「いただきます」


 彼女がナイフを入れる。

 パリッ、という心地よい音。キャラメリゼされた表面が割れる音だ。

 そして一口。


「……っ!!」


 彼女は目を大きく見開き、口元を押さえた。


「外はカリカリなのに、中はプリンみたいにトロットロ……! オレンジリキュールの香りがすごく大人っぽくて、本当にお店の味よ!」

「紅茶もどうぞ」


 彼女はマグカップを両手で包み込み、温かいアップルジンジャーティーを一口飲む。


「……はぁ、温まる。リンゴの自然な甘さと、生姜のピリッとした辛味がすごくいいわ。濃厚なフレンチトーストの後だと、このスパイスの刺激がたまらないわね。本当に、体が芯からポカポカしてくる」


 彼女の満面の笑顔を見ていると、俺の胸の中にずっとあった「ある思い」が、自然と口をついて出た。


「……最近、週末はほとんどここにいるな、俺」

「そうね。……貴方の私物も、ずいぶん増えてきたし」


 彼女はフレンチトーストを切り分けながら、悪戯っぽく笑った。


「洗面所の棚もそうだけど、キッチンの調味料なんて、もう私のゼリー飲料のスペースより貴方のスパイスの小瓶のスペースの方が広いくらいよ」

「すまない。でも、美味しいものを作るには不可欠だからな」


 俺はマグカップを見つめたまま、一呼吸置いた。

 そして、彼女の目を真っ直ぐに見た。


「……いっそ、完全に引っ越してこようか。俺と、レオの荷物も全部、こっちに」


 静かなリビングに、俺の言葉が落ちた。

 暖房の効いた部屋の中で、彼女のナイフを持つ手が、ピタリと止まった。


「……それって」


 彼女は瞬きを繰り返し、俺の言葉の意味を必死に咀嚼しているようだった。

 週末だけの半同棲ではなく、完全な同棲。

 生活の拠点を、完全に一つにするということ。


「……本気で、言ってるの?」

「本気だ。俺は、あんたの作ったあの少し焦げた卵焼きを、これからも毎日食べたいんだ」

「……何よそれ。プロポーズのつもり?」


 彼女は顔を真っ赤にして、視線をマグカップの紅茶に落とした。

 だが、その声は怒っているわけではなく、むしろ嬉しさを必死に隠しているように小さく震えていた。


「プロポーズは、もっとちゃんとした時にするよ。……これは、ただの『住環境の最適化』の提案だ。……氷の女帝らしく、合理的に判断してくれ」


 俺が彼女の得意な言葉を借りて言うと、彼女はふっと、本当に愛おしそうに笑った。


「……そうね。私の専属コンシェルジュとして、24時間体制で働いてもらうには、常駐してもらった方が圧倒的に効率的だわ」


 彼女は照れ隠しの「女帝モード」で言い放った。

 だが、耳の先まで真っ赤に染まっているのを、俺は絶対に見逃さなかった。


「……これからも、よろしくね。師匠」

「こちらこそ、迷い猫さん」


 俺たちはテーブル越しにマグカップを合わせ、カチンと鈍く温かい音を響かせた。

 レオが「僕も混ぜろ」とばかりに目を覚まし、二人の足元で嬉しそうに尻尾を振っている。


 深夜のコンビニから始まった、不器用で秘密だらけの共犯関係。

 それは今、同じ屋根の下で、同じ時間を刻む「家族」へと変わろうとしていた。

 俺は、甘くてほろ苦いフレンチトーストを頬張りながら、これから始まる騒がしくも愛おしい毎日を想像し、静かに微笑んだ。

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