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深夜のコンビニで「死にそうな美女」に豚汁を奢ったら、翌日会社で鬼上司がチラチラ見てくる件  作者: 伊達ジン
第4章 公私混同の同棲生活

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第41話 営業一課からのリベンジマッチ

 吐く息が白さを増し、冷たい北風を防ぐための分厚いコートが手放せなくなってきた、ある平日の夜。

 俺は、李雪課長のタワーマンションの広大なリビングで、小さな抵抗勢力と格闘していた。


「ほら、レオ。暴れるな。これ着ないと風邪引くぞ」

「……うーっ、わんっ!」


 すっかり体つきがたくましくなってきた愛犬の豆柴、レオは、俺が手に持っている布切れを未知の敵だと認識しているらしく、短い前足でパンパンと叩いてくる。

 俺が買ってきたのは、犬用の『ポンチョ風寝巻』だ。

 ネイビーの生地に黄色い星柄がプリントされた、毛足の長いフリース素材。前足を通す必要がなく、頭からすっぽりと被せて首元と腹部のボタンを留めるだけの、着脱が簡単な防寒着である。


「よし、捕まえた。被るぞー」


 俺はレオを素早く抱き寄せ、頭からスポンとポンチョを被せた。

 視界が塞がれて一瞬大人しくなった隙に、手早く腹部のボタンを留める。


「……きゅぅ?」


 レオは体をブルブルと震わせ、自分が何かに包まれていることを確認した。

 最初は歩きにくそうに不自然な足取りでリビングをウロウロしていたが、やがてそのフリース素材の「圧倒的な暖かさ」に気づいたらしい。


 彼はトコトコと、リビングの隅に新設された自分のお気に入りの場所へ向かって歩き出した。

 そこは、先週末に俺がDIYで完璧に構築した『レオ専用の安全ケージスペース』だ。

 チリ一つない彼女のモデルルームに子犬を長時間放置する危険を排除するため、頑丈な防護フェンスと防水マットを敷き詰め、留守番中も絶対に安全で快適な環境を作り上げたのだ。これで、俺がいちいち自分のマンションへレオを送り迎えしなくても、彼をこの部屋で安全にお留守番させることができるようになった。


 レオはケージ内のふかふかのベッドに上がり、ポンチョの裾にすっぽりと包まりながら、コテンと目を閉じた。

 モコモコの星柄ポンチョから、黒い麻呂眉の顔と、短い尻尾だけがちょこんと出ている。


「……っ!!」


 隣でその様子を見ていた李雪課長が、声にならない悲鳴を上げて口元を両手で覆った。

 今日の彼女は、いつもの限界芋ジャージではなく、ゆったりとした白のローゲージニットのワンピース姿だ。


「な、何これ……! 天使? いいえ、暖かさを知った小さな妖精よ……!」


 彼女は分厚いメガネの奥の目をキラキラさせながら、そーっとレオに近づき、ポンチョ越しの丸い背中を優しく撫でた。

 レオは「んふぅ」と気持ちよさそうな鼻息を漏らし、完全にウトウトしている。


「似合ってるな。これで冬の夜の冷え込みも、留守番中も安心だ」

「……師匠、貴方やっぱり天才ね。このポンチョを選んだセンス、表彰状をあげたいわ」


 彼女はスマホを取り出し、無音カメラアプリでレオの寝顔をあらゆる角度から激写し始めた。

 そのデレデレに崩れた無防備な顔を見ているだけで、俺も満ち足りた気分になる。

 平和な夜だ。

 だが、この平和が永遠に続くわけではないことを、俺たちは翌日の会社で思い知ることになる。


★★★★★★★★★★★


 翌日の午前10時。

 静寂に包まれた営業二課のフロアに、カツカツと攻撃的なヒールの音が響き渡った。


「ちょっと! 鉄仮面、いる!?」


 バンッ、と強めにパーテーションを叩いて現れたのは、赤いカーディガンを羽織った営業一課の山下恭子課長だ。

 彼女のパッチリとした大きな瞳は、いつになく真剣な、そしてどこか切羽詰まったような熱を帯びている。

 彼女は李雪課長のデスクに直行すると、分厚いファイルをドサリと叩きつけた。


「……何の真似かしら、山下課長」


 李雪課長はPCのモニターから一切目を離さず、冷ややかな声で応じた。

 いつもの絶対零度の「氷の女帝」モードだ。


「全社横断の、大型システム導入案件のデータよ。一課のメンバーが靴の底を減らして、現場のクライアントから足で稼いできた生の声とリサーチデータが全部詰まってるわ」


 山下課長は、そのファイルをバンバンと指差した。


「明日の朝イチの役員会議で、これを説得力のあるプレゼン資料として出さなきゃいけない。……でも、現場の熱意だけじゃ、頭の固い役員たちは納得しない。これを完璧なスライドに落とし込むための、緻密なデータ分析とロジック構築が足りないの! だから、二課の力を貸してちょうだい!」


 フロアがざわついた。

 他部署の案件に対して、しかも明日の朝が期限の重いタスクへの協力を仰ぐなど、普段の犬猿の仲である二人からは考えられないことだ。

 だが、山下課長は決して仕事を丸投げしているわけではない。自分の美学である「現場の汗と涙」を会社に認めさせるため、プライドを捨てて、自分たちに欠けている「完璧なロジック」を持つ最大のライバルに頭を下げに来たのだ。

 李雪課長はゆっくりと顔を上げ、呆れたようにため息をついた。


「お断りします。なぜ私たち二課が、一課のプレゼン資料作成を手伝わなければならないの? スケジュール管理の甘さは貴女の責任でしょう」

「全社の利益のためよ! 私たちの熱意を、貴女の完璧なロジックで形にしてほしいの!」


 山下課長は食い下がり、そして、周囲の社員に聞こえないようにグッと身を乗り出して、李雪課長の耳元で、隣の席にいる俺にも聞こえる声量で囁いた。


「……それに、私の『ドラえもん』を独り占めして、夜な夜な美味しいもの食べて甘やかされてるんだから、これくらい協力してくれたってバチは当たらないんじゃないの? 秘密を共有する『共犯者』同士の完璧な連携プレイ、昼間の仕事でも見せなさいよ」


「……っ」


 李雪課長の眉間がピクリと動いた。

 あの日、チゲ鍋パーティで俺たちの関係がバレて以来、山下課長は事あるごとにこうして「秘密の共有者」としての特権を行使し、発破をかけてくる。

 信頼していた深夜の飲み相手が、実は憎きライバルの「手駒」だったという事実を、彼女はこういう形で仕事の起爆剤に変換しているのだ。


「……公私は関係ありません。持ち帰ってちょうだい」


 李雪課長が冷たく突き放そうとした、その時。

 俺はパイプ椅子から立ち上がり、二人の間に割って入った。


「李雪課長。……俺がやります」

「……橋本主任補佐?」


 李雪課長が、驚いたように俺を見上げる。

 俺はファイルに手を置き、山下課長に向かって、あくまで「冴えない部下」のトーンで静かに言った。


「山下課長。一課の熱意あるデータと、二課の分析力が合わされば、間違いなく最高のプレゼン資料になります。会社全体に関わる重要な案件ですから、二課の主任補佐として、喜んでサポートさせていただきます。……ね、課長?」


 俺は李雪課長に、微かに目配せをした。

 ここで山下課長を突っぱねるのは簡単だ。だが、それでは山下課長の「会社を良くしたいという熱意」と、不器用なSOSを無下にすることになる。

 俺たちの関係を、会社という枠組みの中でも認めさせ、彼女たち二人のライバル関係をより健全なものにするには、この土俵で圧倒的な結果を見せつけるしかないのだ。


 李雪課長は、俺の視線の意図を瞬時に読み取ったらしい。

 彼女はふっと口角を微かに上げ、不敵な笑みを浮かべた。


「……いいでしょう。橋本主任補佐がそこまで言うなら、二課の総力を挙げて手伝ってあげる。……ただし、この案件が通ったら、功績の半分は二課がもらうわよ」

「……上等じゃない。やってみなさいよ!」


 山下課長はフンと鼻を鳴らし、自分のシマへと戻っていった。


 そこからは、営業二課のフロアに「嵐」が吹き荒れた。


「橋本主任補佐。まずはこの一課の現場データを、クライアントの要望別にクロス集計して頂戴」

「すでに抽出済みです。マクロを組んで、傾向値の異常をハイライトしておきました。共有フォルダの『一課_分析用』に入っています」

「……さすがね。じゃあ、これをベースに私がロジックツリーを組むわ。貴方はそれに合わせてスライドの骨組みを作って」

「了解です。配色は、一課のコーポレートカラーである赤を基調に、視認性の高いフォントで統一します」


 俺と李雪課長の間に、無駄な言葉は一切なかった。

 彼女が論理の骨格を猛スピードで組み立てる。その思考の速度に合わせ、俺が即座にデータを視覚化し、実務レベルの完璧なプレゼン資料へと落とし込んでいく。

 指示が出る前に、俺の手が動いている。

 俺が欲しいデータを、彼女がすでに先回りして用意している。

 パズルのピースが音を立てて組み合わさっていくような、圧倒的で恐ろしいほどのコンビネーション。


 周囲の部下たちは、ただ唖然として、キーボードの打鍵音だけが響くその光景を見守っていた。


「……す、すごすぎる」


 後輩の石井ミチルが、ゴクリと唾を飲み込んだ。


「センパイと李雪課長……思考が直結してるみたい。なんか、脳内に特殊なチップでも埋め込んでるんですか……?」


 ミチルの言う通り、今の俺たちは完全に「ゾーン」に入っていた。

 夜のキッチンで二人で餃子を包む時のような、あるいは深夜のコンビニの棚を物色する時のような、完璧な阿吽の呼吸。

 公私混同と言われようが構わない。

 互いの思考の癖、得意な分野、そして求めている情報を完全に熟知している俺たちにしかできない、最強のタッグだった。


 夕方の17時30分。

 定時まであと30分というところで、俺のデスクの傍にあるプリンターが、最後の一枚を吐き出した。


「……完了です」


 俺が印刷されたカラーの資料をバインダーに挟み、李雪課長に手渡す。

 彼女はパラパラと目を通し、満足げに深く頷いた。


「……完璧ね。修正の必要は一切ないわ」


 李雪課長は立ち上がり、そのバインダーを持って営業一課のシマへと向かった。

 俺も数歩遅れてその後を追う。


「山下課長。依頼されていた資料よ」


 李雪課長が山下課長のデスクにバインダーを置くと、山下課長は「えっ?」と素っ頓狂な声を上げた。


「うそ……もうできたの? 明日の朝までって言ったのに」

「二課の仕事のスピードを舐めないでちょうだい。……確認しなさい」


 山下課長は半信半疑でファイルを開いた。

 彼女の目が、ページを捲るごとに大きく見開かれていく。

 膨大な現場のデータが、一目で分かる美しいグラフに整理されている。

 一課の提案の弱点を見事にカバーし、さらに新しい視点のソリューションまで盛り込まれた、説得力に満ちた隙のないプレゼン資料。


「……なにこれ」


 山下課長が呆然と呟く。


「……完璧じゃない。数字の裏付けも、ロジックの展開も……私が頭の中で『こうしたい』って思ってた通りになってる……」

「李雪課長の全体設計が的確でしたから。俺はそれを形にしただけです」


 俺が謙遜して言うと、李雪課長は首を横に振った。


「いいえ。橋本主任補佐の実務能力と、相手の意図を正確に汲み取る力がなければ、このスピードでは仕上がらなかったわ。……彼は、最高のパートナーよ」


 李雪課長が堂々と、他の社員には「ビジネス上の」という意味に聞こえるように、しかし俺たち三人にだけは真意が伝わるように「パートナー」と言い切った。

 その言葉に、山下課長は顔を上げ、俺と李雪課長を交互に見つめた。

 二人の間に流れる、揺るぎない信頼感。

 それは、ただの「上司と部下」のものでも、「夜の飲み仲間」のものでもなかった。


「……はぁ」


 山下課長は深く、大きなため息をつき、ファイルを閉じた。

 そして、パタパタと手で顔を扇ぎながら、負け惜しみのように美しい唇を尖らせた。


「……私の負けね」

「……」

「私のドラえもんを取られて悔しかったけど……二人でいると、こんなに凄い仕事するのね。……ぐうの音も出ないわ」


 山下課長は立ち上がり、李雪課長に向かって真っ直ぐに言った。


「……ありがとう、鉄仮面。この恩は、明日の会議で必ず結果を出して返すわ」

「ええ。期待しているわ、炎上クイーン」

「誰が炎上クイーンよ! 役員たちを燃やし尽くして納得させてやるんだから!」


 山下課長は最後に俺を見て、少しだけ寂しそうに、でもスッキリした顔で笑った。


「……橋本くんも、ありがと。……やっぱり、お似合いね。悔しいけど、認めてあげるわ」


 その小声の言葉を聞いて、俺と李雪課長は顔を見合わせ、周囲にバレないよう小さく微笑んだ。

 最大のライバルからの、完全なる承認。

 これでようやく、俺たちの関係は「秘密」という殻を破った後も、社内の生態系の中に強固な居場所を見つけた気がした。


★★★★★★★★★★★


 その夜。

 マンションに帰宅した俺たちは、心地よい疲労感に包まれていた。

 リビングの隅の安全なケージスペースでは、レオがお留守番の任務を終え、星柄のポンチョを着たままスヤスヤと眠っている。


「……今日は頑張ったな、迷い猫さん」

「貴方がいたからよ。……でも、久しぶりに頭をフル回転させて、少し甘いものが欲しくなってきたわ」


 彼女はソファに深く沈み込みながら、瓶底メガネの奥から俺を見上げた。

 その顔は、すっかり無防備な「迷い猫」のものだ。


「分かった。……今夜は『ホットチョコレート』と、コンビニで買ってきた『温かいスコーン』にしよう」


 俺はキッチンに立ち、小鍋に牛乳と砕いた板チョコを入れて火にかけた。

 焦げ付かないようゆっくりと混ぜながら、隠し味にほんの少しの岩塩と、シナモンパウダーを振る。

 甘く、濃厚で、スパイシーな香りが部屋に広がる。


 お揃いで買った『琥珀』と『瑠璃』のマグカップに注ぎ、オーブントースターで温めたスコーンと共にローテーブルへ運ぶ。


「どうぞ」

「……いただきます」


 彼女は琥珀色のマグカップを両手で包み込み、ゆっくりとホットチョコレートを口に含んだ。


「……んんっ。甘くて、ホッとする……」


 彼女は目を閉じ、幸せそうに息を吐いた。

 俺も自分の瑠璃色のカップを傾ける。

 激しい戦いの後の、静かで甘い夜食の時間。シナモンの香りが、昂ぶった神経を優しく鎮めてくれる。


「……山下課長、明日のプレゼン、成功するといいな」

「ええ。あの人の情熱なら、きっと大丈夫よ。……私たちの作った完璧な資料が武器になるんだから」


 彼女は誇らしげに微笑み、ケージの中で眠るレオの背中を優しく撫でた。

 レオが「んふぅ」と寝言を言う。

 外の寒さが嘘のように、この部屋の中は暖かさに満ちている。


 会社での俺たちは、もう隠れる必要はない。

 公私にわたる最強のコンビとして、堂々と戦っていける。

 俺は、甘いチョコレートの香りに包まれながら、隣で微笑む彼女の横顔を、いつまでも愛おしく見つめていた。

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