3-07 ゴシック詩魔術師お父さん
王都の平和を守る英雄も、家では普通のお父さん。しかしある日、平和な日常が破られる。
「お父さんの魔法、かっこ悪いの!」
王国最強、誰からも尊敬される筆頭魔術師は、娘の言葉をきっかけに最強魔法が詠唱できなくなってしまった。
「お父さんの魔法、恥ずかしいの!」
屋敷内に、先日七歳になったばかりの娘、レイラの声が響き渡った。
「恥ずかしい……」
娘の言葉に、この世の終わりのような表情を浮かべたのは私の旦那様。この王国の英雄――筆頭魔術師ラインハルト・フレディだ。
英雄と言えど、家では娘を溺愛するごく普通の父親なのである。
レイラは私たちの前から走り去り、部屋に閉じこもってしまった。
旦那様は肩を落としている。
「旦那様、気を落とさず……。小さな子どもの成長過程ではよくあることですわ」
「そうだろうか……?」
「私からも言って聞かせます」
「ありがとう。だが、言わなくていい……」
これはいけない。旦那様はレイラのことになると案外繊細なのだ。
「恥ずかしい……魔法……」
旦那様は、天井にうつろな視線を向けている。これは重症だ。
「あなたの魔法は、この国を救う希望の光ですわ」
旦那様の魔法なくして王国の平和はない。
確かに、詠唱はかなり独特だが……。
「俺だって……」
「……あなた」
「俺だって、こんな魔法、恥ずかしいと思っているんだー!」
旦那様は娘に恥ずかしいと言われたショックで、例の魔法が上手く詠唱できなくなってしまった。
* * *
その日の午後、王都に魔獣が現れた。
いつもであれば、例の魔法で瞬殺だ。
しかし、旦那様は例の魔法がやはり上手く使えないようだった。
「……」
旦那様の赤い瞳が、夕日に照らされた柘榴石のように輝いた。
無詠唱魔法。こんなに威力の高い魔法を呪文なく行使できるのは、王国広しといえど旦那様しかいないだろう。
私たちは、避難のために解放された王城の一室から旦那様の勇姿を見守る。
「お父さん、無詠唱魔法が使えたの?」
「使えるわ……普通の魔法だって、魔術師の誰よりもお上手よ」
旦那様は天才だ。それにもかかわらず例の魔法を使っているのは、格段に威力が高いからなのだ。
――私と旦那様は、幼なじみ。
学生時代、例の魔法の詠唱を恥ずかしがって、旦那様が無詠唱魔法を練習したことがあった。
彼は簡単に伝説の無詠唱魔法を習得してしまった。
しかし高位魔獣を一撃で倒すには威力が足りなかった。逃げようとした私が転び膝を擦りむいたことをきっかけに、旦那様は無詠唱魔法を封印したのだ。
あれから十年の月日が経った。まさか、彼がまた無詠唱魔法を使うときが来ようとは。
「色々な魔法が使えるのに、どうしていつもあんな魔法を使うの?」
「……お父さんも、恥ずかしいと思っているのよ」
「え、じゃあなんで!」
「より強い魔法で、皆を守るために決まっているでしょう?」
「……っ!」
レイラの瞳が潤んだ。彼女の瞳は旦那様と同じ色をしている。
彼女は父親が大好きだ。たぶん今朝の言葉は、誰かに揶揄われでもして、つい言ってしまっただけなのだ。
――そのとき、魔獣がこちらに視線を向けた。
大きな魔獣は岩のようにゴツゴツとした体表を持ち、二足歩行の竜のような姿をしている。
時々口から光り輝く魔法を吐き出しては、王都の街を破壊しようとしている。
そのたびに、旦那様が無詠唱魔法の障壁でその攻撃を弾いてはいるが……。
「お父さん、ごめんなさい!」
レイラが涙ながらに叫んだ。
旦那様がこちらに視線を向けた。
大きな声を出したせいか、魔獣までこちらに身体を向けた。
――高位の魔獣は知性を持ち、敵の弱点を的確に狙うという。
人の魔力は瞳に宿り、ふさわしい色に染め上げる。
恐らく気づいたのだ。レイラの瞳と旦那様の瞳が同じ色をしていることに。
「レイラ!」
「……っ! お母さん、下がって!」
「何を言っているの! レイラこそ下がりなさい」
「ううん、だって私はお父さんの娘だもの。あんな魔獣に負けないの!」
――レイラの金色のツインテールが揺れる。
「神々の炎に染まりし我が魔力。滅びの直前、神々の宝物庫より柘榴石を与えられし瞳。我が敵を殲滅せよ。紅蓮の矢!」
これは、いつも旦那様が唱えている呪文だ。かつて異界から降臨し勇者が唱えしゴシック詩魔術。今、父から娘にその力は受け継がれたのだ。
しかし、レイラが放ったクリムゾン・アローは魔獣に弾かれてしまった。
「魔力が、足りなかった――」
「レイラ!」
私は彼女を引き寄せると、背にかばった。
――そのときだった。
「第一詩篇――愛されぬ者よ、魂に炎を抱け。我と契約せしは、煉獄の堕天使。捧げし対価は、最下層地獄の孤独」
旦那様が手にしているのは、赤い薔薇を模した細く華奢な杖だ。
「初めて聞いた――三連詩」
「えっ、トリア・カルミナって勇者が魔王を仕留めたときに使ったという伝説の!?」
まだまだ詠唱は続く。だってこれはまだ第一詩篇なのだ。
「なんて正確で速い詠唱なの」
「聞き取れるの?」
「8割くらい」
早口なのと発音が難しすぎて私はほとんど聞き取れなかったが、魔力が高く英才教育を受けているレイラは聞き取れているようだ。
「第二詩篇――炎に忘れられし魂よ、いまだ燻りし存在を忘れるべからず」
ここから先は、恐らくとっても長い。旦那様は、ますます早口になり、もはや独り言のようにブツブツと聞こえるばかりになった。
――ところで、なぜ魔獣は旦那様が詠唱している間に攻撃することがないのだろう。
学生時代から、この謎については気になっていた。
恐らく、詠唱途中でも足止めするような効果が発動しているのだろうが……。
旦那様の詠唱が急に緩やかになる。
「見るな。罪深きこの紅蓮眼を。聞くな。闇夜に堕天使が紡ぎし孤独の詩を。終末世界に刻まれし、我が黒歴史を。紅蓮の矢!」
この魔術の真に恐ろしいところは、黒歴史の直後に唱えるのがクリムゾン・アローという私でも家事でかまどに火をつけるときに使う超初級火魔術の呪文であることだ。
もちろん旦那様の(前略)クリムゾン・アローは、一般のクリムゾン・アローとは次元が違うのである。
煉獄から召喚されたような深紅に燃えさかる炎の矢が、魔獣の心臓を一撃で貫いた。
鈍い轟音とともに魔獣は倒れ伏し、かくして王都には平和が訪れた。
* * *
「お父さん」
「レイラ、マリアーナ! 無事でよかった!」
旦那様は、魔獣を倒すとまっすぐに私たちに駆け寄り、抱きしめてきた。
彼の身体は小刻みに震え、本当に心配していたことがわかる。
レイラが大粒の涙をこぼして、旦那様の筆頭魔術師の制服をグショグショにした。
「ごめんなさい、お父さん!」
「俺こそ、お前たちを守れないところだった」
「私が悪いの」
「いや、俺が悪いんだ」
「私が!」
「俺が!」
この二人、こうなると互いに絶対に譲らないのである。
私は軽くため息をつき、愛しい似たもの親子に微笑みかけた。
「無事だったのだから、今回はこれでよかったということにしましょう」
「お母さん……」
「マリアーナ」
「さ、帰りましょう。今夜はシチューですよ」
夕日に照らされ長く伸びた三人分の影が、仲良く手を繋いでいる。
「お父さん! ゴシック詩魔術って格好いいね!」
「そうか……?」
七歳の興味はきまぐれで、きっと毎日変わっていく。
晴れやかに笑うレイラに、旦那様はなんとも言えない微妙な笑みを向けた。
「私も格好いいと思いますよ」
「そうだろうか……?」
たぶん十年後には、ゴシック詩魔術師が二人に増えていることだろう。
私たちは、賑わいを取り戻した王都のメインストリートを仲良く歩いて行く。
「本当に、そうだろうか……?」
旦那様のぼやきは、喧噪にかき消された。
ゴシック詩魔術師の羞恥心と引き換えに、これからも王都の平和は守られていくはずだ。





