3-06 嘘告義妹
『声』にコンプレックスを抱える、無口で無表情な陰キャ男子、律埜 律。
高校入学の日、生徒たちが行き交う渡り廊下で、突然女子生徒から告白される。
相手は、中学時代から品行方正でエリートと評判の完璧美少女、勅使河原 雫だった。
明らかな嘘告――その陰には雫をライバル視する少女、茉莉奈の姿があった。
だが、周囲は知らない。
実は、律と雫は苗字の違う義兄妹だということを。
律は茉莉奈から義妹を守るため、敢えて仮面カップルを演じる決意をする。
一方の雫は、嘘告を「『律の雫』になれる千載一遇のチャンス」と考えているようで……。
そうとは知らない茉莉奈は、二人を困らせるために偽デートなどをたびたび指示するが、「堂々とデートできる絶好の口実」と喜ぶ雫によって、すべてが甘々イベントへと昇華されていくのだった。
「律埜くん、私と付き合ってください」
入学式当日、大勢の生徒たちが行き交う渡り廊下で、俺――律埜 律は告白された。
相手は、勅使河原 雫。
名家のお嬢様で品行方正、中等部から名の知られた完璧美少女だ。
腰まである艶やかな黒髪、陶器のように透き通る白い肌に、涼やかで大きな瞳。まるで絵画の中から生まれたような美貌の持ち主だ。
そんな子が、俺をまっすぐ見つめて告白をした。
無表情で。
瞬き一つせず。
衆人環視のど真ん中で、堂々と。
周囲の生徒たちが、驚愕の表情で俺たちを見ている。
特に、俺を見る目は「嘘だろ、こいつが!?」といった疑いに満ちていた。
その気持ち、とてもよくわかる。
俺は自他共に認める陰キャだ。やや長めの前髪は目元を隠し、口元はいつも同じ形で無表情。自分から喋ることはほとんどない。
この学校――翠明館高等学校は中高一貫の名門校だ。中等部からの内部進学組は皆エリートで、俺のように高等部から入学した生徒はどうしても目立ってしまう。
しかも、入学式直後で人通りの多い渡り廊下での告白だ。
常識的に考えて、こんなシチュエーションはあり得ない。
だから、俺は冷静に観察した。
(……あの子か)
人混みに紛れながら、こちらに向けてスマホを構える女子生徒。明るい茶髪をゆるふわパーマにした美少女だが、その口元には抑えきれない嘲笑が浮かんでいる。
織田 茉莉奈――彼女が勅使河原を執拗にライバル視していることは、噂で知っていた。
(嘘告……。勅使河原に恥をかかせるつもりなんだ)
ならば。
「はい。喜んで」
俺は応えた。できるだけ無表情で、陰キャらしく。
『こんな男と一緒になって、勅使河原さんが可哀想だ』と周りに見てもらえるように。
勅使河原は動かない。彼女もまた、無表情だった。
ただ、肩がほんのわずか震えていた。
(これ以上、恥をかかせるわけにはいかない)
俺は彼女に近づき、正面からそっと抱きしめた。生徒たちがざわめく。
「お前は、俺が守るから」
耳元で、彼女にだけ聞こえるように囁く。
このとき、俺は少しだけ反省した。
声に、悪い癖が出てしまったのだ。
ありったけの想いを込めた分、低くて撫でるような響きになってしまった。
聞く相手をぞわぞわさせる自分の声を、俺はコンプレックスに感じていた。
「……」
「勅使河原?」
「………………」
俺が離れると、勅使河原は無言で踵を返した。そのまま生徒たちの壁をかき分け、廊下の奥へと消えていった。
俺は呆然と、その後ろ姿を見つめるしかなかった。
(しまった。よほど嫌だったんだな……落ち着かせるためとはいえ、申し訳ないことをした。後で謝っておかないと)
「え? え!? い、今のなに!?」
「あの勅使河原さんが、陰キャ男に告白!!?」
「くそ、あいつ外部生のくせに。きっと雫ちゃんは騙されてるんだ。許せねえ……!」
衝撃の場面を目撃した生徒たちから、驚きや羨望、そして怒りと嫌悪の視線が向けられる。
こうなった以上、腹を決めよう。
嫌われても構わない。
周囲から誤解され、避けられても構わない。
これから3年間、俺は絶対に勅使河原を守り抜く。
だって彼女は――俺の義妹なのだから。
◆◆◆
やってしまった。
ついに、私はやってしまった。
足元が覚束ない。周りの景色や音が入ってこない。自分が息をしているのかどうかもわからない。
ただ理解しているのは……勅使河原雫は、律埜律に告白したという事実だ。
あと抱きつかれたこと。
耳元で、声を聞いたこと。
あの、もう、何て言っていいのかわからないくらい、とろけるようなボイスを――。
「てーしがわらさーん。嘘告、ごくろーさま」
夢遊病者のように歩いていた私は、ひとりの女子生徒に声をかけられ、我に返った。
「ねーぇ、今どんな気持ち? どんな気持ち?」
隣に並び、私の横顔をじっくり観察しながらそう尋ねてきたのは、織田茉莉奈ちゃん。
私と同じ、中等部からの内部進学組だ。
「……」
「あれ、シカト? でも、そっか。そりゃキショいよねえ。まさか、あそこでサカって抱きつくとか、マジありえないしねえ。さすがのあたしも引いたわ。でも、さ。今更付き合うのやめるってのはナシだから。だって――」
茉莉奈ちゃんは、カーディガンのポケットから小さなノートを取り出した。
「こ・れ。あんたの恥ずかしーいポエムノートは、あたしの手にあるんだから。言うとおりにしてね」
「……」
「まあ、安心しなってぇ。この茉莉奈ちゃんがぁ、あんたとあの陰キャとのラブラブカップルぶりをばっちりプロデュースしてあげるから。あんたの評判が地に落ちるまで、ね。ふふ、あはははっ!」
ノートで私の頬をぺしぺしと叩いてから、茉莉奈ちゃんは上機嫌に去っていった。
誰もいなくなった廊下で、私は立ち尽くした。
息ができない。
心臓が激しく鼓動して、収まらない。
頭の中がぐちゃぐちゃだ。
おかげで、言いそびれてしまった。
「茉莉奈ちゃん……あなたは、神?」
彼女は言った。『あの陰キャとのラブラブカップルぶりをばっちりプロデュースする』と。
つまり、私と律埜くん――律兄との仲を後押ししてくれると!
「苦節16年生まれてからずっと近くにいながら主従関係を抜け出せなかっただけでなく近年は疎遠にすらなってしまった私たちの仲をこんなあっさり結びつけるなんて茉莉奈ちゃんは神嘘告も神としか言いようがなし!」
一息だった。滑舌と肺活量と妄想力には自信がある。
「しかも、しかも……昨日から私たちは義理の兄妹。一緒に暮らせる。これは、運命の采配」
私は握り拳を作った。
「私は必ず、律兄と結ばれる! そして、夢だった『律埜雫』になるんだ。律埜雫……律の雫……えへ、えへへへ」
そこでハッと気がつく。
「待って。茉莉奈ちゃんは、私の告白が嘘だと信じてる。もしあれが本心からのものだと知ったら……ラブラブカップルぶりをプロデュースしてもらえなくなる?」
それは困る。
とても困る。
ただでさえ10年以上、関係を進展させられなかったヘボな私なのだ。義兄妹になったばかりで戸惑っている律兄に、学校でベタベタする度胸はない。妄想ならともかく、リアルでは無理だ。
現に、律兄に抱きつかれ囁かれた私は、オーバーヒートを起こして、その場から逃げ出してしまった。
情けなし。このザコメンタルめ。
「せめて茉莉奈ちゃんが見ている前では、嘘告に踊らされているカップルを演じないと」
きっと律兄も、私が無理やり告白させられたと思っているはずだ。
「それでも律兄は『守る』って言ってくれた。あんなにぎゅっと抱きしめて。えへ、えへへ――じゃない。しっかりするのよ、雫。茉莉奈ちゃんの策謀と律兄の決意をいっぺんに踏みにじるのは、愚の骨頂……そもそも、こんなだらしない女の子だと律兄に思われたくない」
義兄の幻滅、イコール、我が死。
ここは慎重になるべきだ。
そのとき、茉莉奈ちゃんからメッセージが届いた。
本文には『次の指示』が書かれていた。
『明日の朝、あの陰キャを起こしてくること。証拠写真も添えてね。今日、一緒に帰れば自宅の場所くらいわかるでしょ?』
「かひゅっ……!」
あやうく過呼吸で倒れるところだった。危ない。
茉莉奈ちゃん、初日からそれは攻めすぎる。ただでさえ、嘘告と擬態するのに精一杯で私の精神力は危険水域だというのに。あの子はトドメを刺しに来た。
さすが、中学3年間ずっと非公式人気投票の次点だった茉莉奈ちゃん。人の落とし方を心得ている。
そんな子がバックに付いてくれるのだ。この機会を活かさない手はない。
私はスマホを胸に抱え、大きく深呼吸した。
「大丈夫、やれる。私は、仮面カップルを演じきってみせる」
理想の未来のため。
律の雫になるため。
でも、家の中でなら、ちょっとは甘えてもいいよね?
「……えへへへへへ」
こうして私の、私たちの高校生活は、嘘告から始まった。





