3-05 孤毒の悪魔に、聖女の優しい口づけを
ヴォイジア王国は孤毒の悪魔に蝕まれている。
ある日、人々に慕われていた第一王子デリックスが、人々を苦しめる孤毒の悪魔の証である紫色の血を吐いた。
デリックスの婚約者のキュリアは彼を連れて逃げだそうとするが、捕まってしまう。
追い詰められたデリックスをキュリアは最後まで信じていたが、彼が国から追放されることは避けられなかった。
それから数年後、解毒の力を経て聖女となり第二王子の婚約者にもなったキュリアは、かつて救えなかったデリックスを思いながら生活をしていたが…。
彼女までもが吐血したことで、新たな騒動が巻き起こる――
果たして聖女は、傷ついた悪魔を癒やすことが出来るのか。それとも、共に堕ちて行くのか……。
切なく儚い、ロマンスファンタジー。
ヴォイジア王国の第一王子デリックス様は、幼いながらも優秀で誰にでも優しい、皆に慕われる少年だった。
彼が紫色の血を吐くまでは……。
あの日、デリックス様の婚約者で侯爵令嬢の私は、彼に誘われてお忍びで城下街に出かけた。
「この間お忍びにいらしていたデリックス様が、迷子を助けていたんだよ」
「他の人に任せれば良いのに、デリックス様はお優しいねえ」
「もしかしたら今日も会えるかな」
「そんなに頻繁に会えるわけないでしょう」
変装したデリックス様がそばにいることに気付いていない街の人々の噂話が聞こえてきて、私は思わずくすりと笑う。
「キュリア、良いことでもあった?」
「今日もデリックス様が素敵です!」
「そう言うキュリアは今日も可愛いよ」
「えへへ」
街の様子は何度訪れても新鮮だけど、それ以上に街の人達がデリックス様の話をしていることも、自分のことのように誇らしかった。
「キュリア、もっと街の色んな様子を見たいと思わない?」
「はい!」
デリックス様にそう微笑まれて、私達は途中で護衛をまいた。
彼の手慣れた様子からは、お忍びで街に訪れるといつもこうして一人で街を楽しんでいることが伺える。
平民のフリをして沢山遊びまわって、もうそろそろで日が暮れようとしたとき、デリックス様が突然咳き込んでしまう。
「う、グッ……ゴホッ!」
「デリックス様! 帰る前に少し休みましょう?」
病弱なのだと言われていたデリックス様は、普段から咳をすることが多かった。
発作が起きて苦しそうにしている時以外は元気そうにしているので、つい彼が健康だと錯覚してしまう。
いつものように激しく咳き込む彼の背をさすっていると、彼は自身の手を見て絶句した。
「う、うそだ……」
「紫の……血……?」
咳き込んだ彼の血の色は、この国を毒で覆い尽くして滅ぼさんとする、『孤毒の悪魔』の証だった。
ハッとしたデリックス様は、介抱する私を見つめて酷く怯えた。
「キュリア……ち、違うっ! 僕は悪魔じゃない……!」
孤毒の悪魔は人間のフリをして、私達を蝕んでいく。
「信じて! 僕は本当にデリックスなんだ!」
人々に憎まれる悪魔と同じ存在に自分がなってしまったと悟ったデリックス様が願ったのは……。
「僕を信じて……!」
澄んだ青い目にいっぱいの涙を浮かべたデリックス様が、私にすがる。
普段大人の中に紛れていても気丈に振るう彼が見せた弱さに、私は動揺する。
けれども、一番動揺しているのは彼だと言うことに気付き、私は勇気付けるように言った。
「血の色が違うくらいで、嫌いになるわけありません!」
「でも僕は……」
「デリックス様は、デリックス様です! 他の何でもありません!」
悪魔が成り代わっているわけがない!
それに今まで、ずっと彼と一緒に行動していたのだから……!
この国の子どもたちはみんな、大人から「悪い子は孤毒の悪魔に苦しめられてしまう」と聞かされている。
大人達も口を揃えて「孤毒の悪魔なんて居なければ」と不満を漏らしている。
紫の血を吐いた彼が城に戻ればどうなるかは、幼心ながらでも何となく想像できた。
だから私は、大好きなデリックス様の手を引いて、逃げ出すことにした。
「私が、貴方を助けます!」
「ありがとう……!」
けれども子供の私達では遠くに逃げることは叶わず、行方を探しに来た騎士に城壁を超える前に見つかってしまう。
こうして、孤毒の悪魔の証を見られてしまったデリックス様は、地下牢に閉じ込められ、国王様や王妃様、弟君の第二王子に見放された。
心配だった私は地下牢に忍び込んだ。デリックス様に教えてもらったお忍びで護衛をまく秘訣のおかげが、無事に侵入できた。
それに、孤毒の悪魔に誰も近寄りたがらないのか、デリックス様の閉じ込められた特別な牢を見張るひとはいないのもあったと思う。
逆に侯爵家から抜け出す方が苦労したくらい。
明かりも殆どないので、誰もいないと思っていた牢屋だったけれども、彼がいる場所に近付くほど、囁き声が聞こえる。
(もしかして他に誰かが助けに来ているの?)
声の方へとそっと近付いてみたけれども、牢の外には見張りすらいない。
代わりに、真っ暗な格子の向こう側にデリックス様がいるのが見えた。
「デリックス様?」
手に持っていたランプを向けると、彼は儚げに振ってくれた。
「ああ、キュリア……」
私の名前を呼ぶ声はか細く、彼のいつものハキハキとした口調とは真反対だった。
「来てくれたんだね……」
「デリックス様!」
格子を掴んでデリックス様に呼びかけたけど、彼は動こうとしなかった。それがとても悲しくて、どう声をかけて良いか分からない。
大丈夫ですか? なんて、聞けるはずがない。
だってデリックス様は、酷くやつれていたから。
「……誰がなんと言おうと、デリックス様は、デリックス様です!」
結局私の口から出たのは、ただの真実だけ。
でも……。
「……本当に、そうかな?」
「え?」
「僕は……デリックスではないかもしれない」
寂しそうな声色の彼の様子は、薄暗闇ではよく見えない。
「本当は……僕は、孤毒の悪魔なのかも……」
「何を言っているんですか!?」
数日の間に、彼の中では私が知る真実でさえ、揺らいでしまったらしい。
「誰にそんなことを言われたんですか!?」
「君以外のみんなだよ。キュリア……」
「どうして……?」
本当にそう聞きたいのは、デリックス様だろう。
「君以外はみんな、僕がデリックスを殺して成り代わろうとしたと思っている」
彼の声が震えている。もしかしたら泣きそうなのを堪えているのかもしれない。
「そんなことありません! あなたはデリックス様です!」
私に近付こうとしなかったデリックス様が、格子の前にやってくる。
「本当に、そうかな?」
左手で格子を掴み、反対の手を私に伸ばしてくれた。隙間から見えた彼の表情はとても悲しそうで……。
「ねえ、キュリア」
「はい……!」
私は彼が伸ばしてくれた手に触れようとしたけれども……。
「僕が君を毒で殺してしまう前に、早くお逃げ?」
私の手は素通りしてしまい、彼は私の首に手をかけた。
「デ……リックス……さ……ま……?」
どうして? 彼は本当にこんなことをするひとではないのに。
どうしてこんなことになってしまったの?
そのまま気絶した私は、見回りに発見されて保護された。
彼が追放されるその日まで、無力な私はただただ泣くことしか出来なかった。
――
デリックス様は「第一王子を殺して成り代わった孤毒の悪魔」呼ばわりされ、罪人の首輪を嵌められて、見せしめのように未踏の地である樹海へと護送されることになった。
「悪魔! 王子の偽物め! 俺達の王子を返せ!!」
「……」
どうしてだろう。誰も彼の様子を不自然に思わないのは。
あんなにも慕われていた民から偽物呼ばわりされて、石を投げつけられて……。まるで、都合のいい鬱憤晴らしの相手を見つけた、体のいい生贄のようだった。
「待って! デリックス様を連れて行かないでください!!」
「キュリア、信じたい気持ちは分かるが……目を覚ましなさい。あれは殿下に成り代わった悪魔なんだ」
「違うの! 本当に、デリックス様なんです……!」
幼い私の叫びは、貴族どころか平民に至るまで、誰の心にも響かなかった。
「ずっと一緒だった私は知っているのに……! どうして誰も信じてくれないの!?」
――
デリックス様がいなくなってから数年後。
あれ以来私には厳しい監視がついただけでなく、第二王子の婚約者にされてしまった。
貴重な解毒魔法の担い手を逃したくなかったんだろう。
そう。幼い頃から希少な浄化の力を持っていた私は、成人を前にして解毒の聖女と呼ばれるまでの力を手に入れた。
「解毒の力……もっと早く欲しかった……」
そうすれば……デリックス様を、あんな目に合わせずに済んだかもしれなかったのに。
ヴォイジア王国の土地は孤毒の悪魔に蝕まれており、浄化されていない水や食物を口にした人々はたちまち毒に冒されて死に至る。
国を清浄に保つのが、癒しの力を持つ魔法使いの役目。
魔法や魔道具による浄化は希少で、私の扱う解毒魔法もそのうちの一つ。
孤毒の悪魔はおよそ二十年に一度、人間に成り代わって現れるという。
誰もが気づかぬうちに、じわじわと人々を蝕む。
国民は常に悪魔の脅威に怯えて暮らしているため、孤毒の悪魔の出現にはひどく敏感だ。
だからデリックス様は、追い出されてしまった。
デリックス様は今頃どうしているんだろう。
彼も生きていれば、今頃は私と同じくらいの背丈になっているのかな。
ううん。男の子だから、きっと私よりも大きくて……。いつの間にか私の身長を追い越した第二王子と同じくらいの背丈になっているかもしれない。
彼が悪魔なんてことは、有り得ない。
悪魔が彼に成り代わったなんてことも、絶対にない。
だって、デリックス様はあんなに悲しそうな目をしていたのに……。
貴方の助けになれないなら、せめても。
優しいデリックス様の心がこれ以上傷つかないように、貴方の代わりに私がこの国の民を守ります。
けれども、決意を新たにした私を待ち受けていたのは……。
「ゴホッ」
私の口から零れ落ちる、紫色の血だった。
「……どう……して?」





