3-04 白亜の門前に咲く、陰謀酒場
教皇が崩御された。悲しみに暮れる間もなく、枢機卿が招集され教皇選挙が始まろうとしている。
教皇庁の所在国、サスタリア。かの国とイルベルサはかつて敵国同士。苛烈を極めた大戦の傷跡は、未だ人々の脳裏に焼き付いている。そんなイルベルサ出身の枢機卿、ロゼッタも教皇選挙に赴くが……。
それと同時に、ロゼッタの妹であるイルベルサの姫君、ラスティナも入国を果たしていた。しかも何故か教皇庁の目の前に一晩で酒場をぶっ建てていて……
教皇選挙に渦巻く陰謀と策略。教皇の座を狙い、それぞれの思惑が交錯する。
今朝早く、教皇が崩御なされた。
この報せは世界中に瞬く間に広がっていく。
すぐさま枢機卿が招集され、次代の教皇を決定すべく教皇選挙が開始されようとしていた。
教皇選挙に参列する枢機卿には外国人も含まれている。一際目立つのは、未だ二十代前半という若さの枢機卿。紅一点であり、何より、このサスタリア国のかつての敵国出身の枢機卿。しかし彼女もまた女神の代理人であり、教皇庁に認められた枢機卿であることは周知の事実。
「これはこれは、相も変わらずお美しい。ロゼッタ嬢」
枢機卿が招集された教皇庁のホールで、誰もが彼女から視線すら遠ざけるなか話しかける男が一人。白髭を蓄えた老人で、崩御された教皇の愛弟子と言われた男。次代の教皇に最も近いと囁かれている人物である。
紅一点の枢機卿、流れるような赤髪セミロングに凛とした顔立ちのロゼッタの事を、嬢と呼ぶのはこの男のみ。ロゼッタは奥歯を噛みしめつつも、笑顔で対応する。
「ごきげんよう、ムーセ枢機卿。この度は教皇様が崩御され、悲しみに暮れているかと思いきや、随分お元気そうで安心しましたわ」
精一杯の嫌味を込めて言い放った。しかしムーセの表情は崩れない。それどころか、さらに笑みを深くする。
「その意気ですぞ、ロゼッタ枢機卿。外国人である、かつての敵国である、などという、些末な事を気にする必要はない。私は楽しみにしているのです、貴方が一体どんな策略でこの教皇選挙を勝ち上がるのかと」
寒気がした。ロゼッタは背筋を流れる冷や汗の感触が、まるで悪魔に撫でられているかのように感じる。
「策略とは……穏やかではありませんね。私はただ、我が国の繁栄と平和を願って頂ける方を見極めるだけです」
「そうでしたか、私はてっきり……教皇庁の目の前に、貴方の妹君が堂々とあんな店を構えてみせるものだから……」
「は?」
Δ
もじゃもじゃの天然パーマがトレードマーク。ブロンドもじゃ髪ショート。そして目が合った者を虜にする慧眼の瞳。透き通るような白い肌。ロゼッタの腹違いの妹にして、ここサスタリア国のかつての敵国、イルベルサの姫君が何故かメイド服姿で佇んでいる。
「ですから……姫君、何故貴方がこのような……」
教皇庁の目の前に広がる大通り。その路面に沿うように、突如謎の建造物がぶっ立てられた。通行人は勿論、この街の警備を任ぜられている軍人も開いた口が塞がらない。
「許可なら頂いております。教皇様直々のサイン入りですわ」
野次馬が見守る中、差し出された羊皮紙へと目を通す男。
黒髪をポニーテールに結った、この人の良さそうな中年男こそ街の警備を纏める軍の少佐。眼鏡を直しながら、一字一句逃さぬよう目を通し最後に教皇のサインも吟味する。教皇の直筆に間違いない。
「確かに……。しかし教皇様は崩御され、この許可証の効力が有効かどうかは……」
「道を開けて」
すると野次馬をかき分けてくる一人の人物。他でもない、姫君の姉、ロゼッタ枢機卿だ。
「ラスティナ? 一体ここで何を? 暗殺されるわよ」
「ごきげんよう、お姉様。枢機卿ともあろうお方が、同盟を結んだ国で何を仰いますやら」
「……この建物は何? 今すぐ解体なさい、そしてすぐに帰国なさい」
イルベルサの姫君、ラスティナは子犬のように寂しそうな顔で首を傾げた。
その仕草に、ロゼッタと少佐はまるで息を合わせたかのように、同時に胸を抑え苦しみだした!
(っく! 腹違いとは言え流石私の妹……可愛さが世界一すぎる……!)
(我が国の姫君より可愛……いやいや、そんな事は無い……! たぶん無い……)
二人とも好き勝手な事を考えているが、それはさておき
「お姉様、ちょうど良かったです。今、教皇様より頂いた許可証を少佐殿に吟味して頂いた所。しかし許可証がそもそも有効かどうか、という疑問がありまして」
「きょ、許可証?」
少佐はロゼッタへと、胸を抑えながら「これです……」と許可証を差し出した。ロゼッタはそれを受け取り目を通す。教皇のサインも確認。少佐と同じく、間違いなく直筆の物に違いないと判断する。しかし、すでに教皇は崩御されている。問題はこの許可証が有効かどうか。
結論から言えば有効だ。教皇庁が定めた規定では、教皇が崩御された場合でも証明書、またはそれに付随する権利は次の教皇が誕生するまで有効とされている。
しかしそれを伝えれば、ラスティナは強引に居座り続けるだろう。いくら同盟を組んでいたとしても、サスタリアには未だイルベルサを恨む輩は多い。その姫君が教皇庁の目の前で堂々と姿を晒している。正直、この瞬間に狙撃されても何ら不思議はない。
「残念だけど……これはもうただの紙切れよ」
ロゼッタは嘘をつく事にした。目を細め、声のトーンをやや低めにしながら。少々心が痛むが仕方ない。
「本当……ですか? お姉ちゃん」
ラスティナは潤んだ瞳で、じっと姉を見つめる。
「ぐぁぁぁぁあ!」
お姉ちゃん。その一言で、ロゼッタの膝が完全に崩れた!
そんな姉へと歩み寄り、優しく抱き起すラスティナ。
「お姉様……ありがとうございます。これで証明されました。その許可証は有効だと」
「……はっ!」
バっと妹から離れ、少佐の影に隠れるロゼッタ。
「な、なななんでそうなるのよ! お姉ちゃんはダメって言ったでしょ!?」
「お姉様は嘘が下手ですから。私はお姉様の事で分からない事などありません」
「そんな可愛い事言って! 駄目! 駄目ったら駄目なの!」
もはや政を担う枢機卿の影の形もない言動のロゼッタ。するとそこへ、新たな来訪者が。ムーセ枢機卿だ。周囲の緊張度が上がる。
「お久しゅうございます、姫君。お元気そうで何より」
予想外な人物の登場に警戒するロゼッタ。しかしこれはチャンスだ。ムーセにとって、ラスティナの存在は邪魔でしかない筈。ただでさえ老若男女を虜にする超可愛いラスティナが、このタイミングで、明らかに何等かの企みを抱き来訪した。教皇の座を狙う者としては、最優先で排除したい筈。
野次馬の中にも、明確な敵意を持って視線を送る者が数人居る。なんとしても帰らせねばならない。
「ムーセ枢機卿! 貴方からも言ってやってください! 今すぐ本国に帰れと!」
ムーセへと援護射撃を懇願するロゼッタ。教皇選挙で敵同士ではあるが、今この場限りで言えば、これほど頼もしい存在は居ない。
「私にも見せて頂けますかな? 許可証とやらを」
「どうぞ!」
ロゼッタは迷わず許可証を差し出した。
ムーセは姫君の瞳が微かに揺らぐのを感じ取りつつ、許可証へと目を通す。
「ふむ、確かに。正式な手順を踏んだ物のようです。どうぞ、引き続き施設の設営を許可いたします」
「ありがとうございます、ムーセ枢機卿」
「はぁ!?」
間抜けな声を出してしまうロゼッタ。少佐も驚きを隠せない。
「ダミアン少佐。彼女は同盟国の姫君。街の警備担当から、このお方の警護へと任務を変更する様、こちらで取り計らいます。くれぐれもよろしくお願いいたしますぞ」
「は? しょ、承知いたしました!」
それだけ言うと背を向けるムーセ。ラスティナは無言で深々と頭を下げた。
するとムーセは立ち止まり、頭を下げる姫君へと忠告する。
「貴方も一国の姫君ならば、たかが枢機卿に頭を下げる必要などありません。堂々となさい。貴方の振る舞いが、姉君への投票に響くかもしれませぬぞ」
ゆっくりと姿勢を戻すラスティナ。変わらぬ笑顔。
「ご助言、感謝いたします」
代わりにと、メイド服のスカートをつまみ膝を曲げて、綺麗なカーテシーをして見せた。その場に居る人間の大半は、異国の姫君の虜になってしまう。
故にロゼッタとムーセ以外の者は気付かなかった。
ラスティナの手が、微かに震えている事に。
Δ
突如ぶっ立てられた建造物の中へと入るラスティナとダミアン少佐。
内装は酒場そのものだ。一階から二階は吹き抜けになっており、カウンターも広い。テーブル席も十分に確保されている。
何故このタイミングで、教皇庁の目の前にこんなものを? と当然の疑問を持つダミアン。
「姫君、そろそろお聞かせください、イルベルサの姫君である貴方が、よりにもよって何故この街で、こんな物を……」
「はぁー」
溜息気味にカウンター席へとドカっと座る姫君。足を組み、しかも煙草まで咥えて火を付け始める。
「……ン!?」
あまりの光景に目を擦って現実かどうか確かめようとするダミアン。いくら擦っても夢から覚めない。
「あの、姫君……ですよね?」
「見りゃ分かんだろ。こんな可愛い姫、二人も居てたまるかよ」
「な、なにその口調……! 貴方は一体……」
スパァーっ! と煙草の煙を吐く姫君。
「一体、何なんですかって? 決まってんだろ、あのお姉様を教皇に押し上げる献身的な妹さ」
「ロゼッタ枢機卿を……教皇に?」
ニヤっと笑いながら、灰皿で煙草を揉み消す姫。
「ここは陰謀の囮、策略の情報収集に使う。お前は私に付けられた首輪だろうが、ならいっそのこと…」
ラスティナはダミアンへと歩みより、上目遣いの潤んだ瞳を向け
「ご協力、お願いいたしますわ、ダミアン少佐?」
悶絶するポニーテール。
教皇選挙が、じき始まろうとしている。
「ギャップえぐい……」





