3-24 さいご の まほうつかい
神々の祝福に満ちた時代は遠く過ぎ去り、世界は魔王の呪いに覆われた。
人々は地上を捨てて空へ逃れ、呪いを動力とする機械で暮らしを立てている。
最後の魔法使いは、空域の外れに浮かぶ船の屋敷から出ない。呪いが、その命を削るからだ。
屋敷でただ一人、外を歩けるのは、呪いで動く機械人形の侍従だけである。
人形は毎朝、街へ買い出しに出る。主人の茶葉と、自分の燃料を。
教会の勇者が、魔王を討ちに旅立った。呪いは消え、世界は救われる——街の誰もが、そう信じている。
人形も、そう信じている。
最後の魔法使い。
私の敬愛するマスターを一言で表すのに、これほど適した言葉もないでしょう。
神々に最も強く祝福され、そして、幾人もの魔法使い様方がお亡くなりになる中、最後まで残られた御方。
私は、そのマスターにお仕えする機械人形でございます。
その日の朝も私は日の出の少し前、空が白み始めた頃に起動しました。
寝間着を脱ぎ、動力炉の稼働状態や各駆動部の動作を確認致します。異常がないことを確認してからお仕着せに袖を通し、身支度を整えます。
人を模した肌と骨格に似合うであろうお仕着せをマスターより頂いておりますが、機械人形の仕事着など簡素で安価、かつ耐用年数の長いものが良いでしょう。
ここ数年、徐々に機械人形の部品や燃料が高騰しています。機能に必要ない部分について、再度マスターに節約を提案するべきではないでしょうか。
マスターへの提案を思案しつつ、早朝の仕事を終わらせ、日の出とともにマスターの寝室へと参ります。
マスターはいつも起床しておられます。
ベッドから降りたマスターに厚手のガウンを羽織っていただき、朝の身支度を整えます。
マスターは長く屋敷から出ることなくお過ごしですので、肌は紙のように白く、手足も細うございます。
私にはその肌の温もりがわかりません。機体に内蔵された検温器が体温を測り、数値として記録するのみでございます。
本日も、マスターの健康状態は良好であると判断いたします。
お仕え始めた当初よりも色が抜け、白くなったマスターの御髪を整えながら、私はお仕着せの件を相談しました。
「マスター、ご相談したいことがあるのですがよろしいでしょうか」
マスターが頷いてくださったことを確認し、お仕着せを含めた私の身の回りの物についての節約を提案させていただきました。
私の提案を最後まで丁寧に聞いてくださったあと、マスターは迷わず首を横にお振りになりました。強い否定でございます。
やはり、マスターから頂いた物を変更しようとするなど、機械人形には過ぎた提案だったのでしょう。以後、このような事がないように徹底しなければなりません。
幸いなことにご気分を害されたわけではないようで、お召し替えを終えたマスターはいつも通り書斎へ向かわれました。
少しして、私は朝の紅茶をお持ちいたしました。
マスターは本を伏せ、茶器を手に取られます。しばらく香りを確かめ、それから一口。
いつもの茶葉を、いつもの分量で、いつも通りに淹れたものでございます。
マスターは何も仰いませんでしたが、もう一口召し上がってから本へと視線を落とされました。
本日もお口にお合いになったと判断いたします。
毎朝早くに起床し、朝食の時間まで読書をなさるのがマスターの日課でございます。
マスターが読書をなさる間に、朝の買い出しと朝食の支度をするのが私の仕事でございます。
私は本日の買い出しの品目を読み上げました。
はじめに私の燃料。夕餉の食材。茶葉。私の交換部品。最後に、朝食用の焼きたてのパン。
マスターは本から顔をお上げになり、小さく頷かれました。承認でございます。
順路は決まっております。燃料の供給所、八百屋、茶屋、機械屋、最後にパン屋。
パン屋を最後に回りますのは、帰宅の折に、最も焼きたてに近い状態でお出しするためでございます。
屋敷を出て、渡し船で街へ渡ります。
まず燃料の供給所へ参ります。街のはずれにございます。
私の燃料は呪詛でございます。人の身体を害するものでございますから、供給所は住区の外に置かれる決まりでございます。
多く求めても、意味はございません。蓄えた呪詛は、日を跨げば抜けてまいります。
燃料を規定量まで満たし、私は街へ入りました。
市場は、朝の渡し船が着いたばかりで、賑わっておりました。
呪詛灯の点いた運搬機が、湯気のような瘴気を吐きながら、荷を担ぐ人々の間を通ってまいります。人々は慣れた足どりで、それを避けて歩きます。
八百屋の店先で芋を選んでおりますと、背後で男が二人話しておりました。
「西の連中、もう畑の場所を取り合ってるらしいぞ」
「まだ地上に降りてもいないのに?」
籠の芋は、空育ちの、小さな芋でございます。
「地上の畑なら、こんなもんの三倍は穫れるんだと。うちの婆さんがよく言ってた」
「あんたの婆さんが見たわけでもあるまい」
「婆さんの、そのまた婆さんから聞いたんだとさ。それによ、呪いが消えて、神々の祝福が戻ってくりゃ、三倍どころじゃないかもしれんぞ」
私は代金を払い、次の茶屋で茶葉を求めました。
機械屋では、主人が渋い顔で帳面をつけておりました。
私が棚から交換部品を選んでおりますと、声が飛んでまいります。
「その型も、もう作らんそうだ」
「故障でございますか」
「いや。勇者様が通られた辺りじゃ、そもそも動かんのだとさ。売れんものは作らんだろうよ」
私は選んだ部品をふたつ、帳場に置きました。
主人は代金を受け取ろうとなさいません。
「魔法使い様の御用の品から、銭は取れんよ」
「適正価格でお願いいたします」
手厳しいねと呟いた主人はふと、手を止めました。
「そういや、お嬢ちゃんも、うちの機械と同じもんで動いてるんだったな」
「左様でございます」
「じゃあ、勇者様が魔王を倒しちまったら」
「停止すると推測されます」
主人は、少しの間黙りました。
「……まあ、あれだ。魔法使い様が、何とかしてくださるさ」
「はい」
マスターには、私が停止する前に代わりの侍従を雇うよう提案する必要がございます。引き継ぎを完璧にこなすまでが、私の仕事でございます。
最後に、パン屋へ参りました。
おかみさんは、パンを一斤、袋に入れながら少し声を低くして尋ねました。
「……魔法使い様は、お変わりないかね」
「変わりなくお過ごしでおられます」
「そうかい。そりゃあ、何よりだ。
呪いが消えたら、あの方も外を歩けなさるようになるんだろう。あたしみたいなのには過ぎた願いだけど……一度でいいから、お姿を拝んでみたいもんだよ」
店先で袋を提げておりますと、おかみさんの脇から、小さな子供が私を見上げて言いました。
「ねえ、おとぎ話の魔法使い様って、本当にいるの?」
「いらっしゃいます」
「見たことあるの?」
「毎日、お仕えしております」
子供は目を丸くして、店の奥へ駆けて行ってしまいました。
帰りの渡し船から見える屋敷は、街の空域の外れに、一隻だけ離れて浮かんでおります。
帆のない、船の形をした家でございます。
舷門をくぐり、噴気で瘴気を三度払います。外套と、店で使われた外包みは焼却炉へ。
交換部品と硬貨は洗浄液へ。
私自身も洗浄室をふたつ抜け、最後に隔壁の前で、外装用の検知器へ両手をかざします。
緑の灯がともるまで、居住区の扉は開きません。
この屋敷は、呪詛を締め出すために造られております。
機械人形は、その呪詛を動力として稼働しております。燃料を持ち込むことはございません。供給所で満たし、その分だけで一日を終えます。
この屋敷内で呪詛を発している物は、私一体でございます。
呪詛を遠ざけることだけを考えるならば、私は居住区の外に置くべき機体でございます。
マスターはそうなさいません。
手元に置いた方が使い勝手が良い、というご判断かと存じます。
焼きたてのうちにお出ししたパンで朝食を終えられ、マスターは書斎へ戻られました。
整備室で、購入した部品のひとつを、左肘の関節に取り付けました。
残るひとつは、部品棚へ納めました。
棚には、まだ三年は交換に困らぬだけの在庫がございます。
書斎へ参りますと、マスターは既に本を開いておられました。
私が食後の茶を淹れる間、頁をめくる音だけが、部屋に響いておりました。
私は、定例の報告をいたしました。
「本日の街の様子でございます。西部では、勇者様の進軍に伴い、呪詛機械の停止が始まっているそうでございます」
マスターは、頁をめくられました。
「燃料は、値上がりと品位の低下が続いております」
マスターは、頁をめくられました。
「市場では、機械部品の生産縮小が始まっております。皆様、地上へ戻られる日のお話をしておりました」
マスターは、頁をめくられました。
「なお、私の交換部品につきましては、今後の購入量を減らして問題ないかと存じます」
頁をめくる音が、止まりました。
「……なぜだ」
本日マスターが私に向けて発された、最初のお言葉でございます。
「魔王討伐の後、私は順次、機能を停止すると推測されるためでございます」
マスターは本を閉じ、私をご覧になりました。
「それを、問題ないと思っているのか」
「はい。魔王が討たれれば、世界から呪いは消えます」
マスターに促され、続けて理由を述べました。
「人々は地上へ戻ることができます。マスターも、この屋敷に籠もる必要はございません。
再び神々の祝福と魔法に満ちた、魔法使いの時代がやってまいります。
喜ばしいことかと存じます」
「……そうか」
「はい」
マスターは、しばらく黙っておられました。
それから、静かに仰いました。
「勇者を殺そう」
私の演算が、一時、停止いたしました。
所有物は、所有者のご判断に理由を問わぬのが仕様でございます。
しかし私は、初めてマスターに問い返してしまいました。
マスターは私を見つめたまま、普段と変わらぬ声で仰いました。
「君が居なくなるくらいなら、神々から祝福されずともかまわない」





