3-19 ひできさんと蒼空(そら)と久美子さんの心残り
大神蒼空はお婆ちゃんっ子である。
幼い頃は祖母の家によく通った。婆ちゃんと飼い犬と一緒に散歩するのが楽しみだった。
アパート住まいだから犬は飼えなかった。だから婆ちゃんと一緒に散歩する時は犬と触れ合う貴重な機会。至福の時だった。
家族で一軒家に引っ越してすぐに運命の出会いがあった。
一人は柴犬のひできさん。もう一人は飼い主の久美子さん。
久美子さんは独り暮らし。彼女の心残りにも関係があるらしい。
突然ひできさんと蒼空は久美子さんが抱え込んだ出来事の頃に迷い込む。
ひできさんと蒼空は久美子さんの心残りを解きほぐせるだろうか。
俺が柴犬のひできさんと出会ったのは夏休みに入ってすぐだった。引っ越したばかりで暇だった俺が近所を散歩していた時に路上で吠えている柴犬を見つけたのだ。何があったのか知らないがその声が切羽詰まっているように聞こえた。俺が近づくと柴犬は歩き出す。まるで俺についてこいと言ってるように思える。俺はついて行くことにした。
柴犬はときどき振り返りながら俺を神社に誘導した。
住宅街の真ん中にある神社は鎮守の森に囲まれそこだけ別世界のようだ。木の上から降り注ぐ蝉しぐれ。こんな賑やかなのは聞いたことがない。そして周りに比べて少し涼しい気がする。
柴犬はどんどん奥に入って行き本殿の前で俺を待つ。そこには階段に寄りかかりぐったりとした老婦人がいた。
俺はあわてて近寄り話しかける。
「大丈夫ですか?」
ぐったりとした彼女はのろのろと俺の方を見たけどすぐにうつむいた。俺はすぐに救急車を呼び、それから神社の外に出て自動販売機を探した。ペットボトルの水を何本か買って彼女の脇に挟ませそれから少しづつ飲ませる。
救急車が来るまでじりじりとした時間が過ぎていく。ようやく到着した救急隊員は老婦人を運び込むが柴犬は連れて行ってくれない。せめてと俺は電話番号を書いた紙を老婦人のポケットに入れた。
暇になった俺はしげしげと柴犬を見つめる。彼の首輪に気が付き、もしやと思ったら内側に名前が書いてあった。
『すずきひでき』
「そうか、おまえ、ひできさんっていうんだ」
そう呼びかけると柴犬は一声『わん』と鳴いて尻尾を振ってくれた。
さっき買った水のペットボトルを開けて俺も飲む。そしてひできさんにも飲ませてあげる。
一時間ほど経ったころスマホが鳴った。
「もしもし、すみません、もしや先ほど救急車を呼んでくださった方ですか?」
中年の女性の声がした。
それから30分ほどで中年女性が神社に入ってきた。こころなしかさっきの老婦人に似ている。
「伯母を助けてくださりありがとうございました。私は西谷と申します。先ほど伯母も意識を取り戻しまして。本当にありがとうございました」
「いえ、この犬が教えてくれたんです。賢いですね、えーと、ひできさん、でしたっけ」
「本当に、本当にありがとうございました。お礼は後日にさせていただきます。今からまた病院に戻るので、その前にこの子を連れて帰りたいので」
西谷さんがひできさんを連れて行こうとすると彼は足を踏ん張り行こうとしない。
「お願いだから一緒に行こう、ねぇ」
おばさんはちょっと泣きそうな顔をしている。
「すみません、差し出がましいですが、伯母さんが退院されるまで俺が面倒見ましょうか? 子供のころ犬を飼っていたこともあるんで」
おばさんは俺とひできさんを見て、それから一つため息をついた。
「重ね重ね、すみません。この子、伯母にしか懐かなくて。ありがとうございます。こちらが私の携帯です、何かあったら電話してください。あと、先ほどの番号があなたの、そういえばお名前聞いてなかった、伺っても?」
「大神蒼空です。あ、家は一軒家なので犬は大丈夫ですから」
勝手に犬を連れて帰ってお袋から何か言われそうだけど緊急事態だ。こればかりは仕方ない。
数日後、西谷さんから伯母さん、鈴木さんが退院したことを聞いた。その後、ひできさんを連れて鈴木さんのところにお見舞いに行くことになった。
鈴木さんは名前を久美子さんと言い一人暮らしだった。俺みたいな胡乱な男が出入りしても大丈夫かと思ったが、母親にもたされた手土産や、なによりひできさんが俺に慣れていることが決め手になったようだ。
「ありがとうございます。本当に歳をとるの嫌ねぇ。熱中症だったらしいわ。あなたに見つけてもらわなかったどうなったことか。あらやだ、私ばかりしゃべって、ごめんなさいね」
彼女は小柄で朗らかなお婆ちゃんだった。いや、お婆ちゃんというには若々しい。そして若いころは美人だったんだろうなぁ。所作にもそことなく上品さを感じる。
気が付くと、もう何時間か話していた。楽しいと時間がすぐに過ぎる。そのときひできさんが散歩紐を持って久美子さんのところに近寄ってきた。
「ごめんね、ひできさん、しばらく散歩は出来ないの」
それでも尻尾を振りながら久美子さんを見あげるひできさんだった。困った顔をする久美子さんに思わず俺は言ってしまう。
「あのぉ、もしも、よかったらですが、俺がひできさんを散歩に連れて行きましょうか?」
久美子さんは固辞したけど俺が押し切った。久しぶりで犬と触れ合えるのもうれしいけど、なんか、久美子さんと話しているのが楽しい。だから、ひできさんの散歩はちょっと口実かも。
ひできさんは老犬と言ってもいい歳で、散歩のときもおとなしい。ひできさんを散歩させていると自然と近所の人と顔見知りになる。主にお年寄りが多いけど。
みんな久美子さんとひできさんのことは知っていて、それで、俺が久美子さんを助けたこともいつの間にか知っていた。だからだろう、あまり警戒されなかった。そして、爺ちゃんも婆ちゃんもお菓子をくれる。何でお年寄りって子供にお菓子を渡したがるんだろうね。
久美子さんの家に行きひできさんと散歩して帰る。それが日常になったころ、その事件が起きた。
ひできさんはあの神社、久美子さんが倒れていた神社がお気に入りのようで、特に三峯様の祠のあたりが好きなようだ。三峯様の使いは山犬だからかな。
その日は久美子さんから『傘を持って行きなさいな』と言われたのだけど、俺はひできさんに引っ張られ傘を持たずに出てしまった。
いつもより鳥の声が少ない。遠くの車の音が聞こえる。そして急に涼しくなったかと思うと蝉の声が止まって、風が吹き、ゲリラ豪雨に降られた。
「あちゃー、傘持ってくればよかった。どうしようかな、とりあえずここで雨宿りさせてもらうか」
本殿の軒先で雨宿りをしていると、急にひできさんに引っ張られる。雨の中ぐいぐい引っ張られ三峯様の祠の前まで連れてこられた。
「なんだよ、どうしたんだ、ひでき……」
その時、大きな音と目がちかちかするような光、そして体が痺れた。近くに雷が落ちたようだ。
どのくらい気を失っていただろうか。気が付くと目線が低い。ひできさんは大丈夫だろうか? そう思って周りを見回したけど、ひできさんはいなかった。
『ひできさん、どこだー』
そう言ったつもりだった。
「わおーん」
おれののどから出たのは犬の鳴き声。
首をひねり足元を見ると犬の足。
冷静に考えよう、おれは人間、犬の足じゃない……。どう見ても犬だ。振り返ると体も犬だ。おれは犬になった?
とりあえず神社から出てみよう。そう思って走り出そうとしたら首を引っ張られた。あれ? 散歩紐が。
「きゃい-ん」
思わず悲鳴をあげてしまった。
『痛い痛い痛い!』
「きゃいーん、きゃん、きゃん!」
だめだ、どうしても抜けない。そのとき神社の外から若い男女の声が聞こえた。
「こっちから聞こえたのよ」
「待てよ、走ると危ないぞ」
おれの目の前に若い女性が現われた。彼女はおれを抱きしめようとしてちょっと戸惑う。
「何で濡れてるのかしら? 今日、雨降ってないよね」
「あぁ、もしかして用水路に落ちたのか? でも用水路、ちょっと離れてるしなぁ」
女性がおれの目の前に手を出す。ひできさんの体だからだろうか、嗅覚が鋭い。だからその手の匂いを嗅ぐと、それは、ちょっと違うけどいつも嗅いでいる匂いだとわかった。後から追いついた男性が困ったように言う。
「久美子、こいつどうするんだ?」
「まず、飼い主を探すわ。それで見つからなかったら、私が飼うの!」
「おまえ、世話できるのか?」
「あー、秀樹、ひどい、私、大丈夫だから。あら、首輪になにかあるわ。ちょっとごめんね」
女性、久美子さんがおれから首輪を外すと裏をまじまじと見ている。
「ねぇ、この子、すずきひでき、っていうんだって。なんかひできがうちにお婿に来たみたい」
「ばっ、バカ言うなよ。そうすると、この犬の飼い主は鈴木さんかぁ。今日はもう夕方だし、明日から一緒に探してやるよ」
「えへへ、ありがとう」
男の耳元が赤い。なんとなく二人の関係がわかるきがする。さて、おれが犬になったのは確定だ。そしてこの少女、すずきくみこさんは、もしかしたら、ひできさんの飼い主の鈴木久美子さんかもしれない。でも、年が全然違うからなぁ。
それはそうとおれが元の体に戻る方法を探さないと。





