3-11 世界一かわいい祟り神に惚れまして
少年時代、立入禁止のはずのお社に居たお姉さんに会いに行く。
彼女はきっと人間じゃない。
社に囚われている理由もわからない。
それでも、彼女を自由にしたいと願い、そのための技も身に着けた。
全ては彼女のために。
これは恋に囚われた阿呆な青年が地域の平穏を犠牲にして闘う、はた迷惑な物語。
まだ小学生だったころ、短い間だけ、奇妙な友人がいた。
立入禁止になっている裏山の小さなお社で、神社の巫女さんのような格好でポツンと立ち尽くしていた一人のお姉さん。
初めて出会ったときは、存在感があるような無いような、不思議な雰囲気を纏い、ぼんやりと空を眺めている様子だった。
「あら、お客様なんて珍しい」
第一声と共に微笑みとも悲しみともとれるあいまいな表情を向けられて、心臓が跳ね上がったのを覚えている。
「あ、あの……」
「帰りなさいな。ここにいては、危ないから」
自分より少し年上の相手から窘められるような言葉を受けて、つい今さっきまで好奇心に覆い隠されていた罪悪感がにわかに表出したことで、俺は「ごめんなさい!」とだけ叫んで裏山を転げ落ちる勢いで降りて行った。
家に帰って、上の空のままで夕飯を食べて、布団に入ってからもずっと鼓動がうるさかった。このまま一生眠れないかと思ったくらいに。
そして一週間後、俺はまたあの社を訪れていた。
「また来たのね。しようのない子」
拒絶ではなかったことに安堵して、俺は自己紹介をしてから彼女と話をした。
なんとなく、彼女が普通の人間ではないことはわかっていたけれど、不思議と怖いとは思わなかった。それ以上に、彼女のことが好きだった。
「どうしてここにいつも来ているの?」
「来ているわけではないのだけれど……」
俺の問いかけに、彼女は少し困ったように首をかしげる。
「私はずっとずっと、ここにいるのよ。この場所に。さあ、こちらにきて座りなさい。私のつまらない話よりも、折角だから今の暮らしを教えて頂戴」
社の前、丁度座れるくらいの岩に並んで座る。
ふわりと広がる袴が膝に触れて、くすぐったかったけれど、良い香りがふわりと漂ってきたことで全然気にならなくなった。
「童にはおやつが必要でしょう。ここにはこんなものしか無いけれど。おあがりよ」
小さな野イチゴはすっぱくて甘くて、山に歓迎されたような気がしてうれしかった。
それから、名も知らぬ彼女に色々な話をした。
学校での生活。流行っているTV番組。父親の仕事や母が買い物するときに気にしていることなど、思いつくままに話す。
それを、彼女は時折頷いたり、質問を挟んだりしながら聞いてくれた。
日が傾くと、彼女の方から「そろそろお帰りなさい」と口を開いた。
後ろ髪を引かれる思いで家路についた俺は、それからというもの、週に一度は社に顔を見せるようになった。
社の敷地から出られないと話していたのを思い出して、お小遣いでお菓子を買っていったり、漫画雑誌を持っていったりしたこともある。
雑誌に載っていた写真を見て、感心するように頷いている横顔が、まるで漫画に出てくるヒロインのようで、見とれてしまった。
「楽しかった。あの何度かの会話が、本当に楽しかった」
と、あれから十数年が経つ今でも彼女のことを片時も忘れたことがない。
だが、奇妙なことに彼女のところへ行かなくなった理由が思い出せなかった。進級する前にはもう、社へと近づくことがなくなった。親や大人たちに見つかって怒られたとか、そういう話でもなかったはずだ。
不思議なことに、記憶はあるのに訪れようという気が全くなくなってしまっていた。彼女が何かを言ったのか、何かしたのか。
幼少期の俺にはわからない何かがあったらしいが、不思議と嫌な気分はしない。
恐らくは、彼女の気遣いによるものだったであろうから。
思い出す彼女の表情はどれも、微笑みか呆れか、あるいは困ったようなものばかりだ。
電車を降り、懐かしい山道を歩く。疲れは一切感じない。
一歩一歩踏み出すたびに、不思議と確信が強まっていくからだ。
彼女はこの先にまだ居るのだ、と。
「久しぶり。変わらないようで何より」
懐かしいあの人は、まだそこに居た。
うまく笑えているだろうか。心臓の高鳴りがうるさいぐらいで、あの頃とちっとも変っていない彼女の様子に、俺は呼吸を整えるふりをして気持ちを落ち着ける。
「話したいことはあるけれど、まずはこれを。御供物を持ってきた。コンビニのお菓子とお茶だけれどね。さ、こちらへどうぞ」
「私は変わらないけれど、あなたは随分擦れて帰ってきたみたいね。……待って。今あなた、供物と言った?」
俺があの時座っていた岩の上にハンカチを広げると、彼女は呆れたように息を吐いて腰を下ろした
ペットボトルの蓋を軽く開いてから手渡す。
「神様への贈り物だから、供物って呼び方であっているはずだけれど」
「いつから気づいていたの」
「ずっとこういう土着信仰と神道のことを学んできた。それで気づいた」
俺も腰を下ろして、彼女と並んで同じ方向を見る。
裏山は大した標高があるわけではないけれど、薄暗いながら風は良く通るし、雰囲気に比べて居心地は悪くない。
「社を作り、その土地で祀る相手だからね。でも、そこまでだった。ここの伝承が見当たらない」
「それで、答えを求めてきたわけね。でも不思議。程度年齢を重ねたら、私のことなど見えなくなるはずなのに」
彼女は首を傾げて疑問を口にする。時折社の手入れに来る老婆がいるが、彼女には気づかれていないらしい。
「それで、聞きたいのは私の正体?」
横目で見てくる彼女に、俺は「いいや」と答えた。
「そのうち聞きたいとは思うけれど、今日来た理由は別にある」
俺は立ち上がって、彼女と向き合う。白磁のような透き通る肌に、長いまつげで切れ長のように見えて実は丸っこい瞳が俺の姿を捉えている。
黒い艶のある髪は不自然なほどに乱れが無く、絵画に描かれた瞬間のように美しい。
見つめたい気持ちと、眩しくて直視できない感情が同時に脳を刺激する。
「なにを……」
片膝を突いた俺に戸惑っているようだが、こっちもこっちで余裕がない。
何しろ、十余年温め続けてきた感情を、ようやく言葉にできる機会が到来したのだから。昨夜からずっとずっと悩んで考えていた言葉を、ゆっくりと音にする。
「俺と一緒に来てくれないか。君が何者であろうと、これから先はずっと共に居たい。あの頃からずっと、君が好きだ」
どうにか言い切った。恐る恐る顔を上げると、初めて彼女の紅潮した顔を見ることができた。
「な……な……」
思わず、笑みがこぼれる。新しい表情が見られたことが嬉しい。そして、またこれからも見ていたい。
「こほん。とりあえず、あなたの気持ちはわかったけれど、そもそも私はここから離れられないのを知っているでしょう? どうしてもというなら、試してみなさいな」
「では、失礼して」
差し出された彼女の左手を取り、立ち上がらせる。
するりと立ち上がった彼女の手を引いて社から離れると、彼女だけでなく俺まで何やら足取りが重くなってきた。
「これは……」
振り返ると、社からどす黒い何かが漏れ出しており、俺と彼女の足元にまとわりついていた。
「……これが、私をここに縛り付ける封印の一つ」
「一つ、ということは」
「この社だけじゃなくて、念入りに土地を囲むようにもう五つあると聞いたことがあるけれど、本当のところは知らない」
諦めを表す嘆息と共に、彼女の視線は地面へと落ちた。
「諦めなさい。私はここに封印されたまつろわぬ神の一柱。このまま、忘れ去られて存在が消えてしまうまで、ここにいる運命なのよ。何百年経ったか忘れてしまったけれど、あなたの気持ちは嬉しかった。本当に素敵な夢だった。だからこそ、ここで終わりにしましょう」
離れかけた手を掴むと、彼女は困ったように眉根を寄せた。
「聞き分けなさい。こんなことをしていたら……」
振り返った彼女の視線の先、社から出てきた黒い靄はいつしか形を作り、ずんぐりとした人型へと変貌を遂げる。
それは妖怪絵巻に出てくるようなでっぷりとした体型の鬼であった。
「封印の鬼神よ。あれがいるから、私は……」
「想定内だ」
俺はポケットに突っ込んでいた御札の束を取り出した。
符術。特殊な墨を用いた呪符を使って術式を行使する。道教の流れから国内で細々と伝わる技術なのだが、体得にはひどく苦労した。
「霊感の類が全くない俺でも、これならあやかしの類と対峙できる」
彼女を自由にしたい。たとえ俺の気持ちが伝わらなくとも、受け入れられなくとも、それだけは成し遂げたかった。
「悪いが、恋路の邪魔をする奴は馬に蹴られる運目なんだ」
ひらりと放った呪符が燃え上がると、その炎が麒麟の形へと変化する。
「悪いが、彼女を縛る奴は敵だ。どんな理由かは知らないけれど」
「そういえば、思い出したのだけれど」
後ろから、彼女の声が聞こえてきた。表情は見えないけれど、少し困ったような様子なのがわかる。
「私、祟り神として封印されていたの。すっかり忘れていたわ」
「……は?」
祟り神って言ったか?
いやでも、彼女が何をしてそう呼ばれたかまではわからないし、鬼神の見た目は完全に“敵”だし。大昔の基準での話だし。
ぐるぐると思考が回って回って、麒麟まで困惑し始めてからようやく結論が出た。
「いや、いいや。俺は君が好き。それで充分!」
完全に自己中心的な理由で、俺は祟り神の解放に取り掛かった。





