3-10 雨女をもう一度
うちの女テニは最強だった。弱いけど、全能感がすごかった。そんな女テニに、誰かが中途入部するらしい。
「今年のF組、紗奈って子がいるじゃん」
「いるけど、喋ったことないかも。すっごい雨女らしいよ」
「あの子、女テニに入れていい?」
「いいけど、なんで?」
紗奈を女テニに誘ったのはアダムだった。入学式で堂々とりんごを丸かじりして、先生に式からつまみ出されたからアダムと呼ばれている。
「あんた、雨女なんでしょ。外練、全部なくしてほしいんだよね」
紗奈は入部した。そして外練を次々と雨にしていった。
うちの女テニは最強だった。でも、卒業して離れ離れになって、二十歳も過ぎれば、みんなただの人だった。
「もう一度、降らせようよ」
久し振りに揃った時、アダムが笑った。私たち、やっぱり最強かもしれない。
紗奈は特別だった。
賢くて可愛くて優しくて、そしてえげつない雨女だった。
そういや高校に入ってから、体育祭も文化祭も球技大会も、マラソン大会もプールも全て雨だったっけ。それは紗奈のせいなんだって。週末に紗奈が友達と遊びに行くと、いつも大雨なんだって。紗奈以外で遊ぶと晴れるんだって。
おかげで紗奈は雨女ってだけで一人ぼっちになって、クラス替え後も風評被害のせいで友達がいなかった。
アダムが声をかけるまでは。
「女テニに入ってよ」
開口一番、アダムは紗奈にそう告げた。静寂が訪れて、雨の音が教室に響く。
「外練の日、全部雨にしてほしいんだ」
「伊東さん。私、テニスやったことないよ」
「アダムでいいよ。平気、うちの女テニ、弱いから」
「練習、雨にしちゃっていいの?」
「一応他の二年の意見も聞くけど、いいよ。ほら、キャプテンのお姉と、やたら声がでかい明日香」
アダムは隣の私たちを交互に指差した。女子テニス部は、お姉と私とアダムが二年生で、一年生は多いけど三年生はいない。
「いいでーす!」
私は二つ名に恥じない声で真っ先に両手を挙げた。
「マラソン大会を雨にしてくれてありがとー! 外練もよろしく!」
私がそう言ってもお姉は怒らない。器が大きい。四月二日生まれというだけで、そう呼ばれているだけはある。
「女テニでガチなのって顧問だけだから。私も外練は雨がいい」
こうして紗奈は女テニの部員になった。
紗奈の力は本物だった。誇張なく全ての外練を雨にした。紗奈は塾が忙しく、遠い塾に行くために部活を休む日は晴れる。
「自由自在だね」
「違うよ、遊ぶ時も雨だもん。昔は普通だったんだけどな」
「晴れてほしい日も雨だし、雨になってほしい日も雨なんだね」
女テニに入ってから、明らかに紗奈はクラスに馴染んでいた。笑顔が増え、伊東さんではなくアダムと呼びはじめた。テニスは超下手だった。
「インハイ予選も雨にしてもらっちゃおうよ。中止になるくらいすごいのを」
アダムが拳を突き上げる。頑張るのは紗奈だよ。
「中止かぁ。大雨にしなきゃ。できるかなぁ」
「中止にならなくても、一回戦で負けたらいいよ!」
私が肩をつつくと、紗奈はめっちゃ笑った。
試合の日は晴れた。抜群の試合日和だった。案の定、アダム以外はすぐ負けて、みんなでアダムの試合を見ていた。
アダムは試合だけは真面目にやる。
「試合を不真面目にやったら、相手に失礼だしさ」
それで勝つんだからすごい。あんなに外練を嫌がるくせに、アダムは涼しい顔でブロックの準々決勝まで行った。
準々ともなると相手も当然強い。アダムより焼けていて、毎日練習している選手だった。一進一退の試合展開だった。
「アダム、疲れてるね」
そりゃ練習してないもんね。
「でもアダムが勝てば、男テニにコート取られなくて済むかも」
お姉のふとした言葉に、私たちはざわついた。
「私たちが練習しなさすぎて、男テニのキャプテンが、女テニのコート使用権欲しいって言っててさ」
「なんでお姉はその話黙ってたの⁉」
「静かに。紗奈に聞こえるでしょ」
紗奈、今監督の車に忘れ物取りに行ってるんだけど、そんな声デカいかな?
「女テニが弱いのは元々だし、コート取られたって、紗奈が外練の日に雨を振らせてくれれば一緒だもん。学校がくれる部費はちょっと減るけど」
こいつ、本当にキャプテンか?
「部費的にはアダムが結果出してくれると嬉しいけど、プレッシャーかけたくないしね」
お姉は自分が頑張らない分、人にも頑張らせない。試合は押され気味だった。外練をしてないんだから当然で、むしろ粘れているだけ奇跡だった。
コート取られちゃうのかな。部費減っちゃうのかな。急に湧いた焦燥と共に私は祈る。アダムが勝ちますように。
祈りに呼応するように、突然雨が降り出した。ゲリラ豪雨だ。風もすごくて、視界がヤバい。なのに試合中止になる直前に雨は止んだ。しかも晴れた。最初から何もなかったかのように。
「今の雨、何?」
髪型が崩壊したお姉が私に尋ねた。
「さぁ……」
私は首を捻る。変な雨だった。試合は再開したけど、ずぶ濡れの相手がくしゃみをして、露骨に調子を崩し始めた。アダムもかなり休憩できている。試合はアダム寄りの展開になって、なんと勝った。
「アレのおかげだわ」
アダムの言葉は謙遜ではなかった。
「私達は雨に慣れてるけど、向こうは違うもんねぇ」
お姉は奇妙な雨を降らされた相手に同情的だった。私は内心ホッとしていた。
紗奈だ。紗奈が降らせてくれたんだ、雨を。そのおかげで、アダムは勝った。
「紗奈ナイス!」
お姉が褒めると紗奈は親指を立てた。
紗奈、凄すぎ。神風まで作れちゃうんだ。もしかして元寇の頃から生きてた?
アダムは勝ったし、コートも取られなかった。部費ももらえた。本当はダメだけど余った部費でみんなでミスドにも行った。
「うちの女テニってすごいね」
紗奈はフレンチクルーラーをかじりながら笑った。
そうだよ。うちの女テニはすごい。高校生活三年間、運動会は雨で中止になり続けたし、修学旅行の飛行機なんて台風で欠航になったもんね。
§
高校を卒業して、大学に行って、社会人になって、私たちは普通の人になった。
SNSではよく喋るけど、なかなか会えなかった。久し振りに揃ったのは、後輩の結婚式だった。
「紗奈、大人になったねぇ~!」
十年くらい見ない間に、紗奈は垢抜けていた。
「明日香、なんか声小さくなった?」
「だいぶ会わないうちに、社会に揉まれて……」
「ほんと久しぶりだよね。私なんか、雨女じゃなくなったよ」
紗奈の笑い方は十年前と変わらない。
「体質が変わったの?」
アダムはおじさん会社員みたいにビールを煽った。
「うん。今日は久しぶりに降っちゃったけどね」
外は雨だった。後輩は紗奈を呼ぶためにガーデン系の会場を避けたらしい。
「結婚って良いよね。お姉の結婚式もめっちゃ良かったな〜!」
紗奈が目をキラキラさせる。腸炎で入院してお姉の結婚式に行きそびれた私は肩を落とす。行きたかったな……。
「どうかな。結婚しても、別れるかもよ」
お姉は妙に弱気だった。事情を聞いて、独身の私たちは顔を見合わせる。
「人の結婚式で言うことじゃないけど、夫が不倫してそうでね」
「あららら」
結構前から怪しんではいたが、お姉も仕事が忙しい盛りで、証拠がなかなか集められないらしい。
「舐めてんのよ、私は仕事があるから証拠なんて集まらないって」
お姉は勢いよくアイスティーをすする。
「うちの夫、普段は自転車通勤だけど、雨の日は車通勤なのね。あんな走る個室でどこか行っても分からないじゃん。GPSも割と誤魔化せるしさ」
「雨の日だけ不倫してるってこと?」
「そう。だから探偵さんもつけにくいんだよね。お金もかかるし」
アダムが尋ねるとお姉は頷いた。
「じゃ、雨女がいたら、証拠集めやすいよね。決まった日に雨を降らせられるんだから」
アダムの言葉に、紗奈が目を伏せた。
「……私、もう雨女じゃないよ」
「大丈夫だよ。降るから」
え、と一同が動きを止めた。
「何となく分かったよ。紗奈のところに降るだけで、実際に降らせてるのは明日香だね」
「わ、私?」
アダムは私を指さす。名前を呼ばれて、指をさされて、私は面食らうしかない。
「紗奈は中学までは普通で、今も普通。つまり、原因は紗奈だけじゃないんだよ。紗奈が友達と遊びに行って大雨だった日、週末だからきっと明日香も予定あったでしょ? 明日香が晴れか雨を願ったら全部降るんだよ。紗奈のところにね」
「なんで私って分かるの?」
「お姉の結婚式、紗奈がいたのに晴れたんだよね。インハイ予選も同じ。紗奈は雨を降らせようとして、明日香は天気にこだわらなかった。他にもあるけど……」
「い、いらない……」
衝撃だった。そういえば、あの試合も私が祈った瞬間に降り出した。紗奈はいなかった。私のせいだったんだ。私は紗奈が雨女だと思っていた。本当は私も雨女だったのに。
「ごめん、紗奈」
「気にしないで、明日香。雨を歓迎するのが、女テニ流でしょ」
「紗奈の言う通り。だからうちの女テニは、雨を使って不倫の証拠を集めるんだよ」
アダムは三度目のパンのおかわりをする。新郎の上司のスピーチが、全く耳に入らない。
「私が雨を降らせる。きっと証拠が集まるよ」
私は親指を立てた。お姉を苦しめる不倫を許せなかった。本心を言えば、旦那を殺しに行きたいくらい。
「殺せるけどね」
アダムはパンを半分にちぎる。私はびっくりした。殺すって、お姉の旦那を?
「でも、まだ籍入ってるでしょ。今死んだら、お姉が葬式とか手続きとか大変じゃん。縁が切れてから死んでもらお」
後輩の結婚式の最中なのに、やばい話になってきた。さっきのは冗談だよ、と私が言おうとした時だった。
「殺せるの?」
お姉が泣きそうな顔で尋ねた。みんなが息を飲む。お姉が私たちに何かを望むのは初めてだった。
「まず証拠集めて離婚。殺すならその後だね」
アダムは淡々と答えるが、きっと本気だ。私が抜けても、たぶん一人で殺しに行ってしまう。
困った。
「浸水したらごめーん!」
私は明るくお姉の手を取った。それはお姉のためだけではなく、アダムを殺人者にしないためだった。
「明日香がやるなら、私もやる」
紗奈がその上に自分の手を重ねる。温かい手だった。
「声大きいよ明日香」
目元を拭うお姉は笑っていた。余興が盛り上がっているのに、静かだった。雨が止んでいた。





