⑨ ロベールside1
オリヴィアの去った部屋では、ロベールとマルセルが窓から見送っていた。
先ほどまであった巨体が嘘のようになくなり、すらりと長い足がのぞく。
マルセルはロベールから渡される残骸を素早く片付けていた。
「マルセル、どう見る?」
「率直に申し上げますが、異常ですね。普通の女性ではありません」
マルセルは淡々と答えた。
それにはロベールも同じ意見だと言わざるを得なかった。
ロベールは仮面を取り、テーブルに置いた。
スカイブルーの瞳がオリヴィアの背を追いながら細まった。
マルセルから渡された濡れた布で顔に付着している接着剤を拭っていく。
それからオリヴィアがじっと見ていた自身の指を見る。
「そうだな。簡単な変装ではあるが、まさか見破るとはな」
「それは我々もです。一瞬で見抜かれるとは思いもしませんでしたから」
外見はいかにも迷い込んだ平民で、なぜか乗馬スタイル。
しかしディルムーン辺境伯の娘らしいといえば、その通りだった。
(まさかディルムーン辺境伯の娘が名乗り出るとは……)
予想外の人物にロベールは唇を歪めた。
結婚相手を探すために大々的に人を集めて正解だった。
ロベール・エンバルト、エンバルト公爵家の当主だ。
先代公爵の失態を機に代変わりをして、信頼回復のために粛々と業務をこなす日々。
時には巨漢で見るに耐えない姿だと言われ、時には愛想のいい青年、かわいらしい少年の姿になることもある。
どれもロベール・エンバルトだった。
表舞台に出る時は変装しているため誰も本当のロベールの姿を知らない。
唯一の共通点は蜘蛛の巣を模したような目元を覆い隠すシルバーの仮面だけ。
それがエンバルト公爵家の当主たる証だった。
ロベールはいつも仮面をつけて素顔を隠していた。
自分の顔が嫌いだった。忌々しい血筋を引いていることが許せない。
鏡に映る人形のように正気がなく、心が死んだ自分を見ていると、わずかに残る昔の自分が嘆くのだ。
(……馬鹿馬鹿しい。もう俺には何も残っていないというのに)
エンバルト公爵家はビジリィ王国の三大公爵家のうちの一つ。
蝶、蜂、蜘蛛と紋章があり、王家は王冠と鷲だった。
国を華やかに彩り発展させる蝶の紋章を持つレディズリー公爵家。
国を守る要となる蜂の紋章を持つガンダルード公爵家。
そして裏側を支配する不気味な蜘蛛の紋章を持つエンバルト公爵家。
三大公爵家がバランスをとりビジリィ王国を支えてきた。
そんなエンバルト公爵家を継ぐロベールは、幼い頃から想像も絶するような厳しい教育を受けてきた。
そこに愛情などありはしない。母は物心ついた頃にはいなかった。
誰が生き残るのかわからずに馴れ合うことも、人を信頼することすら許されない。
兄弟や姉妹もいたような気がしたが、皆が訓練に耐えられずに死んでいった。
戦闘訓練、気配を消す術、人を操る術を学ぶ。
毎食、毒入りの食事をとり続け、体を慣れさせなければならない。
世間では楽しいはずの食事は地獄のような時間だった。
ロベールの痛覚が鈍くなり、感情がどんどんと死んでいく。
エンバルト公爵家は情報収集や暗殺、裏切り者の炙り出しなど毎日大量の情報が流れ込んでくる。
生まれた時から安らぎなど感じたことはない。
常に細い糸の上を歩いていく……そんな感覚だった。
ロベールの側近は幼い頃に拾った双子のマルセルとアイナスだけだ。
唯一、信頼できるのは二人だけだろうか。
彼らは本当に見分けがつかないほどによく似ている。
それは仕事の上でも役に立つ。
よく試すようなことをして遊んでいる姿も目にしていた。
そんなある日のこと。
祖父に呼び出されたロベールは跡継ぎを用意しろと命令を受けた。
父の失敗でエンバルト公爵家の家名を傷つけたことで、激高したのは祖父だった。
父は屋敷の地下牢に幽閉されて、表に出すことは禁じられていた。
祖父は殺せと言ったが、ロベールは生き地獄を味合わせなければ気が済まない。
そうでなければ採算が合わないからだ。
今度こそ失敗は許されないと、現当主であるロベールへの当たりも強くなってしまう。
尻拭いなどたくさんだと思っていたが、表向きは彼に従わなければならない。
しかし心の中ではエンバルト公爵家などなくなってしまえばいいと思っていた。
今まで積もった恨みは、もはや復讐でしか昇華することはできないだろう。
この身がどうなろうとも、エンバルト公爵家を破滅させたかった。
誰もそのことに気がつくことはなかった。あの祖父でさえも……。




