③
オリヴィアの声に、父は大きく肩を揺らした。
父は覚悟を決めたように拳を握ると医師を呼びに向かうと出て行った。
軽々と母を抱え上げたオリヴィアは寝室へと運ぶ。
汗で張りついた前髪をわけてから、布で拭うと瞼が開く。
声は届かなかったが『ごめんなさい』と、唇が動いた。
「お母様、心配しないで。今は休んで……」
頷いた母はゆっくり瞼を閉じて眠ってしまった。
目の下には深いクマが刻まれている。
なんとかお金を工面しようと、夜遅くまで内職をしていたのをオリヴィアは知っていた。
(お母様、かなり無理をしたんだわ……)
今すぐに父を五十発ほど殴りたい気分だが、父も母に楽にさせたいと純粋な気持ちで事業に取り組んでいる。
誰よりも成功を願っているのは彼なのだ。
それにオリヴィアも領民に慕われて、国を守りきった父を尊敬していた。
オリヴィアは立ち上がって、自室へと小走りして向かう。
医師が来るまでに用意するものがあるからだ。
(内緒で貯めていたお金は今使うべきよね……!)
幼い頃から少しずつ貯めていたお金は、自分の夢のためにと思っていた。令嬢の暮らしに憧れていたオリヴィアが唯一抱いた夢。
それは平和でお金に困らない普通の結婚をすること。
そのためのお金だったが大切な母のためだ。
たとえ夢や自分の結婚が遠のいても家族のことは捨てられない。
オリヴィアは母が寝ている寝室へと向かった。
数時間後──。
オリヴィアと父とともに遠い目で医師を見送った。
「お金って……すぐになくなるのね」
「…………ああ」
「薬って……高いのね」
「…………ああ」
父はオリヴィアの問いかけに力なく首を縦に振っていた。
結果として、オリヴィアの貯金など今回の診察代と数回の薬代で消えていった。
辺境伯領から出たことがなく、世間知らずなことが仇になったようだ。
(あんなに苦労して貯めたのに、一瞬で消えるのね……)
長年の無理が祟った母の容態はあまり思わしくないようだ。
お金がないままでは薬も買えず、母は救えない。
(どうにかしてお金を稼がないと……!)
隣国にいる兄に連絡して頼るにも時間がかかり過ぎてしまう。
父は屋敷を担保にした事業があるため、ここから動けないだろう。
母の世話を父に任せるのは気が引けるが、今回のことを反省して領民たちに助けてもらうように頭を下げるそうだ。
「オリヴィア、苦労をかけてすまない」
「……お父様、今更です」
「ぐっ……!」
母同様に痩せこけた父は下唇を噛んでいる。
頭も白髪が増えて、心労から老け込んでような気がした。
昔から父には振り回れっぱなしだった。
だけど大好きで尊敬する父には、こんな顔をしてほしくない。
オリヴィアは覚悟を決めて父を見た。
「わたし、娼館で働きます!」
「なっ、何を言っているんだ……!」
父は大きく目を見開いた。
オリヴィアが稼ぐ方法はこのくらいしか思い浮かばない。
「このままではお母様を救えません!」
「オリヴィア、考え直せ! ありえないっ」
「ですが、このままだと共倒れです!」
さすがの父もオリヴィアを心配してくれた。
そう思って、少し見直していたが……。
「──死人が出るぞ!」
「あ……?」
「お前がもし恥じらって手を出したりなんかしたら相手が死ぬっ、間違いない!」
「………………」
オリヴィアは思いきり拳を振り上げると父は再び宙を舞った。
それからオリヴィアは辺境伯邸を飛び出すように出た。
唯一所有している馬、ジョセフィーヌに頼み込んで大きな街を目指す。
ここでオリヴィアの脳内に一つの疑問が浮かぶ。
(娼館って何をすればいいのかしら……男性に奉仕するのよね? 侍女の仕事なら多少できると思うけど、それとは違うの?)
いまいち娼館で働くということは、何をすればいいかわかっていなかった。
なんとなく女性が稼ぐには、そこしかないということだけは理解していた。
(あまり乱暴な男性がいないといいけど、どういうものなのかしら……)
反射的に手が出てしまえば、相手は無事では済まないだろう。
父の『死人が出るぞ!』という言葉が過ったものの、ここまで来て後戻りはできない。
どのくらい時間経過してだろうか。
空はいつのまにか明るくなり朝になっていた。
どうやら一晩中、走り続けたらしい。
なんとか街に到着したオリヴィアは、賑やかな景色に瞬きを繰り返す。
「……すごいわ」
活気のある街はディルムーン辺境伯領とはまた違う。
こんなにも大きな街に足を踏み入れるのは初めてだ。
(なんだろう……いろいろな匂いがするわ)
鼻がいいためかオリヴィアには刺激が強いようだ。
ジョセフィーヌも興奮しているのか、その場で足を動かしてブルブルと声を出している。
オリヴィアは馬を休ませるため、娼館を探すために歩き出す。
それにお金を得て帰るまではこの街を出ることはできない。
ジョセフィーヌの餌も休ませるのにもお金が必要だ。
(世の中、お金がないと何もできないのよ……)
謎の悲壮感と共に、オリヴィアは娼館を探す。
一人で馬を連れているパンツ姿の女性は珍しいのか四方八方から視線が突き刺さっていた。




