第5話 アルブと掟の夜
第5話です。あっという間に追放されました。
長老たちは、夜に集まる。
昼の裁きは神殿のものだが、夜の裁きは共同体のものだ。そう言われている。昼は神の目、夜は人の目で見るのだと。
アルブが呼ばれたのは、集落の中央にある火の広場だった。丸く踏み固められた土の真ん中で、薪がぱちぱちと音を立てて燃えている。煙は低く流れ、干した羊皮の匂いと混じって鼻を刺した。
すでに人が集まっていた。
男たちは外側に立ち、女たちは少し離れたところに固まっている。子どもは眠っているか、母の背でぐずっている。誰も大声では話さない。火の音の方がよく聞こえるほどだ。
アルブが広場に入ると、ざわりと空気が揺れた。
火の向こう側に、長老が三人座っている。羊毛の外衣を肩に掛け、杖を横に置いている。三人とも、アルブが生まれる前からこの席に座っていた男たちだ。
真ん中の長老が、火を見つめたまま言った。
「来たか」
アルブは火の前に立った。熱が顔に当たる。煙が目にしみる。
「座れ」
そう言われたが、アルブは立ったままだった。土に膝をつくと、話が終わる前から自分の立場が決まってしまう気がした。
長老はそれを見て、何も言わなかった。
少しして、右の長老が口を開いた。
「神殿で騒ぎを起こしたそうだな」
声は低く、枯れている。長く人に命じてきた声だ。
「騒ぎじゃない」
アルブは言った。
「袋が裂けてただけだ」
広場の周りで、小さく息が動いた。
左の長老が言う。
「問題はそこじゃない」
杖の先で地面を軽く叩く。
「刻印のある者が、神殿で口を出した」
火がぱちりと弾けた。
アルブは黙った。
それは事実だ。事実は、言葉で動かない。
真ん中の長老が顔を上げた。
深い皺の間から、黒い目がアルブを見る。
「おまえは、なぜ庇った」
広場の空気が静まる。
誰も動かない。子どもの寝息だけが遠くで聞こえる。
アルブは、少し考えた。
「……盗んでなかった」
長老の眉がわずかに動く。
「それだけか」
「それだけだ」
沈黙が落ちる。
長老たちは顔を見合わせた。言葉を交わさなくても、長く同じ席に座っている者同士は通じる。
やがて右の長老が言った。
「正しいことをしたつもりか」
アルブは答えなかった。
正しい、という言葉が、ここでは妙に軽く聞こえる。
左の長老が言う。
「正しいことは、掟の中でやるものだ」
火の煙が流れ、アルブの顔を包む。
「掟の外で正しさを振り回すと、共同体が壊れる」
その言葉に、周囲の男たちが小さく頷いた。
アルブは火を見た。
薪が崩れ、赤い炭が覗いている。火は形を持たない。けれど人はその周りに円を作る。
「……あのままなら」
アルブは言った。
「手首を切られてた」
真ん中の長老が、ゆっくり瞬きをした。
「それも掟だ」
その声には怒りがない。疲れがあるだけだ。
「掟は、人を守るためにある」
その言葉を聞いた瞬間、アルブの胸の奥がきしんだ。
守る。
その言葉は、昼にも聞いた。
「誰を」
気づくと口に出ていた。
広場が凍った。
誰もがアルブを見た。
長老の目も、今度は静かではなかった。
「誰を守る」
アルブは続けた。
「掟は」
火の中で薪が崩れた。
真ん中の長老が、杖を手に取った。
杖の先で地面を突く。
どん、と鈍い音が広場に響く。
「……アルブ」
ゆっくり言う。
「おまえの父は、良い男だった」
広場の隅で、誰かが息を飲んだ。
「黙って働き、掟を守った」
長老の目がアルブに戻る。
「だが、おまえは違う」
その言葉は、責める声ではない。
ただ、判断の声だった。
長老は立ち上がった。
火の光が、その影を長く伸ばす。
「共同体は、疑いを抱く者を抱え続けられない」
周囲の男たちが、視線を落とす。
結論は、もう出ている。
長老は言った。
「夜が明ける前に、出て行け」
火の音だけが残った。
アルブは動かなかった。
広場の向こうに、母が立っているのが見えた。
泣いている。
父は、その隣で、何も言わずに立っていた。
アルブは空を見上げた。
星が出ている。
静かな夜だ。
もし神がいるなら、
この夜を見ているのだろうか。
だから、やめとけって言ったのに。




