第2話 アルブと庇った代償
第二話です。ほら、言わんこっちゃない。重たい話になってきた。
門前の土は、昼になると焼けるように熱くなる。まだ朝だというのに、神殿の煉瓦はすでに日を吸い込みはじめていた。乾いた風が吹くたび、穀倉の隙間から麦の粉がふわりと舞う。鼻の奥がむずがゆくなる匂いだ。
衛兵に胸倉を掴まれたまま、アルブは息を整えようとしていた。喉を押されると、呼吸が浅くなる。浅い呼吸は、恐れを増やす。恐れは相手に伝わる。
「証を見せろ、だと?」
書記が言った。粘土板を抱えたまま、アルブを見下ろしている。陽がその額を照らし、油で整えた髪がぬらりと光った。
「外の者が、神殿の帳簿を疑うのか」
帳簿。
アルブはその言葉に反応した。
帳簿は神殿の心臓だ。穀物の量、貸した銀片、戻る利、供犠の数、すべてがそこに刻まれる。刻まれた数字は、人の言葉より重い。
「疑ってるんじゃない」
アルブは喉を締められながら言った。
「数え間違いはある」
衛兵の手がぐっと強くなる。喉の奥が鳴った。
「掟を知らんのか、刻印持ち」
衛兵の吐息には、昨夜の酒の匂いが混じっていた。酸い匂いが鼻に刺さる。
「神殿の数は間違えない」
その言い方は、神が間違えないと言うのと同じ響きを持っていた。
アルブは答えなかった。
代わりに、地面を見た。
少年が倒れた場所の近くに、穀粒が散っている。袋の口が粗く縛られていたのだろう。少しずつこぼれた粒が、踏まれて粉になり、土に混じっている。
アルブは足先でそれを指した。
「袋が破れてる」
書記の目が、初めて地面を見た。
ほんの一瞬だけ。
だがその一瞬が、すぐに別の色へ変わる。冷たい色だ。
「……なるほど」
書記は小さく頷いた。
「つまり、おまえは言うわけだ」
粘土板を持ち直しながら、ゆっくり言葉を区切る。
「神殿が嘘をついた、と」
アルブの背中を、冷たい汗が流れた。
違う。
そう言いたかった。
だが言葉を足せば足すほど、泥に足を取られるのは分かっている。
書記は周囲を見回した。
「聞いたか」
静かな声だった。
しかしその声は、門前にいた者すべてに届いた。
「刻印の者が、神殿を疑う」
ざわめきが広がる。
中にいる者たちは眉をひそめ、外にいる者たちは視線を落とした。
誰も味方にならない。
それが、この場所の秩序だった。
衛兵がアルブを突き飛ばした。
背中が地面に打ちつけられる。
固い。
踏み固められた土は、石に近い。
肺の空気が一瞬で抜けた。
アルブが咳き込むと、砂が口に入った。舌の上でざらつく。
「盗人を庇った罪は重い」
書記が言う。
「盗んでない」
地面に倒れたまま、少年が言った。
声は震えていたが、はっきりしていた。
「俺は……袋を運んだだけだ」
衛兵がその腹を蹴る。
鈍い音。
少年の体が折れ曲がる。
アルブは起き上がった。
胸が焼けるように痛む。
けれど足は動いた。
「やめろ」
言葉は短かった。
怒鳴るでもなく、低い声だった。
その声に、衛兵が振り向く。
「まだ吠えるか」
次の瞬間、拳が飛んできた。
頬に当たる。
視界が白く弾けた。
倒れたアルブの耳に、誰かの声が入る。
「……ばかだ」
外の者の声だ。
老人だった。
「黙ってりゃいいのに」
責めているのではない。
ただ、呆れている。
生きるための呆れだ。
アルブは血の味を舌で感じながら、ゆっくり体を起こした。
少年がこちらを見ている。
その目は、さっきと違っていた。
怒りでも恐れでもない。
困ったような目だ。
「……なんで」
少年が言う。
「助けるんだ」
アルブは答えなかった。
理由はある。
けれど、うまく言葉にならない。
代わりに空を見た。
雲が、ゆっくり流れている。
さっきと同じ空だ。
神殿の屋根の上を、ただ流れる。
アルブは胸の奥で思った。
もし神がいるなら、
この光景を見ているのだろうか。
見ていて、黙っているのか。
それとも、そもそも――。
「連れていけ」
書記の声がした。
衛兵がアルブの腕を掴む。
「裁きだ」
門の中から、別の衛兵が出てくる。
外の者たちは、さらに距離を取った。
女が赤子を抱き直し、目を逸らす。
老人は、深く息を吐いた。
誰も止めない。
少年だけが、地面に膝をついたまま叫んだ。
「そいつは盗んでない!」
その声は、門の煉瓦に当たって跳ね返り、
誰にも拾われないまま空に散った。
アルブは腕を引かれながら、門を見上げた。
神殿の扉は、厚い木でできている。
鉄の釘が打たれ、黒く光っている。
この扉の向こうに、神はいるのだろうか。
それとも――。
門が、ぎしりと音を立てて開いた。
重たくしたくないけど、アルブはどんどん重い話にしたがります。




