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299話 武辺者の地から少し離れたヴィルフェシスでの話・8 =幕間=

 * トレハ視点 *


「……では、率直に伺います」


 カロンは手元のメモ帳から不意に顔を上げると、射抜くような視線を真っ直ぐ私にぶつけてきた。


「バルヴァ様は統一戦争で活躍されたと仰っていましたが……では、──」


 そこでカロンはほんの一瞬、言葉を詰まらせた。何かを言い淀むような、あるいは脳内の記憶の引き出しを猛烈な速度でひっくり返しているかのような奇妙な『間』。──だが彼女はすぐに何事もなかったかのように微笑み、私の名を口にした。


「……──と、ステヴィアさんは、一体『どこで』それほどの戦闘技術を身につけられたのですか? しかもギルドへの冒険者登録の日、なぜだか仕立ての良いメイド服姿だったとも聞き及んでいます。それに迷宮内をどれだけ強行軍で走り回っててもお母様ともども息一つ切らしていなかったという目撃証言もあります。……世間じゃあ、ひょっとして王国西部の隠れ里に伝わる暗殺部族の生き残りだとか、どこかにある秘密の武闘メイド養成所出身なんじゃないかって憶測まで飛び交っていますけど?」


「すべて母の手ほどきですよ」


 私は眉一つ動かさず、言い淀むことなく滑らかに返した。そういう質問も想定してあったので苦ではない。


「メイド服姿で登録に行ったのは……その日、持っていたこの旅装束を酷い泥だらけにしたんです。困って街の貸衣装屋を覗いたら、ちょうど『本日メイド服レンタル代半額セール!』の看板が出ていたんです。一番安かったので……着ていただけですよ」


 これもまた、私は何一つ嘘は言っていない。セクハラばかりしてきた不愉快極まりないクラレンス伯──通称『スケベ伯』の領主館を出てすぐ冒険者ギルドへと向かったのだが、水溜まりを踏んづけた荷馬車に思いきり泥水をぶっかけられたのだ。その時、たまたま近くの貸衣装屋で半額セールの看板を目撃したのも覚えている。ただ、「そこで衣装を借りた」とは一言も言っていないので、あながち嘘は言っていない。ちなみにあの日のメイド服は、エラールを脱出したときに着ていた私物だ。


「なるほど、貸衣装だった、と……」


 カロンは私の表情から微細な動揺を読み取ろうと覗き込んでたが、私の鉄面皮ポーカーフェイスを前に小さく息を吐いてペンを走らせた。だがすぐに次の矢が飛んでくる。


「そう言えば……え、と、ステヴィアさんのメイン武器って、その両方の太ももに括り付けているスティレットですよね? なんだかそれを主兵装にするなんて、それこそ武闘メイドか暗殺者、はたまた特殊部隊の人間が多いような気がするのですが」


「カロンさん」


 私はフッと肩の力を抜き、あえて呆れたような苦笑を漏らしてみせた。


「一階層や二階層ならともかく、迷宮の内というのは天井がそこまで高くないところが殆どですよ。あんな狭い場所で長剣や長槍なんか振り回してたら、それこそ天井や壁に刃が当たってまともに戦えません。 ──というか、カロンさんは冒険者稼業をされる際、どんな武器を使われるんです?」


「私ですか? 私は……刃渡り2シャン(≒約60センチ)ほどの片手剣ですね」


「私のスティレットはせいぜい1シャン5シュク(≒約45センチ)です。入り組んだ迷宮内での実戦を想定するなら、取り回しの良いこの長さ、使い慣れた武器を使うのが普通なのでは?」


「ん、まぁ……確かにそうですね」


 合理的な理詰めの反論にカロンはそれ以上突っ込めず、納得せざるを得ないといった様子で大人しくペンを走らせた。それから彼女は手元のグラスをぐっと傾ける。周りは飲めや歌えやのバカ騒ぎでの取材だ、シラフでの取材は失礼だとでも思ったのだろう、カロンは質問を続けながらもかなりの勢いで酒を煽り続けていた。私はカロンが酒気を帯びているからといって腹を立てる気はない、むしろ好都合だった。へべれけに酩酊した状態のまま取材してくれた方が、後から私の言葉尻を細かく捕らえ、あれやこれやと穿った記事を書かれずに済む。


 ふと視線を酒場の中央を振り向けば、母を取り囲んで取材している他の記者たちも一杯二杯どころか、かなりの勢いで酒杯を空けていた。そして中心にいる肝心の母はといえば──蓄積した疲労と、次々に注がれる酒の勢いも手伝って完全にハイテンションな「上機嫌モード」へと突入していた。


(……母さん、お願いだから余計なこと口走らないでよ……?)


 手桶ジョッキの重たい黒エールを再び煽りながら、私は楽しそうな母の姿に新たな頭痛の予感を覚えるのだった。


「──ところで、バルヴァ様は現在鑑定中の『ヴェロキドラゴン』らしきものを食べたと伺いましたが、その味について、何か具体的に話されていませんでしたか?」


「え、ええ……。確か『ウナギの蒲焼きみたいなもんだ』とか『ウナギだって地方に行けばマムシって呼ぶさね』とか、まぁ、その……、そんなことを宣ってましたね」


 その質問だけは、こんかいの冒険で正直思い出すだけでも辛い。私はウナギですら気持ち悪くて口にできないし、ヘビのようにニョロニョロした生き物、他にもトカゲや虫の類が本当に苦手なのだ。あの時は母も精神的には極限状態だったからこそ美味そうに食ってたのだろうが、かと言って私があれを胃袋に収めたいとは全く思わない。……というか正気でまともな判断ができてる今の母なら、果たして食べられるのだろうか。


「なるほど、ウナギですか。『人魔大戦記』という古い文献にもドラゴンを食した男の記録がありまして、そちらは『上質な鳥肉に似た風味』と書かれて……──ト、ステヴィアさん、大丈夫ですか? お顔が少し青ざめていらっしゃいますけど」


「……っ、すみません。ちょっと想像してしまいまして……。私、昔から爬虫類や虫、それに蛇やウナギみたいなにょろにょろした生き物がどうしても、どうしても苦手なんです……。……あの、キュリクスでは、そういう……その、ウナギとか、普通に食べたりするんですか?」


 胃のあたりを押さえる私を、カロンは探るような、しかしどこか含みのある妙に優しい目で見つめていたが、すぐに「まさか!」と首を振って笑う。


「内陸都市のキュリクスですからウナギなんて滅多に食べませんよ、むしろ高級品で数寄者向けの食材です! ですが似たような川魚なら──たとえばスパイス利かせた『ナマズフライ』なんかはどこの立ち飲み屋ででも鉄板の人気おつまみですよ。特に脂が乗った冬場のナマズ料理は格別で、キュリクスの職人たちの間じゃナマズ食うなら『山猫屋』か『酔虎亭』かで夜な夜な大激論になるぐらいですから!」


(──ナマズ、フライ……スパイス……)


 ウナギのニョロニョロは許容できないが、ナマズのあの愛嬌のある風貌と淡白な白身は大好物だ。しかもカリッと揚げ、スパイスの効いたおつまみなら話は別。想像しただけで口の中にじわりと生唾が湧いてくる。それに何より──『山猫屋』に『酔虎亭』ですと! 無類の猫好きである私にとって、その屋号の響きだけで胸の奥の『猫マーカー』が激しく脈打つのを感じた。


「あの! その『山猫屋』とか『酔虎亭』っていうお店について、もっと詳しく教えていただけますか!?」


「え、ええ……。いいですけど……?」


 あまりにも身を乗り出して尋ねてしまったせいで、カロンが一瞬だけ若干引き気味に固まったが、彼女はすぐに面白そうにキュリクス西区の飲食街勢力図を教えてくれた。


 カロンの話によると、まず老舗の立ち飲み屋で『酔虎亭』という店があり、そこの大将ダンマルクと女将トトメスの息子夫婦が暖簾分けして数年前に開いた店が『山猫屋』なのだとか。この二店舗は街の職人たちだけでなく領主館勤めの文武官や領主兵、はたまた領主ヴァルトア伯ですらも立ち寄る店らしい。そこで出されるナマズフライの味付けは、酔虎亭の初代大将が試行錯誤の末に開発した門外不出の『秘伝スパイス』が使われており、それが『酔虎亭派・山猫屋派』という二大派閥を生んでいるという。ちなみに現在の女将トトメスの実兄が『砂猫庵』という定食屋を、さらに彼女の実弟が『どらねこ』という一品料理屋をやっているのだとか。


(山猫、酔虎、砂猫、どらねこ……っ! なんて素晴らしい街なの……!)


「──ただね、これだけネコ科の名前ばかり屋号に使っているのに、その一族、なぜか全員が『大の犬派』なんですよ。猫は一匹も飼ってないらしいんです」


「……えっ?」


 カロンが付け足した衝撃のオチに私は思わずずっこけそうになった。猫好きの聖地かと思いきやまさかの犬派閥の牙城だったとは。


「──ふふ、でも……キュリクスって、なんだか本当に面白そうな街ですね」


 私は呆れ半分、親しみ半分でジョッキを傾けた。目の前の狡猾そうなブン屋への警戒心はいつの間にか『キュリクスという街への興味』へとすり替わっていき、張り詰めていた心が少しずつ、そして温かいローカル雑学の海に融かされていくのを感じ取っていた。


「あと、キュリクスは霊山テイデの恩恵が温泉として街中に溢れ出ているんですよ」


「へえ、温泉街でもあるんですね!」


「領主であるヴァルトア伯自ら、民衆たちに混じって市民銭湯の湯船に浸かっているくらいですからね。──本当に、飾らない良い街なんですよ、”トレは……”」


「おっと。これはこれは、キュリクス共同通信のカロンさん、それにステヴィアさん」


 ──カロンの口から、聞き馴染みのある三文字が滑り落ちようとした、まさにその刹那。私たちの会話の中にぬっと場違いな影が割り込んできた。声の主は先日ヴィルフェシス領主館を訪れた際、私たちの対応をしてくれたあの若い文官だった。そして彼の斜め後ろにはあの親しみやすい顔した髭面冒険者のボルツが護衛のようにどっしりと控えている。


「あ、文官クロレア主任」


 カロンがすぐに記者の顔に戻り、深々と頭を下げた。領主館で見た時はどこか少し頼りなさげに見えた優男だったが……なるほど、彼はクロレアという名前でしかも『主任』という立派な肩書持ちだったようだ。


「クロレアさん、先日は母ともども領主館でご迷惑をおかけいたしました」


 私が慌てて居住まいを正して頭を下げると、クロレア主任は頼もしげにニコリと微笑み、大きく首を振った。


「いえいえ滅相もない! それよりもステヴィアさん。この度は銀証への昇格、心よりお祝い申し上げます! しかもギルドのほうから『ドラゴン・スレイヤー』の称号も授与されるかもなんて、大層な噂まで伺っていますよ!」


「あはは……。ありがとうございます。ですが、私は大したことは何も……」


「ご謙遜を! もし討伐したのが本当にヴェロキドラゴンだったなら、ベテラン冒険者たちが4、5人のパーティを組んで周到に作戦を立てて討伐に挑むような凶悪な魔物ですよ? きっとステヴィアさんもお母様の陰日なたとなって戦闘を支えられたのでしょう」


 きらきらとした純粋な尊敬の眼差しでそう畳み掛けられ、私は引きつった苦笑いを浮かべるしかなかった。『陰日なたとなって支えた』と言われれば聞こえは良いが、実際のところあの討伐劇は『ヴェロキドラゴンが極限まで鈍臭かっただけ』だったのか、『たまたま運が良すぎる偶然の産物』だったのか、あるいは『私の知らない母の圧倒的な戦闘力』だったのか──目の前にいた私ですら、未だこれといった明確な答えにたどり着いていない。というか木扉越しであの大トカゲと目が合ってから、私はずっと目を閉じていたのだから。


(……それにしても、今さっき、カロンさんは何を言いかけた……?)


 クロレア主任の賑やかな祝福の声に包まれながら、私は先ほどカロンの唇から漏れかけた聞き馴染みある言葉をなんだっけと心の片隅で反芻し続けていた。


「さてさて、今日の主役の一人がこんなところで『壁の花』をやっているなんて勿体ない! さあステヴィアさん、どうぞ酔っ払いの荒くれ者中に入っていってくださいな!」


 クロレア主任が快活にそう言って私の手を引こうとしたまさにその瞬間──。それまで人当たりの良さそうな笑みを浮かべていたカロンが、あからさまにムッとした表情で行く手を阻むように間に入ってきた。


「お待ちください、クロレア主任。今、私が彼女の取材中なのですが?」


「ええ知っています。ですが酒宴の主役である姫君を、あなた方ブン屋が隅っこで独り占めにするのはおかしいでしょう?」


「何ですって? 我々メディアが持つ『報道の自由』を領主館の権力で制限するおつもりですか!」


 カロンはなおも激しく抵抗してクロレア主任に噛みつくが、当のクロレア主任は構わずに私の手を引いた。剣呑な空気が流れるが、その間へ髭面冒険者のボルツがいつも通りの飄々とした顔で割り込んできた。


「まあ待てや、カロンの嬢ちゃん」


 ボルツの大きな身体が壁となってカロンの前に立ちはだかった。その隙に、私はクロレア主任に連れ出される形で大盛り上がりしている母の輪へと歩き出すことになる。背後ではそれでも食い下がろうとするカロンに向けてボルツの静かな声が響いていた。


「報道の自由とやらを謳歌するのはおめえサンの勝手だがよ。カロン嬢、おめえも冒険者登録してる身なら『冒険者のマエ』を根掘り葉掘りあれこれ漁るってェのは、……冒険者のルールに反するんじゃねえの?」


 先ほどシュラウドだけでなく他の冒険者たちをも震え上がらせたドスの利いた声ではなかった。いつも通りの陽気で気さくで酒好きな、どこにでもいるベテランオヤジの声だった。──だが、ちらりと見えたカロンを見下ろす彼の『目つき』だけは、シュラウドを見つめていた『冷徹な捕食者』のそれと何ら変わってはいなかった。ボルツが放った一瞬の、本物の戦士の形相に百戦錬磨の元軍人であるはずのカロンが「ひぇっ……!」と小さく悲鳴を漏らしたのだった。……横目でそれを見た私ですら、思わず身体が縮こまるほどの恐怖を覚えるほどでもあった。


「──ステヴィアさん」


 ボルツのあまりの視線に恐れ戦き、喧騒の中を歩いている時にクロレア主任が小声でふいに私を呼んだ。私が怪訝に彼の方へと顔を向けると、その彼は周囲の記者たちや冒険者に声が漏れないよう、私の耳元にそっと顔を近づけてきた。あまりの至近距離に私の胸の奥でドクンと派手な音が跳ね上がり、顔が上気するのが判る。しかしクロレア主任はそんな私の動揺なんかお構いなしに、真剣な声音で囁いた。


「……酒宴の席でブン屋と一対一の取材なんか絶対に受けないでください。あぁやって自分から酒を飲んで油断させておいて、取材先が一番安心してるタイミングで爆弾発言を引き出す質問をぶん投げてくるんですよ、あぁいう手合いってのは」


「え……?」


「気付きませんでしたか? ──あの記者、さっきから何度も、あなたを『トレハさん』と呼びかけようとタイミングを図ってたんですよ」


(──っ!?)


 まるで木剣で殴られたかのような衝撃が走る。完全に油断していた。カロンが何度か口にしかけたあの「ト……」という音の正体が私の本名だったなんて。しかもクロレア主任が呼びかけなかったら、カロンはごく自然と『トレハさん』と呼んでいたのだ。彼女の意図に気づかずその場で返事をしてしまっていたら、あるいは途中で激しく動揺した素振りを見せてしまっていたら。──取り返しがつかない致命傷を負っていただろう。


「す……すみません……っ」


 冷や汗が背中から吹き出すのを感じながら、私は消え入るような声で謝罪した。エリート宮廷メイドを自負していた自分が地方のスポーツ新聞記者相手にここまであっさりと不覚を取るなんて。


「気にしないでください。気づけなかったのは、迷宮帰りの疲れのせいですよ」


 クロレア主任は私を安心させるように優しく微笑むと、私の背をそっと押して母のいる賑やかな中心へと送り出してくれた。領主館の中で見た時は胃を痛めてばかりの頼りない文官に思えたクロレア主任。けれどカロンの巧妙な罠を完璧に見抜き、私たち母娘を最悪の破滅から救い出してくれた今の彼の横顔は──驚くほどに大きく、そして随分と頼もしく見えたのだった。


「どうも、冒険者の皆さま! 壁の花となって引きこもっていたステヴィア姫を、無事にお連れしましたよ!」


 私たちが酒場の中心──お祭り騒ぎのど真ん中へと足を踏み入れると、クロレア主任が両手を広げてそう声を張り上げた。その瞬間、すでに出来上がっている泥酔一歩手前の冒険者たちから割れんばかりの地鳴りのような歓声が沸き起こった。中には口に指を突っ込んで、うるさく指笛を吹き鳴らす者までいる始末だ。


「よッ! 姫を連れ出してきた白馬の王子様!」

「おめでたい席なんだ、文官! お前もそこで一肌脱げやぁ!」

「インテリ主任! ついでに俺らの税金もっと安くしろ!」

「おいクロレア、はよ結婚しろや!!」


「これでも、この酒場の酒税はギリギリまで下げたんですよ。それにギルドでの買取価格だって私の権限で出来る限り上乗せしたじゃないですか」


 お祝いなのか何なのか分からないヤジや暴言が飛び交うが、クロレア主任は少しも怯まず、ニコニコと穏やかな笑みを浮かべたままやり返している。どうやら彼は、このヴィルフェシスでの冒険者向けの諸政策や流通経済を実質的に取り仕切っている超・有能な主任文官のようである。


「──あと、結婚に関しては、まぁ、その……。すべては精霊の御加護次第、ということで」


「へぇ……。そうなんだぁ?」


 顔を真っ赤にして吐き出すクロレア主任は、ふと私を見た。木製ジョッキを傾けていた母が実におもしろそうな『極上の獲物』でも見つけたかのようなニヤけ顔で食いついた。その瞬間、私の心臓はさらに激しく早鐘を打ち始める。自分でも分かる。今、私の顔は髪の毛の色すら染め上げんばかりに真っ赤になっているはずだ。


 だって、あんな至近距離の耳元で優しく囁き、私や母の致命的な危機を救ってくれた人だ。しかも私が指名手配されていることすら、彼はちっとも気にせず守ってくれた。もし──もしも、本当に『精霊の御加護』というものが私に降り注いでるだとしたら。私は、この目の前にいる優しくて頼もしい人と、いつか結婚するのだろうか……? そんな、普段なら絶対に考え倦ねることはしない、甘酸っぱく恥ずかしい妄想を頭の中でぐるぐる巡らせながら、私はクロレア主任の横顔を熱っぽい視線でじっと見つめていた。


「……で、この文官の坊やにフィアンセはおるんさね?」


 母の、あまりにも容赦のない直球の問いかけに、すかさず司会役のマッカリが手にした酒瓶をマイクのように口元へと向けて叫ぶ。


「ハハッ! バルヴァさん、よくぞ聞いてくれました! このインテリ坊やのフィアンセならバルヴァさんたちもお気に入りの、あのギルドの受付嬢マリエルさんでさぁ! ……ほらほらマリエルさん、そんなカウンターの隅っこで縮こまって呑んでないでこっち来て来て!!」


(──……は?)


 私はもう、この場から煙となって消え去りたいか、あるいは猛ダッシュで酒場から走り去りたい、もしくは妄想を爆発させてたちょっと前の自分にドロップキックしたいぐらい、激しく後悔した。マリエルさんと言えば、いつもクールな隻腕の優秀な受付嬢のことだ。視線を向こうに見やれば、本日の激務が終わったのか、制服のネクタイを少し緩めたマリエルさんがカウンターの端席で静かに火酒を傾けていた。失効しているとはいえ彼女も元【銀証】の認識票持ちだ。だからこのタダ酒の宴には堂々とありつけるわけだが、よりによってこのタイミングでマッカリが指名するとは。


 マッカリに強制的に呼びつけられ、マリエルさんは顔をみるみる真っ赤にしながら、ツカツカと鋭いヒール音を響かせて酒場の中央へとやってきた。


「ほれクロレア! 精霊の御加護とか寝ぼけたこと言ってねぇで、男らしくとっととプロポーズしちまえ!」

「ボンクラ文官! ちったぁ男の意気地を見せやがれ!」

「プロポーズ! プロポーズ!」

「「プロポーズ!! プロポーズ!!」」


 酔っ払いたちが、ここぞとばかりに床を踏み鳴らし、机を叩いて大合唱。煽られたクロレア主任の顔はどんどん赤くなるし、呼び出されたマリエルさんに至っては、耳の先から首筋まで、完全に熟しきった赤茄子のように真っ赤に染まりきっていた。


「いや、いやいや皆さん! 今日この場はあくまでバルヴァ母娘の銀証昇格記念パーティであって、僕たちのことは……」


「うるせぇインテリ! 言い訳捏ねてる暇があるなら、とっとと嫁にしちまえ!」

「これ以上女に恥をかかせるんじゃないわよ!」

「それが終わったらもっと税金下げろや!」


「えと、あ……。まぁ、その……」


 クロレア主任を弁護する人などここには居ない。四面楚歌となったクロレア主任の顔がこれ以上ないほど真っ赤に染まる。──そして、彼はついに意を決したようにドサリと片膝を床に突いたのだ。


 瞬間、男性冒険者たちから「オオォ!」と野太い地鳴りが上がり、女性冒険者や酒場の給仕メイドたちからは「キャアアア!」と割れんばかりの黄色い悲鳴が響き渡る。


 私はといえば、恥ずかしさと気まずさで、本当にその場に穴を掘って逃げ出したくなっていた。


 クロレア主任は衣服のポケットにガサゴソと手を突っ込むと、小さな、そして上品な輝きを放つベルベットの小箱を取り出し、そっとそれを両手で開いた。


「マリエルさん。……精霊のお導きを信じて、僕についてきてください。頼りない男かも、しれないけれど……!」


「──あの、私、こんな腕だから……。家事とか、人並みに上手く出来る自信ないけれど……本当に、私でいいの?」


 マリエルさんが切なげな表情を浮かべながら左手の義手を右手でぽんぽんと叩いてみせる。けれどクロレア主任は少しも躊躇うことなく、力強く頷いて、真っ直ぐに彼女の目を見据えて応えた。


「お互いに、足りないところを支え合おう!」


「──……はい、不束者ですが末永く精霊の御加護がありますように!」


 マリエルの言葉を聞き終える間もなくクロレア主任が勢いよく立ち上がると、二人は溢れんばかりの拍手の中で、力強く抱きしめ合った。狂喜乱舞した冒険者たちが「婚約じゃあああ!」「めでてぇ! 乾杯じゃあああ!!」と大絶叫し、あちこちで木製ジョッキやグラスが火花を散らすように激しくぶつかり合う。


 ……で。私は一体、何を見せられているの??


 いや、お二人とも本当に幸せそうだし、心からおめでたいとは思うけれど。──私のこの胸を焦がした、切なくも美しいはずの淡い恋心、ものの数十秒で見事に木っ端微塵に吹き飛びましたとさ!


 こうして、栄えある私たちの【銀証昇格パーティ】は、いつの間にか【文官クロレアと受付嬢マリエルの公開婚約記念パーティ】へと完全に乗っ取られたのだった。


 まあ、こういう目立つお祭り騒ぎの主役にされるのが心底苦手な私にとっては、都合が良いといえば最高に都合が良かったのだけれど……。


 ──でもやっぱり、私たちは一体、何を見せられているの??(2回目)

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