297話 武辺者の地から少し離れたヴィルフェシスでの話・6 =幕間=
* トレハ視線 *
絶壁に近いあの岩壁をようやく登り終え、懐かしい地下二階層へと戻ってきた私と母は、そのまま迷宮内にある『宿屋』へと直行した。このヴィルフェシスの迷宮の一、二階層にはいくつかこうした宿泊施設が存在する。物価は地上の市場より少々割高に設定されているけれど、命と安全を買えると思えば安いものだ。意外とケチな母は奮発するやツインの個室を確保した。冒険者たちに混じって雑魚寝するのが危険だという心配よりも、誰のいびきにも邪魔されず私を休ませたいという母なりの親心だと思う。私たちは部屋に入るなりリュックを降ろして旅装束を脱ぎ散らし、受付で貰ったタオルで顔や身体を拭くや、寝間着に着替えてベッドに倒れ込む。……そして泥のように眠った。
……どれくらいの時間が経ったのだろう。
私がふと目を覚ました時、隣のベッドでは母が地響きのような高いびきだった。きっと相当に疲れてたのだろう、仮に母のベッドを蹴飛ばしても起きるとは思えないぐらいに熟睡していた。……まぁ、そんなことしたなら間違いなく私が蹴っ飛ばされるだろう。
振り返れば母は今回の迷宮探索では八面六臂の大活躍だった。多少の魔物なら徒手空拳で文字通りすり潰せるほどの規格外な身体能力のくせに、剣術の腕前は王国内でも指折りだった。かつては王宮内ですら『長剣のラダミヤ』と畏怖交じりの二つ名で呼ばれていた母だが、実はナイフ術やスティレット術といった短剣の扱いにも優れていた。私のナイフ術もすべて母仕込みだ。そんな当代一流の武官であった母が、いまでは滅多に抜くことのない愛用の長剣を愛おしそうに抱きかかえながら無防備に寝息を立てている。
毛布を蹴っ飛ばしていた母に毛布を掛けてやると、唸り声をあげるや直ぐに蹴っ飛ばしていた。ひょっとしたら夢の中ででも魔物たちと戦っているのだろうか。とはいえ風邪をひかれても困るからお腹あたりに毛布を掛けてあげた。
私が目を覚ましたのは、よく寝たというより空腹で胃袋が悲鳴をあげたからだった。横で高いびきの母を起こすまいとリュックの中から携行食の干し肉と乾パンを引っ張り出す。そして枕元には、チェックインの際、受付で買っておいた酒精の弱いブドウ酒が置いてある。私は干し肉を千切って口に放り込み、ゴクリとそれを流し込んだ。不思議なもので、ただの安酒のはずなのに死線を超えて戻ってきた身体にはまるで極上の『娑婆の味』のように感じられたのだった。奥宮に居た頃、ひと瓶でエラール大金貨1枚といった高額なワインを飲んだことがあったけど、それよりも美味しく感じられた。次は乾パンをゆっくりと噛み締め、もう一口ブドウ酒を流し込む。こんな簡素な食事だがじんわりと胃の腑が温まり、緊張でひりついていた精神が元の平穏を取り戻していくような感覚がやってくる。すると酒を飲んだ心地よさから強烈な睡魔が襲いかかってきた。私は残っていた干し肉と乾パンを口に放り込み、ブドウ酒で流し込んで再びベッドに横になった。そして再び深い微睡みへと沈んでいったのだった。
*
「──トレハ、そろそろ起きな」
母からの呼び掛けで意識はすぐに明瞭となったが、見慣れぬ土壁と天井で違和感を覚えてしまう。ふかふかの寝具に包まれて寝すぎてしまった身体に喝を入れるべく、私は大きく伸びをした。驚いたことに母は既にすべての旅支度を終え、慣れた手つきでブーツの紐を固く縛り上げているところだった。それを見た私は慌ててベッドから飛び起き、寝間着をひったくるように脱ぎ捨てて旅装束へと着替え始めた。
「母さん、もう出発するんです?」
「あぁ。ギルドを出る時、あの受付嬢に『五階層への日帰りだ』って言って迷宮に入ったからねぇ。あんまり遅くなると、要らん心配をかけるさよ」
母はこういうところが妙にマメな人だった。周囲へ常に細やかな気遣いをする母は「他人に余計な心配をされること」を極端に嫌がる気性の持ち主だったのだ。私たち子どもらに対しても、幼い頃から『一度言ったことは絶対にやり遂げなさい』と厳しく躾ける一方で、『人から心配されるような無様な真似だけはするんじゃないよ』と、常に相手の立場を慮ることを説いていた。
「母さん、あの受付嬢だって、他の冒険者の対応や日々の業務で頭がいっぱいでしょう。私たちのことなんて、今頃これっぽっちも心配してませんよ」
「だろうね。……だけどさ、自分が一度口にしたことを、後になって『できませんでした』なんて言い訳するのは、あたしのプライドが許さないんさよ」
全く、母のこの不器用なまでの生真面目さは病的だ。だけどそんな母の背中をずっと追いかけて見てきた私だからこそ、その言葉の裏にある矜持が痛いほど分かってしまう。そのせいか、私の準備するの手も自然と早くなる。寝間着をリュックの奥に放り込み、靴下を引っぱり上げてブーツに足を通す。シース付きのレッグホルスターへ愛用のスティレットを確実に収めると、ずっしりとしたリュックを勢いよく背負った。
私たちはどれだけの時間眠りこけていたのかは判らない。けれど立ち上がった私の身体は、まるで羽が生えたかのように軽かった。私たちは宿屋の扉を押し開け、そのまま二階層の回廊を風のように駆け抜け、眩い光の待つ地上へと一気に駆け上がっていったのだった。
*
ヴィルフェシスの迷宮出入口は冒険者ギルド受付のちょうど真ん前にある。隻腕の受付嬢は私と母の姿を見るやいなや、顔をパッと輝かせて大きく手招きしてくれた。
「あッ、バルヴァさん! みんな心配してたんですよ! 無事に帰ってきたんですね!」
元冒険者の彼女が立つカウンターの前には何人もの冒険者が立ち並び、情報収集ついでにいつものように雑談に興じていたのだろう。そんな冒険者たちも私たちの姿を認めるや、誰もが安堵したような笑みを浮かべ、口々に「お前ら大丈夫だったか?」「お疲れさん!」などと声を掛けてくれた。特に日頃から母とよく酒を酌み交わす馴染みの冒険者たちとは、拳を突き出す『フィスト・バンプ』で互いの無事と労をねぎらい合っている。
「やはり日帰りは無理だったさね……。でも一泊二日で戻って来れたんだから、そこまで心配する必要はないさよ」
母は肩をすくめてそう言うと、受付嬢は少し驚いた表情を浮かべるや否や、怪訝そうに眉をひそめた。
「……あ、バルヴァさん。やっぱ軽い『迷宮ボケ』を起こしてるんですね」
「ん? 何の事さね」
受付嬢は何も言わず、ギルドの大窓を指差した。視線を向けるとそこには茜色に染まった空があり、燃えるような陽日がゆっくりと地平線をかすめ、沈もうとしているところだった。
私も母も、地上へ這い出てきた瞬間、それをてっきり「昇る朝日」だと思い込んでいたのだ。しかし、実際にはそれは「沈む夕日」だった。そして受付カウンターに置かれた木製カレンダーも、私たちが想定してた日付より二日も進んでいた。何かの冗談かと思ったが、受付嬢や周囲の話を聞くとどうやら私たちは迷宮の中に丸三日間も籠もりきりだったのだ。
あの宿屋でたっぷりと眠り、チェックアウトした時はてっきり夜明け前くらいだと思っていたのに地上では暦が二日も進んでおり、しかもこれから夜を迎えようとしている。しかも今から夜だというのに身体も頭も妙に冴え渡っている感覚。想定していた時間と目の前の現実との強烈な齟齬のせいで、私の脳内は軽い混乱を来していた。
「迷宮冒険者の『あるある』だ。ちょいと欲張って奥深くに探索し、戻ってきたら『迷宮ボケ』で混乱しちまう」
母の飲み仲間である髭面のベテラン冒険者が顎髭をさすりながら言った。確かに冒険者の手引書にも『迷宮ボケ』の記述はあった。薄暗い迷宮内では太陽を拝むことなど叶わないし、正確な時計を持ち歩いている者もいない。人間の時間感覚は完全に体内時計に依存してしまうため、長く篭もるほどに現実の時間と知覚した時間との間に大きなズレが生じてしまう。これが『迷宮ボケ』と呼ばれる現象だ。重症化すると昼間なのに強烈な眠気に襲われたり、逆に夜眠れなくなって酒量が増えたりする。そのため、ヴィルフェシスでは昼間からグーグー寝てる冒険者や酔っぱらってる冒険者が居たりするのだ。その結果、心身のバランスを崩してうつ病を発症する冒険者さえいるという。
「朝日をたっぷり浴びて体内時計をリセットするのが一番の特効薬だって古くから言われてます。ですからバルヴァさんたちも、ここらで一週間ほど休暇を取られた方が良いかと思いますよ?」
「じゃ、そうさせてもらうさね……。とりま、今回の換金を頼めるかい?」
母はそう言って自分と私のリュックから今回の収穫物を次々とテーブルに並べ始めた。丁寧に縛って束にしたフーロ草にオーセキ草、シャカン草の束。ガラス瓶に詰めたロエの樹液。さらには討伐の証拠として切り取ったゴブリンやモーグァイの耳の山が積み上がる。カウンターの上に溢れんばかりに積まれた素材を見て、周囲の冒険者たちが一斉に色めき立った。
「おいおいおい! シャカン草が5束にロエの樹液が3瓶、それにモーグァイが24体だと!? ざっと計算しても、エラール小金貨3枚は下らねぇ稼ぎじゃねぇか!」
頓狂な声を上げたのは、母とよくチンチロリンをやってはオケラになっている小柄な冒険者だった。彼は冒険者歴こそ長いが、三階層あたりまでを主戦場にして堅実に日銭を稼ぐタイプの男だ。稼いだ金は右から左へ博打と酒に消えていく典型的な破滅型冒険者ではあるものの、迷宮内のどこに何が生えていて、どこが危険なのかという知識だけは誰よりも熟知しており、計算もすこぶる早い。酒を一杯奢ってやれば効率の良い稼ぎ方を懇切丁寧に教えてくれる、根はいい男だ。その彼が母の指先を見てさらに目を剥いた。
「バルヴァさんや、その指、どうしたんだ? なんだか、指先が黄色く光ってンぞ?」
「あぁ、そうそう。これさね……。ちょっと見ておくれ、ひょっとしてこれが『クラガリ茸』ってやつかね?」
母がウェストポーチから黒くしなびたキノコを三本取り出した。それを見て私も自分のポーチの奥から少し形が崩れて黒ずんでいるキノコを三本引っ張り出して母が差し出したキノコの横に並べた。受付嬢の目の色が変わる。彼女は驚きを隠しきれない表情のまま手元にあった大きな天眼鏡を引き寄せると、机の上のキノコに顔を近づけた。軸の太さや傘の裏の形状、角度を何度も変えて凝視し、脇に置かれた分厚い図鑑のページをめくってはピンセットで慎重に摘み、何度も、何度も確認を繰り返す。
「……え、バルヴァさん、あなたら──まさか七階層まで行ったんか!?」
髭面冒険者の驚愕の問いに、母は平然と答えた。
「あぁ、五階層でモーグァイに追いかけ回されてねぇ、うっかり罠を踏んじまったんさよ」
博識な小柄の冒険者が「あぁ、あそこには落とし穴の罠があるって噂は本当だったか……」と低く漏らし、三階層より下に降りたことのない髭面冒険者は身を乗り出して興味深そうに相槌を打ちながら母の話に聞き入っている。受付嬢の周りにいた冒険者たちの中で、四階層より深くへ足を踏み入れたことのある者など一人もいない。そもそも冒険者として五体満足で長く生きたいのなら、二階層あたりで堅実に稼ぐのが鉄則だ。
私は母の背後に静かに立ち、そのやり取りを見守っていた。だけど私たちの話を聞きつけてかギルドのあちこちから続々と冒険者たちが集まり始め、受付の周りはすっかり人だかりになっていた。やがて天眼鏡を覗き続けていた受付嬢が深く息を吐き出して顔を上げた。
「……間違いありません。これ、すべて本物の『クラガリ茸』です!」
「うおぉぉぉーーーっ!?」
「マジかよ、本当に銀証昇格じゃねえか!!」
「おい、今夜は宴会だッ! 祭りだぞ!」
「腹いっぱい飲むぞぉ!」
受付嬢の宣言が響いた瞬間、ギルド内は蜂の巣を突いたようなお祭り騒ぎとなった。何しろこの街で新たな「銀証冒険者」が誕生する歴史的な瞬間に立ち会えたのだ。しかもこのクラガリ茸は猛毒だが、高位の錬金術師たちや創薬師たちが作り上げる希少な薬剤の原料となるため、たった一個持ち帰るだけでエラール小金貨一枚という破格の値段で換金される。しかも小金貨一枚もあれば、街中の冒険者をかき集めて酒場を一晩借り切って大騒ぎしたとしてもお釣りがくるぐらいの大金だ。
銀証昇格の条件が七階層へ下りてクラガリ茸の獲得、しかも持ち替えれば強烈な換金率。そのため「銀証に昇格した者は、その場にいる冒険者全員に酒を振る舞う」という、いわばゴルフのホールインワン賞のような暗黙の了解が存在している。しかも今回はクラガリ茸が計六個。転がり込んでくるあまりの大金のおこぼれに預かろうとハイエナのような冒険者たちが満面の笑みで押し寄せてくるのも当然の成り行きだった。
男たちの地響きのような歓声と拍手がギルドを揺るがす。――その歓声を切り裂くように忌々しい絶叫が響き渡ったのはまさにその時だった。
「違うッ!! それは元々、俺のものだ!!」
迷宮の奥から顔と頭にボロ布のような包帯を巻き付けた男が、狂ったように叫びながら怒鳴り込んできた。祝福の声を上げていた冒険者たちが、一斉にその異様な闖入者へと視線を向ける。男は充血した目をらんらんと輝かせ、私たちを指差してさらに喚き散らす。
「俺が命がけで見つけたクラガリ茸を、この泥棒女二人が掠め取ったんだ!!」
私はそのボロボロの男の姿を見てすぐに思い出した。人から食事を集ろうとし、断ったら暴言を吐いてきた四階層のあの男だったのだ。
「……え、誰あいつ?」
「さあな、見たことねえ顔だ……」
「成功者を妬む俗物? 見苦しいわ」
しかし押し寄せた地元の冒険者たちの反応は冷ややかそのものだった。中には空気を読まないのか、あるいは格好の娯楽の糧にしようとしてか「おいおい! 面白そうだから決闘で決着をつけろ!」と下卑た声で囃し立てる奴まで現れる。
私はこういう時、力ずくで黙らせればいいのか、それとも理路整然と真実を訴えればいいのか判らず、ただ不快感を持って眉をひそめていた。そして横目で母を見やると、相変わらず『ヘドが出るな』と言わんばかりの憮然とした顔で男を睨み据えていた。男は口汚い暴言を吐きながら、ふらふらとした足取りで母に近づこうとした。──その時だった。
母の飲み仲間であるあの髭面冒険者が何食わぬ顔でスッと無造作に太い足を出したのだ。そのせいで派手に躓いた男は前のめりに泳ぐように身体が傾き、床へと盛大にひっくり返った。男が痛みや恥ずかしさにわなわなと震えながらギロリと周囲を睨みつける。だが足を掛けた、当の髭面冒険者は謝るどころか男の胸ぐらを容赦なく掴み上げ、腕力だけで無理やり引きずり起こした。
「おめぇさぁ……。バルヴァさんたちと同じタイミングで冒険者登録したパーティ『鷲之目団』のリーダー、シュラウドだろ?」
髭面冒険者の口から放たれた声は、ギルド一帯が底冷えするかような凄みを帯びていた。喉の奥を重く響かせる、太く低い声。いつもの陽気で気さくで酒好きなオヤジの気配は完全に消え失せ、圧倒的な腕っぷしと実力を背景にした「本物の戦士」の威圧感がそこにあった。
「大体さぁ、お前らぺーぺーの集まりなんかに第七階層どころか、……第四階層まで潜れる実力がハナからあったってのかよ。──あぁ?」
髭面冒険者は目を大きく見開き、シュラウドの瞳の奥をじっと覗き込んだ。シュラウドは蛇に睨まれた蛙のように硬直している。すると髭面の頬が、怒りでわずかに引きつる。
「──で、その『鷲之目団』の他のメンバー、一体どこ行った?」
その問いかけにシュラウドはふと気まずそうに目を逸らした。しかし髭面冒険者は逃がさない。胸ぐらを掴み直してシュラウドの顔を固定するように至近距離で見つめながら、ドスの効いた声で一文字ずつ絞り出すように告げた。
「……お前、仲間を見捨てて、自分だけ逃げたろ?」
あからさまに恐怖色に染まった表情のシュラウドは言い返す言葉もなく、力なく肩を落とした。髭面冒険者が胸ぐらを掴んでいた手を冷たく離すと男はそのまま力なく床に突っ伏す。この様子からみて、シュラウドは仲間のピンチに手を貸すことなく一人で逃げ出したと思われてもおかしくはない。
「受付嬢。すまんがスタッフを呼んでコイツを救護所へ連れてってくれ。……ついで、コイツの指先から『クラガリ茸の胞子』が検出されなかったら──ギルド長に虚偽報告行為と偽計業務妨害行為、それと『鷲之目団』が壊滅した経緯についての徹底的な取り調べを頼んでくれ」
「は、はいっ!」
隻腕の受付嬢はすぐに手元の呼び鈴を激しく鳴らした。すると奥から屈強なギルドスタッフがやってくるとシュラウドを奥の救護所へと連行していった。彼には傷の治療を経てから容赦のない尋問が待っているはずだ。生のクラガリ茸に触れると指先が一週間程度黄色く燐光を発し続けるのは前に説明した通りだが、収穫したあとにどれだけ触れても指先が黄色く光る事はない。というのもクラガリ茸は収穫してすぐぐらいに黒く変色し、胞子を落とさなくなるからだという。そして私の指も特殊な洗浄剤で洗わない限りは指先が黄色く光り続けるという。つまり彼の指先やバッグなどの所持品から燐光を発する胞子が検出されなかったら虚偽と認められるだろう。さらに彼へ「採取場所」となった七階層の内部構造を聞き取り調査も行われ、もし虚偽が認められれば待っているのは冒険者資格の永久剥奪だ。
なお迷宮内でのアイテム収奪行為は珍しくなく、一階層や二階層のありふれた素材であれば収奪者に対して聞き取り調査をしても受付嬢たちが見抜く事は難しい。だが階層が深くなればなるほど、換金率の問題や冒険者の信用問題からか不正行為に対してのチェックは厳しくなる。現に母がクラガリ茸を提出した際も、受付嬢は『どこで採ったか、指先やバッグに燐光が見られるか、七階層の特徴に誤りはないか』を確認していた。仮にシュラウドの主張がまかり通ったとしても、受付嬢のチェックで疑義が呈されるだろう。……まぁ、あの男が実は本当に七階層まで行っていないという証拠は、私にも断定はできないのだが。
何より救護所へ連れていかれた彼を待つのは「パーティ瓦解時のリーダーとしての監督責任」の追及だ。実力が明らかに不足しているのを理解しながら下層へと突入し、仲間を死なせて自分だけが生還した場合、ギルドからは過失致死罪に等しい厳しい罰則が下される。しかもシュラウドはリーダーだからその責が免れる事は考えづらい。
シュラウドが屈強な男たちに連れてかれ、ドアが閉まるとギルド内の空気は一転して受付嬢の「公式宣言」を今か今かと待ち構える熱気に包まれた。隻腕の受付嬢は小さく一つ咳払いをすると、羊皮紙の書類を高らかに掲げた。
「──これより、バルヴァ、ステヴィアの両名に銀証を授与します!」
「うおおおぉぉぉーーーっ!!」
「酒だ! 今日は朝まで酒だぞ!」
「おーい、仲間を全員呼んで来い! 盛大に飲むぞ!」
地鳴りのような大歓声と共に冒険者たちが一斉に私と母を取り囲んだ。そして誰彼となくその場の爆発的な盛り上がりのまま私たちは宙へと高く放り投げられた。──胴上げだ。何度も何度も中空へと舞い上がる身体。その最中、どさくさに紛れて何人かの不届き者が私の胸や尻を触ってきたような気がしたが……まぁ、今日という記念すべき日に免じて今回だけは許してやることにした。
私たちが何度目かの胴上げで宙を舞っている間に、別の受付嬢が素早く新しい認識票を用意してくれていた。ようやく地面に降ろされた時、いつもの受付嬢が満面の笑みで輝かしい銀のプレートを差し出してきた。
「バルヴァさんにステヴィアさん、これが新しい銀証です。古い銅証と交換いただけますか?」
「あぁ、ありがたいさね。……あぁ、そうだ。思い出したさよ。七階層でちょっと変な蛇を討伐したんだが、これって何か鑑定してもらえるかね?」
母はふと思い出したように言うと、ずっしりとしたリュックの底からあの「母が美味そうに食べていた大トカゲの尻尾」を無造作に引っ張り出した。その瞬間、周囲で笑っていた数人のベテラン冒険者の顔が引きつり、受付嬢の顔がみるみるうちに真っ青に染まっていく。
「──っ、バルヴァさん、これ、どうしたんですか……!?」
「いやさぁ、クラガリ茸を採ったあと七階層の回廊で見かけたんで、首を叩き斬って食ったんさよ。で、蛇やトカゲの爬虫類系魔物の討伐証明って、確か尻尾だったはずだと思って、一応切り取ってきたんさよ」
母はこともなげに言い放ち、その巨大な質量を受付カウンターにドン、と置いた。切り口から体液が漏れ出さないよう岩塩と消石灰をたっぷりと擦り込んで処置したが切断面はどす黒く変色し、すでにわずかな腐敗臭すら漂いつつある。周囲の冒険者たちはその強烈な見た目と匂いに「うへえ……」と不快そうな顔を浮かべていた。だが髭面冒険者と受付嬢の二人だけは、表情を完全に凍らせたまま、ピンセットと天眼鏡でその鱗や骨、肉の組成を調べ始めていた。「このダガーでスパッと首を斬り落としてさぁ」と身振り手振りで説明する母の後ろで、冒険者たちがやいのやいのと囃し立てる。
「おいおい、これって蛇? トカゲ? どっちなんだよ!」
「手足が4本生えてた、やたら太い大蛇さね」
「それじゃあただのトカゲじゃねえか! がははは!」
冒険者たちは私にも「お前はどうやって戦ったんだ?」と討伐の様子を訊ねてきたが、私が「私は爬虫類や虫系の生き物が大の苦手なので、後ろで見ていただけです」と正直に話すと、「そんなんでよくもまぁ、冒険者なんかになろうと思ったな!」と大笑いされてしまった。それを言われたらぐうの音も出ない。だけど私だって好き好んでこんな危険な場所にいるわけではない。どうしても関所を越えるための『銀証』が欲しかったんだから仕方が無い。
母と私が銀証冒険者になりたかった最大の理由は、街や国を跨いで移動する際、銀証以上の認識票を提示すればあらゆる手続きが大幅に簡略化されるという特権に尽きる。私と母の身の上には指名手配が掛かっており、街の入場審査のたびに手間取って最悪の形で逮捕されるリスクを極限まで減らすためには何が何でもこの通行手形を手に入れておきたかったのだ。
「バルヴァさん、この大トカゲの尻尾……すぐにギルドの鑑定所に回したいと思います」
受付嬢のただならぬ宣言に周囲の冒険者たちは「なんだなんだ?」と再び口々にざわめき始めた。
「おいおい受付嬢、これ、ただのちょっとデカいトカゲじゃねえのか?」
誰かがそう疑問を呈した時、天眼鏡から目を離した髭面冒険者が低く咳払いをして静かに言い放った。
「……バルヴァさんが持ち込んだこの肉塊、トカゲの尻尾にしちゃあ『脱離節』がねぇんだよ」
「「脱離節?」」
何人もの冒険者の声が完全に重なってオウム返しに響いた。あまりにも綺麗にハモったせいで緊張感の漂う中で何人かが堪えきれずに大笑いしている。
「トカゲという生き物はピンチになると尻尾を自ら切り離します。二階層にいる『ラピッドトカゲ』が分かりやすい例ですね。あれは攻撃されるとその尻尾を切り捨てて身軽になって逃げ出しますが、あれは彼らの尾椎に『脱離節』という、簡単に自切できる関節構造があるからなんです。──ですがこの提出物の骨には蛇同様にその構造が無いんです」
受付嬢の説明に誰かが「じゃあ、やっぱり手足がついた長い蛇なんじゃねぇか?」と呟く。すると別の誰かが「馬鹿言え、蛇に手足なんか生えるわけねぇべ!」と反論する。私にとってはそんな学術的な議論などどうでもよかった。この気味の悪い部位をとっとと処分してくれるか換金して欲しいとだけ願っていたのだ。母が証明部位として切り取った時、切り離されたはずの尻尾がしばらくの間、煉瓦の床をビタンビタンと激しくのたうち回っていた光景を思い出してしまい、今も胃の奥がじんわりと不快感で熱くなっていたのだ。
「ねぇ、受付嬢サン……。アンタ、ひょっとしてこの尻尾の正体に、もう見当がついてるんじゃねぇの?」
人だかりの遠巻きから、一際大きな体躯をした大柄な冒険者が声をあげた。見かけはスキンヘッドに立派な髭を蓄えた完全な強面なのだが、口を開くとびっくりするほど甲高く、鈴の鳴るような可愛らしい声を出す男だ。そのあまりにも強烈な外見と声のギャップのせいで緊迫した空気の中でも私を含めた周囲の冒険者たちの表情がふっと緩んでしまう。そんな和やかなギャップを切り裂くように、受付嬢が静かに確信を込めてこう応えた。
「……これ、九階層に出てくる──『ヴェロキドラゴン』の可能性があるんです」




