295話 武辺者の地から少し離れたヴィルフェシスでの話・4 =幕間=
「痛たた……。トレハ生きてるかい?」
「あ、はい、無事に昇天出来ました、来世では三食昼寝付きでメイドとムフフな人生を──」
「おバカ、死体は口答えなんかしないさね」
ラダミヤが腕や頭をさすりながら天を仰ぎ見た。自分たちが先ほどまで居た五階層の床が天井の遥か高いところ、まるで豆粒のように見える。相当な高さから墜落したはずなのだが奇跡的にどこの骨も折れた様子はない。ラダミヤがのっそりと身体を起こすと、周囲には一緒に落ちてきたモーグヮイの死骸と大の字になってるトレハが転がっていた。
「『ヤリ手ババア』の腹黒さにはホント脱帽するわ。……てか、落とし穴あるなんて情報にはなかったさよ」
「あんな高さから墜落したなら、普通なら頭か内臓がパーンと破裂して死にますよね……?」
「ははっ! 昔、どっかの建設現場の職人が言ってたさね。『一メートルは“一命取る”』だっつってねぇ!」
「──ハァ」
どんな絶体絶命の状況に陥ってもラダミヤは相変わらず軽口を叩き続けていた。それを聞いてたトレハは呆れを通り越して溜息をつく。長い戦乱を指揮官として生きてきたラダミヤはどういう状況下であっても悲観的な事を言わないようしている。娘として付き合いの長いトレハにとって今回のラダミヤのミスが相当に手痛いのは理解していたが、ラダミヤはいつにも増して楽しそうにしているため思わずため息で返事をしてしまっただけである。ふたりでぼんやりと天井を眺めていたところ、ぽっかりと空いていた五階層の穴が徐々に、まるで生き物のようにピタリと閉じていった。
「あ、床が勝手に閉じるんですね……どういう魔導仕掛けなんでしょう?」
「きっと迷宮の奥底に住んでる『ヤリ手ババア』が、どこぞの集中制御室から鼻くそほじりながらスイッチ一つで操作してるんさよ。……ささ、ボヤいてても始まらないさね、状況を確認した上でとっとと上界へと帰る算段を付けないと」
ラダミヤは立ち上がって周囲を見回すとこれまでの手掘り洞窟風だった上層とは一変していた。壁は精緻な煉瓦張りで要所には魔導灯らしき仄青い光が灯り、まるで綺麗に整備されたトンネルのようである。壁際ではスライムたちがうにょうにょと這いずり回り、五階層から降ってきたモーグヮイの死骸をさっそく捕食しようと群がりつつあった。
ラダミヤは腰から金属製の探索棒を抜いてサッと引き延ばすと慎重に床や壁、天井を突きながら歩き始めた。トレハもそれを見るやようやく立ち上がり、ラダミヤの一歩後ろを歩きながら手元のメモ帳へ地図を描き込み始めた。
直角の曲がり角をきっちり四回曲がったところで、一緒に落下してきたモーグヮイの死骸のところへと戻ってきた。その死骸には既にスライムたちが群がってぐちゃぐちゃと捕食していた。
ちなみにだが、迷宮内で命を落とした魔物や冒険者の骸はそのまま放置されるってことはない。それらはすべて迷宮のあちこちに這い回っているスライムたちによって速やかに捕食・分解していくからだ。彼らにとって骸の肉や体液だけでなく骨や毛髪、さらには衣服の繊維までもが文字通りの『ご馳走』である。スライムが居なかったらあちこちに人間や魔獣の死骸から腐敗による病原菌や毒ガスが撒き散らかされ、衛生的にも化学的にも誰もが立ち入れる場所では無くなるだろう。
しかしそんなスライムたちにもどうしても消化できないものがある、それが『金属類』だ。通路の隅や岩場の陰にぽつんと転がっている錆びついた金属の残骸――それらはかつて、ここで命を散らした冒険者たちが身に着けていた武器や防具の成れの果てである。肉体や衣類はすべてスライムに溶かされるが金属だけが遺され、錆びてゆっくりと地に還っていく。
そしてその金属残渣には冒険者が首から下げていた金属製の『認識票』も含まれている。この認識票は銅や銀といった重金属に魔素を添加した錆びにくい金属でできており、もし迷宮内で認識票を拾ったならギルドへと持ち帰るようにと推奨されている。
拾った認識票を元に過去の行方不明冒険者記録との照合を経た上で領主館へと報告が入る。そして領主館が該当する冒険者に正式な『死亡宣告』が出される仕組みになっているのだ。行方不明の届け出がなされて三か月も経てば自動的に『死亡宣告』は出るが、遺族は遺体が発見がされるまで信じる事は出来ないだろう。だが肌身離さず身に着けている認識票を見ればそれなりに心の整理が付くだろうということで『拾ったらギルドへ』と推奨されているし、届け出た者にはそれなりの報奨金が出る。
――ゆえに、迷宮には認識票を専門に狙う冒険者が存在する。
彼らは魔物との戦闘や通常の採取を行わず、ただひたすらに「スライムの湧いた跡」や「激戦の跡地」を嗅ぎ回り、くず鉄屋に換金できそうな金属残渣物、そして認識票を掠め取っていく。行方不明者の生死を確定させるという意味では有益な存在だが、その実態は紛れもないただの『死体漁り』であった。泥をすすり、汗と血を流して戦う一般の冒険者たちからすれば他人の死体に集る稼ぎ方は決して好まれるものではないが。
……閑話休題。
どうやらラダミヤたちが歩いていたところは、どうやら単純な回廊になっているらしい。つまり二人はただぐるりと一周してきただけであった。今もスライムたちがモーグヮイの死骸をぐちゃぐちゃと食らいついている。
「回廊の内側に扉が二つ、外側に四つ木扉がありますが上階へ行くにはどれかを開けないといけないみたいですね。罠が無いといいのですが……」
トレハが描き上げた簡単な地図をラダミヤに手渡した。トレハは歩いた歩数を数えては地図を書く訓練を受けているため、この迷宮の地図をきちんと作り上げている。ラダミヤたちが迷いもなく迷宮内を風のように駆けられるのも、トレハの地図作成術としての能力の高さがある。二人が廻った回廊には扉はあったが、開けた瞬間に凶悪な魔物たちの群れと鉢合わせるのを警戒してまだどこにも触れてはいない。
「さて母さん、どれから開けます?」
「こういう時は、サイコロで決めるに限るさね」
ラダミヤがニヤリと笑うとウェストポーチから木製のサイコロを一個引っ張り出した。トレハは「なんでそんなもん持って来てるんですか」と完全に呆れ顔のジト目である。ラダミヤはたまに酒場で冒険者たちとチンチロリンをして楽しんでいることがあり、指名手配が掛かっているのに隙だらけな母の姿を見てトレハはいつもため息を付いていた。もちろんラダミヤだって馬鹿じゃない、それなりに警戒しながらもうまく道化を演じている。蒸留酒に見せかけた水を飲み続けて酔った振りをし、チンチロリンもストレス発散ではなく迷宮内の情報収集である。あと快進撃を続ける新人冒険者であってもお高く止まってると思われないための演技でもある。青春期すべてを戦場で生き延びた彼女なりの生存戦略だが、まだ若いトレハには判らないのかもしれない。
「いいかいトレハ。もし『一』の目が出たら、そん時は『はかた号』な」
「あーはいはい、キングオブ深夜バスの旅ですね。で、『四』が出たらブルガリアにでも飛ぶんですか? ……ほら、早く振ってください」
トレハが扉ごとにランダムに番号を割り振り、ラダミヤが「何が出るかな♪」と楽しそうに口ずさみながら親指でサイコロを弾いた。ここでトレハが後ろで踊っていれば、それはもう「水曜どうでしょう」である。石床の上をサイコロが軽快に転がり――見事に『一』の目を天に向けた。ちなみに『一』は部屋の奥から魔物の気配を強く感じる怪しげな木扉であった。
「本当にキング引いちゃったよ!」
「お望み通り内側のこの扉ですね」
トレハが苦笑しながら「一」の印をつけた木扉へと向かうや否や、ゆっくり扉を押し開けた。しばらくしても魔物が飛び出してくる様子が無かったため、ラダミヤが乱暴に蹴り開けるや中へと飛び込んだ。その小部屋には何もなく、壁面の一部にぽぅとぼんやり幻想的に光るものが群生していた。二人は顔を見合わせ、周囲の確認をしながらその光る物体へと近づいていく。
「ねえ、トレハ。これって……」
「……たぶんこれ『クラガリ茸』ですよね?」
ラダミヤもトレハも恐る恐る光るキノコに触れてみると、指先にぼんやりと燐光が帯びた。これを無事に持ち帰ればヴィルフェシスの冒険者の上位一割にも満たない『銀証』へ昇格する超一級のレア素材だ。二人は無言で頷き合うと、ひとまず三個ほどウェストポーチへと手際よく回収した。
「てかここ、六階層を飛ばして七階層ですか……」
トレハが漏らすとラダミヤはコクンと頷いた。彼女たちはきっと六階層に居るもんだと思っていたが、生えているそれはどう見てもクラガリ茸である。ラダミヤはクラガリ茸の鱗粉で光る指を見つめながら、ここから情報が全く無い六階層をどうパスし、地上へと戻る算段を組み立てていた。食糧、水、練炭石、どれだけ持っててどれだけ使えるか。なにせ人間は水が無くても三日ぐらいなら、食料が無くても二十日間ぐらいなら生きられると言う。しかし迷宮内で魔物と戦闘を繰り返しながら動き回るとなると生存可能日数はぐんと短くなる。きっちり計画立てないと自分たちも魔物たちに食われ、最期はスライムに侵食されて終わるだろう。
その時、突然に背後でバタンと音を立てて木扉が自動で閉まった。こういう時は碌なことが起きないのは世の常だ、二人は瞬時にバックステップを踏むとダガーとスティレットを逆手に抜いて身構えた。……が特に罠が発動したという気配がない。肩の力を抜いたトレハが扉を開け、回廊へと足を踏み出そうとしたその時だった。目の前の回廊に硬質で細かい鱗に覆われた巨大な塊がのたうっていた。そして爛々と輝く黄色い大きな宝石──真ん中には縦長のスリット状の黒い割れ目──が光る。『それ』とトレハはバチリと目が合ってしまったのだ。
「ひっ……! へ、蛇ぃぃぃッ!!」
トレハは今までの冷静さが嘘のように金切り声を上げたかと思えば蒼白な顔になってその場にへたり込んでしまった。実は彼女、虫や爬虫類といった生き物全般が「絶対に無理」なほど大の苦手である。幼い頃、悪戯盛りの弟ロガンが昼寝中だった彼女の布団に小さなヤモリを放り込んで以来、未だトラウマとなっていたのだ。
「ふん、アンタは相変わらず虫系には弱いのねぇ」
ラダミヤは呆れたように息を吐くと自身の身体よりも太い、丸太のような大蛇の頭部めがけて容赦なく腰からぶら下げる大剣を抜くやするりと振り下ろした。迷いが一切ない凄まじい一閃。頭部をスパリと一刀両断された巨躯は激しくうねり狂いながら回廊の煉瓦壁に激突し、派手な破壊音を響かせた。ラダミヤはボロ布で血と脂を拭い取り、トレハは完全に目を瞑って耳を塞ぎ、嵐が過ぎ去るのをじっと耐えていた。
やがて丸太のような胴体の動きが完全に止まり、辺りが静寂に包まれてからトレハはおずおずと目を開けた。そして立ち上がろうとしたものの、恐怖で膝がガクガクと震え、再びぺたんと床に腰を落としてしまう。
「母さん、ごめん……腰抜けた」
「ま、ちょうどいいさ、腹も減ったことだしここで飯にしようや。美味そうな食材も目の前に転がってることだしねぇ?」
床には長さが5ヒロ(≒9m)もあろう大蛇が転がっており、先程までの爛々とした瞳には光が消えていた。ラダミヤは嬉しそうな顔で丸太のような胴体をぽんぽんと叩いている。
「お願いだから冗談でもやめてぇっ!!」
「冗談じゃないさよ。ほらトレハ、喜びな。この蛇、よく見たら立派な手足が付いてるよ」
「それ、もう蛇じゃなくトカゲじゃないですか!! もっと嫌ですよ!!」
その日の食事はクラガリ茸が生える静かな部屋の中で食べることにした。ラダミヤは一撃で仕留めた大蛇ならぬ大トカゲを手際よく切り分け、ジューシーに焼き上げるや美味そうに頬張っていた。一方のトレハは頑なにその肉を拒否し、自分が持ってきていた携帯用の干し肉と乾燥ハーブのスープだけを半ば涙目になりながら静かに啜っていた。
「ほれ、匂いも旨そうだろ? ……ウナギの蒲焼きみたいなもんさね」
「本当にやめてぇ!!」
当たり前のことだが迷宮で行き倒れ、蛇やトカゲを喫食せざるを得なくなった際はしっかりと芯まで火を通すこと。これら爬虫類の肉には食中毒(主にサルモネラ菌)だけでなく顎口虫などの寄生虫リスクが極めて高いためである。直火で焼くより「鍋で煮る」ほうが遥かに安全に食べられる。
――もしも読者諸君が迷宮の深淵で迷い、手元に這いずり回るヘビやトカゲを喰らわねばならなくなった時は、どうか横着せず「鍋でゆっくり煮て」から召し上がっていただきたい。肉を直火で「肉の奥までしっかりと焼く」には迷宮サバイバルにおいて最も貴重な資源である『時間』と『燃料』を文字通り湯水のように消費してしまう。その点スープにしてしまえば熱効率も良く、手早く安全に貴重なタンパク質へとありつける。温かい液体物をお腹に入れれば満腹感も感じやすいし、冷えた身体をしっかり温めてくれるだろう。
……もっとも、そんな冒険は川口浩に任せておけばいいだろうが。
「ほらほら、地方によってはウナギの事をマムシって言うから」
「だから嫌だって!!」
「蛇もトカゲも香辛料ぶっ掛けりゃ『ただの肉』だよ?」
「もう母さん、マジ辞めて!」
この大トカゲの討伐証明部位について『手引書』には記載が無かったので、とりあえず爬虫類に多い尻尾部を切り取って持ち帰ることにしたのだった。
「ちなみに母さん、蛇の尻尾と胴体ってどこ?」
「そこに小さな蛇がいたから、実物見せてじっくり教えてやるさよ」
「マジ止めてぇ!!」
*
食事としばしの休憩の後、七階層にあったすべての扉を開放して回った。一つは階下へと行く道、一つは上階へと戻る崖、あと三つは薬草類が生えた部屋であった。手引書に記されていた貴重な薬草類を余すことなく採取して回ったラダミヤたちはすぐさま六階層へと続く垂直の岩壁に取りついた。
まずは身軽なトレハが先達の残した鉄鎖を伝って先行し、要所にアンカーを打ち込みながら命綱を架けていく。後続のラダミヤがその命綱を確実に回収しながら這い上がっていく。先達が遺していったアンカーはあるにはあるが、いつ誰がどうやって埋め込んだか解らない物に命を預けるわけにもいかないため、新たに打ち込んでいる。もし次、またこの崖を昇降する際には自分たちが埋め込んだものかが分かるようアンカーには目印をつけてある。
二人組で岩壁を登攀する際、どちらかが足を踏み外しても二人とも助かる手段を取って登るもんだ。アンカーだって決して安価ではないがこれも必要経費だと割り切り、二人は岩壁にアンカーを打ち込んでは登っていく。普段からの苛烈な訓練の賜物か、二人の動きには一切の無駄がなかった。まるで阿吽の呼吸でスルスルと崖を攻略していった。
岩壁を無事に上がった先――地下六階層は犬系魔物の巣窟で、大型犬サイズの凶暴な魔獣が四、五匹と群れを成して徘徊している階層であった。この魔獣らは見つけ次第に息の根を止めなければ、五階層のモーグヮイ同様、他の群れを呼び寄せるという極めて厄介な相手だった。ただモーグヮイと違って組織だった集団戦はしないが、傷ついた仲間が下がり、元気な奴が後ろから飛び出てくるといった波状攻撃をしてくるのだ。しかももたつけば仲間が階層の奥から群れを成して飛び出してくるといった厄介さもある魔物であった。
だがこの階層の魔物が這いずり回る爬虫類系ではないと分かった途端、トレハの動きは見違えるほど軽快であった。彼女は両手に構えたスティレットを鮮やかに振るっては魔犬の群れを次々と斬り伏せ、ラダミヤがその背後で討伐証明部位である尻尾を冷徹に切り落としていく。この母娘の戦い方はどちらかが前衛で戦い、疲れで動きが鈍くなれば交代するというやり方であった。
「おや、相手が犬ッコロなら随分と強気じゃないか」
「……これがもし猫だったら、ちょっと斬れなかったかもしれません」
実はトレハ、自分のハンカチや肌着の隅に手製で猫の刺繍を施すほどに筋金入りの猫派だ。銅貨入れも猫型の革細工である。奥宮で住んでた頃ですら密かに猫を飼ってたし、街から街へと落ち延びてた時ですら猫を見かけるだけで嬉しそうな顔をしていた。ラダミヤは魔獣から切り取った尻尾を何本も縄で縛りながら悪戯っぽく隻眼を向ける。
「猫じゃないなら、これ、食べるか?」
「母さん! またその辺の魔物食べる気ですか!?」
「ほら、最近は『迷宮内の魔物を食べ歩く』って話が世間で人気らしいじゃないさね。……まあ、あっちの物語みたいにウチには騒動ばかり巻き起こすポンコツなエルフの女の子が居ないから、少々見栄えがしないんだろうけどねぇ?」
「私、絶対に食べませんよ!」
トレハは半ば呆れたように叫ぶと、魔物の返り血や皮脂が付いたスティレットの刃をボロ布で乱暴に拭い取った。トレハ達の足元には切り伏せられた魔犬の巨躯が転がっており、その新鮮な血肉の匂いを嗅ぎつけ、早くもスライムたちが壁や床の隙間から這い出してきている。
――しかし人間の身体というのは恐ろしいほど正直なものだ。あれほどトカゲ肉を強く拒絶し、干し肉スープだけで我慢していたトレハの胃袋が目の前に横たわる獣の死骸を凝視してた瞬間、またしてもグゥ〜〜、と実に素直な音を響かせたのだ。
「ははっ! あんたやっぱりお腹ペコペコなんじゃないか」
「か、からかわないでください!」
「わかった、わかったさよ。……よし、こいつは若い雌犬さね、これなら肉質も柔らかいだろうよ。香辛料を効かせてじっくり炊けば極上の御馳走になるさよ」
ラダミヤは豪快に笑いながら腰のマシェットを引き抜いて魔犬の解体を始めた。まずは躊躇なく頭部を叩き落とし、それを回廊の奥へと力任せに放り投げる。血肉の匂いにつられスライムたちが我先にとその頭部へ狂ったように群がっていく。次いで魔犬の後ろ足を持って逆さに吊るし上げると、壁際で一気に腹を割き、内臓を掻き出した。そこから肝臓を持ち上げると、またもや迷宮の奥へと放り投げる。その血肉の匂いに釣られ別のスライムたちがすかさず侵食を始める。こうしてスライムたちを遠ざけないと解体中の血肉の匂いで自分たちの足元までスライムまみれになってしまうのだ。そしてラダミヤは躊躇することなくマシェットを振り下ろし、躯体から左右の腿の部位だけを切り落とすと残った胴体もまた回廊の奥へと放り投げた。
「持って行くのって腿肉だけですか?」
「背や腹のバラやロースは肉質こそ柔らかいんだけど、あばら周りの脱骨や切り分けがとかく面倒で時間がかかるさよ。それに前足や肩肉は意外と筋張ってて食べづらい。こんな場所でもたもた解体してたら、次の群れにいつ囲まれるか分かったもんじゃないさ」
「あ、私、ハラミ好きです」
「ハラミって聞いて『腹身』と勘違いする奴もいるけど、ありゃ横隔膜を支える内臓肉さね。……食べたいなら切り分けようか?」
先程、壁際にうち捨てた内臓には既にスライム達が食らいついていた。それを見てトレハは少し顔を伏せて首を横に振る。ラダミヤはマシェットをボロ布で拭くと鞘に収め、大ぶりの腿肉をリュックの脇へ縛り付けるや魔犬の残骸へ猛烈な勢いで群がりつつあるスライムの群れを一瞥した。
「──さて、スライムたちの食事の邪魔をしないうちに、一気に五階層まで駆け上がるよ!」
「はい!」
二人は再び武器を構え直すや薄暗い六階層の奥へと風のように駆け出していったのだった。
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・作者註1
『1メートルは、一命取る』
50cm程度の低い脚立であっても墜落すれば大腿骨や骨盤の骨折といった大事故になるし、1mを越えると死亡リスクが跳ね上がる。大工や電気工事士などの職人さんの労災事故で非常に多いのが脚立からの墜落だそうです。
ちなみに現在の労働安全衛生法では2m以上の高さの足場であれば安全帯の具備は必須なのでそれ以上の転落事故ってそんな多くはない。
……そういや昔、路線バスの屋根の雪下ろしを安全帯も無くやってたら墜落したことがあったなぁ。無傷だったけど首席助役と所長、おまけに労組からバチクソに叱られたっけ。
・作者註2
『一が出たらはかた号、四が出たらブルガリア』
→81話の巻末で書いたブルガリア(ロマ族の花嫁市場)へ行った話に繋がる。




