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294話 武辺者の地から少し離れたヴィルフェシスでの話・3 =幕間=

 そもそもヴィルフェシスの迷宮において『五階層への到達』なんて、一般冒険者という枠を完全に逸脱した領域……もう『偉業』だ。


 通常、五階層を目指すのであれば、手前の四階層で野営を挟む行程を組むのが冒険者たちの常識だ。四階層には幸いにも魔物の出現が比較的少ない『水場』があり、多くのパーティはそこで野営・休息して余力を限界まで蓄えてから決死の覚悟で五階層へと下る。お目当ては五階層にしか自生しない『シャカン草』や『ロエの樹液』といった鎮痛剤や解毒剤の原料である。換金率も非常に高いので、野営してでも獲りに行く価値がある「最高峰のお宝」だ。


 だがその道程は困難という言葉すら生温い。四階層に辿り着くだけでもあの垂直の断崖やゴブリンの群れを突破しなければならない。ラダミヤたちは断崖を懸垂降下であっという間に下りてるが、普通の冒険者は数時間も掛けてゆっくり下りている。さらに安全地帯とされる四階層の水場とて、ときにはゴブリンやスライムの奇襲を受けるため、絶対安全というわけではない。


 そして何より五階層には、それまでのとは一線を画す『モーグヮイ』という厄介な魔物が巣食っている。毛むくじゃらで可愛らしく小柄な見た目に反して極めてすばしっこく、しかも獰猛だ。おまけに集団戦法を得意とするこの魔物に囲まれれば、並のパーティなど一瞬で肉片となる。


 五階層まで下りるとなると魔物との乱戦、罠の発動などで帰還が遅れることはザラだ。数日文の食糧に水、携行食、武器防具、救護セット、着替え類など……、そこに野草や魔物などの『お宝』を回収して回るのが冒険者稼業。その冒険者が持ち運べる荷物にも限界はあるのでポーターを雇うパーティが非常に多い。しかしポーターは基本的に戦闘には参加しないし、冒険者たちが魔物たちに囲まれたとしても彼らは基本的に助ける事もしない。


 新人冒険者二人のパーティが四階層へ到達してる事すら非常識なのにラダミヤが宣言した「五階層への日帰り」がどれほど狂気の沙汰であるかは誰の目にも明らかだった。──もっとも、それを訊いた隻腕の受付嬢だけは別の意味で息を呑んでいた。なぜなら、かつて金証に最も肉薄した彼女たちのパーティもまた、その現役時代には「五階層への日帰り往復」をやってのけていたからだ。つまりは不可能ではない。だがそれは『誰かが出来たから自分も出来る』というものではない、しかも斥候職もポーターも雇うことなくそれをこなすと言ってるのだから『トチ狂ってる、死に急いでる』と思われても仕方がない。この街の全冒険者の上位数パーセントに満たない、真の『怪物』にしか許されない事なのだ。


 *


 翌日。


 ラダミヤたちはいつもと変わらぬ恐るべき速度で迷宮内を駆け抜け、断崖の岩壁を流れるように懸垂降下し、立ち塞がるゴブリンたちを文字通り蹴散らしながら四階層の『水場』へと到達した。薄暗い地下世界には時計などない、今が何時何分かは判らなかったが長年の軍人経験で培われた体内時計と腹の減り具合でおそらく昼前だろうとアタリをつけ、昼食の準備をすることにした。


 トレハが用意しておいた食材を手際よく小鍋へ投入していく側で、ラダミヤはリュックから『練炭石』と『折り畳み式の火台』を取り出した。……しかし、ラダミヤはさっきからその練炭石への着火にどうにも手こずっている様子であった。


「母さん大丈夫? 疲れてません?」


 鍋に水を入れ、スプーンで味見をしていたトレハが甲斐甲斐しく尋ねた。


「馬鹿言え、こんな『ハイキング』で疲れてるようじゃ。……私が統一戦争の時なんて──」


「統一戦争なんてもう三十年以上前の話ですよ。……そんな昔にこんな便利道具、無かったでしょう?」


 この『練炭石』と『折り畳み式小型火台』のセットは、トレハの言う通り、ここ数年前に発明された迷宮に潜る冒険者たちのための最新便利グッズだった。練炭石は木炭や炭石の粉末を(にかわ)で押し固めた成形燃料で、その表面には特殊な着火剤が塗布されているため、オイルマッチ一本で簡単に火がつくだけでなく小一時間程度だけ爆発的な火力を維持してくれる優れものだ。そしてその練炭石専用に設計された火台は、頑丈な五徳も備えていて簡易(かまど)の代わりになる上、折り畳めば嵩張らず、使用後の後片付けも驚くほど簡単だ。これらが発明されたおかげで冒険者の迷宮内での生存率が爆発的に上がったと言われている。


 ラダミヤが軍を率いて泥塗れの戦地を駆け回っていた統一戦争時、行軍中の火熾しといえば重労働そのものだった。薪は近隣の農村から高額で買い上げ、石や泥を捏ねて即席の竈を作り、あらかじめ火打石で熾しておいた貴重な火種を息でそっと育てて着火していたものである。雨天時なんかはさらに悲惨で、酷い時は濡れた生麦を喫食していたぐらいである。


(あの頃にこんな便利なものがあれば、疲労困憊の炊事係がフラフラになりながら竈を築き、飯を炊く必要もなかっただろうに……)


 時代の進歩に感心しつつも、ラダミヤは沈黙を守り続ける目の前の黒い塊を睨みつけた。


「今の世の中は便利になった……なったけどさぁ! これ、全然付かないわね!」


「私がやりますよ、もぅ。──ほら、付きました」


 見かねたトレハが腰のポーチから自身のオイルマッチを取り出し、手慣れた手付きでシュッと擦る。その小さな炎を練炭石の表面に近づけた。チリリ……と導火線が燃えるような音がしたかと思うと、一瞬でボゥッと青白い熱気が練炭石全体から溢れ出してくる。ラダミヤがふてくされたように見守る中、トレハはその熱い火台の上に小鍋をそっと置いた。しばらくすれば、この暗く冷たい地下迷宮の中で温かな食事が出来上がるはずだ。


「やっぱ、こういうのは若い子のほうが向いてるのかしらねえ」


「母さんだって、まだ十分に若いじゃない」


 トレハが表情一つ変えずに淡々と言うと、ラダミヤは拳を握るやトレハの頭を軽くこづいた。コン、と小気味よい音が薄暗い迷宮内に小さく響く。


「──痛ッ!」


「いまさっき『統一戦争は三十年前』って人をババア扱いしておいて、今更『若い』なんておべんちゃらを言うんじゃないよ」


「だからといって殴ることはないじゃない、母さん」


「フン、相変わらずアンタもセルヴェウスやハイディと同じだねぇ。おべんちゃら言った後に頭を叩くとすごく軽い音がするわッ!」


「何よそれ! ──ぷっ」


「……くっくっ──」


「「あーはっはっは!」」


 トレハが少しむくれたように唇を尖らせるとふと二人の目が合った。どちらからともなく同時に吹き出し、火台に掛けられた小鍋がコトコトと音を立てる中で、二人はしばらく声を上げてゲラゲラと笑い合ったのだった。


「……ふふ、懐かしい」


 これでもかと笑い転げていたトレハだったが、ふいにその目尻に熱いものが滲んだ。彼女は言葉を止め、持っていたスプーンを横に置くと、そっと両手で顔を覆った。久しぶりに耳にした『妹』の名。楽しかった日々の記憶が胸の奥底から哀愁とともに一気に溢れ出してきたのだ。


「……ハイディと同じ、かぁ」


「アンタは、セルヴェウスだけでなくハイディのことも、本当によく可愛がってくれたもんねぇ」


 セルヴェウスは王后から預かった()()だったが、ハイディはラダミヤの実の娘、すなわち我が子である。ラダミヤが乳母として奥宮へと上がるようになった頃、トレハは六歳、ハイディはまだまだ乳飲み子だった。ラダミヤが乳母として王太子を育てる傍ら、幼いハイディの面倒を誰よりもよく見てくれたのは歳の離れた姉であるトレハだった。だがそのハイディはもうこの世にいない。トレハはたまらずそっぽを向き、そっとハンカチで目元を拭った。


「今でもね、ときどきハイディの夢を見るんだ。……近衛兵団の小隊長になったって嬉しそうに報告に来た日のこととか。……あの最悪な『事故』があった日のこととか」


 ハイディは子爵武官ラダミヤの娘として幼い頃からそのキャリアを伸ばしていった。王太子セルヴェウスの乳母姉弟として側仕えを始め、王国軍幼年学校では共に学び、士官学校での過酷な訓練にも彼女は黙って付き従った。近衛兵団に配属されると瞬く間に頭角を現し、ついには同期の中で一番に小隊長にまで上り詰めたのだった。


 周囲からは「乳母の縁で昇進した」「統一戦争の英雄の娘だからだ」とやっかみ紛いの戯言も聞こえたが、それらは全くの逆。全ては彼女自身の血の滲むような努力の賜物だった。何せ士官学校の卒業席次も上から数えた方がはるかに早かったほどの才女だったのだから。


 それなのにあの近衛兵団合同の冬山訓練ですべての悲劇が起きた。行軍訓練をただの雪遊びと勘違いし、勝手に付いてきたレピソフォン王子が指揮官用の幕舎で「寒い、つまらん」と言い出したのだ。挙句の果てに彼は総指揮官の制止を無視して指揮権を不当に強奪、全軍に向けて唐突な強行撤退命令を下したのだった。猛吹雪の山中で訓練を行っていた小隊は大混乱に陥り、ハイディの率いる隊を含む、四つの小隊が遭難で全滅。生還できたのは別ルートにいた僅か数名のみという大惨事となったのだった。


「それに、ロガン兄ぃの夢も……見ちゃうんだ……っ」


「…………」


 今まで火台の炎をじっと眺めていたラダミヤが不自然に顔を背けた。眼帯をしていない右目の眦にきらりと涙が光る。


 長男のロガンは近衛兵団を率いる団長だった。レピソフォンに指揮権を奪われるという絶望的な状況下ででも山中に取り残された部下たちが混乱しないよう必死に命令と伝令を飛ばし続けた。しかし結果として百四十人近い部下の命を救えなかったばかりか、自身も重度の凍傷を患い、両足を膝から下で失うこととなった。


 ロガンは治療中の病床で『今回の訓練における全責任は私にある』との遺書を書き残し、自刃。自ら命を絶った。


 ラダミヤの実子二人は、無能なレピソフォンに殺されたも同然だった。


「なんだろうね。エラールの奥宮に居た時はこんな風に思い出すことなんてあまり無かったのに。……今、こうやってエラールを脱出して、セルヴェウス様を探しているうちによく夢に見るようになっちゃって……」


「トレハ、もう止めな。──ご飯にするよ」


 ラダミヤは遮るように言うと、今朝ほど買っておいた硬いパンを半分に千切るやトレハの前に差し出した。ラダミヤとてあの悪夢のような事件は思い出したくもない。だが我が子の愛おしい笑顔も理不尽に奪われた命のことも、忘れられるはずがない。そもそも王太子の捜索も国を走り回っての逃避行も、原因すらあのレピソフォンの専横だ。


(今は雌伏の時、必ずセルヴェウスを見つけ出すまでは──)


 ラダミヤは心の中で幾度目になるか分からない誓いを呟いた。


 二人の間に、何とも言えない重く切ない沈黙が漂う。しかし、そんな感傷を置き去りにするように、肉体はあまりに正直な声を上げる。静まり返った水場にトレハのお腹の虫がグゥ〜、と実に気の抜けた音を響かせたのだった。


「……ふふっ」


「ははっ、あーあ、全く台無しだねぇ!」


 どちらからともなく吹き出し、二人は先ほどのように今度は涙を拭いながらゲラゲラと笑い転げた。生きていくためには泣いてばかりもいられない。温かいスープに浮かぶ乾燥ハーブの香りが二人の心をそっと現在(いま)へと引き戻していったのだった。


 *


 五階層へと足を踏み入れた二人は、探索棒で慎重に床を突きながらゆっくりと歩を進めていた。この階層ともなれば配置された罠の凶悪さもそれまでとは一線を画す。ギルドの情報によれば、仕掛けを踏み抜いた者が毒矢や熱性ガスの餌食で負傷し、それが元で途中に力尽きたものが多いという。統一戦争時は斥候の経験もあるラダミヤ、そしてその薫陶を受けたトレハが壁や天井も確認しながら罠の確認を続けていた。


「この迷宮、本当に趣味が悪いですよね。確実に冒険者を殺しにきてますよ?」


 壁や天井の不自然な隙間を念入りに凝視し、探索棒で突きながらトレハが低い声で零す。ラダミヤは隻眼を細めて笑った。


「冒険者という『極上の食糧』を配下の魔物に提供したい迷宮側と、命は惜しいが『お宝』は欲しい冒険者。そう考えたら両者ウィンウィンの関係じゃないさね?」


「何です、それ?」


「ははっ、逆に迷宮側で考えてみろ。階層が深くなるほど換金率の高いお宝をぶら下げて深層へやってくる『良質な冒険者』を呼び寄せる。そしてそれをより凶悪な魔物の餌にする。……迷宮の持ち主ってのは『娯楽と金』で人間の脳みそをハックしてる悪徳商人みたいなもんさよ」


「まるで博打の胴元か娼館の女主人ですね」


「博打も娼館も下手な奴がどれだけ手薬煉(てぐすね)引いても客は寄り付かん。どちらも仕切り役の『ヤリ手ババア』の腕次第。……ここの迷宮の持ち主も相当なヤリ手ババアが取り仕切ってるんじゃないかねぇ?」


「──どうやら私たちの悪口がそのババアの耳に届いてイラッとさせたみたいですよ。ほら、モーグヮイがワラワラと出てきましたし」


「『ヤリ手ババア』は大体が地獄耳、官憲が踏み込む情報ですら早く拾ってくるからね」


 トレハが素早く探索棒を収め、鋭利なスティレットを抜く。前方から白と茶のふわふわとした体毛に覆われた、二人の腰ほどの小柄な魔物の群れが押し寄せてきた。ラダミヤも間髪入れずにダガーを抜き放つとその包囲網へと斬り込んでいく。


「ちっ、ゴブリンと違って、きっちり隊列を組んで襲ってくるのが厄介さね!」


「母さん、喋ってると舌を噛みますよ!」


 錆びた剣やハンマーを振り回すモーグヮイを冷徹に蹴散らしながらラダミヤが漏らした。トレハは皮肉を返しつつも死角から飛来した矢をスティレットの細い刀身で正確に叩き落とす。モーグヮイたちの真の恐ろしさはその小柄な体格と知性を活かし、自ら(トラップ)を意図的に作動させながら集団で連動して襲い掛かってくる点にあった。中には仲間が踏み抜いた罠の毒矢や熱性ガスをまともに浴びて悶絶しているモーグヮイも混ざっていたが、その統率力は侮れない。


 だが百戦錬磨の二人を前にしては、その連携も長くは持たなかった。やがて被害の大きさに恐れをなしたかモーグヮイの群れが潮が引くように撤退していく。ラダミヤは機械的な手際で息のある個体に止めを刺して回り、トレハは手早く討伐証明の部位を切り取っていった。死骸はこのまま放置しておけばすぐにスライムたちが骨の一本まで綺麗に片付けてくれるだろう。


「モーグヮイの耳が二十四体分。……これでエラール小金貨二枚にはなりますね」


「それだけ稼げれば、一か月ほどは隣の部屋の声が丸聞こえな壁の薄い木賃宿から個室温泉付きの豪華な宿へランクアップできるさね」


「温泉、いいですね──フンッ!」


 最後の悪あがきとばかりに物陰から錆びたナイフを投げつけようとした生き残りのモーグヮイへ、トレハは視線すら向けずに自身のナイフを投擲した。眉間に深々と突き刺さった刃に目の焦点を合わせたままモーグヮイは力なく床へと崩れ落ちていく。


「さてさて、この奥にあると聞くシャカン草もロエの樹液もたっぷり回収して、とっとと撤収するさよ」


 ラダミヤが満足げに踵を返し、一歩を踏み出した、その瞬間だった。冷たい石床の底から『カチリ』と不吉な硬い音が響いた。


「……あ、トレハ、ごめ──」


 ラダミヤが最後まで言い切るよりも早く足元の床板が完全に消失した。重力に引かれラダミヤもトレハも、そして先ほどまで片付けていたモーグヮイの死骸ともども二人はただ真っ暗な奈落へと真っ逆さまに落ちていったのだった。

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