293話 武辺者の地から少し離れたヴィルフェシスでの話・2 =幕間=
真新しい身分証を手に入れたラダミヤたちが訪れたのは、ヴィルフェシス冒険者ギルドであった。
このセンヴェリア大陸には冒険者ギルドが発行する認識票のうち、中級者を示す『銀証』以上の所持者であれば国境や城門を跨ぐ際の検問を大幅に簡略化できるというルールがある。国や都市を股に掛けて渡り歩く者がいちいち出入国審査で足止めを食らっていては仕事にならないからという、古くからある措置である。だがこの制度はその冒険者の実力と身元を冒険者ギルドが国際的に保証することを意味しているルールでもある。ゆえにぽっと出の新人に『銀証』が発行されることは天地がひっくり返ってもあり得ないし、この制度を利用した間諜の暗躍を防ぐため『銀証』昇格のハードルは極めて高くなっている。
ただ、ここヴィルフェシスは『迷宮都市』と別名があり、階下に眠る古代遺跡やお宝を求め大陸中から命知らずが群がってくる最前線である。この街の冒険者ギルドでは規定の階層へ到達し、その証拠を持ち帰った者には『銀証』を、そして遺跡の深部に棲まうとされる翼竜を討伐した者には【金証】を授与するという制度が存在する。一攫千金と名声を夢見る若者たちが次々と迷宮へ飛び込んでいくが、その大半が二度と戻ってくることはない。この業界で長く生きてるベテランほど、『銀証』なんて名誉の証なんか狙わない。ただ堅実に「金と生活」のためだけに潜るもんだ。欲をかいたら迷宮は命なんてあっさりと刈り取っていく。
戦場と同じである、勲功に与ろうと躍起になる者から退場していく。
*
「……というわけで今日より『銅証』を得た冒険者さんは『命は金で買えない』という合言葉だけは絶対に忘れないでください」
冒険者として新規登録された者たちはギルドの別館にある講堂へと集められた。そのギルドの受付嬢がいつものように慣れた調子で説明を締めくくる。ヴィルフェシスの冒険者ギルドでは安息日の翌日に新規登録ができるので、今日この日のために集められた若者たちである。その講堂の末席で黙って聞いていたラダミヤとトレハは静かに首肯する。だが若者たちは受付嬢の話に時折茶々を入れては「今日はどこまで潜るか」という身の程知らずな相談に花を咲かせており、まともに拝聴している様子ではない。
「ところでさぁ受付嬢。最近のギルドは『イロモノ』の枠でも広げたのか? ……そこ、けったいな眼帯したババアと、場違いなメイドがいるんだけど!」
長椅子にふんぞり返っていた大柄な若者が下品な声を上げると、彼の周りの取り巻きどもがドッと大声で笑う。きっと彼らはパーティなのだろう。それを聞いてトレハの切れ長の瞳がすっと細くなり、若者たちを睨みつけようとしたが、ラダミヤは目を瞑ったまま微動だにしない。……受付嬢は若者を冷淡な目で見据えると、小さくため息を漏らした。
「他パーティへの侮辱や、それに伴う喧嘩騒ぎを起こしたらどんなペナルティが飛ぶか……先ほど説明した通りです。もうお忘れになったなら配布済みの『手引書』をよぉーくお読みになってくださいね!」
どのギルドでも喧嘩騒ぎを起こせば懲戒処分が出る。しかし街の住民からは荒くれ者が集まる破落戸集団と思われないよう、冒険者ギルドでは聴聞の末『除名・追放』となる。他のギルドでは停職や職務停止というのが多いのに冒険者ギルドは厳しい処分が主になるという。
「……もっとも、くだらない喧嘩を吹っ掛けたパーティが翌日には迷宮内で行方不明になってるなんて事例は、ここでも戦場でも日常茶飯事ですけどね」
講堂に集まった新人の大半は最低限の防具として革鎧や鎖帷子、中には奮発した鉄鎧を着込んでいる。まるで戦陣に集められた農民兵のようである。そんな中、ラダミヤは平服の上に簡素な革の胸当てを付けただけ、トレハに至ってはヘッドドレスを付けたままの完璧なメイド服姿だ。若者たちが侮ってしまうのも無理はない。受付嬢は続ける。
「そしてこの迷宮内で起こったことは全てが『自己責任』です。荷物を盗まれた、後ろから切り付けられた、水も食料も尽きたけど誰も助けてくれなかった。……後から騒いでも官憲は捜査してくれません。それどころか目撃証言すら買収でなんとかなってしまう世界です。仮に裁判に持ち込めたとしても『両者で和解しろ』と門前払い食らうのがオチなんですよ」
受付嬢は一旦言葉を区切ると、先ほどの若者たちを真っ直ぐに指差した。
「ただ、私の経験上、あなたのように要らぬ火の粉を撒き散らすような手合いは例外なくとっとと引退します。私みたいに左腕を切り落とすくらいの引退ならまだマシ。……内輪揉めでパーティが空中分解する、食料が尽きて飢え死ぬ、そして魔物に食い散らかされるなんてザラな世界よ。──もっともここの冒険者での引退理由で一番多いのは迷宮内で三か月以上音信不通になり、領主館から死亡宣告を受けて『この世からの引退宣告』なんですけどね」
受付嬢は若者たちをぎりりと睨みつけると彼女は手元の『手引書』の最初のページを開き、一同へ見せつけるよう掲げた。
「ここに書いてある通り、『命は金で買えない』って言葉だけは嫌というほど噛み締めてから冒険者稼業を始めてください!」
受付嬢の首元には冒険者ギルド職員を示す認識票だけでなく、かつて冒険者時代に勝ち取った『銀証』がぶら下がっている。だがその表面には冒険者資格失効を示す『×印』が刻まれていた。彼女の現役当時、この街で【金証】をぶら下げていた冒険者はわずか七人、ふたつのパーティしか存在しなかった。その一つ下のランク、『銀証』持ちなど数多いる冒険者の中でも10%程度しかいない。それ以外の九割、数十年も迷宮に潜るベテランでさえ目の前の新人たちと同じ『銅証』をぶら下げていた。『銀証』持ちというだけでも冒険者にとっては羨望の眼差しで見られる存在だったのだ。
かつての彼女はここヴィルフェシスでも誰もが知る指折りの実力派パーティの一人だった。しかし若さゆえの過信もあったのだろう、彼女の所属するパーティは【金証】の栄誉を掴むべく、少々強引な行程計画を練って迷宮の最深部へと挑戦した。だが結果は惨憺たるものだった。五人いた仲間たちの結束はあっけなく瓦解し、飢えと怪我に苦しみながら彼女はたった一人で奈落の底から這い出てきたのであった。自分以外の仲間は全員が行方不明のまま、やがて死亡宣告が出された。唯一の生き残りとなった彼女はその時の怪我が原因で左の上腕を失い強制引退を余儀なくされた。それがこの隻腕の受付嬢の凄絶な過去だったのだ。彼女はその一握りの『銀証』持ちの中でも最も【金証】に肉薄していた本物の傑物だった。数多の死線と、それを超えられなかった者たちの末路をその目で見、その身で背負ってきたからこそ、どういう奴から先に『引退』していくのかが嫌というほど解るのだ。
しかし血気盛んな若者たちに彼女の十字架の重みなんかが通じるはずもない。若さゆえの奢りか、それとも過信か、受付嬢の話を聞いて鼻で笑う。
「あーはいはい。おばさんのしみったれた説教は御免被りますよ」
若者はそう言うと受付嬢を馬鹿にするように右手をひらひらと振りながら席を立った。それを合図にパーティの面々もせせら笑いながら講堂を後にしていく。彼らのあまりにも傲慢な振る舞いを見て周囲にいた他のまともな冒険者たちは「あいつらとは絶対に関わるまい」と心に誓い、そっと視線を逸らしたのだった。
「他に質問は? ――ありませんね。では以上です。全員、手渡された『手引書』には必ず目を通しておくように!」
受付嬢の声を背中で聞き流しながら『やっと終わった』と思った者たちは次々と会場を後にしていった。逸る気持ちを抑えきれないのかそのまま迷宮へと駆けて行こうとする勢いで出ていく者もいた。
そんな若者たちの後ろ姿を見送りながら受付嬢は小さく嘆息した、『今日で何人が引退するかな』と。
「――質問、いいかい?」
「あ、はい。何でしょう?」
経験上、こういう居残り組の質問など碌な内容ではないなと受付嬢は身構えた。しかし声をかけてきたのは若者たちから散々侮辱されても静かに目を閉じていた、あの眼帯姿のババア――ラダミヤだった。
「あなた、左目、どうしたの?」
受付嬢が自分の左腕に嵌る義手を右手でさすりながら訊ねた。もちろん見た目で義手とは見えないよう左手部には黒い手袋が嵌められている。
「若い頃にちょっとね。……それより『銀証』を発行してもらうための『階層到達の証明』ってのは具体的にどうすればいいさね?」
「……ヴィルフェシスの地下7階層に『クラガリ茸』という黄色く発光するキノコが自生してます。それをこの受付まで持ち帰れば到達の証明になりますよ。──猛毒ですけどね」
「ふぅん。素手で触っても大丈夫なんか?」
「喫食するか傷口に触れなければ問題ありません。ただ、素手で触ると胞子のせいで十日ほど手が黄色く光り続けますよ?」
「そか、わかったわ。ありがとう」
ラダミヤは不敵に笑って立ち上がると、足元に置いておいた身の丈ほどもある無骨な長剣をひょいと肩に担いだ。その背を追うようにトレハも音もなく席を立つ。それを見送った受付嬢は心の中で冷ややかに呟いた。
(あんな長い剣、狭い迷宮内で振り回せるわけがないでしょうに)
きっとあの人も大口を叩いた若者たちと同じよう、すぐに迷宮の餌食になるわね――元冒険者の受付嬢は本気でそう思っていたという。
*
その隻腕の受付嬢が抱いた懸念に反して『新人冒険者バルヴァ母娘』の活躍がギルド内で噂にならない日は無かった。あの新規登録した翌日から、身なりを整えた二人は毎朝早くに迷宮へと足を踏み入れると薄暗い通路をひたすらに駆け抜けていった。足元の悪い難所は跳躍一番で軽々と飛び越え、岩壁を下降する際はロープ一本での鮮やかな懸垂降下を披露した。それら一連の動作は無駄がなく、ベテラン冒険者たちでさえ「あんなの絶対に新人の動きじゃない」と舌を巻くほどだったという。しかも階下のクエスト品だけでなく魔物の討伐証明部位すら丁寧に切り取り、夕方過ぎには何事もなかったかのように必ず帰還してくるのだ。
「……バルヴァさん、相変わらず今日も見事な手際ですね」
「ははっ、そうさね?」
受付嬢は戸惑いを隠せないまま、持ち込まれた『戦利品』の検収と換金作業に入る。普通、迷宮の深部でお宝を漁り、討伐証明を持ち帰ってきたばかりの冒険者といえば疲労困憊で全身泥まみれ、そして酷い汗臭さを漂わせているものだ。場合によっては接触か転落かで手痛い負傷を引きずっている者も少なくはない。そして新人冒険者たちは戦利品の扱いなどに慣れておらず、持ち帰った薬草類だったら必要な部分が折れてたり、討伐証明部位が間違ってたりと、せっかく持って帰ってきた戦利品が換金不可という事も少なくはない。
しかしラダミヤとトレハの二人はいつだって涼しい顔を浮かべているし、戦利品の扱いも完璧だった。日帰り強行軍であるため目立った汚れもなければ汗臭さはほとんどない。討伐証明部位だって『手引書』に書いてある通りのものをきちんと丁寧に扱って持ち帰ってくる。ちなみに冒険者登録をした初日こそ場違いなメイド服姿だったトレハだったが、今では実用的な旅装に身を包んでいた。
「本日の報酬ですが……フーロ草とオーセキ草が二束ずつで白銅貨八枚。ゴブリンが十二体で白銅貨六枚、計十四枚ですね」
「半分は、いつもの口座に入金しておいておくれ」
「承知しました」
受付嬢が手際よくコイントレーに並べた白銅貨七枚をラダミヤに差し出すと、彼女はそれを一枚一枚、確かめるようにして受け取った。粗暴で無頼漢の多い冒険者なら乱暴に引っ手繰るような場面だが、彼女の所作は受付嬢への敬意を払うかのようにどこまでも丁寧だった。受付嬢は初日に『迷宮の餌食になりそうだ』などと内心で見くびった己の不明を深く反省し、それと同時にこの『バルヴァ母娘』という存在に強い興味を抱き始めていたのだ。
「ところでバルヴァさん……お二人は、その、ひょっとしてですが……どこか別の場所で冒険者をされていたりします?」
「……ん、アタシらの過去、気になるかい?」
白銅貨を革袋に仕舞い終えたラダミヤが、唯一の右目をすっと細め、ニヤリと笑いながら訊ね返した。受付嬢は「ええ、まあ」と苦笑を交えて応じ、言葉を続けた。
「そりゃあ気になりますよ。あなたたちの迷宮での立ち回りや戦利品の扱いについてもあまりに手慣れすぎです。他の冒険者たちからもあれこれと驚きの報告が入ってくるんですよ? ……例えば三階層へと下るあの断崖の岩壁、あそこの攻略こそ新人冒険者にとって『第一関門』なんですから」
一般的に新人冒険者は一階層と二階層を何度も往復し、そこで『迷宮内でいかに生き延びるか』を体に叩き込むか、先輩冒険者からあれこれ教えてもらうものである。そのため一階層と二階層の事を『修行の間』と言われ、ここで間誤付く様なら迷宮に籠るのではなく、配達や小間作業で稼ぐ道を示唆されるという。なお二階層まで潜って戦利品漁りしても日銭で食っていける分には稼げるが。
しかしラダミヤたち『バルヴァ母娘』にはその足踏み期間がまったく無い。登録するやいなや二階層の隅まで駆け抜け、岩壁に素早くアンカーを打つとロープ一本でスルスルと降下して三階層へと進出していったという。もちろん過去に同じような真似をした命知らずが居なかったわけではない。ただ、その大半が長生きしなかっただけだ。
「下りたら下りたで三階層はゴブリンが群れを成して徘徊する危険地帯ですよ? 岩壁を無事下りた直後ゴブリンに囲まれるなんて『銀証』のベテランですら時折やらかすんです。……他にもアンカー抜けの墜落事故も多いですし、降下中にロープが絡まって指や腕を千切ったなんて話も枚挙にいとまがありません」
三階層にゴブリンが多くいる理由は、餌となる冒険者が定期的に降ってくるからだ。中にはやってくる冒険者を待ち構えているといった『知恵が付いたゴブリン』も居るという話もあるぐらいである。受付嬢はさらに続ける。
「何より三階層からは迷宮独特の罠が急増します。だからあそこへ挑むなら専門の『斥候職』をパーティに雇い入れるのが鉄則なんですよ」
三階層を安全に攻略するなら、まずは下手に崖を下りてゴブリンの伏兵に囲まれないよう先発の斥候が安全を確保するまで他の仲間を岩壁の途中で待機させる方法が一般的だ。他にも三階層に到達した後、戦闘力の低いゴブリンを闇雲に追い回したり、逃げ回ったりしていれば罠を踏み抜いて致命傷を負う事がある。そのためギルド認定の斥候職に罠解除もお願いして三階層を安全に突破するのが迷宮のセオリーだ。
ちなみに余談だが、ここで言う『斥候職』とは冒険者経験三年以上、もしくは軍属の斥候として二年以上を勤め上げ、冒険者ギルドが開催する『斥候特別訓練』を修めて『斥候職受講済証』を発行されたプロフェッショナルのみを指している。無資格者が斥候職を名乗ると非常に重い懲戒処分が出るとされている。
しかし『バルヴァ母娘』はいつも二人きりで活動してて斥候を雇ったという話は誰も聞いたことがない。それなのに岩壁を下り、手慣れた手付きで即座に罠を見抜いて三階層を突破し、四階層でしか自生しない解熱作用の薬草――フーロ草とオーセキ草を事もなげに採取してくるのだ。どう考えたって規格外である。
「冒険者の過去を詮索するのは、ギルドの『手引書』じゃあご法度じゃなかったかねえ、受付さん」
「ま、まあ、建前としてはそうなんですけどね」
受付嬢は痛いところを突かれて言葉を濁した。
冒険者など言ってしまえば、ただの『日雇い労働者』だ。迷宮に生える薬草原料を採り、遺物を拾い、魔物を間引き、その出来高で日銭を稼ぐだけの存在なのだから。「冒険者として名を上げる」と息巻いてやってきても遭難死・墜落死・魔物の胃袋行きとお世辞にも堅気の仕事とは言えない。ヴィルフェシスでは深層がどこまで続くかが判らない迷宮があるからこそ、こういった稼業が成立しているだけである。そうではない、「迷宮が無い地域の冒険者」なんて言ったら配達や採取といった軽作業を日々こなす者ばかり。誰にも縛られたくない自由を愛する者が選ぶスタイルといえば聞こえはいいが、まともな職に就いて財産を築き、温かい家族を持った方が遥かに幸福だというは言うまでもない。
逆説的に言えば、「まともな社会のレール」から溢れた者が最後に流れ着く墓場こそこの冒険者稼業だ。最近の冒険者ギルドでは『過去三年以内に懲役・罰金以上の前科を持つ者』の登録を拒否するなど「溢れ者のならず者集団」という悪印象の払拭に躍起になってはいるが、登録されてしまえばどんな者だって活動はできる。そのため古くからの慣習で「過去は詮索しない」というのが絶対のタブーであり、ギルドの手引書にもわざわざ明記しているのが現実だ。
どうしても溢れ者の流れ着く墓場なのは今も変わってはいない。
「今や注目の的である『期待の新人バルヴァ母娘』ですから……。ギルド職員としての、ほんのちょっとした好奇心、ですよ」
苦笑いを浮かべて言い訳する受付嬢に対しラダミヤはふっと背を向けると、振り返ることなく肩越しにこう言い放った。
「明日、五階層へ日帰りしてくるさね。……無事に帰ってきて、まだ興味を持つなら聞いてみな」
ラダミヤは片手をひらひらと挙げ、そのまま振り返ることなく冒険者ギルドを後にした。ずっと後ろで待っていたトレハがラダミヤを追うように続き、ギルド出入口の木製の重い扉を音もなく静かに閉めて消えていったのだった。
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