表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
291/307

291話 武辺者の鍛冶師、動く!・3

 領主館の厨房では小刻みの良い音が漏れ聞こえていた。朝の忙しい時間が過ぎ、次のピークである昼食の下ごしらえのため、メイド達が野菜を刻んでいる音である。


 今まではただ静かに、リズミカルな包丁が野菜を刻む音しか聞こえてこなかった。しかし今では時折メイド達の笑い声が響くようになったという。


『業務が過度に偏る勤務やサービス残業の禁止』


 この命令を受けて、メイド長オリゴが人事を刷新した。この料理班は料理人資格を持つメイド隊員だけの部署であったが、この班に一定期間所属すれば受験資格を得られることから、将来的に料理人や衛生管理者の国家試験を受けたいと思うメイドにも門戸を広げたのである。どちらも料理屋を開きたいと思う者には必須資格のため、メイド達に希望を取ったうえでの配置転換である。


 人員が増えた料理メイド班の勤務は完全交番制となった。一日の実労働時間は7時間45分以内、拘束時間13時間未満という労使協定に反しない勤務割にもなったのだ。もちろん、多く働いて賃金を多く得たいと思うメイドには時間外労働も認め、掃除班や一般班のメイドも勤務に入る事も増えたという。そのせいか、やってきたメイドたちの教育訓練には多少時間を要したが、業務量は減ったし心理的負担も減ったせいか、下ごしらえする時には雑談が飛び交うようになったのである。


 それだけでなく、この料理班を率いるパルチミンにも少し変化があったのもきっかけの一つだろう。


 今までは周りに張り詰めた空気を醸し出していた彼女ではあったが、今では時々『あそび』が生まれたようにも感じられるようになったのである。前までは彼女から声を掛けられればメイド達は緊張の糸を張り詰めさせていた。しかし今では笑顔で返せるようになったのだとか。これもひとえに、自分自身を追い込み過ぎてた彼女を解きほぐされたからではなかろうか。


 そんな穏やかな午前の光景を、物理的な衝撃が突き破った。領主館の厨房と言う奥まったところの、しかも勝手口という場所なんてメイド以外、人が出入りするところではない。しかしその小柄な女は構わずにやってきたのだ。


「やっほー、パルチミン伍長はいるかね?」


 元々建付けが良くなかった扉を遠慮なく開けたのは濃紺のオーバーオールに赤いスポブラ姿のエリナであった。彼女が勢いよく扉を開けたせいで、引き扉が蝶番を引きちぎってガタンと外れてしまったのだ。


「あぁ、エリナ師! どうぞどうぞ!」


 出迎えたのはかつての「鉄仮面」が嘘のように剥がれたパルチミンが柔和な笑みで彼女を迎え入れた。


「いやいや、料理人でもないのに仕込み中の厨房に入ろうとするほど、私の神経は図太くないわよ」


 エリナはそう言うと樫材の重々しい扉を壁に軽々と立てかけると、手に持っていたアタッシェケースをパルチミンに差し出した。


「……注文の品だよ。きっと待ちわびてると思ったから、超特急便で持ってきてやったよ」


「もうできたんですか!?」


「お客様を待たせるのは、私の主義じゃないんでね。……ここで見てるから、使用感を教えて欲しいな」


 ステアリンと共に酔虎亭で土下座して頼み込んだ包丁が、意外にも早くに完成したのだ。パルチミンは逸る気持ちを抑えてそっとアタッシェケースを開く。イモやニンジンを片手に仕込み中のディア兵長たち部下も覗き込みにやってきた。開かれたケースを見て、全員が同じ言葉を漏らす。


「……なに、これ」


 長いものは1ハリ(≒33cm)もする牛刀で、一番短いものであっても4シュン(≒11.8cm)のベティナイフ。大小さまざまな包丁がずらりと七本並んでいた。どれも丁寧に打たれ、砥ぎ澄まされた逸品だというのは料理メイドなら誰でも理解できた。だが、一丁だけひときわデカイ刃の包丁がアタッシェケースの蓋部に固定されていた。パルチミンは不思議そうな顔してその固定を外してシースを抜く。


「……なに、これ!」


 包丁の柄にまるで大きな鉄板が付いているような形の、今まで誰も見たことがない形の包丁であった。全員が心の中で「なんじゃこりゃ!」と叫んだだろう。それを見てエリナは満足そうに頷く。


「いろんな意味で何にでも使える包丁だよ。ニンニクをベチコンと潰せるし、骨ごと鶏肉を叩き切れる。……まあ、嫁には『要らない』って言われちゃったボツ企画なんだけど、モグラット師が面白がったから勝手に作ってみたのよ」


 皆の驚いた顔を見れて満足しているのだろう、腰から工具を抜いて壊した木扉を直そうとしていたエリナがメイド達の顔をちらりと見てからそう言った。この幅広の刃の包丁は、前々からエリナの頭の中で構想はあったのだ。そして実際に自分で作り、自宅で実際に使いこなしてはいるが、嫁オロから『ちょっと私は要らないかなぁ』と言われ、あえて制作を封印していたものである。


 しかしある日の酔虎亭で、その大ぶりな包丁の話をするとコルヴィもモグラットも、


「面白そうだから作れば良いじゃん」


と言うもんだから、オーダーには無かったが勝手に作ったのである。料理用の鉄板に持ち手がついたかのような仰々しい包丁だ。


 もちろんパルチミンもディア兵長以下の料理メイドたちも驚きは隠せない。メイド達は口々に『これって包丁、よね?』と感想を漏らすし、パルチミンに至ってはどう扱って良いのか少々迷っている節も見てとれた。


「ちょ、ちょっと使ってみますね?」


 だがパルチミンは、エリナに促されてそう言うと包丁を一度洗い、指の腹で刃の具合を見始めた。モグラットの手による砥ぎだから刃が鈍らな部分なんかある訳はないのだが、やはりこれも彼女の癖なのだろう。そしてまな板に転がるダイコンに包丁を軽く宛がった。


 すとん


 擬音を当てはめると「すとん」だろうが、音なんか無かった。包丁が重力に引っ張られるかのように、いつの間にか刃がまな板に食らいついていたのだ。しかも刃の切れ味が予想以上なのか、まな板に食い込んでいるし、ダイコンの断面なんか貼り合わせれば元に戻りそうなぐらいに瑞々しい。そしてパルチミンはそのダイコンを手に取ると、ケースに入っていた野菜切りを抜いてなんとかつら剥きを始めてしまう。刃がダイコンの側面に当たると、ダイコンは回転に併せてスルスルと剥けていく。今までどれだけ練習しても出来なかったかつら剥きが、向こうが透けて見えるほどに薄くできたのだ。


 横で見ていたメイドたちは生唾を飲むのも忘れて魅入っていた。


 かつら剥きし終えたその大根を折り畳み、まな板に置いた大きな包丁で刻むと、まるで糸のようなダイコンツマが出来上がっていく。その包丁はパルチミンの手に吸い付き、彼女の思った通りに刃が動き、食材は刻まれていく。まるで夢のようであった。


「どう? 使い心地は?」


「すごく良いです!」


「他の包丁もどんどん使ってみな」


「はいッ!」


 この時のパルチミンの楽しそうな顔は、料理メイドたちが初めて見た活き活きとした顔であったと報告書に書かれていた。ある日を境に表情の幅が増えたとディア兵長の報告書にも書かれていたが、今日の出来事はそのふり幅がぐんと増えたきっかけであると明言されていた。


 パルチミンは包丁一本一本を取り出してはネギやダイコンを刻む。牛刀は切れ味や重量バランスが計算通りで切れ味も抜群だった。しかもこれだけたっぷりの鉄を使っているのに羽のように軽い。


 ペティナイフなんて小さな野菜の皮むきから小魚の処理に最適である。こんな小さなナイフの切れ味なんて程度が知れるかもだが、その思いを別の意味で裏切ってきたのだ。


 野菜切り包丁もカボチャといった硬い野菜も抵抗なく切れる。刃が厚くて重量感ある魚用の専用包丁は大小入っているし、カルパッチョを作る際に肉や魚の刺身を切り出す柳葉包丁まで入っていた。そしてパルチミンにとって使い勝手が良いであろうオールマイティの三徳包丁には驚きを隠しきれないでいた。


 しかも包丁にはすべてに『Palmitimin=Erina』と銘が入っていた。敢えて正しいスペル『Erinã』の表記は避けたようである。


「気に入って頂けたかしら?」


「もう感無量です、私が思ってたさらに上の出来です!」


「職人だもの、顧客の要求を裏切るって考えはないわよ──じゃあ!」


 木扉の修繕を終えたエリナはそう言い切ると胸を張って応えた。誇り高き職人として、満足のいく完成品を見て喜んでくれた事に狂喜したかっただろう。だが、大人の女性としてそれは我慢したようである。……だがきっと彼女がシラフだったからである。もし彼女が酒気を帯びていたなら、再び木扉を破壊する程に喜びを爆発させていたかもしれないが。


 さて帰ろうかと踵を返そうとしたその時、エリナは一つ思い出したかのような顔をして訊く。


「……ところで、ディア兵長ってのは誰?」


 突然名前を呼ばれたため、小柄なディア兵長はビクリと肩を震わせた。全員がディア兵長を見る。


「あ、はい。私です!」


「ふぅん」


 ディア兵長は綺麗な敬礼をして応えた、エリナはその様子を興味深そうにまじまじと見た。背丈はエリナと言うほど変わらない、小柄な少女のような身体つきである。だが、顔を見るとなんとなくだが見覚えがある顔をしていた。


「ところでさぁ、あなたが使ってる包丁って、一体誰から貰ったの?」


「あ、はい! えと、私の父からです! 若い頃に使ってたものだって言ってました」


「お父様?」


 ディア兵長が教科書通りの敬礼を続けながらそう応えると、エリナはオウム返しする。


「はい! 父は若い頃、ルツェル公国の貴族家で料理人をしてましたから!」


「……え、あんたの父上ってひょっとしてヴェスパ=フランコさん?」


「はい! ……え、なんで知ってるんですか?」


「だって……」


 それ、私の夫の従兄弟じゃん! エリナはそう言おうとしたが、止めた。ディア兵長を見て二コリと笑って言葉を飲み込んだ。ディア兵長はエリナと同じぐらいの身長の女の子である。そして眉や目尻は夫マロッシによく似ていたのである。ドワーフの血を汲んでるのは何となく感じていたが、まさか夫の血縁者の子だとは思わなかっただけである。


 なお、マロッシが従兄弟であるヴェスパ=ブランコに送った包丁が『聖剣』と称されたのである。その聖剣が周り廻ってディア兵長に渡り、くたびれた状態でモグラットの下へとやってきたのだ。なお、モグラットから最上のメンテナンスを受けた聖剣は歪みや錆びが取られ、徹底的に砥ぎ澄まされて再び息吹を与えらた。ディア兵長の元へと戻った時には、くたびれた包丁ではなく『聖剣』へと戻っていたという。しかも専門の砥師に仕上げられたものは、きっとマロッシが作った包丁よりも良くなっていたのかもしれないが。


 *


「……以上、パルチミン伍長とステアリン軍曹の包丁の件でした」


「うむ。さすがエリナ殿とモグラット師と言うべきかな」


 領主館執務室にて、トマファがヴァルトアへと報告書を提出した。その報告書には料理班で横行していたステアリン班長への過重労働、料理班全体でのサービス残業の隠ぺい、その後出された改善策についてもきちんと書かれていた。


 そしてエリナの人となりに絆されたステアリンたちの件も書かれていた。エリナが打った包丁の出来は本当に素晴らしく、パルチミンだけでなく『麦と月』にて雌伏の時を過ごしている停職中のステアリンの感想までもが丁寧に書かれていたのだ。


「エリナ殿の包丁がステアリン達の心を鷲掴みしたんだから、『聖剣(マロシィ)』もそうだろうが『神器(エリート・エリニャ)』を彼女たちに与えたならどうなってたんだろうな」


 ヴァルトアが火酒の入ったグラスを傾けながらそう言った。トマファは一口グラスの火酒を啜ると一つ頷いた。


「ヴァルトア伯、それが各国の間諜や僕が放った“草”ですら『神器(エリート)・エリニャ』の制作者については『不明』と回答してきているのです。……それに巷の鑑定番組で『エリニャ作』と称される打刃物が何度も出品されてもそのことごとくが贋作ですよ? 本人希望額に対して鑑定額があまりにもお粗末すぎて司会者が笑い転げるところまでがお約束になってるんですから。そして掲示板の鑑定スレでは『実は本物など存在しないのでは?』と囁かれてるし、当代随一の打刃物鑑定師でさえ『噂に聞くのみで、実物を見たことがない』と零してる始末です」


 トマファはそう言うと、手に持つグラスに残った僅かな火酒を一気に流し込んだ。ちなみに巷の鑑定番組では隣国の美術品、有名な画家の作品、陶磁器の絵皿が出ると大体が贋作や習作ばかりで、オチやお笑い扱いされたりする。……まぁときどき本物が出るから面白いんだけどね。


「てかトマファ、お前、『神器(エリート・エリニャ)』の作者はハルセリアから聞いてるんじゃないのか?」


「それが、彼女に訊いても『知らないったら知らない! 私は何も知らないんだからね!』と頬を膨らませるばかりでして。あはは」


 トマファはそう言うや、ヴァルトアはトマファのグラスに火酒を注いでやると、彼は一気に飲み干した。そしてトマファが提出した報告書に玉璽をぽんとおしたのであった。



 ルツェル歴1083年作の包丁が呼んだ聖剣伝説はここまでである。『聖剣』の名を欲しいままにしたマロッシ作の包丁はディア=フランコへと継がれ、また次の世代へと続くかもしれない。そこから先は、エリナもフランコも、トマファ達ですら与り知らぬ話であろう。ただ、逸品は、手入れをすれば一生モノである。


 *


 なお、ここからは先は完全に余談である。


 ヴァルトアが確認印を押印した『料理メイド班の労務改善報告書』をトマファに手渡すと、トマファは口を開いた。


「金属加工ギルド長は、エリナさん作の包丁をどんどん売り出したいと言い出してきましてね」


 ギルド長が書いた企画書には、『エリナと業務提携を結び、包丁の生産に入りたい』と書かれていた。その企画書で書かれている、エリナが携わるのは『鉄片を打って半成品にする』までである。仕上げをしていない半製品(仕掛品)をギルドが買い上げ、それをギルドの研磨部にて形成し、砥部にて仕上げて販売するという完全分業制による生産である。今回の包丁もエリナが一人で打ち、彼女一人で砥いで完成させていたとしたら納期は随分と時間がかかっただろう。現に『Erite(神器)-Luzer ”Erinã”』の生産本数が少なすぎるのも、彼女がすべて一人でやっていたからである。


 ギルドとしては『専門を切り分けた上で分業システムを構築し、かつ品質保証部にて検査を実施した上で販売する』という構想であった。だが、半成品の製造はエリナ任せというのがトマファは目を留めたという。


「んまぁ、ステアリンたちが絶賛する包丁だもんな。商売に目ざといギルド長が売り出したいって言ってきても戯言とは思わんよ。……どうするんだ?」


「エリナ殿からは『私、ただの主婦なのよ?』と一笑に付されましたので、勝手ながら僕の方でギルドへ断りを入れておきました」


 トマファはそう言うと、別の企画書をヴァルトアの執務机へ置いた。ヴァルトアはそれを手に取ると老眼鏡をかけて、読んだ。


「まずは金属加工ギルド内で、鍛冶師たちの技術向上を図るべきですよ。あのギルド、お抱えの職人だけでも百人近く居ます。見習いや家族を含めたら一個中隊ほどの規模ですからね」


「そんなに居るんだな」


 ヴァルトアは感嘆な声を漏した。


 キュリクスの金属加工ギルドは、他の大都市ギルドとは少々毛色が違っている。余所では『蹄鉄』や『鋲螺』といった細かい業種ごとにギルドが存在するが、キュリクスでは金属加工を行う職種はすべて同じ『金属加工ギルド』が取り仕切っている。ギルド内には蹄鉄や鋲螺、鉄管といった専門部署があり、その部署内で徒弟制度を用いて次世代への育成を図っている。しかしその部署の親方は全員が鍛冶師だ。


 他にも旋盤を使って金属を切削する者、砥石を使って砥ぎや研磨を専業とする者、熔接を得意とする者、金属に塗装やメッキを施す者と、こちらの親方は鍛冶師ではなく『職人』である。他にもモグラットのようにギルド内に工房を持って技術研究し、積み上げた基礎研究を広く公開する技師が居る。


 そのためキュリクス金属加工ギルドは『金属加工の総合商社』と例えたほうが判りやすい。もちろんそのギルドを統括するギルド長は存在する。


「で、刃物を専門に扱う鍛冶師、研ぎや研磨を専業とする職人にエリナさんやモグラット師の技術を学んでもらうんですよ。せっかくキュリクスのギルドには分業化のラインシステムがあるんですから、それを突き詰めてもらいたいと」


「ほう。突き詰めるにしても職人たちにもプライドってのはあるだろ? 異国の女性が指導するって聞いて不快に思う連中も要るだろう?」


「ええ、出るでしょうね」


 トマファは火酒を啜り、冷徹な眼差しで続けた。


「ですが、新しい技術を受け入れない職人は市場(マーケット)から淘汰されるだけですよ。自身の食い扶持を守るために何が必要かを判断できない人間は、遅かれ早かれ排除される運命にありますよ」


 トマファの容赦のない言いっぷりにヴァルトアはふぅとため息を付く。そして火酒をくいっと飲み干した。トマファも同じく飲み干すと、話を続ける。


「鍛冶師にオーダーメイドするのは悪い事とは思いません。ですが、それでは市場が求める物に商品は即応は出来ません。しかも手間数ばかり掛かればその分、販売価格も価額も跳ね上がります」


「確か、連続生産される工業製品の原価を測定するために原価計算学が生まれ、工業簿記が発達したんだよな」


「左様です。ですが、我々はその大量生産の一歩先を進むんです。『工程の標準化』と『材料の均一化』を図り、『技術の継承』に『大量生産』、そして『品質保証』も加われば製造原価は下げられますし、製品の出来はかなり安定するはずです」


「だが、そのやり方は『市場の即応性』には向いてないんじゃないか?」


「逆ですよ。市場の要求を『安価なキュリクス製品』にすり替えるんです。他国が高級な一品物を大量に作っていたとしても、市場でキュリクス製品の存在感を出せば太刀打ちはできないでしょう。もちろん、市場の要求を完全無視するのではなく、バージョンアップは必要です。ですが他国が入り込む余地をなくし、駆逐さえすれば市場は何もいえませんよね?」


「うむぅ」


 トマファの言う事には一理あるな、ヴァルトアは思った。だがトマファはニヤリと笑うとこう続けたという。


「ですが、包丁が大量に売れるって世界、そうそうないと思いますけどね」


「まあな。包丁なんて一度買えば数十年単位でコキ使われる道具だ。そう簡単には買い替えんだろうよ」


 二人の男は笑い合い、残りの火酒を飲み干した。窓の外ではキュリクスの工房から響く槌の音が、今日も途切れることなく続いていたという。


 *


 エリナがステアリン用として最初に打った『三徳包丁』は、いい意味で注目を浴びる事になったという余談をする。


 定食屋『麦と月』にて大量の食材を三徳包丁一本で仕込むステアリンの包丁を見て、ティチノの末息子が驚いた。包丁と言うのは食材に併せて持ち替えるものである。しかし小柄な彼女の手には取り回しが良い三徳包丁が握られており、その包丁が広いまな板の上で縦横無尽の働きを見せていたのである。しかも剣先は僅かに丸みを帯びてるから指先を突き刺す事も、まな板を痛める事も、そして刃本体を痛める事がない。


 ティチノの息子はこれを見て、同じ包丁を求めて金属加工ギルドへとやってきた。受付嬢クラメラはその話を聞いて『子分』である親方衆に試作品をを作らせたところ、あまりの便利さ取り回しの良さに彼女の独断で一般販売が決まったという。


 しかも包丁サイズは通常サイズの5.5シュン(≒16.5cm)、大きいサイズの6.05シュン(≒18.2cm)の二種類だけ。しかもこれ一本あれば嫁入り道具もかさばらない。


 そしてこの受注がちょうど春先ということも幸いしてしまう。春の主神祭を過ぎた頃からブライダル業界は忙しさを増すし、この時期は卒業・入学も重なる時期である。そこで料理学校へと進学を決めた若者がこぞって『三徳包丁』を買い求めたのである。ついでに受付嬢クラメラも結婚が決まっていたというのも、彼女がこの商品をゴリ押ししたきっかけだったのではと裏で囁かれている。


 切れ味も良く使い勝手の良い三徳包丁は一瞬で『キュリクスの名物』となったのである。ステアリンが発明した『シノワ』に続く二匹目のドジョウである。もちろんそんな便利なものはキュリクスを飛び出して行くのも、一つの市場原理だろう。


 ☆


 とある休みの午後、キュリクスから遠く離れたとある町の中央市場に設えた屋台には口上軽やかな行商人が声を上げた。


「さぁ、見てらっしゃい買ってらっしゃい! 驚くなかれ、これぞ一人三役! 野菜、肉、魚、なんでもござれ!」


 笑顔を絶やさない実演販売に、買い物客や荷車を引く労働者たちが足を止める。屋台の前はあっという間に黒山の人だかりだ。町にやってきた貴族たちまでもが足を止めて行商人の男を見ていたという。


「いったん刃が食い込んだら、スィーっと切れます!」


 この行商人の、立て板に水を掛けるがごとくの売り文句に人々はあまりの切れ味に目を奪われた。行商人が横に立つ妻から差し出されたニンジン、冷凍魚、さらには「なぜかそこにあった」VVR二芯の電線までもをスパスパと切り刻むたび客たちから「おおーっ!」と歓声が上がる。行商人の舌はさらに滑らかに回っていく。


「ここに用意したるは焼き立てパン! たったいま買ってきたばかりですよ! ふわふわしててもスパッと切れちゃう! ほら、ギコギコはしません!」


 だが、その日に妻が買ってきたパンは、想定を遥かに超える「ふわっふわ」だった。行商人の持つ包丁はパンには食い込むものの、一向に断ち切れる気配がない。行商人は笑顔を張り付かせたまま、必死に刃を上下左右に動かした。


「ほら、ね? ギコギコしません! ギコギコして……ませんからね!」


 必死の「スィーっと切れてます」アピールに、客からは容赦ない野次が飛ぶ。


「おい! 思いっきりギコギコしてるじゃねぇか!」

「パン潰れてんぞ、おい!」


 客たちは行商人の必死さを見て大爆笑である。


 市場が爆笑の渦に包まれる中、夫の窮地を見て、妻が何をトチ狂ったか、水筒を耳元へと持ってくるととんでもないフレーズを叫んで空気を上書きしようとしたのである。


「あぁ~、水素の音ぉ!」


 ……さっぱり意味が分からない。だがその場の勢いと「なんか凄そうだ」という空気感、そして『安定のキュリクス製品』に押されか、その日の夕鐘が鳴る前には完売したというから驚きである。

執筆中はCATVでやってるQVC福島か、夢グループの映像を垂れ流してます。



☆おまけ

・三徳包丁

自宅の台所で家庭料理するには非常に便利です

が、厨房に入って仕込みをするには『小さすぎ』ですね

大量の食材を処理するには力不足です


調理師専門学校で学生さんたちは基本的に『牛刀』を使うよう指導されるそうです。調理師資格を得てからの彼らは、殆どが大きな厨房で働くわけですから三徳包丁で慣れていたら仕事になりませんからね。



☆おまけ2

・原価計算学

【羊が人を食い、数字が職人を食う話】


ヴァルトア:「確か、連続生産される工業製品の原価を測定するために『原価計算学』が生まれ、工業簿記が発達したんだよな」


 簿記学と産業革命は密接につながっています。


 複式簿記そのものはルネサンス期のイタリアで自然発生し、体系化されました。しかしその技術が海を渡り、産業革命期のイギリスで「原価計算学」へと進化したことで、世界は決定的な変容を遂げることになったのです。


 産業革命といえば「蒸気機関による大量生産」と教科書で習いますが、実はその裏で「原価計算」という概念が生まれたことこそが真の革命でした。なぜならそれ以前の「近世ヨーロッパ」において、大量生産なんて社会構造的に不可能だったのです。その最大の壁が「職人ギルド」――賢明なる読者諸君なら、親の素性よりも見知っているであろう、ファンタジーの定番組織です。


 最近では『冒険者ギルドをクビになって~』なんて三文小説が「小説家になろう」に星の数ほど転がっていますが、実在した「職人ギルド」の本質は、賢明なる読者諸君が大嫌いな『利権構造』そのものです。


 当時の都市はびっくりするほどコンパクトです。敢えてミュンヘンを例に出しますが、今でこそ大都市です。ヨーロッパのハブ空港もあるし、バイエルン=ミュンヘンもあります。ビールと歴史、文化が豊かな都市ですが、近世(16~18世紀)では人口わずか2~3万人程度の小規模なコミュニティでした。そんな狭い市場で自由競争を許せばモノの価格は暴落し、職人は共倒れになってしまいます。


 パンで例を出しましょう。定価が銅貨4枚とギルドが定めていたのに、A店がパンを銅貨3枚で売れば、B店は2枚に下げ、C店は「2個で5枚」という安売りを始めるでしょう。これを防ぐためにギルドは市場競争を徹底的に「阻害」しました。廉価販売を禁止し、価格統制したのです。これもパン焼き職人たちを守るための『利権構造』です。そしてギルド特有の『職人制度』も、どこのパン屋も同じ品質の、同じ価格のパンを販売するよう【品質を担保した組織】でもあったんです。ですから、もしギルドに属さないモグリのパン屋が店を出そうものなら職人たちがハンマー片手に店を叩き潰しに来る。……これは比喩ではなく実話です。ギルドは職人の生活と利権を守るための、最強の「独占組織」だったのです。


 なろう小説なら、『中世ナーロッパ』に転生してきた主人公がハーレム築いてイチャラブを見せつつギルドを破壊するまでがワンセットです。(別名:ワンパターン)



 しかし産業革命が「都市の構造」そのものを破壊しました。没落する貴族に代わって資本家が登場します。彼らは唸るほどの金で土地を買い占め、工場を建てました。トマス・モアが『ユートピア』の中で「羊が人を食っている」と嘆いた通り、資本家たちは羊毛を得るため、農民から土地を収奪し、彼らを都市へと追い出したのです。


 そして土地を追われた農民たちが辿り着いた先は、資本家が経営する「工場」でした。農民たちは「使い捨ての駒」として低賃金で酷使され、機械の唸る工場で毛糸を紡ぎます。


 ここで問題が発生します。羊毛をぶち込めばカラフルなスーツが出てくる魔法の機械なんてドラえもんくらいしか持っていません。実際には「洗浄」「染色」「紡績」「製織」といくつもの工場、いくつもの工程を連綿と経る必要があるのです。しかも二十四時間稼働し続ける工場で次々と流れてくる「仕掛品(作りかけの製品)」の原価をどう測定するか? ギルド時代の「問屋制家内工業」のような単純な原価計算ではもはや太刀打ちできなくなったのです。


 そこで生まれたのが「原価計算学」であり、そこから派生した「工業簿記」でした。月初の繰越仕掛品に月中の材料投入、そして月中の完成品と月末の仕掛品。これらを勘案して【製品】の原価を算定するのが原価計算学のキモなんです。


 産業革命とは単なる動力の交換ではありません。大量生産した製品をどうやって遠方まで大量に運搬するか? 販路はどうやって切り拓いていくか? それだけではありません、資本家たちは自分たちの工場を大きくするために『株式』というものを販売して資金を調達していったのです。つまり――産業革命と言うのは社会の構造すべてを塗り替えたゲームチェンジャーだったのです。


 そのせいでギルドが必死に守ってきた販売利権も、職人のプライドも、機械化された大量生産品の波に飲み込まれ市場を食い散らかされました。誇り高き職人たちは生きていくために自ら工場労働者へと身を投じていったのです。


 現代のドイツには職人を育成する「マイスター制度」が今も残っています。それは一つの「職人文化への回顧主義」かもしれません。しかし、そのドイツが意地になって守ってきた制度が、今や中国製の圧倒的な安物に駆逐されようとしているのは、歴史が皮肉を込めて放ったブラックジョークのようですね。


 歴史は二度、三度と同じことを繰り返す。


 かつて職人が工場に呑み込まれたように、現代の私たちが直面しているのもまた新たな「構造の革命」なのかもしれませんね。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ