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289話 武辺者の鍛冶師、動く!・2

 朝靄がキュリクスを覆い、街も領主館もまだ微睡みの中にいる早朝。金属加工ギルドの通用門に鍛冶道具一式を詰め込んだ巨大な背負子を担いだエリナが立っていた。その通用門ではモグラットと、彼を師と仰ぐ若き見習いが出迎えた。


「エリナさんや。まるで夜逃げじゃねぇか」


「あはは、久々の『鉄火場』だからさ! 持ってる道具、全部持ってきちゃったよ」


 エリナが背負子を下ろすと、地面がドスンと派手な音を立てて地面が震えた。この背負子は熔接して補強が施された鉄板で出来ていた。そんな重厚な背負子にくくり付けられた頭陀袋をエリナが開けると、中には大小さまざまな槌や(たがね)、ヤットコに金床が入っている。どれもこれもしっかりと使い込まれているせいか、鈍い光を放っていた。それらが乱雑に詰め込まれている。


「──あと、作業中の喉を潤す火酒もね!」


 その頭陀袋から琥珀色の瓶を取り出すとエリナがニヤリと笑った。だがモグラットは素早い手つきでその瓶を奪い取ると自分の背後に隠した。


「え、もう飲むの?」


「ギルド内での飲食だけじゃない、作業エリアでの飲酒は領主命令で厳しく制限されてるんだ。……最悪は出禁どころか、即タイホだぞ」


「ちぇー! てか、キュリクスって『あれダメ、これダメ』が多くない?」


「どれもこれも『労働者の安全衛生を守る』ためのルールなんだよ。──ほら、安全帽と安全靴だ」


 モグラットが差し出したのは、黄色く塗装された顎紐のついた木製安全帽とつま先に鉄板が仕込まれた重厚な編み上げの革ブーツだった。


「こんなの、ルツェルじゃ誰も使わないよ!」


「これも労災事故防止措置だよ。この通用門をくぐる前に職人だろうが見習いだろうが、はたまた客人だろうが、指差確認が義務付けられてンだよ」


 その通用門には緑色にペイントされたアーチ形の模様に『安全の門』と書かれている。まるでトヨタ系列工場である。そのアーチ形の模様の中に力強い文字が躍っていた。


『安全なくして品質なし。品質なくして生産なし。生産なくしてキュリクスなし。』


「郷に入っては郷に従え、ね。──分かったわ」


 エリナは手際よく安全帽のベルトを締め、編み上げブーツを履いた。そしてオーバーオールの裾を靴下の中にねじ込む姿は、一気に「現場の人間」のそれへと変わる。彼女は何度かブーツで地面を蹴って履き心地を確認した。


「この坊主はコルヴィだ。俺が面倒を見てる見習い砥師だ」


「そうなんだ! よろしくね、コルヴィ君」


 エリナが右手を差し出すと、ひょろりとした体躯のコルヴィが彼女のその小さな掌を握り返した。


「……よろしくっす」


「コルヴィ、今日からエリナさんの下について学べることは全部吸収しろ。槌の振り方や鉄の見識は俺よりエリナさんの方が数段も上だからな」


「分かりましたっす。──よろしくな、エリナ」


 コルヴィはエリナを呼び捨てにすると、鼻を一つ鳴らして拳を突き出した。ノリの良いエリナはその若さに当てられたように笑顔で応じ、力強くグータッチを交わした。だがその様子を見ていたモグラットの顔が見る間に引き攣っていく。


「……おい、コルヴィ」


「何ンすか?」


「お前、このエリナさん……いくつだと思ってやがる」


「え? 俺とタメか、一個下くらいじゃないんすか?」


「──バカ野郎ッ!!」


 飛び上がったモグラットの、鉄アレイのような拳がコルヴィの頭上に炸裂した。『ゴスンッ!』 と、安全帽の間抜けな衝撃音が辺りに響き渡る。


「痛いっス!」


「エリナさんは、お前の母ちゃんより一回り以上も年上だぞ!」


「えぇッ!? だって、こんなにチビ……ッていうか可愛らしいのに!?」


「このバカモンが!  礼儀を弁えろ!──済まねぇエリナさん」


 顔を真っ赤にして怒鳴るモグラットと、頭を押さえ絶叫するコルヴィ。それを見てエリナは腹を抱えてゲラゲラと笑い転げた。


「あははッ! 若く見られて悪い気はしないわよ! よろしくね、コルヴィ君」


「う、……うす。……すみませんでしたっす」


 夜も明けきらぬうちから、金属加工ギルドの通用門は大騒ぎである。近くを通りかかった職人たちが、「最近の若造は元気があっていいな」とか「いや、あれはモグラットの教育がなっとらん」などと勝手なことを言い合いながら仕事場へと向かっていく。キュリクスの新しい朝が鉄と炭石の匂いと共に動き出そうとしていたのだった。


 *


 敬虔なドワーフ族であるエリナは、まずは竈の処女神にお供えと聖句を捧げた。大量の炭石とわずかな魔素をくべ、種火を放り込んで火を熾す。フイゴで新鮮な空気を送り込むと、モグラットの工房内の鉄火場がゆっくりと、だが力強く目を覚ましたかのようである。竈の中で煌々と、そしてメラメラと燃え盛る炭石を確認し、十字を切りながら『主神と月と精霊の御名に感謝』と低く聖句を唱えると、エリナはようやく炉の火蓋を静かに閉めた。


 工房の隅では、この工房主であるモグラットが椅子に腰を下ろし、腕を組んで二人の様子を黙って見守っていた。その眼差しにはエリナへの全幅の信頼と、少々間が抜けた愛弟子コルヴィへの期待が入り混じった複雑な色が湛えられている。


「エリナ師、まずは何をしましょう?」


 緊張感で表情を強張らせたコルヴィが訊いた。火熾しは本来、見習いや丁稚の仕事だ。しかし熟練の職人であるはずのエリナは、自ら床に四つん這いになって種火を投げ入れ、手動フイゴまで駆使して火を熾してみせた。それだけでなく手伝おうとしたコルヴィを「しっかり見ててね?」と笑顔で制したため、彼はただ突っ立っていることしかできなかったのだ。


 コルヴィの心には『火熾しぐらい俺にだって出来るのに』という不満が燻っていた。エリナが火蓋を閉めるのを待ってようやく出たのが、先の一言だった。


「まずね、コルヴィ君。……私が自分で火熾しをした理由、判る?」


「いえ、まったく分かりません」


 にべもなく応じるコルヴィに、エリナの表情がわずかに硬くなる。だが、彼女は努めて声色を穏やかに保ったまま続けた。


「じゃあ、質問を変えよう。……この炉は何をするためのもの?」


「そりゃ、鉄を熱して溶かすためでしょ!」


「正解! すごいすごーい!」


「それぐらい知ってます。バカにしないで下さい」


 子供をあやすような楽しげな口調を聞いてコルヴィはついにムッとして言い返した。そんな彼の顔を覗き込んだエリナは、不意に真顔に戻ると、射抜くような鋭い声でこう告げた。


「鍛冶師ってのはね、赤くなった鉄片を馬鹿みたいに熱して叩いて伸ばすだけの簡単なお仕事じゃないの。その鉄片の中にある、小さな小さな分子の粒の事を考えて熱し、叩いて不純物を追い出して整えるのがお仕事なの」


 エリナの優しさの中に潜む厳格な響きにコルヴィは小さく「……はい」と応えた。エリナは若い弟子に教え諭すように言葉を重ねる。


「そのためにはね、炉のどこがどれだけ熱いか、熱効率はどうか、どこに炭石を補充すれば温度を無駄に下げずに済むか。……それだけじゃなく、貴重な燃料をどう節約し、鉄を休める場所をどこにするか。そのすべてを、火を熾す前から『計算』してなきゃいけないのよ」


「そ、そうなんですか……」


「コルヴィ君は、この炉を設計した人?」


「違います」


「モグラット師。この炉って、レジヌルさんが作ったでしょ?」


 エリナが背後のモグラットに振ると、彼は短く応じた。


「……あぁ。このコルヴィの爺さんが熱効率を計算して設計した炉だな」


「これ『レジヌル式カマクラ炉』だもんね! ルツェルもガラス職人が模して使ってるし、キュリクスの反射炉もカマクラ炉の応用型だもんね」


 レジヌル――かつてこの金属加工ギルドで働いていた男であった。鍛冶師でありながら数学者、そして理論物理学者でもあった。非定常解析という高度数学を使っての効率的な炉の設計と施工には秀でていたが、先の統一戦争時に旧王国軍の農民兵に斬り殺された悲劇の天才でもある。


「じゃあ、あなたのおじいさんであるレジヌルさんの意図を汲み取って、炭石をくべてる?」


「……いえ」


 消え入りそうなコルヴィの声を聞くと、エリナは白い八重歯をのぞかせてニコリと笑った。彼女はぐーっと背伸びをすると、呆然とするコルヴィの肩を叩き、そのまま飛びつくようにして彼の頭を激しく撫で回した。拗ねた子供にじゃれつく母親そのもの、彼女なりの労いだ。


「じゃあ、明日の火熾しはきちんと教えながらやらせてあげる。あんたのおじいさんが、この炉にどんな思いを込めたのか、ね。今日はその『見本』を見せたかっただけ。……あんたを邪険にしたいわけじゃないんだ。嫌な思いをさせたなら、謝るよ」


「わ、分かりました!」


「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、褒めてやらねば、人は動かじ、ね」


「はいッ!」


 コルヴィは反射的に、幼なじみのメイドであるロゼットやプリスカが見せるような見事な敬礼を返して叫んでいた。それを見たエリナは「なにそれー!」とゲラゲラ笑いながら、オーバーオールの胸元から一冊のノートとペンを取り出した。


「あとこれ、使いなさい。やり方を見て、疑問に思ったらすぐペンを走らせる。作業が終わったらまとめて質問して。私たち職人は手が動き出したら止められないからさ。その都度聞かれても、即答できないんだよねぇ」


「判りました!」


「さて! 炉内が温まるまでまだ時間がかかるから、朝ごはん食べに行くよ!」


「あ、はいッ!」


「モグラット師、美味しいとこ連れてって!」


「あぁ、任せろ。『麦と月』という、とっておきの定食屋がある」


 ちょうどその時、月信教の鐘楼が朝を告げる鐘を鳴らした。街がようやく起き出す時刻。だが、エリナが火を入れた工房の炉は、持ち主の意志を継ぐように、静かに、そして熱烈に燃え盛っていたのだった。


 *


 エリナの教え方は実にユニークだった。


 コルヴィの質問に対して、彼女は常に数字と計算式で答えようとした。この世の中、『経験と勘』という曖昧なものを『見て盗んで覚えろ』の一言で片付け、指導を放棄する職人が多い中で、彼女はどこまでも理論的で理知的だった。モグラットもまた、自身の『砥技(とぎ)』を言語化しようと腐心する職人だが、エリナがやっていることはそのさらに先を行く「技術の標準化」であった。彼女の一言をテキスト化すれば鍛冶師の教科書になるだろう。なおエリナは数学が好きなのだが、最終学歴は『初等学校中退』である。そのため説明に使う数式も図書館で本を借り、夫マロッシや息子グランツに教えてもらいながら必死に独学した結果なのである。


 説明が意外と上手なエリナは、持ってきた頭陀袋の中からカラフルな三角錐の粘土をいくつも取り出した。


「コルヴィ君は、この『三角コーン』はみたことある?」


「なんですかこれ、粘土ですか?」


「そーそー。これねぇ、一定の温度になったら先端が溶けるよう出来てるんだ。この色の粘土が溶けたら鍛える鉄片を入れるタイミング、こっちの色の粘土が溶けたら鉄片に焼き入れが入れられるタイミング、そしてこっちの粘土が溶け始めたら叩くタイミングにちょうどいい。だけどこの粘土が溶けたら熱すぎるっていう風に、炉内温度を見るためのものだよ」


「へぇ! こんな便利なものがルツェルにあるんですか」


「そうなの! ウチの嫁ッ娘のオロちゃんの発明品だよ!!」


 オロとはマロッシとエリナの息子でありるグランツの嫁である。ドワーフ族の彼女はファーレン技術者ギルドの窯業部で炉や火床の設計、研究を行う生粋の技術屋である。技術一家に嫁いできた技術屋のため、夕飯時は家族で技術交換会が始まるなんてザラである。そのオロが、「経験と勘」を数字に置き換えるために生み出したのが、この『示温粘土』の三角コーンだ。


 ……まぁ、頭の固いタイプの職人からすれば『俗物な職人風情が使う軟弱なモノ』と言って蔑まれてはいる。革新的な技師が多いルツェルでも賛否両論を招いている。が、オロの生み出した三角錐を頭ごなしに否定しかしない者、『伝統・流儀』と言って自分の殻に閉じこもる者、あとは市場に耳を貸さない者は、ルツェルの市場からどんどんと摘まみ出されていっている。職人の世界なんて、資本主義と商業市場の前ではつまらないものでしかない。


 技術と言うものは革新しなければ衰退するしかない。伝統だとかなんだかんだ言って現状維持しかしない社会なんて、消極的な希死念慮である。


 エリナはそんな外野の声を歯牙にもかけない。


「道具は、使ってみてこそ初めて評価できる!(キリッ) ……いま、すごくカッコ良いこと言った?」


 エリナが平べったい胸を張って言うと、コルヴィは苦笑いを浮かべながらこう言った。


「……いやぁ、今の自画自賛でマイナス、7点ぐらいッスかね」


「残念、それじゃB+ぐらいの評価かぁ~」


 コルヴィもエリナの扱いに慣れてきたのか、お互いワイワイ言いながら指導を受けていた。もちろん、頭の固い職人が見れば『ふざけている』と思われるかもしれない。だがこれもエリナ流の教育法だ。職人が王様のように振舞い、その弟子を奴隷のように扱うのは彼女にとっては『馬鹿馬鹿しい』と思ってる。上下関係が厳しい社会が当たり前だと思って胡坐をかいてて、その若者が来なかったら職人の社会は崩壊する。


「よし、ぼちぼちステアちゃんの包丁を打っていきますか!」


「はい、では事務所のクラメラさんトコからとびっきりの地金を持ってきますね!」


「いやいや、……この鉄片でいいよー」


 そう言うとモグラットの工房の隅に置かれたゴミ箱から、エリナは鉄片をいくつか拾い上げた。朝ごはんを食べた後、エリナがコルヴィに槌の振り方を教えるために叩きまくった鉄片である。ぼこぼこに凹んで歪な形をした鉄片は、後にキュリクスの反射炉にくべて再利用するためモグラットが放り込んだものである。


「これ、使えるンすか?」


「あたぼうよ! 鉄とアンコウは捨てるところが無いって言うだろ?」


「アンコウはキュリクスじゃ高級品ですよ」


「じゃあ鉄も同じ、捨てるところはない(キリッ)」


 エリナはそう言うと工房の隅に置かれた魔導切削砥石の前にやってきた。エリナは手慣れた手つきで砥石を動かすと回転砥石に鉄片を押しあてた。きらきらとした火花が辺りに激しく飛び散った。


「エリナ師、なにしてンすか?」


「コルヴィ君、これは『火花試験』って言ってね、この鉄片にどんな成分がどれだけ含まれているかを、飛び散る火花の形状や色、飛び方や爆ぜ方によって推定する簡単な方法なのよ」


「てかすごいっすね! 花火みたいっす」


「まぁ、花火も金属微粉末の炎色反応だからねぇ。……コルヴィ君、近づくならゴーグル付けて。この火花、目に入ると一撃で失明するよ」


「ひぇ!」


 火花の散り方を見てエリナは炭素量がそこそこ多い銑鉄だと言った。その鉄片を炉の奥に置かれた火壺の中に放り込み、時折かき混ぜて様子を見る。炉内はまるで絶叫するかのように燃え盛るが、エリナは怯むことは無い。淡々と火壺の中で白く輝く銑鉄が溶けた液体をぼんやり眺めていた。


「今は何やってるんスか?」


「銑鉄の中に含まれる不純物を、このフォークでかき混ぜて、熱と空気でブッ飛ばしてるとこ。これは『ルツェル式製鉄法』って言われてるわね」


「もう、目が痛いっす!」


「キュリクスの文官レオナさんが発明したサングラス掛けてなさい、目の奥の神経が火傷するわよ」


 賢明な読者諸君なら、前にちらりと出した事がある『サングラス』は鍛冶が大好きな女文官レオナの発明品である。少量の金属元素を色々混ぜて着色した黒色ガラスを眼鏡にしたもので、元々は煌々に燃え盛る炉内を見るため、熔接中の目を保護するために作られたものである。炉や熔接を扱う職人たちから好評を得ただけでなく、休日に狩りを愉しむ隣国ロバスティア王ダンジグと王妃アシュリーからも『まぶしい平原もへっちゃらだな』と大層喜ばせたという。仮想敵国であるロバスティア王に献上品を渡すキュリクスもどうかしているが、そのおかげか周辺諸国では『キュリクスのサングラス』の名声を跳ね上げている。


 ちなみにキュリクスのサングラスは『ティアドロップ型』ばかりである。そのせいか角刈りヘアの男性がかけると『色んな意味でよく似合ってる、まるで大門警部だ』と言われるらしい。そして女性がかけると『お前は平成の歌姫・浜崎あゆみかよ!』と突っ込まれるとか。……まさに余談である。


 その後、火壺内の鉄をインゴットにして固め、今度は叩いて不純物を叩きだす。ここからが鍛冶師の修行の本番である。


「じゃ、せーので炉から出すから、練習通りにバチコリ叩いてね!」


「……うす!」


「私が『相槌役』をやるからね」


「『ゆっくり霊夢』ですね」


「んまぁそっちも『相槌役』だけどさぁ……せーの」


 カンッ! カンッ! カンッ! カンッ!

  カツツツ、カツツツ、カツツツ、カツツツ!


 ヤットコで摘まみ出した鉄火をコルヴィが槌で打つ。それをエリナがさらに大きな槌で連撃を繰り返して形を整えるのだ。人間族とドワーフ族との腕力の違いか、コルヴィが汗水たらして全身運動で槌を叩き付けているが、相槌として打つエリナの方が打撃力も強くて手数も多かった。鉄火からは火花が飛び散りどんどんと延びていく。エリナが右手でコルヴィを制すると鉄火を金床の上に置いて折り曲げた。そして再び炉の中に入れてヤキを入れる。


 コルヴィは革のエプロンからメモ帳を取り出してペンを走らせる。『気づき』があればメモをする。それで手を止めてもエリナは絶対に文句を言わなかった。むしろ逞しいなと嬉しそうに見つめていた。


「さぁ、まだまだ叩いて延ばして曲げてを繰り返すよ!」


「……うす」


「疲れた?」


「……全然、大丈夫っす……」


 朝から繰り返されている『鉄火場』での戦いは、若い見習いコルヴィであっても体力はゴリゴリと削られていた。しかもギルド内に響き渡る小気味良いリズムを聞いて職人たちが見学に来ており、何度もコルヴィ自身が手を止めてメモを取る姿は、その職人たちの目からみてどう映っただろうか? しかしコルヴィの師匠であるモグラットは、工房の隅で椅子にどんと座ると身動き一つしていなかった。これは見学してる職人たちが、エリナとモグラットのやり方にあれこれ口を挟むなと暗に言うためのものである。


「よしよし、疲れたね。……休憩休憩! 職人は慌てないッ!」


 エリナはコルヴィの表情をゆっくり見て、止める決断をした。疲労が溜まってると判断したのだ。だが、その光景を苦々しく見つめる者がいた。見学に来ていた職人の一人が吐き捨てるように漏らす。


「ふん、ルツェルの女ドワーフは小僧をとことん甘やかすんだな」


 その言葉を聞いてモグラットはムッとした表情を浮かべて席を立った、もちろん文句を言うためだ。勝手に覗いておいて勝手な事を言うな、そう言おうと思ったその時だった。


「ンだとオラぁ! ──いま、口を開いた奴、いますぐ出て来いや、このくそぼけぇ!」


 槌を床に投げつけるやエリナが立ち上がった。炉の前にずっといたせいかエリナの顔は真っ赤に灼けており、まるで紅潮しているようである。そして橙色の髪がまるで烈火のごとく燃え盛る炎のようにも見えたせいか、覗いてた他の職人たちが「ひぇ!」と声を上げるぐらいである。


「誰じゃあ! 私の大事な教え子を『小僧』と宣った奴はぁ!」


 周りの職人たちが目線で漏らした職人を指し示した。その職人に向かって肩をいからせ、ドタバタと足音を立ててエリナは近づいていった。モグラットやコルヴィが止めに入ろうとしたが、間に合わなかった。


「なんじゃ女ドワーフ、小僧を小僧と言って何が悪い!」


「コルヴィ君の限界を見て私が休憩を決めたんだ、このボンクラ! おめぇみてぇな老害に口出しされる筋合いはねぇ! 取り消せッ!」


「ンだと! 小娘風情にボンクラオヤジなんて言われる筋合いは無ぇ! お前、表に出ろ!」


「おぉん? 喧嘩か? ──ふん、吐いた唾飲み込むなよボンクラ!」


 一触即発なんてもんじゃない、戦端は切られていた。職人は「表に出ろ」と言いながらもエリナの胸倉を掴んでいるし、エリナは右手を堅く固めて振り回している。他の職人たちが二人を引き離そうとするが、既に取っ組み合いとなっていた。職人たちの殴り合いが始まる、そんな時であった。


『バシャーン』


 もみくちゃになってる職人たち全員に冷水がぶっ掛けられた。……受付嬢クラメラがバケツを持って立っていた。どうやら廊下に置かれた防火水槽の水をぶっ掛けたようである。そして彼女の眉毛は『10:05』を指し示し、右眉だけ跳ね上げていた。


「ケンカすんならマジで表でやれや老害共! 解散じゃ、解散ッ!」


 そう言うとバケツを床に叩き付けるや、足を踏み鳴らしながら背を向ける。そして廊下に立てかけられていたモップ数本を手に取ると職人たちにノールックで投げつけた。


「ケンカする暇あンなら床掃除ぐらいしとけや、このくそぼけジジイども! クビにすっぞ!」


 この金属加工ギルドで最強なのは、ギルド長よりも受付嬢のクラメラかもしれない。その後、びしょ濡れの職人たちが無言でモップをかける姿と、受付で阿修羅のごときクラメラからたっぷり一時間の説教を食らうエリナたちの姿があったのは、言うまでもない。


 なお、『表に出ろ』と言って、往来のど真ん中で殴り合いの喧嘩なんかしようものなら、警備隊が飛んでくるのは言うまでもないし、『決闘罪や暴行罪』と看做されて現行犯逮捕されても文句は言えないが。


 *


 コルヴィとエリナが叩いた鉄片については、工程順は打ち合わせ済なのでモグラットは指示通りに形成して刃付け、研ぎの工程へと入る。


 制作一丁目はステアリンが希望する『肉、野菜、魚』を扱う万能な片刃三徳包丁であった。エリナが書いた設計図に併せてモグラットが形成し、平を削ってシノギ線を出し、刃紋が浮き出るように研ぎだし、刃は薄紙一枚を落としただけで切れるレベルで砥ぎ澄ましていく。これは砥師・研磨師であるモグラットの独壇場であろう。他の職人たちはモグラットの手付きを見て、彼の職人としての腕に惚れ惚れして見入ってしまった。


 だが、コルヴィとエリナが仕上げた包丁の出来を見て、モグラットがこの仕事に携われた事に感謝を漏らすほどであった。一流の仕事に係われるなんて、職人冥利に尽きる、と。



 仕上げが終わったステアリンの片刃三徳包丁に、今度はエリナが用意した柄を入れる。こんな特級品の刃なら黒檀柄、少しレベルを落としたとしても水牛柄を入れるもんだ。しかしエリナが持ってきたものはただの朴木だった。


『せっかくなら、高級な柄にしてやればいいのに』


 そう訝しげに思いながら柄と口金を入れ、木槌で打って固定する。ふと出来上がった包丁を手にした瞬間、エリナの想いがモグラットの脳髄に駆け巡った。


「そうか、なるほど!」


 思わず叫んでしまったので、鉄を鍛えていたコルヴィもエリナも思わず手を止めた。覗いていた職人たちも何だ何だと声を上げる始末。


「──包丁の柄が手に吸い付く感覚を持って欲しいって事か!」


「さすがモグラット師! 私の『狙い』に気付いた?」


「あぁ」


「なぁなぁモグラット師、俺たち“ボンクラ”な職人にもわかるよう説明してくれや」


 覗いていた職人の一人が小さく手を挙げながら声を上げた。その周りにいた職人たちも「そうだそうだ」と声を上げる。中には「ケチケチせずに黒檀柄を入れればいいんじゃねぇの?」と小声で言う者もいた。


「お前ら、この包丁を持ってみろ。……脳みそがフッ飛ぶぜ?」


 モグラットはニヤリと笑いながら職人たちに包丁を手渡した。一人の職人が柄をぐっと握った瞬間、職人の表情が変わる。他の職人たちもそうだった。エリナの設計思想が脳みそを突き抜けた瞬間なんだろう。


「つまり、こんなずしりと重い鉄製包丁が羽のように軽く、何時間でも軽々取り回せるようバランスを計算したら朴木柄だったってことか? 黒檀や紫檀は柄が重くなってバランスが崩れるし、他の軽い木柄だと刃の方が重くなる、その間でちょうどいい形がこれ、と」


「正解! この包丁の持ち主、どうも腱鞘炎持ちみたいだから、重心が手の中に納まるよう計算したら朴の木のこの形が理想になったんだよね! しかも女の子の手はアンタたちに比べて小さいから、柄も細く握りやすいよう工夫もしてあるよ!」


 口金は水牛角の削りだし、白木の朴柄は八角形に削り上げられて握りやすい構造になっていた。ここまで使用者目線で包丁を打ってた職人はこのキュリクスにいただろうか? これもきっと主婦目線で見た、包丁の形の具現化といっても差し支えが無い。しかし職人らは勝手にメモ紙を使って試し切りをする始末であった。それをエリナは目を細めて見守っていた。


「エリナ師、あんな勝手な事されて腹立たないんですか? 師が一生懸命打って、モグラット師が調整した一品物で遊んでるンすよ?」


「別に? ケチ付けたいやつはどんな完璧なものでもケチは付けたくってぇもんさ。だけどケチのつけようのないものを生み出すのが職人の腕ってぇモンよ!」


 そういって呵々と笑い飛ばした。そして「さぁ、続きを打つよ」と言うと二人は鍛冶師の世界へと戻っていく。


「なぁ。これに『マロシィ=フランコ』って銘を打てば、『聖剣』になるんじゃねぇの?」


 だが、とある職人が冗談交じりに言ったその瞬間、周りがゲラゲラと笑い始めた。


「キュリクス産『聖剣』てかぁ!? そりゃ良い、バカスカ売れるぞ!」

「良いねぇ! バカな貴族共は『聖剣』欲しくて金を落とすし、俺たちもウハウハだ!」

「一本、エラール大金貨5枚だよ! ほら買った買った!」


 職人たちは大金を手にしたつもりになって馬鹿げた笑い声をあげていた。そんな時、鉄火に静かに槌を振り落としてたエリナの手がピタリと止まる。今まで華やかな音を立てていたのに急にシンとした。


「……止めてくんない、そんなバカげた話」


 どんなことがあってもゲラゲラ笑いながら話していたエリナの声のトーンが、ものすごく小さかった。その声を聴いて今までバカ騒ぎしていた職人たちがぴたりと声を止める。今まで賑やかしかったモグラットの工房では魔導フイゴの音と炉からパチパチと炭石が弾ける音しか聞こえてこない。全員が唾を飲み込んだ。


「……それってただの贋作じゃん! あんたらの職人魂ってニセモノを叩き上げる程度の安物なの?」


 エリナの冷めきった一言に、誰もがあまりにも馬鹿馬鹿しい事を言っていた事に気付かされたのだった。誰も、エリナの顔を見れなかった。その時のエリナの表情は、ちょうど真ん前にいたコルヴィの脳裏に焼き付いて離れなかった。 


 奥歯を噛み締め、槌を握る手は微かに震えている。目には隠しきれない悔しさと、深い悲しみが溢れていた。


 エリナは包丁を打っている時は、夫マロッシが彼女のために作ってくれた包丁に近づけるようにと打ち続けていた。世界中で『聖剣』と評された夫の包丁を目指して打ち続けた結果、『Erite-Luzer・Erinã』が完成したのだ。だが世間の評価は彼女の包丁を『聖剣』とは呼ばれない。どうしても一級下に見られていたのだ。


 だが世界中の料理人たちは、彼女の包丁を使っては最大の賛辞を示していたが、エリナにとっては物足りなかった。……どうしても夫が打った包丁には勝てない、と。『Erite-Luzer・Erinã』にもし『Maroccie=Franco』と銘打てば、人は喜んで大金を支払うだろう。だけどそれはエリナにとってそんなもん、意味のある事ではない。むしろ無意味どころか虚しさばかりが心に去来し、彼女が積み上げてきた誇りを、自らどぶに捨てることと同義であった。


「さぁコルヴィ君、夕鐘が鳴るまであと数刻、打つぜ、じゃんじゃん打つぜぇ、超打つぜぇ!」


「……うす!」


 うつむいたままそう言い放ったエリナを見て、コルヴィは職人魂というものを学べたと、後年、キュリクスを代表する職人にまで名を上げたコルヴィが語った。彼女の心意気こそが職人であり、生き様も職人なんだと。


 *


「本物って、僕が思う『完璧』の、もう一歩高みにあるんですよね」


 かつてはそこらへんにいる見習いの一人だったコルヴィは、あの日以来、正式にドワーフ族の鍛冶師エリナへと弟子入りした。それから十余年。二人の偉大な師の下で修行を積んだ彼は、今やキュリクスを代表する鍛冶・砥師の第一人者としてその名を轟かせている。初等学校を卒業してすぐ『理詰めの鍛冶師エリナ』と『言葉の砥師モグラット』という「極北の両極」から指導を受けた経験は、彼にとって何物にも代えがたい財産となった。


 現在、キュリクス鍛冶師ギルド(旧・金属加工ギルド)で販売されている彼の打刃物は、


『Erite-Kyrix “Corvy・Tine”』


の銘で知られている。その品質は折り紙付きで、今や名門料理学校の入学生、一生モノを求める花嫁たちの間で圧倒的な支持を得ているという。


 ちなみに銘にある『Tineティネ』とは彼の愛妻であり、リャマ族長マザルの孫娘であるティネ女史の名から取られたものだ。その彼女はキュリクス学院調理師専攻部にて『キュリクス料理史』を教えている。


 かつて伝説の職人たちの背中を追い、魂を削り合う現場を見てきた男は、自身の銘について照れくさそうにこう語る。


「本当はね、師匠の名前である『Erina』を入れようかとも思ったんです。でも、僕が一生かけて打っても、あの日見た師匠の『完璧』の一丁の、さらにもう一歩高みには届きそうにない。だから恐れ多くて辞めました。……それに」


 そこで一度言葉を切り、コルヴィは破顔して続けた。


「……別の女の人の名前が入ってると、妻が嫉妬しちゃうんで♡」


 かつての緊張感はどこへやら、控えめに言って「ただのバカ(最大級の誉め言葉)」である。だが、その包丁の切れ味には、師から受け継いだ「使う者への底なしの優しさ」が、今も確かに宿っている。


 なお、彼の口から『Erite Luzer:Erinã』の作者については「ノーコメントですよ」とだけであった。


【キュリクススポーツ:『幻の包丁を求めて』より抜粋】

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