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289話 武辺者の鍛冶師、動く!

 モグラットは、ディア兵長から預かっているくたびれた包丁を見て、ため息を付いた。


「いやぁ、これ見た時は『まじかよ!』って思ったよ」


「モグラット師、ほんとすんません。部下の件で御手間を取らせてしまいまして」


 金属加工ギルドの二階にあるモグラットの工房には夕鐘の響きと共に二人のメイドが訪れていた。すでにギルドの営業時間は終わっているが、受付のクラメラに断りを入れて入らせてもらっている。ちょうど仕事を終えて道具を磨いていたところに二人がやってきたのである。


「いやいや……それよりステアリン軍曹殿、息災か?」


「はい。停職1か月という配慮と御恩を頂きましたし、その間は定食屋の『麦と月』で研鑽するようオリゴ隊長から言われておりますから」


「あぁ、ティチノさんとサーシャさんの店だな。……そこで勉強か」


「自分を律し、料理に向き合えという主神の思し召しだと思って受け入れてます」


 ステアリンが胸の前で恭しく十字を切ると隣のパルチミンもそれに倣った。月信教徒のハルセリアたちが捧げる祈りとは作法が異なる、聖心教徒特有の敬虔な仕草だ。胸のちょうど「心」のあたりに十字をなぞり、彼女たちは主神への敬意を示している。ちなみにメイド隊では副長のマイリスも聖心教の信徒である。


 そんなステアリンがお世話になっている『麦と月』という定食屋はキュリクスで働く労働者たちの胃袋と健康を守っており、夜明け前から店を開けては銅貨数枚で腹いっぱいになる食事を作っている小さなお店だ。そこはティチノ夫妻が二人で切り盛りしているのだが、領主ヴァルトアとは浅からぬ因縁を持っている。


 かつての統一戦争時代、夫妻は傭兵団『麦と月』を率いていた。彼らの信念は『兵を飢えさせないことが、士気と民度を保つ』というもの。行軍中はもとより、激戦の最中ですら温かくて美味い糧食を提供し続けたという。そんな時、北部辺境に領地を持つクラレンス伯家の配下に『美味しい糧食を出して進軍する一団』が居ると聞き、お互い仲間同士であるというのに『料理対決』をするというほのぼのした闘いが繰り広げられたのであった。その一軍を率いていたものこそ、若き頃のヴァルトア・ヴィンターガルテンの事である。


 統一戦争が終わってヴァルトアが子爵位を賜る一方で、ティチノ夫妻は傭兵団を後進に託し故郷キュリクスで小さな定食屋を開くことにした。そして二十数年後、その地に新たな領主としてヴァルトアが赴任してきたのだから、運命の交差とは分からないものである。


 以来、ヴィンターガルテン家と『麦と月』は固い信頼関係で結ばれている。不手際を仕出かしたメイドを再教育のために預けることもあれば、ヴィンターガルテン家が初めて債権を販売した際には、ティチノ夫妻がそれを一手に引き受ける代わりに、市場への新店出店権を得たという逸話もあるほどだ。そこへ預けられたステアリンは、まだ彼女に期待してるからこその処分であろう。


「それにしてもステア、あんたも部下の包丁がここまでくたびれてるなら、さっさとモグラット師の手を借りればよかったんじゃない?」


 そのステアリンの横に立っているのは、今は料理メイド班を臨時で率いるパルチミン伍長であった。文官長トマファや隊長オリゴから『班長含めてサービス残業禁止』と厳しく言われたせいか、パルチミンも仕事上がりである。


「うーん、気付いたときには金属加工ギルドが主神祭休暇前で忙しそうだったからさぁ……私なりになんとかしようと思ってたらこんな事になっちゃって……てへぺろ」


 ステアリンが舌を出して苦笑いを浮かべると、それを見てモグラットもパルチミンも連られて苦笑いを浮かべるしかなかった。なんとか歪みや錆びを取ろうとした形跡は見て取れるが、素人が手出しすると取り返しのつかない事故にもなりかねない。


「まぁこれぐらいの修正なら『転生して聖剣』なんて大げさなモンじゃねえ。──だけどな、ご両人。このディア兵長の包丁の(なかご)は見てねぇだろ?」


「うん、見てないね」

「何かあったの?」


 ステアリンたちが顔を見合わせると、モグラットはニヤリと笑って包丁を差し出した。正体を知ってるからこそ彼は冒頭の『まじかよ!』と言ったのである。ステアリンたちは包丁を受け取った、柄は外されているため、傍目からは包丁の形をした鉄の板にしか見えないのだが。


「ご両人、よく見てみろ、……この銘」


 剥き出しの鉄に刻まれていたのは、古めかしくも力強い異国の文字。


『Հիմնադրվել է 1083 թվականին・Մարոկցի=Ֆրանկո՝Վիրեն・Լյուզեր;』

(『Est.1083・Maroccie=Franco:Veeren・Luzer』)


「あの……これって」


 包丁を手にしたパルチミン伍長の手が震えだした、もちろん横にいたステアリンの目はかっぴらいている。この包丁の価値が判ったことに満足したのか、モグラットはさらにニヤリと笑う。


「あぁ、ルツェル歴1083年の『伝説の鍛冶師』の作品だよ」


「てかそれ、本物の『聖剣』じゃないですかぁ!」


 パルチミンは思わず叫んでいた。身体の震えが止まらない二人がぼとりと落としては困ると、モグラットは両手で包丁を受け取ると、そっとテーブルの上に置いた。そんな時、工房の入口のドアが何の予告も前触れもなく開く。


「やっほーモグラット師! 一緒に飲みに行こうぜ!」


 入ってきたのは橙色のモコモコのモップのような豊富な髪の毛を頭の二つに分け、木綿製の黒いオーバーオールに赤いスポブラをつけただけの小児ほどの小柄な女性が飛び込んできたのだ。ぱっと見はモグラットの孫娘のようだが、露わになってる肌は淡雪のように白いが肩幅は大柄マッチョ、腕に至っては丸太と変わらないほどに逞しい。……ここまで見ればドワーフ族であるのが判る。


「よぉエリナ殿! ちょうど噂をしてた頃だよ!」


「なによー、私の悪口ぃ?」


「エリナ殿の”これ”の話だよ!」


 モグラットが親指を立てるとエリナも同じく親指を立てた。


「父ちゃんの?」


「あぁ……ところでこの包丁を見てくれ、こいつをどう思う?」


「ん? 道下正樹のように『すごく、大きいです』って、恍惚な表情で答えればいいのかい?」


 エリナはくそみそに下らない冗談を飛ばしながらディア兵長の包丁を受け取った。そして包丁を一瞥した瞬間に嬉しそうな顔になった。まるで待ちわびた恋文を手にした少女のようである。


「……ウチの父ちゃんの若い頃の作品だね! うわぁ、鉄の打ち方も刃紋も、尖ってて若いわぁ! 大事にされてるけど……少しばかりブラックな環境でこき使われてたかい?」


 それを聞いてマロッシは『やはりブラック労働に遭ったと判るか』とぼやいた。だがステアリンもパルチミンも、さらにエリナへ見つめる目の色が変わる。


「え、エリナ様のお父様って『伝説の鍛冶師・マロシィ様』なんですか?」


 今度はパルチミンが目をかっぴらいて驚いている。二人とも、普段ならこんな間抜けな顔は見せないだろう。さもなければ間違いなくオリゴに叱られるからだ。


「父さん? マロシィ?」


 エリナは一瞬キョトンとした顔を浮かべたが、パルチミンの言葉を聞いて頭の中で話を組み立て始める。


「……あぁ、『Maroccie』と書いてルツェルでは『マロッシ』って読むの! キュリクスやエラールでは『マロシィ』になるんだっけ? あと……ほら、家に子供とかいると夫の事を『父ちゃん』っていうでしょ?」


「あ」

「なるほど」


 ステアリンとパルチミンは二人手を叩くと顔を見合わせる。


「……いま、キュリクスで建造した反射炉の総責任者がこの包丁の作者のマロッシ! そう言えばパルチちゃん、この前ウチの父ちゃんにウザ絡みしてたじゃん! ……てかどうしたん?」


「エリナ様! 旦那様に是非とも包丁を打ってくださるようお願いしてください!」

「パルチずるい! 私も! 私も是非、包丁ひと揃え打ってください!」


 *


 マロッシ・フランコ(Maroccie=Franco)

 ルツェル公国出身のドワーフ族であり、現在はキュリクスにおいて反射炉建造の総責任者を務めている男である。


 若い頃はドワーフ特有の小柄な体躯を活かし、ファーレン鉱山の最奥で働く一介の坑夫であった。休日には趣味で包丁やナイフを打つ程度であったが、専ら仕事人間で敬虔で信心深い月信教徒である。


 そんな彼に転機が訪れたのは従兄弟がルツェルの名門ルコック伯爵家に料理人として雇われた際である。マロッシが従兄弟の就職祝いに贈った包丁ひと揃えの出来があまりにも凄まじく、驚愕した当時の料理長が独断で大公主催の『打刃物コンクール』へ出品したのだ。世界の並み居る鍛冶師たちが出品したその中で異彩を放つその包丁ひと揃えを見るや、審査員らから「まるで聖剣である」との最大級の賛辞を贈られたことで、運命は激変した。


 ただの鉱山労働者であったマロッシの名声はこの意図せぬ評価によって本人も望まぬ高みへと押し上げられてしまう。当時のマロッシは、坑道の中で食べる若妻エリナの手作り弁当を唯一の楽しみに地道に汗を流したいだけの「職人気質の夫」に過ぎなかった。しかし、世間は彼を放っておかなかった。鉱山には「剣を打って欲しい」と願う貴族や冒険者が押し寄せた。中には勝手に坑道へ侵入して迷子になる者まで現れる始末。そう、マロッシは仕事どころではなくなってしまったのだ。


 当時の鉱山産業界は折悪くロバスティアやビルビディアとの鉱物資源競争が激化しており、価格競争の皺寄せは現場の労働環境へと向けられていた。安全管理や労働教育コストの削減による爆発や落盤といった「労災事故」が頻発していた時期である。新聞紙上では悲劇が書かれ、荒廃していく現場。有望な若手はどんどんと鉱山から離れると、さらに労働環境は悪化の一途を辿っていくのだった。そこへ愛息グランツが生まれたばかりというタイミングも重なり、マロッシは「命を削る場所」を去る決意をする。彼は職を辞し、自宅に設えた小さな工房で静かに生きる道を選んだのだった。


 以来、彼は自らの気が乗った時しか槌を振るわず、何より刀剣といった「人殺しの道具」を極端に嫌ったために、彼が武器を打ったという記録は一つとして存在しない。だが生産本数が極めて少なくとも、それでいて圧倒的な切れ味を誇るマロッシの包丁。それが一度市場に出れば、市中どころか国中の料理人と砥師が血眼になって探し回るという。ちなみにルツェルの革細工職人が使う菱目打ちや、時計職人の緻密な治具には、今でも彼が打った道具が密かに、そして大切に受け継がれているという。


 *


「父ちゃんに頼んでも、もう包丁は打たないと思うよ?」


 エリナは手にするワイン瓶を景気よくラッパ飲みしながら、はっきりと応えた。いつもならワイン一本で「いいよ」と笑うエリナの断言にメイドの二人は深いため息を付く。パルチミンとステアリン、そしてモグラットに強引に連れてこられた酒場『酔虎亭』。散々酒を振舞われた後だというのに彼女はこの頼みだけは首を縦に振らなかった。


「そっか……やっぱパルチがマロッシ様にウザ絡みしたからだよ。あの方は下戸なのに、無理やり飲ませようとしたから……」


「それ言ったらステアだって、マロッシ様に作ったルツェル・スープのチーズと生クリームが薄かったんじゃないの?」


「違う違う。父ちゃんはそんな小さなことで腹を立てたりしないから!」


 エリナは二人があれこれ言い争いするのを傍目に見ながらケラケラと笑い飛ばし、再び酒瓶を煽る。テーブル代わりの酒樽に置かれた時にはフルボトルのワインが既に空になっていた。銅貨八枚のボトルも、ドワーフのエリナからすれば御猪口(おちょこ)一杯のようなものなのだろう。


 店に来てまだ間もないというのに、早くも四本目が転がっている。他の客なら女将のトトメスが「いい加減にしなさい!」と言うだろうが、エリナたちドワーフ相手なら「まだ足りないかい?」と聞いてくるぐらいである。


「父ちゃん、今は反射炉の品質をどう安定させるかで頭がいっぱいだし……何より、娘のナタリヤと旦那のミルドラスちゃんのこともあるからね」


「え、ミルドラス様とナタリヤ様のご夫婦、何かあったんですか?」


 ステアリンが少し顔を青くすると、パルチミンが「大丈夫よ」と苦笑いで答えた。ミルドラスは領主館の技術文官で、エリナたちからすれば義理の息子にあたる。


「そっか、ステアちゃんは『停職中』だから知らないんだ」


「……うぐっ!」


 エリナの無邪気な一言が、ステアリンの心に鋭いダメージとして突き刺さる。


「あのね、ステア。……ナタリヤ様、どうやら“おめでた”みたいなの」


「えええええっ!!??」


 娘のナタリヤといえば、母のエリナと並んで鯨のように酒を飲むことで有名だ。しかし今日はその姿がない。


「ド、ドワーフ族の方も、妊娠したらお酒を辞めるんですか!?」


「あのねぇステアちゃん、ドワーフをなんだと思ってるのさ」


 エリナは愉快そうに笑い声を上げた。ドワーフといえば水の代わりに酒を飲むイメージが先行するが、やはり妊娠・授乳期は控えるようである。つわりも重くなることがあり、妊娠初期は「家で寝ていろ」というのが種族の教えだという。普段は家族に干渉しないマロッシも念願の初孫とあっては話が別だ。外へ出たくてうずうずする娘に「安定期までは大人しくしていなさい」と口うるさく言うんだとか。頭の中は孫のことで埋め尽くされているという。


「うちの父ちゃんねぇ、『名前は何が良いか、おしめは何が良いか、粉ミルクはどれぐらい買おうか、乳母も募集しなきゃ』と孫のことばかりだからね。グランツやナタリヤが生まれた時はこれっぽっちも心配してくれなかったくせにさぁ!」


 エリナは『これっぽっち』という時は笑いながら親指と人差し指で示していた。グランツが生まれた頃のマロッシは鉱山労働者だったため、週に一度しか家に帰ってこなかった。ナタリヤが生まれた時には家で仕事はしていたがエリナに構うことなく作業に没頭していたとか。


 だが、昔の流行歌で『なんてこんなにかわいいのかよ、孫と言う名の宝物(by大泉逸郎)』というぐらいで、子どもと孫とでは随分違うらしい。


「エリナ様は、生まれてくる初孫は心配じゃないんですか?」


 パルチミンがおずおずと聞くと、エリナは新しくやってきた果実酒を相変わらずラッパ飲みする。


「心配かどうかより、元気に育ってねって願うしかないんじゃない? 私がどれだけ娘の心配してもさ、代わりに産んであげることはできないんだからさ」


 エリナは嬉しそうに笑うと、肴である漬物を口に放り込んだ。エリナは酔虎亭の女将トトメスの漬物が好きで、いつもチーズを掛けて食べている。根菜の漬物をいくつか口に放り込み、咀嚼して飲み込んでからエリナは続けた。


「でもさぁ嬉しいよ? あのミルドラスちゃんとの子どもなんだから、きっと"おちんちん"がついてても女の子みたいなのかなぁとか想像しちゃうし、女の子が生まれてきたらやっぱかわいくなるのかなぁって思っちゃう」


 いつもは酒を飲んでは豪放磊落なエリナではあったが、今日の彼女は嬉しさを静かに押し込めているかのように見えたという。モグラットは静かに女将トトメスを呼ぶと火酒のストレートを一本頼んだ。


「エリナさんや」


「ん? どうしたモグラット師」


「孫がやってくるのが嬉しいなら、一つ、この二人に包丁ひと揃えを打ってやってくれんかのぉ?」


 モグラットはそういうと、「儂も初孫が生まれた時は飛びあがっって天井壊したぞ」と親指を立てて言うとグイっとエールを飲んだ。


「鍛冶場だったら儂の工房を使えば良いし、むしろ出来上がったものを儂に最終調整をお願いして欲しい。……なんなら生まれてくるエリナさんの孫の『守り刀』を打つなら、儂が最高の刀に仕上げてやるぞ」


 モグラットはそういうと、トトメスから渡された火酒『サークリッド・フォレアル』をエリナに手渡した。それを見てエリナはニヤリと笑う。


「ふん、商談成立だ! モグラット師からこんな銘酒をご馳走してもらって何もしないのはドワーフの名折れになっちまうからね!」


「さすが『エリート』のエリナなら受けてくれると思ったぜ」


 モグラットは右手を伸ばすと、エリナも右手を突きだして然りと掴んだ。そしてその手をステアリンが、パルチミンが取ったのであった。ちなみに『サークリッド・フォレアル』一本の値段は小銀貨1枚(10シリン)、職人の一日の日当ぐらいである。


「エリート……ですか?」


 少しぽかんとした顔のパルチミンが訊くと、ステアリンは何かに気付いたのかハッとした顔を見せる。


「『聖剣マロッシ』程じゃないが、こりゃまたレア品の『エリニャ』って包丁は聞いたことないか? お二人さんや」


 モグラットの『エリニャ』を聞いてパルチミンもはっとした顔になると、二人してエリナの顔を見た。酔っぱらって赤ら顔になってる橙髪の少女を見て、今度は二人とも目をひん剥いた。


「「ルツェルの“神器”、エリート・エリニャ!?」」


 二人は大声でそう叫ぶや、酔虎亭の店内でそのままひっくり返ったのだった。


「おーい、嫁入り前のお嬢さんが公衆の面前でぱんつ見せながらひっくり返るなぁ!」


 エリナはゲラゲラ笑いながら漬物を口の中に放り込むのであった。


 *


【キュリクススポーツ著・『幻の包丁を求めて』より抜粋】


 ルツェルの神器、エリニャ(Erite-Luzer ”Erinã”)


 ルツェル公国の片田舎『ファーレン』で極々少数生産されている打刃物。店売りは一切されておらず、技術者ギルドに置かれた応募用紙を送れば「いつかは当たる」というのをひたすら待つしかないという、宝くじのような存在だ。


 ちなみに正式な発音は『エリナ』だが、ルツェルでは『ナ(nã)』の部分は鼻母音で発音する独特の訛りがあるため、ルツェル以外では『エリニャ』と呼ばなければ通じない。逆に鼻母音に慣れてるルツェル人は『ナ(Na)』と『ナ(nã)』の聞き分けが出来るので、ルツェル人に『エリニャ』というと一切通じないという事は留意して欲しい。


 専用の応募用紙には、利き手の「手形」と「用途」を記す欄があり、製作者がそれを見て刃渡りや材質、重心を決定しているという話がある。顧客の『手』の部分に細かい情報を要求しているためか『エリニャ』の切れ味は凄まじく、食材を分子レベルで断絶してしまう。お刺身などといった『断面が立ってる』食材には最適とされてるが、切断面からの味染みが重要となる煮込み用のコンニャクやダイコンには不向きと、とある料理系Youtuberリュ●ジ氏は過去に語っている。


 製作者に関する情報だが、ファーレンの技術者ギルドによって厳重に秘匿されており、各国の間諜が躍起になって探しているが未だ特定には至っていない。一説には『聖剣打ちのマロッシ』本人の変名とも囁かれているが、当の本人は取材に対し「ノーコメントだけど、違うよ」と語っている。


 なおファーレンの技術者ギルドへと生産者について取材を試みたところ、「個別のお答えは差し控えさせていただきます、てかキュリクススポーツさんと東京中日新聞トーチュウさんは取材はお断りしておりますよね?」とけんもほろろな対応であったという。


 *


「そーそー! あれねぇ、私が作ってるんだよね!」


 エリナはゲラゲラと笑いながら、モグラットから振る舞われた銘酒『サークリッド・フォレアル』を「後でじっくり飲むから」と大切に懐に仕舞い、別の火酒を煽っていた。対照的にステアリンとパルチミンは酒が入っているはずなのに顔面蒼白である。周りは飲み過ぎかと心配するが、理由は別である。


「マロッシ師から聞いた話じゃあ、『鍛冶に入ると家事がおろそかになる』ってのが、生産数の少ない理由らしいな」


 モグラットが茶化すように言うと、エリナが肩をすくめた。


「ギャグみたいだけどさぁ、打ち始めると父ちゃんのお夕飯作るのも忘れちゃうんだよね! あと、家の中がひっちゃかめちゃかになるから、打てる数も減っちゃうのさ」


 エリナがその気になれば億万長者も夢じゃなかっただろう。だけど彼女も夫のマロッシも『平凡』を望んだ。人から包丁を打てとあれこれ言われるよりも、金は無くても家族みんなで気楽に生きる事を選んだのだ。グランツやナタリヤも両親についてあれこれ言う事もなかったし、二人の伴侶であるオロもミルドラスも口を挟まない。そして幸運な事に『フランコ一家』の庇護者であるルコック家も、彼らに何も命じていないのだ。


 ルコック家といえば、この家の料理長がマロッシ作の包丁を見つけ、センヴェリア大陸に喧伝したことにはなっている。つまりこの家の当主エルンストがマロッシ達の気持ちを察してあれこれ言うのをやめているのだ。それどころか悪目立ちしたくない事も理解した上で、出身地のファーレン技術者ギルドに隠したうえで保護までしているのだから優秀な貴族であろう。自分の手元に『金の卵』を産むアヒルが居るなら産ませまくるのが貴族だが、エルンストは保護したのだ。


 ……それもそのはず、エルンストの長女は『ルツェルの爆弾娘』ことハルセリアである。


 キュリクスで反射炉建設の国家プロジェクトが動き出した際、ハルセリア経由で真っ先にフランコ一家に声が掛かったのもそうした深い(えにし)があったからだ。彼女たちは一家の気質を熟知している、だからこそ無理強いは決してしない。その恩義があるから、何かお願いされれば彼らは聞いてくれるだろうし、ルコック家も最大の支援は惜しまない。そういう関係性は今も徹底しており、最愛の婚約者であるトマファにすらマロッシたちが「伝説の作刀名人」であるという事実は伏せているはずであった。


 そんな歴史の裏側など露ほども知らないステアリンとパルチミンは、立ち飲み屋の床に正座していた。まるで降臨した主神を拝むかのように、一心不乱に祈りを捧げ始める。


「エリナ様、お願いします」

「包丁を打ってくださいませ!」


「良いよ良いよぉ? じゃあ二人とも、握手しよっか」


 エリナはあっさりと首肯するとすっと右手を差し出した。二人は顔を見合わせたが、まずはステアリンがその右手を握る。


「……うんうん、若干重心が左にズレてて刃先がSin0.23度ズレる癖があるんだね。だから根菜を切ると両刃なのに僅かに右に歪む癖があるのかな? そして腱鞘炎……交差症候群の既往歴あり」


「ッ!?」


 ステアリンは表情を変え、思わずエリナの手から離して引っ込めてしまう。この腱鞘炎の話は幼なじみのパルチミンどころか上官のオリゴにすら言った事が無いのだ。


「大丈夫、怖くないよ。……もう一度握らせて。――なるほど、片刃が好きなんだね。いいよ、分かった」


 エリナの真骨頂は、利き手を握るだけでその者の「癖」を完全に読み取ることにあった。だからこそ応募用紙には手形が必要なのだ。続いてパルチミンの手を握る。


「……うん、パルチちゃんは逆に重心が右に寄る癖があるのかぁ。あと、かつら剥きが苦手なのは腕が悪いんじゃなくて包丁が合ってないだけだから大丈夫よ。……あとさ、余計なことだろうけど……」


 エリナは、ふっと目を細めてパルチミンを見つめた。


「……?」


「弱音は、ちゃんと吐いたほうがいいよ」


 心臓を直接掴まれたような衝撃が、パルチミンを襲った。人からは『ほんわか天然メイド』と慕われ、部下からは『冷徹な完璧メイド』と恐れられている。だがその仮面の下にある「本当の自分」は誰にも見せたことがない。弱音を吐けば親友のステアリンがショックを受けるかもしれない、むしろ言ったことで自分が自分でなくなってしまうかもしれない。そして何より聖心教の礼拝において「己の弱さは自分で律すべきもの」と教え込まれた彼女にとって、心に溜まった(おり)を吐き出す場所など、いままでどこにもなかったのだ。


 ずっと、ずっと一人で耐えてきた。その重荷をこのドワーフの女性は手を握っただけで看破してみせたのだ。パルチミンの瞳から堰を切ったように涙が溢れ出す。


「痛かった? 大丈夫?」


 エリナの優しい声にパルチミンはしゃくり上げながら答える。


「はい……だけど、どうして、判るんですか」


「……当たり前でしょ。パルチちゃんもステアちゃんも、私から見りゃ娘みたいなもんなんだから。手を触らなくたって、顔を見りゃあ一発よ」


 エリナは事もなげに言うとポケットからメモ帳を取り出して、読み取ったデータを書き込んでいった。紙面を埋める数字の羅列はもはや二人の目には「神の宣託」のように見えていた。自分の心の深淵まで掬い取ってくれたエリナに二人は言葉もないほど心底惚れ込み、感服したのだった。


「じゃあ明日から制作に入るけど……二人とも、なんか『わがまま』があったら言って? 牛刀は刃渡り1ハリ(≒33cm)欲しいとか、厚みはこれだけ欲しいとか」


「いえ……私にはありません」


 ステアリンが、震える声で絞り出す。


「作っていただけるのなら、わがままなんて滅相もありません……!」


 パルチミンも、赤くなった目で力強く頷いた。


「そぉ? まあ、出来上がったら感想聞かせてよ」


 それを聞いてエリカは飲んでた瓶を樽の上に置くと、うーんと唸って伸びをする。そして両膝をぽんと叩くとぴょんと跳ねた。その様子をモグラットもステアリンたちも見つめていた。


「さ、みんな帰るよ! 嫁入り前の女の子を夜遊びさせてるなんて、ヴァルトア様やハルセリア様に知られたら……ルツェルに強制送還させられちゃうからね!」


 そう言うとエリナはステアリンたちを抱えるとひょいと持ち上げた。ドワーフ族は女性であっても満タンの木樽を抱え持つぐらいに力持ちである。ステアリンたちを肩に担いだまま、酔虎亭を後にしたのだった。それを見ていたトトメスやモグラット、他の酔客たちは顎をあんぐりである。


「……酔っ払いを運ぶにしても、せめて他にやり方があるだろうに!」


 夜道に響くモグラットのツッコミも、エリナの豪快な足音にかき消されていったのだった。

元ネタ

・『孫と言う名の宝物』(by大泉逸郎)

1999年から2000年にヒットした演歌

NHKのど自慢が火付け役でミリオンヒットになった

歌手の大泉逸郎さんは『さくらんぼ農家』である


・鉱山産業と労災

社会保険労務士の試験にはぽいぽい出てくるくせに、日本で操業している鉱山は数えるぐらいしかない不思議

(鹿児島の菱刈鉱山・北海道釧路のニューマインのふたつのみ)

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