288話 武辺者と、料理メイド班の事件簿
主神祭が明けるやキュリクスの街は速やかに日常へと戻っていく。鐘楼から放たれる『時告げの鐘』を合図に職人街からは槌が地金を叩く乾いた音が響き、炉は新鮮な空気を吸い込んで唸りを上げる。荷馬車が石畳を走る音に、商人たちの活気ある声が重なる、街は再び目覚め、生産の熱を帯び始めたのである。
キュリクスの領主館では夜哨メイドと日勤メイドとの交代点呼が行われてから、メイドや文官だけでなく領主ヴァルトアたちが食堂へとやってきて朝食に入る。この家では領主だろうが末端の新人メイドだろうが、食べるものも量も変らない。全員が同じものを食べるのだ。自宅通勤のプリスカやロゼット、セルシアもここで朝ごはんを食べる。身分の壁を越えたその連帯感が、領主館の朝の風景であった。
その彼ら彼女らの胃袋を支える厨房では、料理メイドたちが慌ただしくフライパンを振り、皿を並べて盛り付けている。だがそこに立つべき若き指揮官ステアリン軍曹の姿はない。彼女は競馬での「不名誉な叫び」により、目下停職処分中である。
代わって指揮を執るのは掃除班のパルチミン伍長であった。本来の彼女は「天然の入ったおっとりメイド」というが、厨房に立つ今の彼女はその評を裏切るような、氷のように鋭い視線と指示を飛ばしていた。
「あなた。スープの上の乾燥パセリ、もう少し丁寧に散らしてください」
「ディアさん、サラダにゆで卵を忘れていますわ」
「これ……少し焼きが甘いですわね」
料理メイド班にいるメイド達は全員が料理学校出身者ばかりではあるが、パルチミンは異色の経歴を持っている。初等学校を卒業した彼女は新都エラールの名門・王立メイド学校で学びつつも夜は学費を稼ぐためにとブラッスリーで働いていた。そのブラッスリーでの三年間の実務経験が認められて国家試験を受け、二級料理人資格を取得している。有資格者なので料理メイド班を率いる資格はあるのだが、彼女はメイド学校での専攻はなんと『お掃除学』である。そのため彼女は『掃除メインのハウスキープメイド』として働いてはいるが、班長クラスに欠員が出たとなれば彼女が代打で入れるぐらいには万能選手であると言えよう。
対して『ギャンブル依存症』の疑いある、パルチミンの幼馴染ステアリンはというとエラールの王立料理人学校で学びながら夜はレストランで働いていた。その甲斐あってステアリンは知識及び技術に優れた者だけが持つ一級料理人資格を取得している。伝統的な宮廷料理からセンヴェリア大陸にいくつもある郷土料理、黄金色の基本スープにスイーツづくり、果てはワイン知識までをも網羅する、料理の事なら何でも来いというスペシャリストであった。なお、現在は停職処分中である。
そんな二人は三年間の学校卒業後に王宮の子爵武官家として知られるヴィンターガルデン家に仕官し、メイド隊に所属している。二人は結婚持参金を貯めこむ目的でやってきたはずなのに、二人はそろそろベテランの域に至ろうとしているのだとか。そのステアリンの管理下であった料理メイド班では「効率」が優先されていた。しかし代打で入ったパルチミンの基準は、それとは全く別の次元にあった。
「パルチミン伍長って、やっぱり……」
「ステアリン班長よりも……」
「「厳しくない!?」」
代打で入っているパルチミンではあったのだが、料理に対しての姿勢はステアリンよりもはるかに厳しかった。そのため料理メイドたちはこのように小声で呟いていたという。
この料理班にいるメイドたちも新人の頃は、セーニャ曹長やマイリス副長といった『業務や指導が厳しい』班を巡っては一般的なメイド業務を勉強しているのだ。しかしその新人たちの中でも『パルチミンの掃除メイド班』だけは「指導が厳しい」として有名であったという。とはいえ指導が厳しいと言っても彼女が新人メイドをいびったり怒鳴り付けたりすることは無い。仕事に対する姿勢が緩かったりすると厳しいお小言は頂くだけである。かつて研修を受けたプリスカが「本気になれる『精神と時の部屋』だった」と震えながら称した地獄の片鱗が、今、厨房を支配しているのだ。
「あの、ディア兵長。ちょっといいかしら?」
朝食の提供が終わり、昼食の下ごしらえに入った頃だった。パルチミンがディア兵長の包丁をまじまじと見つめ、声を掛けた。ディアが手を止め、視線に促されるがままに愛用の包丁を差し出すと、パルチミンの表情がすっと消えた。
「あなた。……普段から、このような『鈍ら』を使っているのですか?」
パルチミンは親指の爪を刃に当て、引っ掛かりを確認する。
「あ、その……いつもステア班長が研いでくれていまして」
「え? あなた、自分の商売道具の手入れを、上官に丸投げしていたのですか?」
「いや、そんなつもりじゃ!」
パルチミンの眼光がぐっと険しくなった。彼女はディア兵長へ何も言うことなくシンク下から砥石を取り出すと、水を浴びせ、即座に研ぎ始めた。
「あのねぇ……。道具を見ればあなたがどんな気持ちで料理に向き合ってるか判るの。錆びも浮いてるし刃に歪みまで出ちゃってるわ。柄もくたびれて痛んでるというのに、あなたはこんな状態でも道具として使うの?」
「ご、ごめんなさい!」
「……あなた、少し無神経すぎやしませんか?」
言ってる事があまりにも厳しく聞こえるかもしれないが、正論であった。パルチミンは何度か砥石に刃を当ててはみたものの、素人の研ぎではこれ以上修正するのが不可能だと思ったようである。何度か刃を見て綺麗に洗い直し、清潔な布巾で水滴を拭い取った。
「金属加工ギルドがやってるわ。今すぐモグラット師を訪ねてこの包丁、メンテナンスに出してきなさい」
「え、でも、今からお昼ご飯の下ごしらえが……」
「こんな鈍らな包丁持って神聖なる厨房に立ってる事こそが不浄です! 調整代は領収書を切ってもらって結構だから、ついでに全部の包丁のメンテナンス、そして砥ぎ方を勉強してらっしゃい!」
「……はい。申し訳ありませんでした」
ディアは包丁ケースを抱え、全員に頭を下げてから逃げるように裏口から出て行った。残され震えるメイドたちにパルチミンの冷徹な視線が向く。
「……ディア兵長だけではありません。あなたたち全員、持ってる包丁を今すぐ出しなさい。──ついでにガーターに忍ばせている護身用ナイフも、ね」
パルチミンと言えば「少々天然が入ったおっとりメイド」と思われがちだが、仕事に対しては毅然としているし真摯でもあった。料理メイドの皆は作業の手を止めると恐る恐る自分たちの私物である包丁ケースや護身用ナイフを取り出しては検分して貰い、結局、全員が金属加工ギルドへと走る事になったのだった。
*
「……んで、今日は千客万来ってわけか」
金属加工ギルドの二階にあるモグラットの工房。そこへディア兵長以下四人の料理メイドたちが神妙な面持ちで姿を現した。領主館のメイドたちが隊列組んでやってきたならギルドの職人たちも「何事だ」と興味津々である。
モグラットの工房は鍛冶炉から大型研磨機、魔導エンジンに至るまで機器類が整然と並んでいた。壁に掛けられた工具も錆び一つ無いし床には塵一つ落ちていない。ただ、机の上の予定表には「しばらく予定なし」と寂しそうであった。
「ところでディア兵長、新聞で読んだぞ。ステアリン軍曹がまた派手にやらかしたんだって?」
「えぇ……。ですから班長の代わりに、パルチミン伍長が料理班の指揮にやってきまして」
ステアリンの失態は新聞に面白おかしく書き立てられていた。『アンコモンダモン』という名の競走馬をあろうことか『アソコモンダモン』と絶叫して逮捕。記者にしてみればこれほど筆の進むネタもないだろう。
「で、そのパルチ伍長殿に『あんたたち、この鈍らを研ぎ直してきなさい!』って追い出されたんだろ? まぁ、あの神経質な姉ちゃんらしいっちゃあ、らしいな」
ギルド一番の研師であるモグラットは、ステアリンやパルチミンとは立ち飲み屋で包丁談義に花を咲かせるような仲だ。そんな彼はパルチミンの意図を即座に察するとメンテナンスを快諾した。
「……にしても。君らの包丁は、毎晩ステア軍曹が研いでくれていたんじゃなかったか?」
「えぇ。夜の提供が終われば私たちは勤務時間の制限もありますので、片付けをせずに退勤して良いことになっているんです。私たちが帰ってから、ステア班長はその後の清掃を一人でこなしながらついでに全員の包丁を研いでてくれたんです」
「上司より先に部下が帰るか。儂からすりゃそっちのほうが非常識だが……これも『今どき』の働き方ってやつなのかねぇ」
キュリクス領主館では、文官長トマファの強い意向によりメイドの「労働時間・拘束時間」について厳格な労使協定が結ばれている。
王国労働基準法第116条第2項では、古くからの慣習として「家事労働者には本法を適用しない」と明記されている。しかしトマファは「それでは奴隷労働と変わらない」と断じるや、メイド隊も領主軍の規定を準用したのだ。原則7時間45分勤務、1日最大拘束13時間、超過分は1分単位での割増賃金支給を徹底させたのだ。(王国労働基準法36条第2項)
だが、このホワイト化が料理メイド班に思わぬ弊害を生んでしまったという。早朝の火起こしから夜の片付けまで全員で行えば、あっという間に13時間の拘束枠を使い切ってしまう。労働時間は問題なくても拘束時間を超えるのは許されない。そのためディア兵長たちは「早出組」と「遅出組」に分かれたが、それでも来客があれば規定はあっさりオーバーしてしまう。
そこで白羽の矢が立ったのが班長ステアリンだった。彼女は「管理監督者」として王国労基法上の労働時間・休憩・休日の規定外(法32、34、35条不適用)とされ、残業代もつくことはない。その立場を逆手に取り、彼女が一人で「居残りサービス残業」を引き受けることで『部下たちの36協定』を守っていたのである。
──もっとも、管理監督者であっても深夜割増賃金(22時以降)だけは支払われなければならない事になっている。「ことぶき事件(最高裁判例:平成21年12月18日)」──
「……ってことは、ステアリン軍曹、相当なブラック労働じゃねぇか?」
「オリゴ隊長に次ぐ過酷な勤務シフトかもしれません……」
「そりゃ、そのストレスであんな馬の名前を絶叫したくもなるわな」
モグラットの同情混じりの口ぶりにディア兵長以下は苦笑いを浮かべるしかなかったのだった。班長の献身(と狂乱)の上に自分たちのクリーンな労働環境が成り立っていることを、彼女たちは痛感したのである。
*
「包丁の研ぎ方なんてのは、料理学校じゃ授業の一コマ程度にしかやらん。知識として知ってはいても、実際にできる料理人は意外と少ねぇもんだ。一流料理人を名乗っておいて鈍らな包丁振り回してるバカなら何人か知ってるぞ。……ま、そのおかげで儂ら『砥師』の飯のタネが尽きないんだがな」
モグラットはふと習慣でパイプを取り出そうとしたが、目の前のメイドたちが料理人であることを思い出し、それをそっとポケットに戻した。たとえ受動喫煙であっても料理人の命である味覚と嗅覚を紫煙で汚してはいけない。そんな無言の配慮が、彼の職人としての矜持を物語っていた。
「パルチミン伍長から、毎日の最低限のメンテナンス方法を勉強してこいと言われまして……」
「判った。まぁ、学校で習ったことの復習になるが、じっくり教えてやるよ」
モグラットは彼女らを工房の中央、鎮座する砥場へと促すと、ディア兵長の包丁を手に取った。先ほどパルチミンにさんざん酷評された、あのくたびれた一丁だ。
「あぁ、歪みが出てるし僅かに刃こぼれしてるな。この包丁の立場から言わせてもらえば……
『料理人がブラック気質だったので転生して聖剣になります! ──そしてハーレムむふふ♡』
……とかいうタイトルで小説家になろうで掲載できる程度にはくたびれてるなぁ」
けっこう俗な説明ではあったが、モグラットが考えた『疲れ切った包丁』の説明なのだろう。とはいえ異世界転生したらどうしてハーレムがついてくるのだろうか? 現世ではコミュ障だったくせに異世界へ行って根アカになるのなら、現世でもうまくやれとしか思えないんだが……? というか現世でコミュ障で死んだなら、異世界へ行っても何も変わらないと思うのは、冷めているからだろうか?
……閑話休題。
ハーレムを作りたいとか、そういえば昔思っていたっけな
(T.M.Revolution・Level 4より)
「……こほん。この包丁は本気でメンテナンスする必要があるから儂が数日預かるぞ。他の包丁はまずは刃こぼれがあるか見てくれ。こうやって刃を上から覗き込んだり、指の腹や爪で探る方法もある。……料理人が指を切るなよ?」
モグラットは包丁を縦に据えて上から覗き込み、指を添えて刃のコンディションを見極める手順を丁寧に教えた。まずは現状を正確に把握し、どう研ぐべきかの「作戦」を立てるためだ。ちなみに料理人が指を切れば傷口から菌が入り、それが食中毒の原因にもなりかねない。モグラットは彼女たちがプロとして当然知っているであろうが、あえて言葉にして念を押した。
「で、刃こぼれや歪みがあるなら儂ら砥師に丸投げしてくれ。素人が砥石で刃こぼれを直そうとすれば、十中八九、刃物を殺してしまうからな」
刃こぼれを削り落とすのは荒目の砥石があれば不可能ではない。だが大抵の包丁は軟鉄で鋼を挟んだサンドイッチ構造だ。下手に削りすぎればその構造バランスが崩れ、二度と元の切れ味は戻らない。修正が容易なうちにプロに託すのも使い手の「勇気」だとモグラットは説いた。彼はディア兵長たちが持参した他の包丁を、次々に検分していく。菜切り、牛刀、出刃、ぺティナイフ。親指の腹を滑らせ、時には薄い羊皮紙を切り裂いて、包丁が上げる微かな「悲鳴」を一丁ずつ確認していったのだ。
「刃こぼれも歪みもないなら、あとは片刃か両刃かで手入れが変わる。……ディア兵長の包丁は全部両刃だから一般的な日常のメンテナンスを教えるぞ」
モグラットはズボンのポケットからビルビディア銅貨を四枚取り出すと、それを研ぎ台の上に重ねて置いた。
「まずはお嬢さんら。包丁の背を上から見て『刃の右側』、逆は『左側』と呼ぶぞ。これを叩き込んでくれ。ここを勘違いすると、すべてが台無しになるからな」
メイドたちは各々の包丁を覗き込み、モグラットの言葉を頭に刻む。
「じゃあ、まずは刃の右側だ。角度はビルビディア銅貨四枚分、浮かせて保て。これより寝かせても立てても無駄に鉄を削るだけだ。――そして身体の方へ引く時じゃなく『押し出す』時に、ほんの少しだけ力を乗せる。刃全体に均一に砥石が当たるよう、スッと押し出すんだ」
メイドたちは教えられた通りに恐る恐る砥石に向き合った。モグラットは彼女たちの背後に立ち、時にはその手を包み込むようにして「角度」を伝えていく。一見すれば不躾なジジイに見えるかもしれないが、教えを受ける彼女たちに不快感はなかった。むしろ門外不出の技を惜しみなく授けてくれる職人の熱意に、誇らしさすら感じていた。
「次に刃の左側、さっきの反対だ。こっちはビルビディア銅貨『二枚分』でいい。この時は逆に、身体の方へシュッと引く時に力を入れるんだ」
モグラットは実演を交え、理論と感覚を叩き込んでいく。職人と言うのは知識を言葉にする訓練を受けていない、だからこそ『見て覚えろ』というのだが、その職人を作り出すモグラットは理論と感覚を言葉にして教えるよう努力していた。だからこそエラール銅貨(1.8mm)ではなく、ほんの僅かに薄いビルビディア銅貨(1.7mm)を枚数指定で使い分けるのが、彼の「秘伝のレシピ」だったのだ。
「あの……それならエラール銅貨四枚分(7.2mm)じゃ駄目なんですか? ビルビディア銅貨なんて、銀行へ行かないと両替できませんよ」
「駄目だ。髪の毛一本分の差だがその僅かなズレが『鈍ら』か『鋭利』かの分水嶺になる。――安心しろ、その銅貨はお前さんらにやる。御守り代わりにでもするか後輩にでも売り付けろ」
モグラットは笑っていうと、その後は片刃の扱いからガーターに忍ばせた護身用ナイフの研ぎ方に至るまで講習は徹底的に行われた。彼女たちがようやく領主館へ戻った頃にはキュリクスの空には満天の星が瞬いていたという。
*
「あら、ディア兵長たち……意外と早かったのね?」
「いえ、むしろ遅くなって申し訳ありません!」
ディアたちが息を切らして厨房へ駆け戻った時、領主館の食堂にはすでに芳醇な香りが満ちていた。パルチミンは淀みない動きで両手に皿を抱え、淡々と給仕をこなしている。テーブルには夜哨メイドだけでなく、トマファやハルセリア、クラーレといった文官たち、さらには領主ヴァルトアとユリカまでもが席を並べ、満足げに食事に舌鼓を打っていたのであった。
「え、パルチミン伍長、これ全部一人で?」
「えぇ、もちろん」
今夜の献立は、肉団子と森のキノコをたっぷり使った小麦麺のスープ仕立て。フォークで麺を啜る音と、時折混じる果実酒の杯が触れ合う音。平和な夜の風景がそこにはあった。ディア兵長たちを見てヴァルトアは飲んでたワイングラスを掲げて迎えるし、今夜当直の夜哨メイドたちは小さく手を振っていた。
「で、ですが私たちが居なかったのに」
「ステアの『安く、早く、美味しく』っていうモットーは、大事にしなきゃ、ね」
パルチミンは表情ひとつ変えずにそう言ったが、その声には、謹慎中の親友が守ってきた厨房を汚させまいとする、静かな決意が宿っていた。
ディア兵長たちはステアリン軍曹には頭が上がらないと思っていたが、それ以上に、今は代打でやってきている掃除メイドのパルチミン伍長にすら勝てないなと思ったという。自分たちがどれだけ甘えている立場にいたか、下手したら自分たちは別の班に飛ばされるかもしれないというのも自覚したという。その後の彼女たちは『自分たちのことは自分たちで片づける』という意識が自然と湧くようになったため、この日から料理メイド班は片付けまでするようになったという。
*
後日。
「オリゴ隊長、少し宜しいでしょうか?」
文官長トマファに呼び出されたオリゴは、彼のその冷徹なまでに冴え渡る眼差しを受けた瞬間、何を問われるかを悟ったという。
「どうやら料理メイド班において、実労働時間と申告時間の乖離――いわゆる『サービス残業』の疑いがありますね。至急、実態調査と指導を願います」
「……彼女たちには一分単位で記録を付け直すよう、厳命いたします」
オリゴは静かに頭を下げた。だがトマファは車椅子の上で細い指を組み、静かに言葉を続けた。
「パルチミン伍長の指導により、彼女たちの仕事への向き合い方が劇的に改善されたことは聞き及んでいます。職人としての自律心や精神性自体は尊ぶべきものです。……ですが、かと言って、それと引き換えにサービス残業を認めることはできません。それぐらいはオリゴ隊長なら理解されていますよね?」
「……返す言葉もございません」
「ステアリン軍曹の件も同様です。管理監督者という立場を免罪符に一人の人間に負担を強いる体制そのものを是正せねばなりません。……オリゴ隊長、彼女たちが胸を張って『最高の料理』を作れるよう、あなたがしっかり考えた上で適切な人員配置と予算案を再提出してください。――大至急、です!」
「承知いたしました」
規律に厳しいメイド長も、この時ばかりは文官長の厳しさや冷徹なまでの公正さに深く納得せざるを得なかったという。その後、数人のメイドが料理班へと異動しただけでなく、館内には『労務管理専門メイド』までもが配置された。……不正は絶対に許さないという体制へと変貌を遂げたという。
――賢明なる読者であり、かつ『労働者』の諸君。心意気で仕事をするのは素敵だが、勤怠管理だけはトマファに気付かれる前にキッチリやっておこうな!




