73 ジェラルドの決意
一方その頃、朝の鍛錬を終えたジェラルドは着替えを済ませると、身だしなみを整え王家の食堂へと向かった。
公式的なものではなく、王が家族とくつろぐ為の私的なスペースだ。
ジェラルドが部屋の中に入ると、既に朝食を終え紅茶を飲んでいた甥のアレクシスが、驚いたように立ち上がった。
「叔父上! 城にいらしてたんですか!?」
その言葉に、そういえば城に来てからアレクシスとは顔を合わせていなかったと気が付いた。
騎士である伯父を尊敬するアレクシスは、目をキラキラとさせて勢いよく椅子から立ち上がる。
「こら。アル、お行儀が悪いわよ」
まるで普通の家庭のような微笑ましいやり取りに、立ち合いを許されている身近な侍従たちはにこにこと顔をほころばせている。
幸せを絵にかいたような空間に波風を立てることに、わずかな罪悪感を覚えた。
それでも執務中よりはいいだろうと、朝食の席に同席することを選んだのだ。
肝心の王はと言えば、先日の剣幕が嘘のように鷹揚な態度でジェラルドを出迎えた。
「珍しいな。お前がこちらに顔を出すのは」
代々の国王が家族で集った食堂だ。
先代の王妃に疎まれていたジェラルドは、王族でありながらここで朝食をとったことはほとんどない。
長じてからは何も感じなくなったが、かつては自分だけが疎外されているようで幼い涙をこぼした。
ジェラルドは家族を知らない。兄とは仲のいい兄弟だったが、いつも臣下たるべきと心がけ、一歩距離を置いてきた。
だから初めて森の小屋でシャーロットと食事を摂った時、食事の片手間でラクスの相手をする彼女を見た時、何やら心がくすぐったかった。
もしかしたら普通の家族とはこんなものかもしれないと、そう思ったのだ。
―――だから。
ジェラルドがその場に跪くと、部屋の中から息をのむ声が聞こえた。
「陛下。お願いがございます」
少しの間の後椅子を引く音が聞こえ、毛足の長い絨毯の上を誰かがこちらに近づいてくる気配がした。
気配の主がジェラルドの前に立つ。
「まったく、仕方のない奴だ」
その言葉はまるで、ジェラルドがこれから言おうとしていることを予期していたかのようだった。
「陛下……いや兄上。俺を王籍から除外していただきたい」
「殿下! 何をっ」
とっさに声を上げたのは、控えていた侍従の一人だった。
幼い頃から世話になった、忠実な家臣の内の一人だ。
だが王は手を軽く上げただけで、部屋の中の動揺を制した。
「その言葉に偽りはないか? 一度除外すれば二度と戻れぬのだぞ」
「覚悟の上です」
兄である王が、苦笑をにじませているのが分かる。
それはジェラルドを皮肉るためではなく、仕方のない奴だと半分呆れているのだと分かる。
真に望むことを答えるようにと言われた時、兄が何を求めているのか分からなかった。
それはずっと国のために忠誠をささげてきたジェラルドのことを、兄も分かってくれていると思っていたからだ。
だが国のために隣国の女王との結婚を迫られた時、すぐに答えを出すことができなかった。これまでのジェラルドならば、すぐにでもうなずいたに違いないのにだ。
そしてどうして自分が変わってしまったのか考えた時、答えはすぐに出た。
ジェラルドの変化はシャーロットに出会ったからこそ起きた。何より彼女と離れることが嫌な自分に気が付いた。
そして人生で初めて、自分の感情に従うことにした。
「顔を上げろ。ジェラルド」
言葉の通りにすると、思った通り兄の顔には少し呆れたような、けれど優しい笑みが浮かんでいた。
「お前の決断を、俺は嬉しく思う」
兄の言葉が、人割と胸に広がってくる。
反対されるとは思わなかったが、ここまですんなり受け入れられるとも思っていなかった。
ジェラルドが王籍を離れれば、色々な変化が起こる。
中でもジェラルドに持ち上がっていた婚約話の後始末に苦労するはずで、それが分かっていてなお、送り出そうとしてくれる兄の優しさを感じた。
思えば兄の実母である王妃に疎まれようと、見えぬところでいつも庇ってくれていた兄であった。
だからこそジェラルドは、今日まで誠実に王である兄に仕えてきたのだ。
シャーロットと出会わなければ、あの日竜の子を迎えに行かなければ、きっと死ぬまでその生き方を続けたに違いない。
でも今となっては、彼らに出会わなかった未来の方が想像できないのだ。
「今まで、大義であった」
こうして歴史の裏舞台でひっそりと、ジェラルドが王籍から離れることが決まった。




