66 兆し
さて、アーサーが情報収集に城に向かった後、森はシリルとシャーロット、それにラクスの二人と一匹になった。
二人減ると、食事の用意も二人分になるし、洗濯物も少なくて済む。
だがそんな森に、今度は新しい客がやってきたのだった。
ある朝のことだ。
シャーロットは基本的に早起きなのだが、それよりも早い時間にラクスに起こされることになった。
起こすといってもゆさゆさとゆさぶられただけなのだが、正直に言ってこんなことは珍しい。
「ラクス? どうかしたの?」
「ぎゃーうぎゃーう」
いくら意思の疎通ができるようになってきたとはいえ、言葉がわかるわけではない。
シャーロットはいぶかしく思いつつ寝巻から着替えた。
やけに外を気にしているが、焦っている様子はないので緊急事態ではないのだろう。
なんとなくだが、ラクス自身も困惑しているような感じがした。相手が猛獣などであればシャーロットに知らせるよりも先に自ら倒してしまうので、その類も考えづらい。
肌寒いので手編みのケープを着て外に出ると、外の空気はしんと澄んでいた。
シャーロットはラクスを引き連れて、男性陣が寝床にしている小屋に向かう。
本職ではない騎士たちが建てたものだが、進軍時には土木工事も指示できなければいけないとかで、あっという間に組み立ててしまったのには驚いた。
一か月もたっていないはずだが、それがやけに昔のことのように感じられる。
「シリル。ちょっといい?」
小屋の中で寝ているのはシリル一人だった。
ジェラルドはまだ戻っていないし、アーサーも情報収集のために森を出た。
不安がないと言えば嘘になるが、もともとはシャーロットとラクスだけで暮らしていた森だ。
森の中にいる限りは、ラクスを守る不可侵の結界がシリルとシャーロットをも守ってくれる。
だからこそアーサーも、二人を残して森を出る決断をしたのだろう。
「どうした?」
どうやらシャーロットが起こす前から、シリルは目を覚ましていたようだ。
まだ寝間着姿ではあるが、その手にはすでに剣が握られていた。
感情のままに暴走したりと幼いところが目立つが、こんなところはさすが騎士だなと感心してしまう。
「ラクスが変なの。なんだか森の外を気にしているみたい」
シャーロットの言葉に促されるように、シリルはラクスに目をやった。
一応血縁上は甥ということになるのかもしれないが、シリルとラクスの関係は未だに打ち解けているとは言いづらい。
それでも彼らには何があってもシャーロットを守るという共通項があるので、非常時の意思疎通は意外なほどにスムーズだった。
「相手は一人か?」
ラクスが頷く。
「敵意は感じるか?」
「ぎゃーあ」
今度は鳴きながら首を左右に振った。
シリルは少しだけ考えこむと、すぐに結論を出した。
「ただの旅人ならわざわざシャーロットを起こしたりしないだろう。すぐ着替えるから、その場所まで見に行ってみよう」
言うが早いか、すぐさま寝巻を脱ぎだしてしまう。
姉弟なので裸など見慣れているが、さすがにじっと見ているのも気まずいのでシャーロットは慌てて外に出た。
「いいか? 絶対に俺から離れるなよ」
道中、シリルは何度もそう言った。
本当は最後までシャーロットを連れて行くことに難色を示していたのだが、さりとてアーサーとジェラルド不在の今、一人で置き去りにはできないと判断したらしい。
シャーロットも落ち着かない様子のラクスから離れるつもりはなかったので、置いてきぼりにされずに済んでほっとしていた。
そんな会話の最中もラクスはずっと落ち着かず、今はシャーロットの近くをゆっくりと飛び回っていた。
朝露に濡れた獣道を、シリルの背に隠れるようにしてゆっくりと進む。
シリルは絶えず周囲を警戒し、あちこちに視線を飛ばしていた。その真剣なさまを見ていると、先ほどまで眠っていたなんて信じられないくらいだ。
いつも通り危険な動物などに出会うこともなく、二人と一匹は森の出口まですんなりと近づくことができた。
遠く木々の隙間に見える森の外の平原は、いつもと変わらず平和そうに見える。王都に続く街道に人の姿はなく、鳥がぴちぴちと歌うのみだ。
そんな中、ラクスは迷いなくある一点を目指していた。
シャーロットたちを置いていくことこそないものの、風に混じる匂いを少しでも感じ取ろうとしているのか、鼻先がもごもご動いている。
「ラクスはどうだ?」
「特に緊張している様子はないみたい。多分危険はないってことだと思うわ」
ジェラルドがやってくる前から、この森の中で危険な目にあうことはほとんどなかった。
おそらくその理由は、危険があればラクスが先に気づいてシャーロットに知らせてくれたからだ。ラクスが幼いころは特に注意して様子を見ていたので、シャーロットは異変に真っ先に気づくことができた。
そうでもなければ人の手が届きにくい森の奥で、生き抜くことは難しかっただろう。
「分かった。だが気を抜くなよ」
シリルの緊張した面持ちに、シャーロットは生唾を飲み込んだ。
彼は手のひらをこちらに向けて待っているよう指示すると、剣をつかんだままラクスの視線の先へと歩き始めた。
向かう先には人ひとり簡単に隠れることのできそうな、木の太い幹がそそり立っている。
シャーロットは声を漏らしてしまわないよう両手で口を覆った。緊張に心臓がばくばくする。危険はないと思うものの、シリルに何かあったらどうしようと不安な気持ちになった。
そしてシリルについていこうとするラクスを、慌てて抱き留める。そこに何がいるにしろ、ラクスの姿を見られたら厄介だ。
そして息が詰まるような緊張の中、剣を構えたシリルが死角となっている木の幹の前に飛び出した。




