63 弟
シリルが戻ってきたのは、翌日の早朝のことだった。
ひどくぶすくれた表情で、疲れているのか歩くだけであっちへふらふらこっちへふらふらとひどく頼りない。
もっともそれは、背中にたくさん物資の詰まった荷袋を背負っていたせいかもしれない。
シリルの帰還に最初に気づいたのはラクスだった。
小屋の中で毛糸玉と格闘していたラクスは、何かに気づいたように突然小屋の外に飛び出し、シャーロットを驚かせた。
そして何事かと外に出たシャーロットは、すっかりぼろぼろになった弟と再会することになったのだ。
「シリル!?」
シャーロットの驚きの声に、アーサーも何事かと外に出てくる。
「何事だ!?」
寝巻のまま剣をつかんで飛び出してきたアーサーは、シリルの姿を見てほっと肩の力を抜いた。さすがというべきか現状把握が早い。鞘から抜きかけた剣も、再び鞘に戻される。
シャーロットが呆気にとられている横で、さくさくとシリルに近づいていく。
ちなみにラクスはといえば、シリルの背中の大きな荷袋にまとわりついて匂いをかいでいる。おそらく食べ物が入っているに違いない。
「まったくひどい顔だな。一人で討ち入りでもしたのか?」
笑いながらアーサーが肩をたたくと、シリルは顔をひきつらせた。
「それは、だって……」
「おい。まさか団長のところに討ち入りしたんじゃないだろうな? 婚約話を聞いて飛び出していったと聞いたが……」
シリルが気まずそうに黙り込む。
その反応を見て何かを察したアーサーが、今度は顔を引きつらせる番だった。
どう声をかけていいかわからず成り行きを見守っていたシャーロットは、一歩遅れてシリルに駆け寄った。
「それよりも早く治療しないと! どうしてこんなにボロボロになって……」
泣きそうな声を出すシャーロットに、シリルもアーサーも居心地の悪そうな顔をした。
「ま、まぁ生きて帰してもらえただけ感謝しないと。相手は曲がりなりにも王弟だぞ? まったくお前は……俺たちだけじゃない。故郷の家族にも累が及ぶかもしれないとは考えなかったのか」
顔を手で覆って天を仰いでいる。
シャーロットはそんなアーサーに構わず、その場で立ちすくむシリルの手をつかんだ。もちろん痛みを感じないように優しくではあるが。
「こっちに来て。今からでも冷やさないと」
シャーロットが手を引くと、シリルはおとなしく後についてきた。いつもなら憎まれ口の一言ぐらい吐いただろうが。今はただ静かにシャーロットの後に続くのみだった。
そんなシリルの姿に、シャーロットの脳裏にはまだ幼かったシリルの姿を呼び起こさせた。
***
城の外に出たジェラルドを、待ち構えていた人物があった。
流行の華やかな羽根飾り。サンジェルス風の細く絞ったキュロット。
その姿を認めた瞬間、ジェラルドの眉間の皺は余計に険しいものになった。
「お久しぶりです、ジェラルド殿下。我が女王の申し出、良きようにお考えいただけましたかな?」
ジェラルドの表情が見えないわけでもないだろうに、三枚舌の外交官は不敵にほほ笑んでいた。
話があると言われ、城内にエリアス・ヴェルナーが与えられている客室に連れだって向かう。
ちょうどこちらも話したいことがあるので、渡りに船だった。もちろんこの男を警戒する気持ちはあれど、あちらにとっては異国の城内で、騎士団長たるジェラルドをどうこうできようはずもない。
案内された部屋は、大国の外交官が滞在するにふさわしく、最高級の調度品が並べられていた。それでいてあからさまに権威を示すこともなく、兄がどれほど彼の母国に対し心を砕いているかが伝わってくるかのようだった。
二人の議題は当然ながら今回の婚約話についてである。
突然提示された隣国の女王の王配の地位。条件は破格で、家臣たちが是非にと勧める理由も分からなくはない。縁談というのは王族にとって責務だ。
国にとって最も都合のいい相手が宛がわれ、後継に血を伝えるのは高貴な者達の義務だと言える。
もちろんジェラルドも、王族に生まれたからにはいつかはと覚悟していた。
しかし前国王の愛妾の息子という立場上、今までこれと言ってめぼしい縁談はなかった。
国内の貴族にとって、現国王に健康な息子がいるのだからジェラルドを支援しても旨味が少ないのだ。
もちろん娘の婿にという打診もないことはないが、王族と縁続きになる栄光よりも、国王から睨まれる危険性の方が重く感じられるのか、そう多いわけではない。
王であるリジルとジェラルドの仲がどれほど良好だろうが、仲たがいした時の危険を考えずにはいられないものらしい。
ジェラルドに懸想する令嬢が多くとも、大々的にアプローチしてくる女性が少ないのも理由は同じだろう。だからこそ、彼は王族でありながら騎士団の団長を兼任するなんてことをやっていられるわけだが。
そして旨味が少ないという意味では、他国も同じこと。
ファーヴニル国は小国であるし、そこの王太子ならまだしもジェラルドは王弟である。
更に彼は肖像画を嫌ったので、他国の貴賓の多くはジェラルドを王族の分際で騎士などしている変わり者の脳筋であると決めつけている。
そこに嫁の来手などあるはずがない。
そんなこんなで、二十歳を過ぎても婚約者一つなく生きてきたジェラルドだった。
だからこそーーー死ぬまでラクスの使役者として生きると宣言することもできたわけだが。




