62 じれったい二人
シリルが目を覚ましたのは、隙間風の吹く倉庫のような場所だった。
木箱が乱雑に積み込まれ、空気は埃っぽい。
窓はないが、壁にあいた隙間から漏れる光で、かろうじて昼間だと知る。
「なっ」
驚きで声を上げようとしたが、反射的に埃を吸い込んでむせた。
手足が縛られており、身動きはできない。
そうだ自分は何者かに後ろから襲われたのだと、意識を失う前の記憶を手繰り寄せる。
その記憶を証明するかのように、干からびた泥の塊がむせた衝撃で床に落ちた。
「……だいじょうぶか?」
声を掛けられ、驚く。
自由にならない体でどうにか体をねじらせれば、見知った男がこちらを見ていた。
ジェラルドだ。
彼も後ろ手に縛られ、足にも縄がかかっていた。壁に背を向け座り込んでいる。
「団長……けほっ、これは一体どういうことですか?」
シリルは混乱していた。
自分たちが同じ場所にとらえられているということは、ジェラルドを襲った一味とシリルを襲った相手は目的を同じくする仲間だったということだ。
そいつらの目的はなんなのか。
ジェラルドは仮にも王族だ。
それに手を出しておいて、犯人たちが無事に済むはずがないのに。
しかしジェラルドの答えは、シリルの想像を超えていた。
「巻き込んでしまって済まない。これはサンジェルスの仕業だ」
「サンジェルス? なぜかの国がそのようなことを……殿下はサンジェルス女王とご結婚なさるんですよね?」
そんな場合ではないと思いながら、つい口調が皮肉めいたものになってしまった。
―――姉はこの男を慕っている。
憎らしいが、それは事実だった。
そしてジェラルドの方も憎からず思っているはずだと、シリルは思っている。
以前、ジェラルド自身がそれをほのめかすようなことを言っていたからだ。
森の中での彼らの生活は、まるでままごとのようだった。
王弟であるジェラルドが薪割をし、シャーロットは料理でそれを労っていた。
竜を育てるための、小さな箱庭。
数年姉を心配していた身としては、その平和さが苛立たしかったぐらいだ。
竜を守るためという理由には納得しているが、だからといって姉が一度も実家に帰れていないのはやはり腹立たしく思う。
シリルの口調からその感情をはっきり読み取ったのだろう。
ジェラルドは重いため息をついた。
「信じてはもらえないかもしれないが、私は結婚には同意していない。国力に差がありすぎるし、なにより俺はラクスの使役者だ。国を離れるわけにはいかない」
ジェラルドの言葉は真剣そのもので、とてもその場しのぎのようには思われなかった。
シリルは複雑な気持ちになった。
元々は、婚約したというジェラルドの元に怒鳴りこもうとしていたのだ。
しかし当人にその気がないと否定されてしまえば、振り上げた拳もおろすより他ない。
「その判断は、姉にも原因がありますか?」
無意識に、そんな質問をしていた。
暗がりでよくは見えないが、ジェラルドが息をのんだのが分かった。
「……意味を聞いても?」
ジェラルドの声は、不自然なほどに落ち着き払っていた。
隣国に拘束されてどうしてこんなにも冷静なのだろうかと、シリルが訝しく思ったほどだ。
けれど今はそれよりも、姉のことだ。
「以前あなたは、自分を警戒しろと仰った。それは……姉を好ましく思っているからではなかったのですか?」
言われた時は、そんな理由だとは思いつきもしなかった。
だってあまりにも身分が違う。
あれはまさかそういう意味だったのかと、シリルが思うようになったのは共に暮らしてしばらく経ってからだ。
「否定はしない」
男の声はひどく重たかった。
困惑や苦悩、それに悲観といったものを音にしたら、おそらくはこのような声になるに違いない。
ジェラルドは、それ以上何も言おうとはしなかった。
彼自身が、ひどく戸惑っているに違いない。
シリルは歯噛みした。
―――好きなら好き、なんともないならそう言えばいいのに。
決してジェラルドを応援するわけではないが、二人と暮らした短い間に、シリルとしても思うところがたくさんあった。
二人はお互い慎重すぎるほどに慎重で、そして臆病だ。
だからわざわざシリルが邪魔しなくても、きっとくっついたりなんてしない。
お互い好ましく思いながらも、身分とかしがらみとか竜のこととか多分様々なことを気にして、自分の気持ちを口にしたりはしないだろう。
姉を弄ばれるよりはましだが、それでも納得できるものではなかった。
シリルは普通よりも強く姉に執着している自分を自覚していたが、だからといって別に己のものにしたいだなんて思っていない。
ただ穏やかに、幸せになってほしいのだ。
上手くいかなかった、一回目の結婚の分まで。
だからもし姉に想い人がいるのなら、積極的に応援はできないにしろ成就してほしいと思う。
素直ではない弟というのは、色々と複雑なのだ。
「俺には、国のことや政治のことなんてわかりません。けど、あなたの結婚を聞いて、姉が少しも悲しまないと思いますか?」
シリルの言葉に、ジェラルドは返事しなかった。
イライラとしながら、シリルは返事を待った。
そしてしばらくしてから、驚いたことに相手は小さく笑ったのだ。
「誰もかれもが、好き勝手に言うものだ」
言葉に反して、ジェラルドの声はちっとも不快そうではなかった。
シリルは呆気に取られて、ジェラルドの表情に目を凝らす。
「じゃあまずは、シャーロットの誤解を解きに行こうか」
そういうと、ジェラルドはすくっと立ち上がった。
驚いたのはシリルだ。
たった今まで縛られていたはずなのに、いつの間にかその縄は蛇のように地面に落ちている。
「いくぞ。ついてこれるな?」
それでは答えになっていないと言い返すのも忘れて、シリルは呆気に取られて目の前の男を見上げていた。




