第14話「軍師」
六勝九敗。
負け越し。
数字だけ見れば、褒められた戦績じゃない。
それでも。
アキトの足取りは軽かった。
「六勝……」
口元が緩む。
「九敗」
負け越している。
なのに。
「六勝かぁ……」
また笑う。
十五戦目。
ようやく掴んだ、ワイヤーでの一勝。
ただ勝っただけじゃない。
今までとは違った。
自分を動かす。
それだけじゃない。
戦場にワイヤーを残す。
相手が避ける。
進路が変わる。
逃げられる場所が減る。
最後には、相手が来る場所まで分かった。
「もっと張ったらどうなるんだ……?」
二本でも相手を動かせた。
だったら。
「三本?」
いや。
「四本とか……」
「何がです?」
「うわっ!?」
突然、横から声をかけられた。
アキトが飛び退く。
一人の男が立っていた。
アキトより年上。
落ち着いた雰囲気。
試合後の熱気が残る通路の中で、その男の周りだけ妙に静かに見えた。
「すみません。驚かせましたか」
「驚きますよ! 誰ですか?」
「ソウメイと申します」
「……はあ」
知らない。
「アキトさんですね」
「そうですけど」
「少し、お時間よろしいですか?」
「これから《凪》見に行くんで」
「五分だけ」
「鉄三さん待ってるんですよ」
「三分」
「なんなんですか」
「あなたをスカウトしに来ました」
「…………」
アキトが止まった。
「はい?」
「スカウトです」
「誰を?」
「あなたを」
「俺?」
「はい」
アキトは自分を指差した。
「六勝九敗ですよ?」
「存じています」
「負け越してますよ?」
「それも」
「…………」
怪しい。
アキトが一歩離れる。
「何か売りつけようとしてます?」
「どうしてそうなるんです」
「だって六勝九敗の奴をスカウトって」
「戦績を見て来たわけではありません」
「じゃあ何で?」
ソウメイは迷わず答えた。
「あなたの戦い方に興味を持ちました」
「…………」
アキトの表情が変わった。
◆
「それで」
通路脇のベンチ。
アキトがソウメイを見る。
「どこへのスカウトなんです?」
「《百花》です」
「…………」
一瞬。
意味を理解するのが遅れた。
「《群雄割拠》の?」
「はい」
もちろん知っている。
四人のファイター。
一人の軍師。
チーム同士で戦うプロリーグ。
《一騎》とは、まるで違う世界。
「俺を?」
「はい」
「なんで?」
「先ほど言いました」
「戦い方?」
「正確には――」
ソウメイはアキトを見る。
「あなたの見ているものです」
「……?」
意味が分からない。
「今日の試合。最初、ワイヤーは移動に使っていましたね」
「見てたんですか」
「はい」
「まあ……それしか使い方知らなかったんで」
「ですが途中から、回収しなくなった」
アキトが黙る。
「戦場に残した」
「……はい」
「なぜです?」
「それは……」
少し考える。
「邪魔だったから」
「誰にとって?」
「相手に」
「最初から狙っていましたか?」
「いや」
アキトは首を振った。
「偶然です。相手がワイヤー避けて……それ見て、使えるかもって」
「そこです」
「?」
「普通なら、邪魔になったワイヤーを回収する。あるいは切断する」
「まあ……そうですね」
「あなたは違った」
ソウメイの視線が、まっすぐアキトへ向く。
「相手が避けた」
「はい」
「進路が変わった」
「はい」
「その一度の変化を見て、戦場全体の使い方を変えた」
「…………」
「自分の武器だけを見るのをやめた。相手を見た。地形を見た。ワイヤーの位置を見た」
アキトは眉を寄せる。
そんな大げさなことをしたつもりはない。
相手がワイヤーを避けた。
だから、もう一度やった。
それだけだ。
「最後の場面を覚えていますか?」
「もちろん」
「相手の右にはワイヤー」
「はい」
「左にはあなた」
「はい」
「後ろには壁」
「……はい」
「だから相手は前へ出た」
「そうです」
ソウメイが一拍置く。
「あなたは、相手の動きを読んだんじゃない」
「え?」
「相手がそう動く状況を作ったんです」
「…………」
アキトが黙った。
予測した。
そう思っていた。
でも。
違う。
右へ行けない。
左へも行けない。
後ろにも下がれない。
だから。
前へ出た。
「……選ばせた?」
「ええ」
ソウメイがわずかに笑う。
「それが、私があなたを見に来た理由です」
◆
「あなたは面白い」
ソウメイが言った。
「まだ弱いですが」
「そこ言います?」
「事実です」
「六勝してます」
「九敗しています」
「ぐっ……」
「ですが」
ソウメイは表情を変えない。
「だからこそ興味深い」
「どういうことです?」
「十五戦で、あなたの戦い方は何度も変わっている」
最初は予測。
それだけで勝った。
勝ち続けた。
調子に乗った。
そして。
ソウジに何もさせてもらえなかった。
ワイヤーを手に入れた。
使えなかった。
負けた。
また負けた。
それでも。
一つ失敗するたび。
一つ変えた。
「あなたは完成していない」
「…………」
「むしろ、まだ形すら定まっていない」
「それ、褒めてます?」
「非常に」
「全然そう聞こえないんですけど」
ソウメイが、ほんの少し笑った。
「《百花》に来ませんか」
「…………」
「あなたなら――」
「行きません」
即答だった。
今度は。
ソウメイが黙った。
「……理由を聞いても?」
「俺、《一騎》でやりたいんで」
「なぜ?」
「強くなりたいから」
「《群雄割拠》でも強くなれます」
「そういう意味じゃなくて」
アキトは少し考える。
頭に浮かんだのは。
低く構えた、一機のキジン。
《神突》。
初撃を避けた。
二撃目。
三撃目。
逃げるたびに速くなった。
最後には。
逃げる場所すらなくなった。
「俺より、めちゃくちゃ強い奴がいるんです」
「ソウジですか」
「知ってるんだ」
「もちろん」
「俺、あの人に何もできなかった」
今でも悔しい。
思い出すだけで。
腹が立つ。
「なのに、まだ六勝しかしてない」
「…………」
「ここでチーム戦に行ったら」
アキトは笑った。
「逃げたみたいで嫌じゃないですか」
「誰からです?」
「俺から」
ソウメイは黙った。
「だから行きません」
「なるほど」
「すみません」
「謝る必要はありません」
ソウメイが立ち上がる。
あまりにもあっさりしていた。
「じゃあ」
アキトも立つ。
「俺、行きますね」
「はい」
「鉄三さん待たせると、めちゃくちゃうるさいんで」
「アキトさん」
「?」
呼び止められる。
ソウメイはアキトを見ていた。
「一つだけ」
「はい」
「あなたは、自分の強さをまだ勘違いしています」
「…………は?」
「いずれ分かります」
「いや、何それ。気になるんですけど」
「では」
「待って待って」
ソウメイが歩き出す。
「言ってくださいよ!」
「いずれ」
「今教えてよ!」
そのまま人混みへ消えていった。
「…………」
アキトは一人、通路に残された。
「なんなんだ、あの人」
自分の強さを勘違いしている。
意味が分からない。
少し考える。
「…………」
まあいいか。
「あ」
それより。
「鉄三さんに四本いけるか聞こう」
アキトは整備区画へ走り出した。
◆
通路の向こう。
ソウメイは一度だけ振り返った。
走っていくアキトの背中を見る。
断られた。
それでも。
不思議と残念ではなかった。
「自分の強さを証明したい、か」
それなら。
見てみたい。
あの二本のワイヤーが。
あの男の視野が。
どこまで広がっていくのか。
そして。
自分自身で気づいた時。
何を選ぶのか。
「……また来ます」
もちろん。
アキトには聞こえていなかった。




