2-06 Lv1暴言者が英雄になるまで
中小企業のクレーム処理係だった僕が目覚めると、伯爵家の嫡男『エリアス』に転生していた。
エリアスは裕福な家で愛を注がれて育った美しい青年だったが、自ら命を絶とうとしたらしい。昏睡状態が続きいよいよ命尽きるかというとき僕の魂が体に入り、目覚めたのだ。
家族達は、過去を知らない僕の様子に記憶を失ったのだと思い込んだ。
伯爵は魔物討伐のため遠征中。母は家を守るため多忙。歳近い姉ソフィーがいろいろと教えてくれた。エリアスは『吟遊詩人』を夢見ていたが、成人の日の職業付与で『暴言者』になった。初代皇帝以来1000年ぶりの『暴言者』に帝国は祝賀ムードに包まれたが、当のエリアスは絶望した。最強の職業『暴言者』には、他人を罵れば罵るほど強くなる特性があるからだ。
エリアス達が暮らす町にも魔物が出現し、姉が大怪我をおった。
僕は家族を守るため『暴言者』としてレベルを上げる覚悟を決めた。
神殿の礼拝堂の奥に懺悔の間がある。僕はこの場所を思いつくまで随分な苦労を強いられた。
懺悔の間は一畳ほどの広さしかない。天井近くにある小さな窓からは柔らかな光が差し込み、ぽつんと置かれた堅い木の椅子を照らしていた。
隅に置かれた香からは白い煙が立ち上っている。神秘的な香りに目眩を覚えた。
部屋に足を踏み入れると、靴音が反響した。咄嗟に、目深に被ったフードをさらに引いて息を潜めた。
隣室との間の壁には腰高窓ほどの板がはめ込まれている。板の下部には手を差し入れられる程度の小さな扉もあった。
僕は極力音を立てないよう椅子に座り、隣室にいる相手の言葉を待った。
「信徒よ。汝の罪を告白なさい」
板の向こうから聖職者の低い声が聞こえた。姿は見えないが、そう若くはない男性だとわかり安堵した。覚悟はしてきたが、女性相手ではさすがに罪悪感が勝ってしまう。
「神は、どのような罪もお許しくださいますね?」
聖職者は少し間を置いて「悔い改めようとする者を神は広いお心でお導きくださいます」と言った。
「安心しました」
僕は目を閉じ息を吸い込み、わずかに眉根を寄せた。
「ボケ、カス、バカ、アホ、マヌケ」
僕は思いついた暴言を次々と吐いてから、一度ステータス画面を起動させた。
『職業:暴言者 Lv:1』
ずっとゼロに近かった経験値が、今の暴言でわずかだが増えている。
「今のが汝の罪なのでしょうか」
聖職者の声には狼狽が含まれていた。
「のろま、能なし、意気地なし、臆病者、卑怯者、偽善者」
僕は返事をせずに暴言を続けた。
「ここは罪を告白する場です。なぜそのように……」
「スカした野郎がごちゃごちゃ抜かしてんじゃねえ」
あえて今の状況に合った暴言を吐いてみた。
経験値がさらに10ほど増えた。ここで、定番の悪口を試す。
「お前の母ちゃん、出べそ」
仕切りの向こうで、椅子が軋んだ。
「今のは母なるソルベティア神への冒涜でしょうか」
経験値が一気に20も増えた。相手の感情が揺さぶられるほど、もらえる経験値が多いのかもしれない。
「母なるソルベティアだ? 偉大な神ならどうしてこの世界はこんな有様なんだ。要するに、仕事ができない役立たずってことだよな。お前が今こんな暴言を浴びせられているのも、全部その神様が僕に与えた使命のせいなんだからな」
聖職者の椅子が倒れたのがわかった。経験値は30も増えた。もうすぐレベルアップできそうだ。
このままレベルアップするために、次の暴言を考える。僕は、中年男性が簡単に傷つく一言を選んだ。
「お前、加齢臭やばいな。こんだけ香を焚いてても、臭ってくる」
僕の中で、レベルアップを告げる音が響いた。
『職業:暴言者 Lv:2』
喜びよりも虚しさが込み上げる。
なぜ僕は、こんな過酷な使命を背負う羽目になったのか。
すべてはあの日聞いた声の主のせいだった。
* * *
僕は白い光の中にいた。
〈わらわの元へ魂が迷い込むとは、珍しい〉
まるで天から降り注ぐ女神の声のように美しい響き。はっきりと『死』を意識した。
44年の人生は短いけれど、終わっても問題ない気がしていた。独身なだけでなく恋人もいない。親しいと呼べるほどの同僚もいなかった。
両親は悲しむだろうが、あとのことは優秀で稼ぎの良い妹がどうにかしてくれる。
〈ほう。そなたはこのまま昇天を望んでおるようじゃな。ふむふむ……〉
声のあとに、頭頂部がほんのりと暖かさに包まれた。
〈なんとそなたは、人生に満足していた訳ではないのか。なるほど、そなたのいた世界の職業はなんとも言えず不憫な内容なのじゃな〉
僕は、中小企業のクレーム処理係だった。
暴言を吐く顧客に対し、吹けば飛びそうな企業ではカスハラだと強気に出ることもできず、ただ、頭を下げ続ける日々。謝罪の言葉のバリエーションの豊富さには、社内でも定評があった。
〈待っておれよ。今、そなたにぴったりの次の人生を探してやるからな〉
最後の記憶は、仕事帰りに階段から転落したことだった。よほど打ちどころが悪かったのだろう。
走馬灯にしては奇妙だが、思い返して幸福に浸れる記憶も少ない。こうして、白い光に溶け込むようにして人生を終えるのも悪くない。
〈おお! そなたが最高の人生が送れる先を見つけたぞ! 元の魂はもう気力が枯渇しておる。このままでは肉体が死を迎えてしまうからな〉
「最高の人生か」
僕は若かりし頃に夢見ていた人生を思い浮かべた。愛する人と家庭を築き、平凡ながら穏やかな生活を送る。
〈そなたによく合った職業を選んでおいたが、わらわからも心ばかりの加護を授けよう〉
白い光が強くなり、僕は何かに吸い込まれるような感覚に包まれた。
〈これからは我慢せず、思う存分暴言を吐いて、良き人生を送るのじゃぞ〉
僕は、暴言を吐きたいと思ったことはない。暴言に暴言を返したとしても、何も解決しないからだ。
「まあ、『あなた、周りから嫌われているでしょう』くらいは、言ってやりたかったけどな」
そう思った途端、白い世界は闇に包まれた。
唐突に『意識』が戻った。瞼を開きさえすれば目が覚める。
僕は、病室にでもいるのだろうと思いながら静かに息を吸い込んだ。甘い花の香りがしたので、予想とは違ったことに驚き、目を開けた。
「エリアス!」
目の前には、月明かりのように淡い髪色の美しい女性がいた。
僕はまだ夢が続いているのかと思った。
女性の水色の瞳よりも澄んだ色の涙が僕の頬に落ちてきた。頬が温かく濡れていく。頬に触れた手も熱かった。
「ということは、僕は死んだんだな」
「何を言ってるの? 生きているじゃない」
死んだのはあくまで前世の僕だ。慌てて「そうだね。生きている」と訂正した。
しかし、女性はエリアスにとってどういった存在なのだろうか。エリアス自体の年齢もわからないため見当もつかない。母親にしては若い。心から心配している様子から、妻か恋人の可能性がある。僕はどう接するのが正解か判断できずにいた。
「お母様たちを呼んでくるわ。待っていてね」
女性が部屋を出ていったのを確認して「どうやら姉だな」と呟いた。
一人になり、顔を横に向けて辺りの様子をうかがおうとしたが、ほとんど体が動かせなかった。一応は起き上がろうと試みたが、動いたのは指先だけだった。
この体は、かなり衰弱しているようだ。
視界に入る内装や家具は、一目で裕福な家庭だとわかる豪華さだ。姉の着ていたドレスも上質な物だった。部屋の様子や服装から、中世から近世あたりのヨーロッパ風の世界観であるのはわかった。
この体の元の持ち主は、一体何に絶望し気力が枯渇したのだろうかと、不思議でならない。
しばらくすると、姉が戻ってきた。一緒に入ってきたご婦人は、エリアスの母親、つまり今世の僕の『母』だろう。ほかにも使用人とおぼしき男女がいた。
「おお、エリアス、よくぞ目を覚ましてくれました」
僕は、目を潤ませる母を見ながら、舞台の台詞みたいなしゃべり方だなと考えていた。
「本当にごめんなさい。あなたをあのように追い詰めてしまったこと、心から悔いています。もう、あなたに強くなるようになど申しません」
僕は反応に困っていた。
「すみません。お母様……で合っていますよね? 実のところ、僕には何もわかりませんので、ご自分を責めないでください」
「エリアス、なんてこと……」
母が泣き崩れた。
「お母様!」と姉は母の肩を支えた。
息子が記憶を失ったと思っているのだろう。実際はそれどころではなく、魂が入れ替わっているのだ。真実を知ってしまえば、この程度の悲しみでは済まされない。僕は自分の配慮のなさを反省した。
「きっと大丈夫です。今はまだ頭に霞がかかっていますが、そのうちすっきりします。お悲しみのところ申し訳ないのですが、空腹なので、胃に負担のかからないものをいただけないでしょうか?」
母は顔をあげると「すぐに何か用意させます」と僕の手を握ってきた。姉の手も熱かったが、母の手も熱い。僕はエリアスの体温が低いのだと気づいた。
今にも死んでしまいそうだ。
食事が運ばれてきたので、侍従に体を起こしてもらった。重湯に似た何かを食べようと手を伸ばしたが、指の関節がくっきり出るほど痩せ細っていてスプーンすらまともに持てない。
姉がスープを掬って口まで運んでくれた。何かの穀物がクタクタになるまで煮込んである。美味しくはないが、胃には優しそうだ。
母は僕が食べ終わるのを見届けると「エリアスをお願いするわね」と言い残し、部屋を出ていった。
僕はエリアスを理解する上で最も重要なことを知りたくなった。
「鏡を持ってきてもらえますか?」
姉がメイドに指示を出した。
「自分の顔も思い出せないの?」
僕は頷いた。
「姉さん……だよね。名前を訊いてもいい?」
姉は「ソフィー・セーデルステーンよ」と寂しそうに微笑んだ。それから「どんなことでもわたくしに訊いていいわよ」と続けた。僕は情報源を確保できたため、少しばかり不安を解消した。
メイドが手鏡を持って戻ってきた。ソフィーが、僕の顔の前に鏡をかざしてくれた。
「僕は、女性だったのですか……?」
「何を言ってるのエリアス。あなたはわたくしの弟よ」
ソフィーと同じ淡い色の金髪、鮮やかな新緑色の瞳、青磁のような肌、細く高い鼻梁、ほんのりと紅をさしたような唇、頬がこけてもなお損なわれることのない『美貌』だった。





