2-07 どんづまり一家、冷血侯爵家にまとめて転生(弟だけ美少女魔族になったけど)
貧乏暮らしの女子高生・美代子は、家族で乗った車の事故の記憶を最後に、なぜか見知らぬ豪奢な部屋のベッドで目を覚ます。細く白い腕、ブロンドの長い髪、かしずく見知らぬメイドたち。状況がまるで飲み込めないまま、真っ先に頭をよぎるのはカネのこと。「やばいやばい、なんか高級なホテルじゃんここ」半泣きで両親を探しに走ると、白銀の髪と美しいドレス姿の貴族女性を見つけた。でも、声はおかあちゃん。高級そうなごはんを前に「天国やな」と呑気にもりもり完食中。いったいここはどこ? わたしは誰? 家族まとめて異世界転生ドタバタ領地再生ついでに魔族の手から美少女変化した弟を取り戻すよ譚、ここに開幕!!
ひゅっと息を吸い、その音で意識を戻す。
ゆ、夢……? よかった……。
冷蔵庫にしまっておいた秘蔵のにしん粕漬をお父ちゃんが酒のアテに平らげてしまい泣いて怒ってぽかぽか叩いてたらそのうち一発があごにクリーンヒットして倒れた拍子に頭をぶつけて入院しちゃって赤貧の我が家の家計が完全に破綻したというのにお母ちゃん呑気にしゃあない裏の雑草でも取って食うかあはははとか笑ってるし弟はランドセルに荷物つめて出てこうとしてるしという最悪の場面だったから。
悪夢を追い払うように、改めて深呼吸をする。
と、どこからか微かに良い香りが漂ってくることに気がついた。
うちにこんな芳香剤あったっけ、そんなお金あるならロース肉でも買ってよ、などと思いながら目を左右に動かすと、ベッドの脇の花瓶に目が留まった。なんか女神とか天使の複雑な模様、入ってる。淡い桃色と白のきれいな花が生けてある。
なに、これ。
しばらく考えて、やばい、となった。
お母ちゃん、またなんか騙されてる。
この花瓶は人間国宝が作ったものでやむなき事情で一晩あずけたいんだけど誰も引き受けてくれない、預かってくれたら十万円あげる、ついては保証金として半額の五万円をとか言われたやつだ絶対!
わたしは猛烈な焦りを覚え、慌てて身を起こした。
だけど、起こせたのは途中まで。
それも、がばっとという感じではない。ゆらゆらと起き上がり、また、ぺたんとベッドに背をつけてしまった。力が入らないのだ。
ああ、だめだ。やっぱり主食もやし副菜もやしの食生活は如実に身体を削ってきてる。なんとかしてお父ちゃんに早く仕事、見つけてもらわなきゃ。
……待って。
なんでうちにベッド、あんの。うちのアパート、四畳と六畳の二部屋だし、どちらも和室だし。しかもこんなに広くて真っ白の、いかにもお姫さま的なひとが使うようなやつ、買えたとしても入らない。
正面に見える高い天井には上品な装飾。
見慣れた安い吊り下げ式の蛍光灯が、ない。
首を持ち上げて、もう一度ゆっくりと見回してみた。
花瓶の向こうには窓がある。これも上品な縁取りがされていて、上のほうが丸くなってる両開きのものだ。少し曇ったようなガラスの向こうには、きれいに手入れされた緑と穏やかな晴天の空が見えている。
部屋の反対側には重厚な木目の扉といくつかの高価そうな調度品。そしてどれもベッドから遠かった。二十歩ほどもあろうか。つまりこの部屋、すごく広い。
……どこ、ここ。
もう一度、目を瞑る。思い出せ、美代子。なにがあった。
深く考えようとすると、ずきっとこめかみに痛みが走った。思わずううと声を出し、それでもじっと考えていると、ひとつの光景が思い出されてきた。
深夜の国道。
お父ちゃんの仕事用のバン。前の席のお父ちゃんとお母ちゃんの後頭部、そして横でふてくされてる弟、光晴の横顔。
窓には雨。ぎらぎらと通り過ぎるオレンジ色の照明。
そして、飛び込んできた眩しい光。
衝撃。身体が浮いて、景色がたくさん回転して……。
「あああっ!」
今度は声を出して、さっきよりはスピーディに起き上がった。
「……これ、絶対どっかの高級ホテルとかだ……」
たぶん、事故にあったのだろう。お父ちゃんが運転する車で。
それで、なんでか知らないけど、病院じゃなくてどこかのホテルに運ばれて寝かされてたんだ。よっぽど混んでたのかな、病院。
腕を持ち上げ、怪我の有無を確かめる。どこにも傷ひとつない。でも……なんか、細くない? わたしの腕、こんな細くて白くて、頼りなかったか? 無駄に握力四十以上あって、腕立て伏せ二十回余裕で、部活入ってないのにあちこちの試合に助っ人で呼ばれて小遣い稼ぎしてたこのわたしの腕だぞ?
などと考えているうちに、恐るべきことに気がついた。
高級ホテル。
それって、誰、お金払うの?
「……やば!」
叫び、身体にかかっていた薄く柔らかい布地を跳ね上げた。
やばい。いますぐ出なきゃ。いやすぐに出ても料金、減額とかないだろうけど。ワンチャン従量課金制かもしれないし。そうじゃなくてもごねる。負けさせてみせる。
よろよろと身体を起こし、頼りない腕をベッドについて脚を下ろす。足首、ほっそ。足、しっろ。え、そんなにわたし、長いあいだ眠ってたの?
と、わたしの声を聞きつけたのだろう。扉の外でいくつかの声がした。同時に扉が開かれる。
「お嬢さま……!」
「お目覚めになられましたか!」
女のひとが何人か走り込んできた。みんなフリルのついた前掛けをして、ブルーグレーのお揃いの服を着ている。髪の色もばらばら、茶髪のひともいれば赤毛のひともいる。このホテル、メイドカフェとか併設してるのかな。
「ご無理なさらないで、起きてはなりません」
「あんなにひどい事故で……皆さまご無事だったのが奇跡だったのですよ」
「ただでさえお弱いお身体、ご静養が肝要です。さ、横になられて」
わらわらとわたしの周りに群がる従業員さんたち。背中をさすってくれるひと、掛け布を膝に乗せてくれるひと、近くのテーブルから水の入った器をとってうやうやしく渡してくれるひと。
ただ、なんだろ。みんな顔が笑ってない。
引き攣ってるというか、怯えているというか。
「……あ、の……」
わたしは従業員さんたちの見事なメイドムーブに圧倒されながら、恐る恐る声を出した。なんだか普段より、二オクターブくらい高い声が出た。
その声にまた、正面にいたひとがびくっと身体を震わせる。
「はい」
「……事故、って……」
従業員さんたちが顔を見合わせる。うちのひとり、少し年嵩のひとが前に出て、眉根を寄せながら前に手を組み、頭を下げた。なんだかお詫びしてるみたいだ。
「あ、あの……ご家族で乗っておられた馬車が、魔獣に襲われたのです。騎士団のご活躍で撃退されましたが、馬車がひどく壊されてしまって……ですが、ご心配はご無用です。旦那さまも奥さまもご無事でいらっしゃいます。ナスタシアさまもお気を失われて数日、眠っておられましたが、幸いにお怪我もなく」
「なすた……し、あ?」
誰、となって返したわたしの言葉に、従業員さんたちはもう一度、顔を見合わせた。ひとりが頷いて、足早に部屋を出てゆく。年嵩のひとがごく小さくため息をつき、首を振る。また厄介ごとが増えた、という顔に見えた。
「……ご記憶が混乱されているのですね。ご自分のお名前もお分かりにならないなんて……いま、執事長を呼んでまいります。お医者さまに診ていただきましょう」
クローク。ホテルの、クローク。
それって、あれだよね。フロントで働いてるひと。
ってことは……ご、ご精算……ご請求?
「あっ、あの」
わたしは叫び、ベッドの上で身を捩らせて移動した。従業員さんたちが慌てたように腕を伸ばすが、その間でぼとんと落ちるようにベッドから降りた。ふらつく脚でなんとか立ち上がり、できるだけ上等の笑顔を浮かべてみせた。
「あの、あの、ちょっといま、手持ち、ないんで……親、探してきます。お父ちゃんとお母ちゃん、どっかにいると思うんで。あ、このホテルのどっかにいるのかな、えへへ。どんくさい家族で……ほんと、ごめんなさいっ」
ぴゅっと片手をあげて、わたしは走った。全力のつもりだったが、流れる景色がゆっくりだ。途中でいっかい転び、ずるずる起き上がって、なんとか部屋から出る。
振り返ると、従業員さんたちは戸惑ったような表情を浮かべておろおろしてる。ごめんなさい、ごめんなさい。いろいろご迷惑、おかけします。
廊下には高級そうな絨毯が敷き詰めてあった。
まずい。ほんとまずい。絶対、一晩で何枚か万札が飛んでくやつだ、ここ。
どちらにいったらよいかもわからないまま、本能に従って走る。と、途中の壁に鏡がかかっていた。横目に見て通り過ぎ、十歩ほど過ぎてからまた戻る。
……誰?
鏡のなかにいたのは、薄い金色の髪を腰まで流した、蒼い瞳の美少女。儚げな色白の頬をわずかに上気させ、小さな唇を薄く開け、眉を寄せてこちらを見ている。わたしが頬に手をやれば、相手も同じようにする。手を振れば振り返す。
これ、わたしだ。
なんでか特殊メイク、させられてるけど。
ああ、また追加料金発生だ……。
頭の中に円マークを何十個も躍らせながら走った。
いくつか角を曲がったとき、お母ちゃんの声が聴こえた。あはは、と呑気に笑っている。廊下の奥の白い大きな扉の向こうからだ。
扉に辿り着き、ばん、と開ける。
「あっ、美代子、目ぇ覚めたんかいな。これ、食べな。うまいで」
居並ぶ執事とメイドたちがわたしに一斉に頭を垂れる。
巨大な部屋、巨大なテーブル。
その奥でわたしに向かって皿を持ち上げてみせているのは、豪華なドレスに身を包み、白銀の髪を綺麗に巻いている女性。貴族夫人、という雰囲気のそのひとは、愛らしい小さな唇を大きく開き、豪快に笑ってみせた。
「なんや、遠慮することないで。なんか黙っとったらなんぼでもごはん出てくるんや、ここ。天国やな」
その表情、その声。
ふらりと、足元が揺れた。意識が遠くなる。
おかあ……ちゃん?
そんな高そうなごはん……もりもり食べちゃって……。





