2-17 奇々怪廻
1999年夏。
部活帰りの眞綾は、ある日突然男になってしまう。
霊能力者たちの呪術者討伐に巻き込まれた結果、眞綾の体が奪われて、男の体に無理矢理魂を押し込められてしまったらしい。
眞綾の体を使って次から次へと呪詛を行う最厄の呪術師、堂上永久を止めるために、なし崩し的に霊能力者修業をはじめることになってしまった眞綾だが。
「……君、もしかして、魂の練度が高い?」
「そんなことよりも元に戻りたいんですけど!?」
堂上永久を暗殺するように命令された陰陽寮所属の陰陽師の土御門徹により、最強の戦士になれる素質があると伝えられる眞綾。
かくして最強の戦士対最厄の呪術師の戦いの幕は切って落とされた。
ノストラダムスの大予言を生き延びた世界は、死の気配を漂わせながらその戦いを見守っている。
1999年7の月、世界は終焉を迎える。
七月いっぱいはどこの本屋も一番いい箇所にはノストラダムスの大予言の本が大量に積まれていたし、西では大地震、東では毒ガス事件が起こり、なんだか大人が元気ない。
子供の頃から聞いていた世界の終末を寄る辺にして生きていたものの、いざ予言の年の七月になったというのに、それでも世界はなにも起こらなかった。
夏だから暑い、夏だから蝉が鳴き、夏だからひまわりが種を付けて重たい頭を垂れている。
その年の夏はいつも通りの夏として、そのまま過ぎ去るのを待つばかりだった。
──はずだった。
/*/
夏でもまだ日陰は涼やかであり、路地裏はジュースのひっくり返したような甘い腐臭が漂う。この繁華街の路地裏を抜けて住宅街に急ぐ人は、それなりにいる。
やっと前期が終わった大学生も、バイトを終えて家に帰ろうと近道の路地裏を歩いていた。
「もしもし、そこのあなた」
クスクスクスクス。
白く目に眩しいセーラー服は、地元の女子校のものだった。艶々とした黒いセミロングの髪、睫毛は長い。流行りの化粧はもっと挑発的なものであり、ラメをふんだんに使うのに、その女子高生はせいぜい口元に赤いグロスを塗っているだけだった。夏の陽射しが強くなればなるほど、影は濃くなる。女子高生にもひどく濃い影が差していた。
「なにか?」
「私、綺麗?」
「はい……?」
早く家に帰りたかった大学生は、いきなり女子高生に声をかけられ戸惑っていた。このところ耳にする援助交際というものは金持ちを狙うらしいから、大学生に声をかける意味がない。大学生には金がない。
やがて、女子高生はクスクスと笑った。
「そう、見えてないのね」
「え」
暗転。なにもする暇もなく、大学生は倒れた。
ただ倒れる直前、女子高生の肩に停まる巨大な蜘蛛が、ムシャムシャと肉塊を食べているのだけが目に入った。
濃厚な腐臭が路地裏に漂った。
/*/
眞綾は必死に走っていた。
走っていて驚くのは、運動神経が特によろしくない彼女は、体育の時間はいかに理由をつくってサボるかばかり考えていたのに、走っても走っても息が切れないことだった。
(頭がおかしくなりそう……いったいどうなっているの……!)
思い返してみても、訳がわからなかった。
部活で合宿に出かけ、彼女の学校の持っている合宿場で二泊三日、それなりに楽しい時間を過ごして帰ったときは、自分は女子高生だったはずなのに。
だというのに、なんということか。
今の彼女は地元だと有名な女子校の古めかしい真っ白なセーラー服ではない。パンパンに張り詰めたTシャツを着ていた。量販店で買ったらしいTシャツは、筋肉で張り詰めた体にフィットして、布地が気の毒なほどに薄くなっている感覚がある。
腕も胸も丸太みたいで、ときどきテレビでちらり見するボディビルダーみたいなのだ。足だってジーンズが薄く感じるほどに、太く張り詰めた筋肉で薄く伸ばされている。デニムが本来頼りがいのある素材なのに、今はなにかあったら裂けるんじゃないかというほどに薄く脆くなっている。
(なんで私が……なんで私が……知らない筋肉モリモリのおっさんになってるのぉぉぉぉぉぉ!!)
普通に考えれば、筋肉隆々な男が走っていたら、好奇の目で見られるし、眞綾だって筋肉隆々な体をどうにか道端で歩いている一般人Aのふりをしてやり過ごす努力をしていただろう。
だが、彼女は目立ちたくない走りたくないという矜持を捨ててでも、必死で走らないといけない理由があった。
「堂上永久!! おあつらえ向けの肉体を見つけたからって、またおめおめと逃げるつもりか……!!」
先程から、夏場にそぐわぬ白衣に緋袴を穿いた巫女装束……に見えるが、どうも緋袴は提灯袴ではなく馬上袴で、神職かどうかも怪しい……の薙刀を持った女性に、首を狙われているのだ。
意味不明な状態な以上、逃げるしかない。
(この体の人、巫女さん怒られせるとか、いったいどんな悪いことしたの……!)
なにより恐ろしいのは、この巫女装束の女性、必死に眞綾が逃げているし、避けているが、少しずれれば首と胴体が別れそうな位置にばかり刃を振るう。現代人とは思えないほどに首狩りマシーンなのだ。
(なんで銃刀法違反者に追いかけ回されているのに、ここに人が誰もいないの! ここ夏休み中のアーケード街のはずなのに……!)
日頃喧噪に満ちているはずのアーケード街は、まるで眞綾と巫女装束銃刀法違反を残して全員神隠しされたかのように、忽然といなくなっていた。
意味がわからない。まるで悪夢に呑まれたかのようだ。
(夢だったらよかったけど、でも……! これ夢じゃない気がする!)
筋肉隆々な男の体で、必死になって巫女装束銃刀法違反から逃げ回っている。息が切れない、自分の体とは思えない、だというのに、妙に頭は冴えるし、日頃コンタクトを付けているせいで常にカピカピする目が裸眼でよく見える。本当に悪夢だったら嬉しいのに、アーケード街の独特の埃っぽいにおい、走ったときに喉が渇いてくる水分を欲する感覚、巫女装束銃刀法違反から必死で逃げ回っている中で肌が感じる毛穴のブワリと広がる感覚。どれだけでたらめな状態でも、それが嘘だと思えなかったのだ。
眞綾は必死に考える。
(あの長い薙刀……あれを振り回すのにアーケード街の広い道だったらどうぞ殺してくださいって言っているだけだよね……なら)
眞綾は必死に土地勘を頼りに、ある程度走ったあとに、普通だったらアーケード街の狭間の民家で暮らしている住民しか通らない人ひとり分しか入れない隙間に入って走りはじめた。筋肉隆々な体だと横向きになっても出っ張っている胸も肩も当たって擦れるが、我慢するしかあるまい。
それを巫女装束銃刀法違反が、嫌そうに目を吊り上げたあと、紙を折り畳んだ人形を取り出すと、それを投げてきた。
それを眞綾は思わず手に取ってぐしゃっと丸めてひっくり返したゴミ箱の中に放り込んだが、それ以上は巫女装束銃刀法違反は追いかけてくることはなかった。
「なんなの……あれは。腐敗は進んでないし、混乱もしてなかった……まさか、もう同化が進んだの? でもそれにしては……変ね」
彼女がなにかブツブツ言っているが、眞綾には意味がさっぱりわからなかった。
眞綾はどうにかして、アーケード街の狭間の民家の敷地を通り、アーケード街の路地裏に出る。
そこまで出たら、空調も途切れ、夏の陽射しを思いっきり浴びる。
「……蝉の鳴き声がしない。どうなってるの」
「そりゃそうだよ。霊能力者が捕り物をする際、結界を張らないと一般人を巻き込むし」
「……っ!?」
ただでさえ、このアーケード街一帯は、急に人がいなくなっていたし、眞綾と巫女装束銃刀法違反しかいなかった。
だというのに、真っ黒なスーツの男が、忽然と現れたのだ。
(なに、なんなの! さっきまでここには人の気配なんてなかったのに! いきなり現れるなんてお化け!?)
逃げないといけない。逃げないと殺される。
わかっているのに、眞綾は先程まで必死に走っていたタガが外れ、そのまましゃがみ込んでしまった。奥歯がガタガラと勝手に鳴るのは、先延ばしにしていた命の危機を覚えての恐怖心が肉体に追いついたからだろう。
真っ黒なスーツの男は、やけに顔が整っていた。目がやけに透き通って見えるが、日本人でこうも透き通った色をしたビー玉のような色をした男がいたのか。そのビー玉のような目の男は、怪訝な顔をしていた。
「んー? 肉体の腐敗が進んでない。混乱はしてるみたいだけど、狂乱には走ってない。でも体が同化もしてないし……」
「あ、あの……!」
「んー?」
「意味不明とは思いますけど、私、本当は高校生なんです! 気付いたら男の人になっていたけど、本当は女子高生で……あの、意味わかんないんですけど!」
「うん、ごめんね、君巻き込まれたみたいだ」
「はあ?」
「うん。君、乗り捨てられたんだよ」
「はあ…………?」
どうもこの男は事情がわかっているらしい。眞綾はへたり込んだままとはいえど、必死で訴える。
「嫌なんですけど! なんかおっさんになってるのは!」
声がガサガサしているのに泣きたくなってくる。カラオケに行ったら「これ眞綾にしか歌えないよね」と言われる程度にキーの高い歌を歌っていたというのに、もうアイドルソングも最近流行りの歌姫の歌も歌えない。
それに男は「ハハハ」と笑う。
「うん、いいね。君。すっごくいい」
「なにが!? よくない、ちっともよくない!」
「いやねえ、君みたいに意識がはっきりしている人間なんて、そういないから。堂上永久に体を乗り捨てられた人間で、こうも意識はっきりしているのに初めて出会った」
そうにこやかに笑うのに、眞綾はイラッとする。
「ひとりで笑ってないで説明しろよ」
「するよ、するする。でもどこまで説明しようかと考えてるんだよ」
眞綾の苛立ちとは裏腹に、ただ笑う男を、眞綾は睨みながら説明を待つことにした。





