2-15 姉のおこぼれはもういらない
慈愛に満ち溢れ、多くの人に慕われている、王家の秘宝──ニコレット・アクアミリアン。それが、シュゼットの姉だ。
姉とは違い、王家の象徴も女神からの祝福も持たずに生まれたシュゼットは、姉のおこぼれを狙う、「おこぼれ王女」と蔑まれていた。
ある日、剣術大会のために他国からやってきた貴族、バルテルミー・オブシディアンとひょんなことから遭遇する。
それにより、シュゼットの頭の中に違う世界の記憶が混じり合い、だんだんと自分の意識や言動が変わっていくことに恐怖を覚える。
見知らぬ記憶にあらがおうとしながらも、シュゼットは自分の境遇がおかしいことに、少しずつ気づいていくのだが……。
これは、前世の記憶を受け入れて、姉と決別する話。
黒陽の剣士が大ぶりの剣を一閃させた瞬間、相手の鎧は砕かれた。
戦意を喪失した相手を前に、闘技場の中心で、勝利を確信した黒陽の剣士が雄叫びを上げる。
「うおおおおおおっ!!」
それを目にしたシュゼットは、大きく息を呑んだ。
剣術大会に集められたのは、大陸中の名だたる猛者たちだ。
それが彼の前では、なすすべもなく一瞬で斬り捨てられてしまった。
息をするのも忘れて目を見開いていると、姉が隣で恍惚とした声を上げた。
「私、決めたわ。あの男は、私がもらう」
「……え?」
「だから、シュゼット。私の婚約者はあなたに譲ってあげる。どうせあなたに縁談なんてこないのだから」
慈愛に満ち溢れ、愛嬌のある姿で多くの人に慕われている、王家の秘宝──『聖水の乙女』。
そんな姉の艶やかな唇から紡がれた言葉に信じられない思いをしながらも、シュゼットは彼女の背後にいる人物に視線を向ける。
まるで宝石箱から飛び出してきたかのような輝く銀髪を軽く結んで肩の前に垂らし、光を閉じ込めた銀色の瞳をした彼が浮かべていたのは、どこか諦めたような乾いた笑みだった。
++ ++ ++
木の葉がほんのり色づき始めた秋の始まり。
宮殿では、第一王女主催のお茶会が開かれていた。
招かれた令嬢たちは各々着飾っているが、その中でもひときわ輝いているのはこの国の第一王女──ニコレット・アクアミリアンだ。
周囲の人々が楽しげに会話をしているなかで、第二王女シュゼットは居心地の悪い思いをしながらも俯いていた。
着飾っている姉とは違い、地味な見た目。ドレスだけは姉のおさがりを貰っているからどうにか見栄えはするものの、流行遅れのドレスに興味を示す者はいない。
そもそも誰も、シュゼットに興味なんてない。
だが──
「あら、シュゼット。さっきからどうしてわたくしのことをジロジロ見ているの?」
「も、申し訳ございません」
チラリと見ただけだったが、それを目ざとく見つけた姉の口角がほんの少し吊り上がる。
「このブレスレットが欲しいのかしら。それとも、ネックレス? もしかして、カメオなんて言うんじゃないでしょうね?」
困ったように微笑む姉の言葉に、周囲の令嬢の瞳がシュゼットに向く。
侮蔑の視線から慌てて逃れるように俯くと、姉がシュゼットの手を包み込むようにして掴んだ。
「いいわ、あげる。妹のかわいいおねだりだもの」
姉は、星飾りのついたネックレスと白い球のような宝石がついたブレスレットを外し、シュゼットの手に無理やり握らせた。
震えるシュゼットの体を、姉が包み込むようにして抱きしめる。
「でも、カメオはだめよ。これはお母様にもらった、私の宝物だもの」
耳元で囁かれた悲しげな言葉は、近くの令嬢にも聞こえただろう。
「まあ、王女様は優しいですわね」
「素晴らしい姉妹愛です。いつ見ても仲睦ましくて──」
「陛下に見放された妹君にも優しくされるなんて、とても健気で──」
「それに比べて、おこぼれ王女様は……」
くすくす、くすくす。
耳障りな嘲笑に、シュゼットはさらに居心地が悪くなる。
「王家の象徴もないのに、第一王女様の物を欲しがるなんて、なんて図々しい──」
これは、いつもの光景だ。
姉の物をねだる妹に、優しく分け与える姉。
ある者は姉を賞賛し、そしてある者は妹を非難する。
すっかり作られた光景に、シュゼットは何も言えずに縮こまることしかできない。
これも、自分が王家の象徴を持ち合わせていないせいだ。
アクアミリアン王国の王族は、女神から特別な力を授けられてこの世に生を受ける。
主に髪色や瞳の色に現れて、王家の血筋の者に与えられる特別な力を使うことができる。
今代の『聖水の乙女』である、第一王女ニコレットには、すべてのものが備わっていた。
類まれなる美貌。豊かに広がる金髪は透き通るような金糸で、澄んだ湖のような水色の瞳は、彼女に特別な力が備わっていることを示していた。
対して、第二王女シュゼットには、姉にある美貌も金糸も水色の瞳も何もなかった。
褪せた金髪は藁のように艶がなく、瞳は水色とは言えない濁った灰色。
王家の象徴とは程遠い地味な見た目で、なおかつ女神に力を授けてもらえなかった愚かな娘。
国王である父からはすぐに見放されて、宮殿の隅の部屋で静かに暮らしている。
そしてたまに姉が分け与えてくれるドレスや宝石で身を飾り、姉を引き立てるためだけにお茶会や夜会に連れ出される。
いつしか姉のおこぼれを狙う、『おこぼれ王女』とまで呼ばれるようになっていた。
「今日はもうお開きにしましょう」
姉の一声により、お茶会が終わった。
令嬢たちは姉に挨拶をすると、そそくさと庭園をあとにする。
残されたのは姉とシュゼット、それから姉の護衛騎士だけだった。
もうすっかり冷たくなっているはずのお茶を飲み、姉はつまらなそうに、鋭い瞳を向けてきた。
「あなたって、本当にだめね」
「……はい」
「私から贈り物を貰ったら、もっと嬉しそうに笑いなさい。そのほうが、みんなも喜ぶわよ」
「……わかりました」
「声も小さいし、目線も合わないし、本当に要領が悪い子ね」
「……申し訳ありません」
「あなたと話していると疲れるわ。アンドリュー。新しいお茶を淹れて」
騎士の制服を着た銀髪の貴公子は、姉の言葉に「はい」と返事をして、静かな動作でお茶を淹れる。
アンドリューは騎士であって姉の使用人ではない。何よりも彼は公爵子息だ。
それなのに姉はことあるごとにアンドリューを顎で使い、彼は嫌な顔一つせずに姉の言葉に付き従う。
その様子を見て、姉はいつも不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「もういいわ。そのお茶は捨てて」
「承知しました」
アンドリューは近くの茂みにティーカップの中身を捨てた。
そしてまた静かに、姉の背後に佇む。
「あなたみたいなつまらない男が、私の婚約者なんてね……。どこかにもっといい男がいないかしら」
姉の呟きにも、アンドリューは表情を変えることはなかった。
前髪の下から窺うように二人の様子を見ていると、それに姉が気づいた。
「あら、何を物欲しそうに見ているのかしら? このカメオ? それともこのドレス? カメオはだめよ。このドレスは……もうすぐ流行が終わるから、あとでお部屋に運ばせましょうか?」
「い、いらな──」
「口答えする子には、こうよ」
姉が祈るように手を組み合わせると、どこからともなく水が現れて、シュゼットの全身を濡らした。
シュゼットの体が震えだす。
シュゼットは冷たい水が苦手だ。幼いころからことあるごとに姉に嫌がらせて水を浴びせられているというのもあるが、冷たい水を浴びるたびに体中が震えて、なぜかもっと水が欲しくなる。まるで全身が冷たい水に触れることを喜んでいるみたいに。
自分が自分ではないかのように、思えてしまうのだ。
「そのままでは風邪をひくわね。ドレスはあとで届けさせるから、もう部屋に戻りなさい」
「……失礼します」
震える体を抱えながら、シュゼットは庭園をあとにした。
どうして、いつもこうなってしまうのだろう。
部屋に戻るための外の道を歩きながら、シュゼットの胸中に渦巻いていたのは、自分への自己嫌悪だけだった。
王家の象徴も能力も持たないシュゼットは、父に見放されていて、姉には嫌われている。
自分がどうしようもない人間なんだと、常に思わされている。
何もできないシュゼットには何もなく、王女なのに侍女も護衛騎士もいない。
姉の持っているものがキラキラと眩しく見えて、欲しいと思ったことはある。でも、シュゼットが手に入れた瞬間、すべては輝きを失って色褪せてしまう。
シュゼットにできることはせいぜい姉のあとについて回り、姉のおこぼれを貰うことぐらいだ。
姉の言葉に違和感を持っても抵抗する気はなく、ただ姉の言うとおりに動くことしかできない。いや、言うとおりに動くことすらできない。それを、毎日嫌というほど思い知らされる。
これからもシュゼットの生活は変わらないし、自分で変えようとも思わない。
だから、庭園にある池の近くを通ったとき、水の音が聞こえたのをシュゼットは無視した。
宮殿にある池は女神が作ったとされる神聖な場所だが、シュゼットの苦手な場所でもある。
ここを通るたびに背筋がぞわりと粟立つ。
冷たい水に近づくのが恐ろしく、怖い。
それなのに、その気持ちとは裏腹に高揚感で胸が支配される。
「おーい」
何やら池から呼び声が聞こえた気がするが、水の音も聞こえるし、秋になるとよくやってくる鳥が鳴いているのだろう。
「おーい、お嬢さん」
まさか人の声だなんて、そんなわけがない。宮殿の池は立ち入り禁止だ。
水音と同時に人の声が聞こえるなんて、ありえない。
「おーい、おーい、お嬢さぁあああん」
あまりにもうるさいものだから、シュゼットは池にうろんげな目を向けた。
「ひっ!」
池の水面に頭が見えた気がした。
気のせいだろう。
宮殿の池は遊泳禁止だし、あまりにも不敬。
だが、声はさらに聞こえてくる。
「お嬢さん、手を貸してくれないか? 水があるから思わず飛び込んでしまったのだが、どうやら片足がつってしまったみたいでな。水深もあってうまく上がれなくなってしまった」
「ひ、ひぃいいいい!」
シュゼットの口から悲鳴が出る。
池から黒い頭らしきものが覗いている。
そのべったりと張りついた髪の隙間から、らんらんと輝く瞳が覗いていた。





