2-14 呪いの海の雷刃姫(らいじんき)
海賊や魔物が跋扈する南洋の島々。蛮族に襲われた少女スツカは、女戦士ナジーサに救われる。ナジーサは呪いによって半魔獣となった海賊ギスに付きまとわれていた。ギスはナジーサとの過去の因縁によって、呪いを解くため彼女の協力を必要としていた。三人は成り行きで共に旅するが、故国が魔導士に乗っ取られた事を知ったナジーサは救援を決意。ギスとスツカを伴い故郷へ向かう。疾走感と情熱に満ちた南洋幻想譚。
ドッドッドッド……ドッドッドッド──
闇の中、戦太鼓の音が鳴り響く。
少女は腕を縛られたまま、ブッシュの中を必死に逃げた。
月明かりが雲間に見え隠れしている。
もっと雲が厚くなれば見つからずに済むのに……
少女の濃い褐色の肌は闇に紛れやすかった。
しかし、山吹色の長い巻き毛は月光によく映えた。
短い腰蓑から伸びた足は、もう傷だらけだ。
胸帯に包まれた膨らみきっていない胸は、じっとりと汗をかいている。
周りで何者かが走る気配がする。
追っ手だ。
彼らは少女のいどころをしっかりとつかんでいた。
それは少女にも分かった。
とても逃げきれない……
絶望に涙ぐみながら必死に足を動かしていると、出し抜けに目の前のブッシュが割れて、黒々とした影が現れた。
「──!」
真っ黒な裸全体に不気味な隈取りを施した男は、白い歯をのぞかせて笑いながら少女ににじり寄った。
「ムベラア! ムベラア!」
言葉はわからなかったが、何を言っているのかは少女にも分かった。
「逃げろ! 逃げろ!」
と、煽っているのだ。
すかさず振り返って走り出した少女の長い髪を、男の手がつかむ。
「キャーーーー!」
少女の悲鳴に、まわりからも男たちが集まってきた。
皆、少女の悲鳴を真似て嘲笑する声をあげながら、足を踏み鳴らし踊っている。
ドッドッドッド……ドッドッドッド──
少女は髪をつかまれたまま、太鼓の音がする方へ引きずられていった。
やがて少女と男たちは大きな焚き火の燃え盛る浜辺に出た。
少女を引きずってきた男は、朽ちかけた網干し柱のフックに少女の腕の縄を引っ掛けて宙吊りにした。
そこに広がっていたのは地獄絵図だった。
浜辺には少女が乗ってきた小さな奴隷船が打ち上げられていた。
蛮族の襲撃に遭い、この島へと追いやられたのだ。
焚き火はその前で燃えていて、まわりでは真っ黒な蛮族の男たちが太鼓の音にのって踊り狂っている。
ドッドッドッド……ドッドッドッド──
浜辺に蛮族たち以外に立っている者はいなかった。
奴隷船の舳先には、乗っていた男たちの切り落とされた首が並んでいた。
奴隷商人、船乗り、積荷だった奴隷たち、男は皆そこにいた。
首以外はすべて船の中だ。
なので、砂浜に転がっている死体は女たちだけだった。
皆、着ていたものを剥かれて裸のまま死んでいる。
いや、まだ一人の娘に何人かの蛮族が群がっているところだった。
ドッドッドッド……ドッドッドッド──
太鼓の音に紛れて、娘の声が絶え絶えに少女の耳に届く。
「やめ……て……もう、や……めて……」
やがて一人の男が娘から離れると、蛮刀を抜き娘の首に振り下ろした。
魂切る悲鳴に少女は耐えられず、涙があふれる瞼をギュッと閉じた。
この後、何をされるのだろう。
このままひと思いに殺されてしまえば、これ以上酷い目に遭わずに済むのに。
どうか……どうか……
だが、そうはいかなかった。
「ふうっ!」
という獣じみた声に目を開けると、すぐ目の前に恐ろしげな隈取りの顔が迫って来ていた。
「──!」
まわりからも蛮族たちがにじり寄ってくる。
恐怖に目を見開く少女に、男が真っ黒な手を伸ばし──。
柔肌を覆った胸帯と腰蓑を一息に引き剥がす。
「いやあああーーーっ!」
絶望に目を閉じた少女は、顔に生暖かいしずくがかかってくるのを感じた。
思わず目を開けた少女の前から──
男の顔は消えていた。
あるのは頭を失った首の切り口だけ。
「ひっ!」
身をすくめた少女の身体を首の切り口が舐めるように触れながら、男はどうと倒れ伏した。
あたりの様子は一変していた。
男たちはみな、右往左往しながら手に手に蛮刀を振り回して、慌てふためいている。
その間を──
何か、大きな影がすごい速さで駆け抜けていた。
男たちのそばを、一人また一人と通り過ぎるたびに、ある者は首を落とし、ある者は腹を裂かれてその場に倒れてゆく。
その影は、まるで月下の水辺に舞う水鳥のようなしなやかさで、男たちの間を踊るように駆けていった。
彼らに死を与えていたのは、影が手にした光。
不思議な形をした刀だった。
二つの三日月を互いちがいの向きにして、柄の両側に取り付けた両刃の半月刀。
その形は稲妻、雷光のようにも見える。
一人の蛮族が、取り乱しながらも影に向かって蛮刀を振り上げ切りかかっていったが、影は難なくそれをかわして背中から相手を切り裂いた。
二、三人の蛮族が抵抗をあきらめ走り出す。
影が、着ていたマントから一本の棒を取り出すと、一振りでそれは人の背丈をしのぐ長さの槍になった。
影は正確無比な角度と力で逃げる男たちに向けて槍を放ち──
一撃で全員の胸を背中から刺し貫いた。
浜辺で動くものはその影だけになった。
少女は槍を取り戻してこちらに歩いて来る姿を見て驚いた。
炎に照らされた白い顔。
長い黒髪。
額に巻いた帯から下がる羽飾り。
マントの合わせから除く白い太腿。
女だ。
若い女──戦士。
女戦士は自分が倒した蛮族たちの死体を検分するように歩き回っていたが、緊張を解いて大きく息を吐いた少女に気づき、こちらへ歩いてきた。
「お前……生きているのか」
涼やかな声が少女に投げかけられた。
黒い瞳が真っ直ぐに見つめる。
顔に入る戦士の刺青の中にあって、額に刻まれた稲妻形の傷が眩しく見えた。
「あ……あ……」
「言葉はわかるのか?」
少女は息を呑み込んでなんとか声を絞り出した。
「わ……わかります」
女戦士は突然、雷光の剣を振るって少女の頭上を払った。
「──!」
手を縛っていた縄が一刀両断され、少女は柱の下にへたり込んだ。
「あ……ありがとう……ございました……」
「礼はいらん。仕事をしただけだ」
「お、仕事ですか?」
「こいつらには賞金がかかっているんだ。ドロルイ族の無法者どもだ」
少女はあたりの凄惨な修羅場を見回した。
「ドロルイ族……この蛮族が……」
女戦士は少女の言葉を咎めた。
「蛮族なんて言い方はよせ。お前も島の人間だろう。私も含めてみんな同じようなもんだ」
女戦士は自分で殺めた男たちの死体を、槍で指し示して言った。
「ドロルイ族も普通の漁民だ」
「でも、あんなむごいことが平気でできるなんて……」
女戦士は、落ちていた誰かの胸帯と腰蓑を拾うと、少女に放ってよこした。
「何か着たらどうだ。その前に体を洗うか?」
少女は自分が全裸であることに気づいた。
胸元から腹の下まで、男の首の切り口が触れてついた血で汚れている。
慌てて海に飛び込むと、少女は血を洗い流してから胸帯と腰蓑を身に付けた。
戻ると、女戦士は男たちの首実検をしていた。
「この人たち、海賊、じゃないんですか?」
「海賊だったら、奴隷を横取りして売り飛ばすだろ。皆殺しになんかしやしない。ただ楽しむためだけに男を殺し、女は犯してから殺してるんだ」
少女は怖気だった。
「どうしてそんな恐ろしいことを……」
「こいつらは呪いのかかった薬を誰かから買って飲んで狂っちまった連中だ。享楽しか考えられなくなる恐ろしい薬だ」
女戦士は仕事の手を止めずに続けた。
「この南の海全体に、呪いの気配が濃くなっている。魔物、海賊、狂わされて血に飢えた無法者ども……そんな連中がわいてきてるんだ。おかげで私の商売にもなるんだけどな」
あんまりだ……あんまりだ……
そんなわけの分からない理由で、殺されたりひどい目に遭うなんて……
少女は世の不条理と理不尽に深い悲しみを感じずにいられなかった。
「お前、奴隷なのか?」
女戦士が聞いた。
「奴隷……になるところでした。何日か前、島に人狩りが攻めて来て……私と逃げきれなかった人たちがこの船に乗せられて連れて行かれたんです。その途中でこの人たちに襲われてここに……」
「家族と一緒にか」
「家族は、いません。私は赤ん坊のころ島に流れ着いて、島の人たちに育ててもらったんです。寺院の神官様に引き取られて、巫女として暮らしてました」
「そうか」
それだけで女戦士は興味を失ったように仕事に戻った。
ようやく落ち着きを取り戻した少女は、逆に女戦士に興味を感じ始めた。
話のきっかけに名乗ってみる。
「私……スツカって言います」
「バカ」
悪口が返ってきた。
「うかつに名乗るな。相手が魔導術の使い手だったら、呪いに利用されるぞ」
「……ごめんなさい」
「あやまってどうする。おかしな奴だな」
何を言っても、叱られる……。
少女──スツカは砂浜に座り込むと、膝を抱えてそこに頭をうずめた。
女戦士はそのいじましい様子に、ため息をつくと言った。
「ナジーサ……」
「はい?」
「私は、ナジーサだ。ナジーサ・ルナドゥ」
その時──
海の方から、何か大きなものが水に落ちる音が聞こえた。
船の向こう、月明かりの元で飛沫が上がっているのも見える。
「遅かったか」
女戦士は少女の手をつかむと、ブッシュの方へ走り出した。
「魔物だ。隠れて様子を見るぞ」





