2-13 七日後に神様になる君と僕
中学二年の結人が、葦上市に引っ越して二ヶ月が過ぎたある朝。
──あとなのか
誰もいない部屋で、少年の無機質な声を聞き、目を覚ます。
民俗学者だった母をもつ結人は、興奮気味に不思議な声の意味を調べることを決意。
その日の学校で、儀式に選ばれた影森さんが、神から授かった言葉を口にする。
「あと七日」
なぜ自分が少年の声を聞くのかわからないまま迎えた翌日、夢の声はカウントダウンを始める。
そして、目覚めた結人の手には、影森さんが持っている札と似た札が握られていた。
儀式が迫るなか、秘密を探りはじめた結人の元に、儀式を担う影森家から使いが現れる。
「結人さんに儀式を担当していただきたい」
差し出されたのは、断ることをためらうほどの大金だった──
母がかつて「ぶち壊しちゃえ」と笑った、この土地の古い風習に向き合う中で、結人は神になる選択を迫られる。
あとなのか──
ため息みたいな声がした。
僕は飛び起き、部屋を見渡す。
誰も、いない。
でも少年の声だった。
優しくて悲しげで単調な声──
「……ヤバくない!?」
僕はベッドから飛びだすと、机のノートに今日の日付を書き込んだ。
そして、聞こえた言葉を書き出しておく。
「あとなのか。だったよね。……なんの、あとだろ……」
民俗学者だった母なら、どう反応するだろうか。
「『しっかり調べろ』とか言いそう」
カーテンを開けば、薄曇りの空に陽がのぼっている。今日も蒸し暑い日になりそうだ。
「結人、ご飯!」
ドア越しにかけられた父からの声に、僕は「今いくー」と答えた。
母のいない生活は慣れてきた。
でも父の転勤で始まった新しい中学校の生活は、二ヶ月も経つのに、まだ慣れない。
それでも母のように新しいことを楽しみたい。
僕は母が遺した分厚い手帳をなぞり、朝の挨拶をする。
「母ちゃん、おはよ。さっきの、調べてみるね」
ベッドを整え、僕はワクワクした気持ちのまま、リビングに向かった。
今日の一時限目は歴史だ。
歴史の授業の内、十五分程度だが、【地元歴史】という葦上市独特の学習時間がある。
風習や儀式の伝統が語られるが、外から来た僕を区別するフレーズが多く、心地のいい時間とは言い難い。
とはいえ、民俗学だと思えば、興味が湧いてしまう僕がいる。
ただ、母はよく、古く凝り固まった意味のない風習を知ると、
『ぶち壊しちゃえっ』
細い腕を振り上げ、笑っていた。
そして、決まって言うんだ。
『私は、壊すの失敗しちゃった。もし、結人がその役になったらお願いね。私の息子だもんね』
その約束は今、破られている。
僕はこの土地の古い風習について、余計なことを言わないよう、必死に馴染む努力をしている。
今、中学二年だ。卒業までここにいるのは決まっているし、なにより波風を立てれば、父の仕事に支障がでるかもしれない。
突然、教室のドアが開いた。
丸まっていた僕の背がふいに伸びる。
先生は扉の先を見て、微笑んだ。
「影森、おはよう」
彼女は玉輪神社の儀式に携わっている。
遅刻もそれが理由だ。
僕には大きなお祭りぐらいの感覚だけど、この街ではとても重要な儀式になる。
彼女は席につくと、和紙に包まれたお札を机に置いた。
手で握れば隠れるほどの小さな札に食いついたのは、クラスメイトだ。
「選ばれたのっ!?」
騒ぐ教室を先生が窘めたあと、神妙に尋ねた。
「──で、影森、神様はなんて?」
彼女は表情を変えずに告げる。
「あと七日と、おっしゃってました」
どよめきに満ちたクラスの中で、僕は息ができない。
『あとなのか』
あとなのか。
あと、七日。
母ちゃん、僕ね、今、心臓が爆発しそう──!
歴史の授業が終わり、影森さんに人だかりができている。
それを遠巻きに見ていると、後ろの席の爽太が小声で話しかけてきた。
「結人も気になってるー?」
「爽太もでしょ? でもさ、影森さんに話しかけれるの、神職の家系だけじゃん」
「それな。つかさ、影森の許可がないと話せないってすごいよな」
「まだ慣れないんだよね、それ」
爽太も小学生の頃に転校してきた人間だ。境遇が似ている僕らはすぐに友だちになった。そして直接聞けない僕らは、じっと彼らの会話に耳を澄ます。
「あと七日かぁ」
「でも神様だよ?」
神様?
さらに、女子たち三人の会話がつづいていく。
「女性は二人目だよね? すごいよね!」
「前は失敗したって聞いた」
「それ、うちら生まれる前の話じゃん」
影森さんは長い黒髪を耳にかけなおし、ゆっくりと正面を見据える。
「絶対に、儀式、成功させます」
僕は影森さんの瞳が怖い。
決意と怒りがからまった闇色の瞳に見えてしまう。
だけどその瞳がふいに手元に落ちた。
優しく札をなで、口元が緩んでいる。
影森さんにとって、儀式って一体、なんなんだ……?
──今日は、父の帰りが遅い。
情報交換用のホワイトボードに書き込まれていた。夕飯は、ご飯とレトルトカレーだ。
僕は追加で目玉焼きを作りながら、七日後についてカレンダーを眺めてみる。
終業式か。
「……あ、やべっ!」
とてもクリスピーな目玉焼きの横にご飯をのせ、カレーをかけて誤魔化した僕は、のんびり一人で食事をし、お風呂にも入って、宿題も終えた夜十時。まだ父は帰らない。
リビングの電気だけ残し、僕は寝ることに決めた。
枕に頭をつければ即寝落ちの僕だ。
だけど、今、どこか灰色の霧のかかった場所にいる──
誰もいないのに、誰かの息遣いが耳元で聞こえてくる。振り返るように後ろを向くと、大きな本殿が現れた。
『君しかいない』
左を見ると、年が近い少年が立っている。
どこかで見たことがある気がする。
彼が着ている白い着物には、細かな刺繍がほどこされていて、霜みたいに輝いて綺麗だ。
でも、襟の入り方がおかしい。逆じゃないのか?
『頼みたい』
少年は瞬く間に近づいた。
互いの鼻先が触れそうだ。
手を、握られる。
『助けて』
「たす、けて?」
『渡す』
一瞬で暗転。
耳鳴りがするほどの暗闇が広がったとき、
あとむいか──
僕は勢いよく体を起こした。
恐怖よりも、新たな言葉に驚きと嬉しさが優っている。
おかげで半笑いだ。
ただ左手が痛い。
強く握りしめていて、一本一本、指をはがしながら開いていくと、影森さんが持っていた小さな札にそっくりの札がある。
「──ん? 結人、どうした、それ?」
起きると、父は朝食の準備をしていた。
僕も手伝い、食卓につくけれど、茶碗の横に、さり気なく札を置いておいた。
気づいてなにか教えてくれないだろうかという、こすい戦法である。
「どっかの荷物からか? 母さんのだな、それ」
話を聞こうと口を開いた時、
「全部捨てたと思ってたんだけどな」
父はご飯を口に入れると、味噌汁で飲み込んだ。
「民俗学なんて、オカルトだろ? お前には普通に育ってほしいからな」
「……それ、どういう意味」
父は一瞬眉をひそめたけれど、水を飲んで、にっこり笑う。これは怒ってる顔だ。
「もう、母さん、いないんだから。な?」
父は食器をまとめ、流しに向かうと、僕を見ずに言った。
「捨てておけ、そんなもの」
僕はすぐに家を出た。
民俗学を否定され、悔しさと怒りが湧いてくる。
それに、母を忘れろ?
「あー、むかつくっ!」
僕は空に叫んだ。叫んでも腹立たしさは止まらない。
でも、まずは、この札に関係する何かを僕は知らなけれはならない。
母ならそうするはずだ。
まず、この札は、影森さんが持っていた札と似ている。
それに神様からの言葉も同じだった。
儀式は玉輪神社で行われるはずだから、とりあえず、玉輪神社に行ってみよう。
あの声と札の夢が、今回の十年ぶりの儀式に関係あるとしたら……!
謎と謎がつながりそうで、ぶわりと鳥肌が立つ。
足取り軽く大通りを過ぎ、坂が現れる。この上が玉輪神社だ。
鳥居をくぐり、階段を上がっていくと、人影が見えた。
「おはようございます」
声をかけると、振り返ったのは神主さんと、……影森さんだ。
「何しにきたの」
単調な声で影森さんに言われ、僕は返事をするのをぐっと堪えて札を差し出した。
「答えなさい」
影森さんの声は重く、目つきは鋭い。
思わず後ずさる足をとめて、僕は口を開いた。
「あ、その、頼まれ、いや」
しどろもどろで説明するなか、神主さんは僕の手から無言で札を取り、手早く開いていく。
中には小さな木の板があり、そこに書かれていたのは──
「菅和 結人。……なるほど」
僕の名前だ。
だけど、苗字が母の旧姓の「菅和」?
「こんなものまで作る、普通?」
軽蔑するほどの冷たい感情を視線で投げつけられる。
だけど、僕も負けじと声を張る。
「僕、夢で頼まれて。で、札を」
「だいたい、あなたの苗字は真田でしょ」
「いや、その苗字は」
「嫌がらせだよね。誰から聞いたの?」
影森さんは大げさにため息をついた。
怒りを閉じ込めるように腕を組む。
「あのさ、興味本位で儀式に関わらないで。失敗すればどうなるか知らないでしょ」
昨日の「神様」「儀式」、そして「失敗」、それらの言葉から、僕は母の手帳をたどってみた。
手帳のメモでは、儀式の参加者は何かの身代わりになることが多かった。
言いかけた僕に、
「出て行って」
またあの目だ。
誰も寄せ付けない、光のない目。
これは自分の身を捧げる覚悟と、決意の目だったんだ。
「あのさ」
背を向けた影森さんに僕は続ける。
「影森さんが儀式で神様になったら、影森さんは、どうなるの……?」
俯き黙ったままだ。
僕はすぐに彼女の手を取った。
ぶち壊して、守るよね、母ちゃんなら。
「放しなさい」
「やだよ」
出ようと引っ張る僕の手を、影森さんは振り払う。
「約束してるから!」
「誰と約束したのさ」
「教えるわけないでしょ」
いがみ合う僕らの間に神主さんが割って入ると、僕の腕をつかみあげた。
踏ん張る僕を無視し、引きずりながら歩き出す。
「え、ちょっとっ!」
「堪忍なぁ」
僕は今、夢で見た、あの黒い本殿に向かっている──





