2-12 ローゼンシュヴァルツは紅くなる
黒薔薇学院には『七不思議』と呼ばれる奇妙な噂がたくさんある。
しかし一番不可解なのは、入学する生徒たちのうち、毎年数名しか卒業していないことだった。
そんな黒薔薇学院の最終学年となったレオナルドとアレクサンドラは、今やたった二人しかいない同級生である。
どこか不思議で、どこか狂っていて、どこかしら壊れているこの学院で、今日も二人は下級生たちを淘汰する。
大陸最高峰と謳われる教育機関が集結した、学術都市のオズリンド。
高等教育はもちろん、料理や裁縫や剣術や錬金術などあらゆる分野に特化した専門校も揃っており、「オズリンドで学べぬものはなにもない!」がこの都市の謳い文句であった。
その中でもローゼンシュヴァルツ王立学院――通称・黒薔薇学院は、少し特殊な位置付けにある。
実力のない者から淘汰されていく校風や、代々王族の誰かが通っていること、そして『七不思議』と呼ばれる噂の数々も、この学院を奇妙なものにしている要因だった。
例えば〈八番目の当直室〉。
雨の日にだけ忽然と現れるこの部屋には、机の上に書きかけの日誌が置かれている。日誌には『誰も読めない注意書き』が記されているらしい。
例えば〈歩く影〉。
学院でもっとも優秀な生徒の影が、試験の翌日だけ別行動をしている。悪さはせず、花壇の水やりをしていたり、死んだ生徒の遺品をせっせと集めている姿などが目撃されている。
例えば〈王女の肖像画〉。
螺旋階段に飾られた古い王女の肖像画は、見るたびに表情が違っている。笑っている日に話しかけるとささやかな幸運があり、悲しそうな日に話しかけると怪我をしてしまい、怒っている日にうっかり話しかけてしまうと――。
そんな風に、条件さえ満たせば不可思議な現象が普通に起きる。それがここ黒薔薇学院の奇妙な日常でもあった。
「それにしても、まさかここまで七不思議の人気が高いとは思わなかった。みんな僕が王族だってこと忘れてない?」
「もちろん忘れてはいないでしょう。ただ、王族よりも七不思議のほうが生徒たちの役に立っていることは否めません」
「うん、役立たずって正直に言ってくれてありがとう。喧嘩売ってる?」
ここは黒薔薇学院の屋上にある空中庭園。他に誰もいないこの場所で、王太子レオナルドは向かいに座る綺麗な顔の少女をじっと見つめていた。
「ねえ、サーシャ」
「はい?」
こてんと首を傾げたサーシャに、レオナルドはわずかに身を乗り出した。
「さっきの話。七不思議のやつ。君はあれ、七つを全部知ってるの?」
「ご存知ないのですか、殿下。七不思議というものは、すべてを知ってしまうと呪われるのですよ」
「……そうなの!?」
嘘である。そんな事実はどこにもないのだが、通説の一つであることは間違いない。しかしレオナルドには効果覿面だったようで、この話題はここで終わった。なおサーシャは七不思議をすべて知っていたし、なんなら不思議の数は七つどころか二十七あることも知っている。が、そんなのはわざわざ語るまでもない余談であった。
一方のレオナルドは、微妙に震える手でティーカップを持ち上げながら、なんとか威厳を取り戻そうとしている。
「ところで来月の建国祭、当然サーシャは僕の隣にいるよね?」
話題を変えた。露骨ではあったが、サーシャは余計なことなど言わない。ただその話題に乗っかった。
「はい。王族警護も兼任しての参加です。殿下のこともしっかりとお守りしますので、ご安心くださいね」
「うん、ありがとう。サーシャがいれば不審者はもちろん、知り合いすらも寄ってこないからね……」
「なにか言いましたか?」
「言ってない! 言ってないからフォークを下ろして!」
先ほどまでケーキを食べるのに使っていたフォークが、いつの間にかレオナルドのほうを向いている。王太子殿下に対してあるまじきサーシャの態度であったが、学院で唯一の同級生だからこそ許される戯れでもあった。逆に言えば、サーシャ以外には許されない所業である。
その時、どこからか鐘の音が聞こえてきた。午後の授業開始まで、あと五分。サーシャがするりと椅子から立ち上がる。まるで野生の猫みたいな身のこなし。
「そろそろ戻りましょうか」
「うん。午後の授業はなんだっけ」
他愛もない話をしながら、二人は揃って空中庭園をあとにする。使用済みのカトラリーはそのまま放置で大丈夫。そうすれば〈透明な使用人〉が代わりに片付けてくれるのだ。初めは学院の雑用係が片付けてくれているのかと思っていたが、どうやら違うらしい……ということを最近知ったサーシャである。
螺旋階段をぐるぐると下りる途中、例の〈王女の肖像画〉と鉢合わせた。幸い今日の王女は小さく微笑んでいる。それを見たレオナルドが「いい笑顔だね」と王女に笑いかけ、サーシャも「ごきげんよう」と挨拶した。これで今日はささやかな幸運に恵まれる――はず。
「ね、サーシャ」
「はい」
「さっきの答えを聞いてなかった。午後の授業はなんだっけ?」
他愛もない、先ほどの質問。サーシャは淡々と答えた。
「午後はフィールドワークですよ、殿下。私たちの学年はもう私とあなただけになりましたから、本日は下級生たちと一緒の合同授業です」
「ああ――そうか、フィールドワークか」
レオナルドの声音が変わった。先ほどまでの表情が丸ごと抜け落ちて、声にはわずかな愉悦が混じる。
くっとレオナルドが笑声を漏らした。まるで楽しくて愉しくて仕方がないと言わんばかりの歪んだ笑顔。どうやら完全に意識が切り替わったらしい。
「今日はどのくらい殺――減らせばいいのかな?」
「教官によると、本日参加する候補生五十名のうち、二十名になるまでふるい落としてほしいとのことです」
「ん、わかった。それにしてもまだ五十人もいるのかあ……多すぎない?」
「そうですね。例年であれば、今頃は三分の一くらいまで減っているはずですが」
毎年百名ほどが新たに入学してくるものの、それが半年後には半分まで減り、無事に進級できる生徒は十人いるかいないかだ。そしてその十人がさらにしのぎを削り合いながら、卒業までの残り二年間を過ごすことになる。
話しながら、サーシャはちらりと横目でレオナルドを見た。
――この不可思議で狂った学院に在籍する、我らが偉大な次期国王。普段は明るくて穏やかな青年だが、それだけの人間がこの学院で生き残ることはまず不可能だ。だからレオナルドが今日まで生き残っていることは、彼がどこかしら狂っているという証明でもあった。
この国では、まともな者ほど昏君となり、狂った者ほど名君になる傾向がある。そしてレオナルドは間違いなく後者の人間だった。だからこそ彼が王太子なのだ。
「ねえ、サーシャ」
「はい」
「建国祭、本当に僕の隣にいるんだよ」
サーシャがレオナルドを見上げれば、彼もまたこちらを見下ろしていた。二人の視線が真正面から絡み合う。
「君は僕のもので、僕は君のもの。どちらかが死んだ場合は、残った側があとを追う。死んでも一緒だって約束したね。覚えてる?」
「はい」
「よし。なら先に伝えておく。今度の建国祭、結構な数の暗殺者が紛れ込んでくるよ。最低四人。多ければ十人以上」
さらっと投下された新情報だったが、サーシャは微動だにしなかった。暗殺者程度でいちいち動揺していては、レオナルドの隣は到底務まらない。
「かしこまりました」
校庭に到着すると、すでに候補生五十名が勢揃いしていた。彼らのやる気で体感温度が妙に高い気もするが、やる気だけで生き残れるほどこの学院は甘くない。
やってきた二人の姿を見た下級生たちは、一瞬だけしんと静まり返る。しかしすぐにひそひそ話が伝播した。
「レオナルド殿下とアレクサンドラ妃殿下だ……」
「もう上級生はあのお二人しか残っていないのよね……?」
「嘘だろ……いくら淘汰されるからって、一学年に二人って前代未聞じゃね……?」
下級生たちのひそひそ話は丸聞こえであったが、二人は特に気にすることなく定位置につく。
ちなみにアレクサンドラというのは、サーシャの本名だった。サーシャは愛称。そしてその愛称で彼女を呼ぶのは、この世でレオナルドだけだった。他の誰かがそう呼ぶことを彼が許していないから。
「ご結婚後も普通に学院に通っておられるんだな……」
「そりゃそうでしょ……ここは『そういう場所』なんだから」
結婚、という単語にはさすがの二人も一瞬だけ反応した。が、すぐにすんと真顔に戻る。
王太子レオナルドと、隣国からの留学生である王女アレクサンドラの馴れ初めは、国民全員が知るところだった。この学院で出会った二人は、当初バチバチに殺し合いを繰り広げ、同級生たちが次々と淘汰されていくなかお互いだけはついに仕留めきれず、最終的には「こいつやるな」と認め合った仲である。なお、結婚は両家の両親によって満場一致で決まった。本人たちを含め誰も反対しなかった。
「あ、忘れるところだった。はい、サーシャ」
「?」
「昨日は満月だったでしょ。だから処方箋もらってきた」
処方箋。そう言われてサーシャは一瞬だけ首を傾げて――すぐにぴんときて受け取った。
恐らくは〈忘れられた医務室〉に行ってきたのだろう。満月の夜にだけ現れるその部屋には、『死なないための方法』が記された処方箋が置かれている。あるいは「もう手遅れ」とだけ書かれている場合もあるらしいが、サーシャはまだその文言を見たことがない。レオナルドが軽い調子で言った。
「『フィールドワークはいつも通りに。建国祭では決して伴侶と離れないこと』だってさ」
「なるほど」
ふむふむと処方箋を読むサーシャの隣では、レオナルドの一閃で血飛沫が上がっていた。
フィールドワーク。それは試合開始の合図もなく、突如として始まる生き残り戦だ。
あらゆる分野の専門校が揃うオズリンドのなかでも、一際異彩を放つ黒薔薇学院。七不思議が日常に溶け込むこの場所は、王家公認の戦闘狂を育てるための狂った学び舎なのだった。





