2-11 死にかけ令嬢は人形王子の口付けに囚われる
――子爵令嬢アデレードは、愛しい第二王子パトリックの代わりに毒を飲んで死んだらしい。
婚約式前日に目覚めた彼女を待っていたのは、身覚えのない自分の死の報せ。
彼の毒杯を奪った理由も記憶も曖昧だが、身を挺したわけがない。政略結婚の上、誰にでも冷ややかなはずの、彼の浮気を問い詰める予定だったから。
けれど命を繋ぎ止めたのは、不自然に優しい彼の口付け。
「キスさせてアディ。このままじゃ、君の体は数時間には崩れて消える」
「お断りします。犯人からさっさと解毒剤でも取り上げて、全て清算しましょう?」
雪に閉ざされていた教会。容疑者は若き王太子と妃、隣国に輿入れ予定の妹、未成年の弟。そしてパトリック。
推理はおろか記憶も事情聴取すらままならぬ中彼女は――、
「私を殺した犯人が分かりました。陛下の到着前に、全て明らかにいたしましょう」
犯人を釣り上げるための嘘をついた。
夜半からの雨は教会の窓の積雪を洗い流し、夜明けの光が山向こうに見えた。やがて日が完全に昇れば雪道は開かれ、国王陛下が妃を伴い到着する。そして我が子たちを守るための裁定を下し、犯人はまんまと逃げおおせるだろう。
――昨夜の「尊い」犠牲を、私の死体ひとつを残して。
アレデードはひりつく喉で冷気を吸い、縮んだ肺を膨らませた。
「ですから今、第二王子パトリック殿下の殺害を目論み、その杯に毒を入れ、結果私を“殺した”犯人とその動機と方法を、詳らかにしてご覧に入れます。私は私の死を、美談で終わらせるつもりはありません」
長い沈黙を破った声に、その場の誰もがぎょっとしたように、声のした方――唯一の出入り口に顔を向けた。
聖餐会も行われる広い食堂。点々と灯る蝋燭が辛うじて位置を示す扉の影からふわりと現れたのは、長い黒髪と黒檀色の瞳、頬にそばかすを散らした若い女性だった。
昨日晩餐の卓上で、死んだはずの。
「ごきげんよう、殿下がた」
アレデード・ホーケン。国境付近に領地を持つ貧乏子爵家の令嬢。彼女は長兄よりも王太子に相応しかったと囁かれる第二王子・パトリックに強く請われ、明日正式な婚約者になるはずだった。
――けれど本心から歓迎している者が、当のパトリックと自分自身を含め、この場のどこにいただろう。
彼女は式に立ち会うため昨夜から逗留している、彼の兄妹弟の顔を順番に観察する。そのまま死ねば良かったとすら思っているかもしれない。
二人はこの数年間、臣下の前でこそ理想的な恋人として振舞っていたが、実際はおままごとの人形じみた上っ面の関係だと彼らには知られていた。
この場で最も後ろ盾も地位も特別な能力も美貌もない――そして何故パトリックが婚約を望んだかも定かではない――彼の心情を慮る家族の情を除けば、死んでも問題のないただの二十歳の小娘でしかない。
しかし司祭がごとりと追加の燭台をテーブルに置けば、浮かび上がるアデレード“たち”の変貌に誰かが息を呑む。
彼女はゆったりした黒いドレスに全身を包み、薄い金髪の白衣の男・パトリックにお姫様抱っこをされていた。夜会でも最低限しか触れない男が、薄灰色の瞳に喜びを、まるで本当の恋人のような甘い笑みを浮かべている。
そして彼女の方は絶えず被っていた分厚い猫の皮を今や脱ぎ散らかして、森と狩場を擁する家らしい鷹の目をしていた。
「皆様の目が『死んでなかったのか』と仰せですね。ええ、私は確かに殺されたようなのです」
「よう、って何? おかしいわ。あなたの脈は私も兄様も、司祭様だって確認したのよ」
真っ先に反応したのは、国王の三番目の子、パトリックのふたつ年下の王女ユーフェミアだった。完璧な化粧が施された可愛らしい顔は、故に焦燥が滲んでいるのがはっきりと分かる。
「実は私にも分かりません」
あっさり頷けばユーフェミアは疑わしげな顔をするが、本当だ。生きている仕組みも理由も知らない。
ただ自分を抱くパトリックが、昨夜何かしたということだけは分かっていた。以後彼の様子がおかしくなったことも。そう、
「それに、兄様があなたを抱いてることもね」
「ええ、まあ。王女殿下のご婚約者様“は”大変優しいお方ですから」
ユーフェミアは褒められて、少し得意げな表情を見せた。彼女は来年には隣国の公爵に嫁ぐことが決まっている。政略結婚ではあるが仲睦まじい――密かに他の女性と逢瀬を重ねていたパトリックとは違って。
実際アデレードにもお姫様抱っこの意図が読めず、不本意極まりない。
それでも抱かれているのは、目覚めてから体が石化と崩壊を続けているからだ。既に右脚は膝より下が固まり、左足の爪先は削れ靴の中に白い破片をまき散らしている。左肩は力が入らず、残った右手が奇跡のようだ。
この口が回るのもいつまでか――肺が零れるまでか、首が残るまでか。ともかく、急がなければ。
「姉様、言い過ぎだよ。……王太子殿下は何かご存知ですか?」
ユーフェミアを諫め背後の長兄を振り返ったのは、彼女によく似たあどけなさを残した末弟、クリフォードだった。
アレデードと反対側の壇上で、二人に似ず精悍な顔の長兄・王太子ギデオンは青ざめた妻の華奢な手を握りながら、厳しい視線をパトリックに向ける。
「この件は、一部の王族以外には秘匿されている」
「私はのけ者? いいえ、私とクリフの母様が――」
「女性はいずれ嫁に行く」
王太子にぴしゃりと言われ、彼女は口を噤む。妻は更にギデオンの腕に縋りつく。
彼らを観察しながら、アデレードは再び口を開いた。
「……ですので夜明けには命が尽きるそうです」
ですので、は彼女自身も良く分かっていないが、これだけは言える。
「ですからその前に、殿下の杯に毒を入れた犯人から、解毒剤の場所を聞き出さなければなりません」
そんなものがあればの話だが。パトリックから聞いた石化毒の話から、存在に賭けるしかなかった。
(それにしても、とんだ邪魔が入ったわ。婚約解消を皆様の前で願い出るつもりだったけれど……)
アデレードは指先でそっと唇を撫でた。厄介なことに、残る感触が彼の逢瀬と不実に、別の可能性をもたらした。だがこれは後回しだ。
「つまり王族の誰かか、教会の者が犯人だと?」
「昨夜ワインセラーで皆様ご自身で選ばれた白葡萄の酒瓶は、全員の眼前で開けられ、其々注がれました。そしてパトリック殿下だけ、別種のお酒だったことは周知の事実です」
彼は葡萄で体調不良を起こすため、普段から林檎酒を飲む。今回もそうだった。
「そして先程教会の外を確認しましたが、」
「二人でね、アディ?」
「……ええ、パトリック殿下。……屋外には馬車の轍は勿論のこと、足跡も確認できませんでした。容疑者は、明日の婚約式を見届ける司祭様たちと、王族の皆様がたということに」
偉大なる国王の血を引く四兄妹と配偶者。長兄の若き王太子とその妃、隣国に嫁ぐ妹姫。成人を数年後に待つ末弟。彼らを見回し、アデレードはまるで獲物を前にした鷹のように笑んでみせ、
「では皆様、どうか私の推測にお耳をお貸しください。疑問は勿論、随時仰ってくださって構いません。たとえば、ずっと以前に毒が仕込まれていたのでは、とか」
(ええ、そうやって一つずつ疑問を潰さないと。だって、犯人の目星なんて全く付いてないんだもの)
ある程度の謎は解いた――けれど犯人を示すはずの決定的な証拠がない。だから今から疑問を解き嘘を暴き、ハッタリを事実にするしかない。
回された腕に力がこもり見上げれば、パトリックが嬉しそうに口を開いた。
「さあ兄上、愛しい婚約者を身を挺して庇った、健気なご令嬢の話を聞いて差し上げましょう」
(それとも、『浮気に絶望』して死を選んだ哀れな令嬢にしたかった?)
アデレードはもう一人の容疑者の優美な笑顔を一瞥し、視線を前に戻す。
◇◇◇◆◇◇□□
昨日アレデードが目を覚ました時、視界にあったのは婚約者の薄い唇だった。抵抗しようと痛む腕を上げれば、全身が強ばって悲鳴を上げる。おまけに腕が硬く薄いものに当たり、棒切れのような指に紐が引っかかって、ちりんとベルが鳴った。
ここがガラスの小さな温室で、シダのように体を丸めていたことに気が付いたのはその時だった。
「アデレード、君は何故俺の杯を? 見間違いか、それとも庇ってくれた?」
(……彼が「俺」なんて言ったことあったかしら? まあいいわ)
何故か泣きそうで顔を離すパトリックに、眉間の皺で返す。
確かに薄暗かったが、見間違いではないはず。酔う前に話し合いをと、普段なら絶対しないことを――杯を奪って飲み干した。喉を焼く痛みに吐き出そうとして……その後の記憶はない。
いやひとつだけ、唇に感触が残っている。
「けほ、私、どうなって……」
「棺で息を吹き返したらと妄想したことは?」
巷では棺に付ける安全装置が流行していると聞いたことはあるが、そんなものにかける金は実家にはない。領地を襲った度重なる大雨のせいで、妄想するまでもない新しい遺体と、土肌に姿を現した古い遺体を見てきた。それから流行病も。
領地への援助こそがアデレードの値段――おかしかった。
すんなり結婚まで決まった王太子殿下と違って、人形の如く完璧と称される彼には長らく候補者もいなかったという。いくら人形じみてても彼を望む令嬢も親もいくらでもいる。それが半刻ほど話した末に無表情で「丁度いい」と言っただけの相手を再度呼んで。金を積んで。
「王族には死の証明のため、瀕死の者に命を分け与える秘術が伝わっている。こうしてね」
パトリックの唇が近づき、触れる直前で離れていった。
(……では、あの口付けは、相手は死体だったとでもいうの?)
思い出す。先月王宮の庭園で見た、東屋で抱いていたあの可憐な女性への口付けを。
「毒入りだなんて知るはずないわ、見当違いよ。絶対にあなたを庇ったりしない。それより口付けしたの? それに何の毒か知って――」
「キスさせてアディ、今のままじゃ君の体は保って数時間だ」
初めて聞く愛称と体の痛みに顔をしかめる。
「お断りします。王族の殺人だの胡散臭い秘術だの、もうこりごり。毒なら解毒剤があるかもしれないし」
パトリックの瞳に影が差す。
「さっさと犯人を捕まえて、関係を清算しましょう?」
昨夜からの出来事は婚約前の覚悟と想像を超えていた。今は早く補償金を約束して欲しい――でなければ、故郷の皆が病で死ぬから。





