2-10 修道院の恋文
どこかの時代、どこかの国の修道院。院長代理のベルナールは、恋文を拾った。
「運命の人」と相手を呼んでいるし、文章が熱っぽいのでまちがいない。
修道院で恋愛は禁忌である。処理しなければ。
だが、これはだれがだれに対して送ったものだろう。
考えてみれば、同僚のだれもかもがあやしく見えてくる……。
院長代理のベルナール、愛嬌のギヨーム、ベルナールと仲が悪いマティアス、料理好きトマス、本の虫なルシウス、そして、なぜか長期滞在をしている巡礼者ヴィクトル。
「運命の人」はだれで、だれがだれに禁じられた思いを寄せているのか。
これは修道院のおじさんが、運命のおじさんに出会う物語。
(この話はブロマンスです)
『……運命の人。私はきみをそう呼ぶことにした。分かちがたい運命だ。きみは気づいているだろうか。きみを映した私の目に宿っている、確かな熱を。私は、口に出そうとしても出せない、不器用な少年のようだよ。どうか、どうか――この運命を、受け取ってほしい』
手紙だった。だれへ宛てたものかもわからないし、送り主不明の手紙である。
恋文とも言えた。「運命の人」、「熱」、「口に出そうしても出せない」――「受け取ってほしい」。
情熱的で、決定的だ。なんという罪悪の産物か。
拾ってしまった紙切れ一枚。はじめこそ何の文面か思い至らず静止していた頭脳が、事態を把握した途端に真っ赤な怒りへと振り切った。
手汗でべたつくので、白いチュニカの裾で拭ったが。額にも汗をかいていたので、濡れているのを無意識のうちに指で確かめていた。もう一度、手をチュニカで拭う。
罪の証拠は、いまだベルナールの手の中にある。片手で握りしめていたので、しわくちゃになっていたが。
落ち着こう。ベルナールは心で呟く。
状況を整理しなければ、解決策を見出すことも難しくなる。
まずベルナールは、回廊にいる。彼は午後の祈りを済ませ、ひとりで執務室へ行こうとしていたのだ。
今の彼は修道院長代理だった。不在がちの院長に代わり細々とした雑事を抱えていたので、この時も取り掛からねばならない事項を頭の中で整理しながら、足早に向かっていたのだ。
回廊のすぐそばにローズマリーの茂みが生えているのだが、そこに見覚えのない白色が見えた。ひらひらとしたそれを、不審に思って手に取ってみたところ――恋文だとわかったのだ。
ベルナールは周辺を見回した。が、だれも通りかかった気配がない。いつからここにあったのかは知れないが、昨日、宿舎に戻るときにはなかったので、それ以降からあったものだろう。
慎重に紙片を確かめる。だがやはり、差し出し人も宛て先も、それと窺い知れるものはない。筆跡にも、見覚えがない。そう、修道院にいるどの修道士にも、当てはまりそうな人物がいない。
このけがらわしさの塊が、どこからやってきて、どこに行こうとしていたのか――わからないのである。
ベルナールはひどく苦々しいものを飲み込んだ心地になった。
修道士は、生涯を神に奉仕する誓いを立てた者たちだ。世俗のようにだれかと恋に落ち、愛することなどない。彼らの愛は神のみに捧げられるべきものだからだ。
修道士は、修道院に住むものだ。そして、一部をのぞき、外部から閉ざされている。
恋文が、街中で落ちているのとはわけがちがうのだ。
この恋文の送り主と送り先の、どちらかでも修道士であったなら――そして少なくともどちらかはそうと言えるだろう――大いなる危機である。間違いなく、この修道院に対する脅威だ。一刻も早く、原因を特定し、うまく処理しなければならない。混乱の坩堝に修道士たちを落としてしまう前に。……今や、ベルナールしかこの問題に立ち向かえる者がいないのだ。
遠方の修道院を回っている院長には、裁可を仰ぐことができない。その院長は遠出する前に、ベルナールにすべてを託していったのだ。
たまにあちこちで聞こえていた院長の気まぐれな鼻歌を思い出し、ベルナールは唇を歪めた。
勘弁してほしい。最近は腰痛に悩んでいたところなのに。この上にまた悩みを増やされるとは――。
「ベルナール?」
何の前触れもなく、高い声がベルナールの意識を現実へ引き戻した。
小柄で小太りな男が、ベルナールを見上げていた。相変わらず、栗鼠の目のように、愛嬌を湛えている。
自分とほぼ同じ年齢なのに、体は丸々として、眉間の皺も少なく、深い悩みなどなさそうだ。ベルナールは疲労のため息とともに同僚を呼ぶ。
「どうした、ギヨーム」
「いやね、きみがぼーっとしていたからさ。どうしたんだろって。……あ、その紙はなに?」
「あぁ、これは……なんでもないよ」
手の中の恋文を指摘され、ベルナールは言いかけて、やめた。
「反故にした書類でね、もったいないからちょっとしたことを書きつけていたんだよ」
すらすらと適当な言い訳が出てくる。
ふうん、とギヨームは呑気な相槌のみでそれ以上追及しなかった。
「そういえば、トマスがさ、新しい料理を味見させてくれるんだってさ。ベルナールも行く?」
「いや……気分じゃないな」
「へぇ、そう。マティアスは行くって言ってたよ」
「ヤツがいくならなおさら行かない」
マティアスとの不仲は知っているだろうに、えぇ、とギヨームがおおげさに嘆いてみせた。
「もったいない。あ、そうそう。ついでなんだけど、報告ね。またヴィクトルさんが、街に来ていた旅芸人を派手に呼ぼうとしてて」
それは「ついで」で話すことじゃない。
「味見の話より先にそっちのほうが重要じゃないか!」
「いや、でも、トマスさんが言ってたし」
「きみの仕事はゲスト用宿舎の管理だろ! 味見係ではない!」
「えぇ、カリカリしないでよ。ベルナールは最近とくに怖くなった気がするよ」
間延びした返事。たまりかねたベルナールはとうとうギヨームの首根っこを掴んで引きずることにした。
「ギヨーム、もちろん、その『困った客人』の要望を止めているよな。な?」
「やめたほうがいいですよ、と言ったから大丈夫」
「返事はなんと?」
「善処するって」
「……それは、『聞いてはおくが、従わない』ってことなんだが?」
「いやいやいや。そんなこと……ないんじゃないかなぁ」
「ギヨームっ!」
「ごめん、ごめんって! 行く! 行くから!」
さすがのギヨームも、ベルナールを先導するように歩きはじめた。はじめからそうしてほしい。
ベルナールはひょこひょこ動く背中を追っていたが、そのうち、むくむくと疑念が渦巻いていくのを感じた。
――ギヨームは、ちがうよな……?
先ほど、手紙のことを言えなかったのは、たとえわずかでも、手紙の宛て先である「運命の人」が、ギヨームであることの可能性を考えたからだった。
もちろん、この可能性は修道院所属の修道士ならだれにでもあると言える。
ただ……そう、ベルナールはギヨームと話す中でふいに、思ったのだ。手紙の筆跡が内部の者を示していないのなら、その手紙は外部から来た者が書いたのではないか、と。
ゲスト用宿舎は、巡礼者たちに広く開放されているのだが、あくまで滞在は短期間にとどまる。
なのに、このヴィクトルという男は……なぜかずっと出発もしないまま、半年以上も修道院に留まり続けている。
彼は、読み書きもできたはずだ。
もし彼があの手紙を書いたのであれば。あの中で「運命の人」とあらわされた相手は。
――いや、外部の人間が書いたなら、昔の手紙かもしれない。ここの修道士ではない、恋人への恋文だったなら。
どこかでそう信じたかった。いや、その可能性に縋り付きたかったとも言えた。
修道士の恋は禁忌である。やめさせなければならない。――だが、どう処理するべきものか。厄介ではありませんように。
ベルナールは神に祈るように一瞬、目を瞑るが――本当はわかっていた。
こういった時こそ、神は試練を与えるものなのだと。そして事実、不穏な予感は的中したのである。





