2-09 恋愛初心者の脳筋令嬢と三人の求婚者
クァールの美姫は、鬼より怖い。
ヤースミーンは、雷閃花と異名をとる腕利きの剣士である。
自分を打ち負かした男でないと結婚しないと豪語し、これまで百人以上の求婚者を蹴散らしてきた。
それでも求婚者が絶えないのは、彼女がこの世に二人といないと謳われる美貌の持ち主であるからだ。
どれだけ叩きのめしても、求婚者はやってくる。
そんなヤースミーンのもとに、また新しい求婚者が現れた。
だが、今日現れた求婚者は、ちょっと今までとは違った。
一人は古風な武術命の騎士団長。
一人は寡黙で奥手な魔獣狩りの統括長。
そして、最後の一人は帝国の敵、魔王だったのだ。
これは、剣には長けても恋愛には不器用な一人の少女と、女性の心には疎い三人の求婚者の物語である。
最後に剣だけでなく、ヤースミーンの心も打ち負かすのは誰だろうか。
「ヤースミーン様、求婚者がいらっしゃっております」
いつものように木剣を振っていると、執事のピシュカールが声を掛けてきた。
「またなの?」
剣を振る手を止めると、ピシュカールの差し出す布を取り汗を拭う。
今月に入ってからでも、五人の求婚者を断って来たのだ。
いい加減、面倒になってくる。
「ピシュカールの方で断ってくれてもいいのよ」
「それが、今回はそうも参りません」
有能な執事が、ちょっと困った表情を浮かべている。
厄介事の匂いがした。
「──面倒な求婚者が来たのね?」
「今回は、三人いらっしゃっております。お一人目は、帝都の騎士団長、一角獣の騎士キルバシュ卿」
時代遅れの騎士オタク。
感性が古すぎて疲れる人ね。
「お二人目は、魔獣狩りの統括長、静かなる竜ナイゼイ殿」
無表情の根暗ドラゴン。
笑った顔を見たことがないのよね。
「三人目は、魔人と獣人の王、血を支配する者アルジャンク陛下」
「──聞き違いかしら?」
残虐なる殺戮の魔王。
帝国の敵が来ているって、どういう状況よ!
「皆様、名高い雷閃花を迎えたいと仰せで。客間でお待ちになっておられます」
「その三人が一緒に?」
「さようで」
行きたくない状況だけれど。
急がないと、何が起こるかわからない面子ではある。
ため息ひとつ。
切り替えて、前を向くことにした。
「行くわ。とりあえず、会ってみましょう」
ピシュカールが、安堵しているのがわかる。
そりゃ、うちの邸で大陸最強決定戦でも始められたら困るわね。
廊下を通って客間に向かう。
幸い、扉の向こうからは破壊の気配はない。
でも、扉一枚隔てていてもわかる。
何よ、このただならない魔力と緊張感。
ちらりと、執事を見る。
生贄の仔羊を捧げる神官のような表情をしていた。
こいつめ……。
厄介事は全部あたしに押し付ける気ね。
いいわよ。
やってやろうじゃない。
思い切って、扉を開ける。
唇を固く結んだまま、部屋の中に乗り込んだ。
「これはヤースミーン嬢」
中には、三人の男がいた。
一人は、古くさい正装を着た帝国騎士。
長い刀を抱えたまま、むっつりと座っている。
その正面には、油断なく棍を握り、皮の胴着を着た黒髪の魔獣狩り。
目を閉じたまま、微動だにしていない。
言葉を発したのは、にこやかに笑っている三人目の男だった。
座る二人の間に立ち、両手を広げている。
だが、真紅の双眸が、彼が人間ではないことを物語っていた。
魔王アルジャンク。
指先ひとつで、この邸程度は焼き払える男だ。
「噂以上にお美しい。わざわざこの街まで出向いた甲斐がありますな」
饒舌で、礼儀正しい。
魔王の愛想のよさが、逆に異様に感じる。
騎士団長と統括長は、視線だけで人を殺せそうな殺気を放っていた。
「余はアルジャンク。あなたを妻に迎えたいと思っています。余の妻になってくれませんか」
そして、気が早い。
まあ、求婚に来ているのだから、当然と言えばそうなのだが。
しかし、この魔王、ちょっと軽い気がする。
聞いていた印象とは、だいぶ違うわね。
「たわけが! 貴様、臆面もなくよくほざいたものだ」
立ち上がりざま、騎士団長が刀を抜き放つ。
抜く手も見せぬ神速の刃が、ぴたりと魔王の喉もとに当てられた。
「帝国の敵が、人界の名花を奪いに来るとはいい度胸だ。その首、ここで落としても一向に構わんのだぞ!」
「よしたまえよ、キルバシュ卿」
魔王は、余裕の表情を崩さない。
「皇帝と話はつけてある。この件の決着がつくまで、互いに手を出さないことになっているのだよ。余に手を出せば、困ったことになるのは卿の方だ」
「わたしは、そんなことは聞いておらぬぞ!」
「確認してみたまえよ。戦うのは、それからでも遅くはないだろう?」
刃を突きつけられても、魔王は笑みを崩さない。
その余裕の態度に、騎士団長は一層憤る。
だが、それでも刀を引かざるを得ない。
腹立たしげに、キルバシュは引き下がった。
「吸血鬼の王よ。おれは、皇帝の家臣ではない。魔獣狩りに、皇帝の威光も魔王の恐怖も通用しないぞ」
座ったまま、ナイゼイが薄く目を開けた。
それだけで、部屋の中の威圧が一段強くなる。
気の弱い者なら、これだけで昏倒しそうだわ。
「落ち着けよ、旧き友よ。我らが争っては、街ごと破壊しかねない。それは、ヤースミーン嬢にも迷惑だろう?」
「そうですね」
ここで暴れられて、困るのはあたしだ。
やるなら、どこか離れたところでやってほしい。
「とりあえず、話を聞きましょうか。アルジャンク陛下の求婚の意志は、確認させてもらいましたわ。陛下も、まずは他の御二方に話をさせていただけますか?」
「ヤースミーン嬢がそう望まれるのなら」
魔王が、恭しく一礼して一歩下がる。
今のところ、この男が一番紳士的である。
評判とは裏腹な丁寧さが、かえって恐ろしい。
「一別以来だな、雷閃花。今日は、あなたを妻にしたいと思って参った。人界広しといえ、わたしと肩を並べて戦える女性はあなたしかいない。是非、わたしとともに剣を振るってほしい」
キルバシュの求婚の言葉は、普通の女性なら胸をときめかせるものではない。
でも、実のところあたしにとっては、それほど悪くない科白だった。
あたしも、自分より弱い男に嫁ぐつもりはない。
常々、そう公言してきたのだ。
「おれの命を賭けて、あなたを生涯護ろう」
殺気を漂わせたまま、ナイゼイがぼそっと呟く。
この人は、さっきからあたしと目を合わせようとしない。
でも、その言葉には、意外な温かみを感じた。
「わかっているでしょうが、あたしは自分より弱い男に嫁いだりはしません。あたしを妻にしたいならば、剣であたしを打ち負かしていただかないと。当然、魔力を使わずに、です」
草原の都市クァールの雷閃花。
こう見えて、近隣にその名は轟いている。
それは、無双の双剣使いとして、だと思いたい。
今までにやってきた求婚者も、全てこの双剣で叩きのめしてきたのだ。
あたしに求婚してくる以上、腕に覚えがあるのは当然なのである。
「それでは、余から参りましょう」
道場に移動すると、真っ先に手を挙げたのは魔王アルジャンクだった。
三人の中でも、一番積極的だ。
木剣を手に取り、無造作に振るう。
魔力を使わなくても、その膂力は人間の比ではない。
だが、その剣は粗く、洗練されていなかった。
「いざ!」
掛け声とともに、魔王が迫る。
豪剣が唸りを上げる──が、あたしにはその兆しがはっきりと見て取れた。
回避し、囮の斬撃でアルジャンクの動きを誘導する。
一本目の剣を躱した魔王の喉もとに、二本目の剣が添えられていた。
「これは、参りました!」
からからとアルジャンクは笑った。
「どうして負けたのか、さっぱりわかりません。ヤースミーン嬢の技は、まるで魔法のようですな」
「陛下は、強すぎるのです。だから、剣の技など必要としてこなかった。それだけです」
道場でなければ、魔王はあたしより強いかもしれない。
だが、魔力も使えないこの状況なら、ただの力自慢の素人だ。
「──では、おれが行こう」
次に、ナイゼイが前に出てくる。
長い棍を構えたその所作には、隙が全くない。
アルジャンクと違い、魔獣狩りの統括長は熟達の戦士である。
しかも、その武器はただの棍ではない。
遠間から振るわれた棍が、魔法のように伸びてくる。
八節棍。
知っていなければ、初見で躱すのは難しい。
鞭のように変幻自在なその軌道を読み切るのは、あたしでも苦労する。
中途半端な距離では、勝ち目がない。
あえて、距離を取る。
それでも、そこはまだ棍の間合い。
だが、この距離なら軌道は直線的になる。
ぎりぎりに躱すと同時に、距離を潰す。
槍ならば引くのは間に合わないが、これは八節棍。
短い間合いでも対応するのはわかっている。
でも、あたしは、ナイゼイの弱点がわかっていた。
「ごめんなさい」
接近したことで、ナイゼイの無表情な顔を覗き込める。
目が合った瞬間、にっこりと笑い、片目をつぶった。
ナイゼイは真っ赤になり、慌てて顔を背ける。
あたしは、ぽんと軽くその頭に木剣を置いた。
「──未熟」
がっくりと、ナイゼイが肩を落とす。
正直、武術の技倆では彼の方が上かもしれない。
でも、彼ではあたしには勝てない。
それだけは、わかる。
「そんな小手先のごまかし、わたしには通じぬぞ」
最後に、キルバシュが木刀を提げて前に出てくる。
ナイゼイも隙がなかったが、この男はそれ以上である。
木刀の柄に手をかけ、あたしの動きを一瞬たりとも見逃さないというように集中している。
彼の神速の抜刀は、回避できない。
でも、抜かせれば互角には戦えるだろう。
小刻みに、ステップを踏む。
リズムを取り、キルバシュの周囲を左回りで回り込んでいく。
あたしの動きが変わっても、騎士団長は油断を見せない。
僅かに向きを変え、あたしを正対に収めてくる。
唾を、飲み込んだ。
勝負は、一瞬で決まるだろう。
意を決し、あたしは、キルバシュの懐に飛び込んだ。





