第61話 天使の涙
バルコニーの夜風はさらに冷える。グレイヴの目の前のルシファーはいつ返り血をあびてもおかしくない状況だった。グレイヴの耳と尻尾がゆっくり現れて涙も浮かぶ。そしてゆっくり頭を下げた。
「…俺の先祖が、申し訳ないことを」
その言葉を受けて、頬のナイフは――そっと離された。ルシファーは軽く笑う。
「…ふっ、ビビってやがる」
「へ?」
グレイヴは半泣きだ。ルシファーはナイフをしまうとベンチに寄りかかる。
「今さらどうしようもないだろ?それに消したいのは俺だ」
夜空に向けられた彼の瞳は少し揺れていて、瞳に映る星空は歪んでいた。グレイヴはこのとき少し思い出した。
――『プラリネは魔王と間違えられて…』
グレイヴは勇者伝説が偽りであることはわかったが、真実ははっきり知らない。だが、この時代のルシファーを傷つけるのが純粋に怖かった。しかし、この男は黙れない。
「『自分を消したい』だなんて言うな。例え冗談でも…」
グレイヴは勝手に口が開いていた。このときルシファーも何かの縁を感じた。「この少年のこの真っ直ぐで、無鉄砲なところをいつしかうんざりするほど付き合うような気がする」というくらいの曖昧な予知だった。
(…デジャヴ?)
魔力の弱ったルシファーの無意識に発動した未来予知だが、直感的な曖昧なものしか浮かばなかった。グレイヴは狸に戻ってルシファーの膝の上に飛び乗った。
「お前は未来でもそうだったが自分の中に気持ちを押込み過ぎだ。もっと気持ちをさらけ出せ。――人は可愛いものに触れると落ち着くんだ!俺を撫でろ!」
「…自分が可愛いって自覚あるのか」
ルシファーはクスッと笑って膝のグレイヴを撫でた。手のぬくもりがグレイヴに伝わる。抱っこしたので自然とルシファーの胸元に耳が近づいた。
(…体温だ。心臓の音も聞こえる。――今のカインからは冷たくて機械音しかしないのに…)
理由もなくグレイヴは大粒の涙を流していた。ルシファーは突然の涙に驚いた。
「どうした。何か辛かったか?」
グレイヴは人型に戻ってベンチの隣に座って涙を拭う。
「いや、今のお前にはわからないよ…」
ルシファーは煙草を加えて呟く。
「それなら、未来を楽しみにしよう。俺は不死身だからな」
(確かにカインだ。声も顔も違うから気付かなかったけど、言われてみればカインに性格がそっくりだ)
そして、グレイヴはあることを思いついた。
「なあ、3日後までバトルの特訓に付き合ってくれるか?」
ルシファーは即答した。
「いいぞ。思う存分付き合おう。俺も退屈しのぎになりそうだ」
*****
――こうして、翌日からグレイヴとルートはルシファーの特訓に付き合うことになった。
最初は歯が全く立たなかったが、次第に互角とまでいかないが戦いのコツを掴めてきた。
――そしてあっという間に帰る日の前日の夜を迎えた。
ルシファーは手紙を1枚持っている。
――『この時計塔の頂上で待っています。伝えたいことがあるので A』
「アンジュ、なんで俺の住処に…?」
グレイヴたちがやってきたので手紙を咄嗟に隠す。
「明日でお別れだな、ルシファー」
「何を言ってるんだ。未来でまた会えるだろ」
グレイヴは驚いた。
「なんでそれを…?まさか、未来予知?」
「いや、お前が言ったんだ。予知はできるがな、未来なんてわからない方がいい」
グレイヴはゆっくりうなづいた。
「そうだな!」
そのときのグレイヴの笑顔は太陽のように輝かしかった。そして、ルシファーは2人を時計塔の頂上に連れていくことにした。頂上の方が歪みをキャッチしやすいからである。
「…ちょうどアンジュの待ち合わせの場所だからな。階段結構上がるが大丈夫か?」
グレイヴとルートは一瞬顔を見合わせたが、うなづいた。そして、長い長い階段をひたすら上がっていった。この時代エレベーターやエスカレーターなんてなかったからだ。しかし、3人とも息は上がらない。グレイヴは冒険の経験で、体力がかなり向上されたのだ。
時計塔の頂上にたどり着くと、アンジュがいた。しかし、手には手紙が握られていて目には疑いが浮かんでいる。
「なんだ急に!突然『やっぱり俺の家にしよう』だなんて手紙寄越すから、店キャンセルしたんだ!」
しかし、ルシファーは首を傾げる。全く手紙を書いた覚えなんてなかったからだ。ルシファーも上着から手紙を取り出す。
「言ったのはそっちじゃないか?『話したいことがある』とここに変更になっただろ?それに店なんて予約してないが、どうしてキャンセルした?」
「サプライズで気に入っている店をこっそり予約したんだ!」
「それ言ったらサプライズじゃないだろ…。独断に他人を巻き込むな」
時計塔は修羅場と化す。グレイヴたちは階段の影から身を潜めていることしかできなかった。ルシファーとアンジュの口論は止まらない。
「”他人”って、私をずっと他人と…?」
顔をひきつらせるアンジュにルシファーは真顔で真剣に返す。
「お前のことは愛してる。――だが、”愛”で現実を捻じ曲げるようなことをするなと言っているんだ」
アンジュが自分の胸の前に手紙を持って行ったそのとき、――1本のナイフが上から飛んできた。
ナイフは空を切り、2人の持っていた2通の手紙を貫いて瞬時に粉々にする。そして、アンジュの胸に深く刺さった。
「…っ!」
アンジュは背後の壁に倒れて、そのまま動かなくなった。近距離で向かい合っていたルシファーに血の飛沫がかかる。そのわずかな温かさが一瞬で冷えていく感覚で彼の胸は強く締め付けられた。
「…あ、アンジュ!」
ルシファーはアンジュに駆け寄って彼女の体からナイフを抜いて、少しだけ刃を舐めた。ルシファーの目が見開かれる。
「これは、植物性の猛毒じゃないか!?」
決して皆は真似をしてはいけない。ルシファーはアンジュの体を必死に揺さぶるが、返ってくるのは普段のアンジュより重い感触だけだった…。ルシファーはアンジュの遺体を壁にかけるとその場の床に突っ伏した。
「な、なぜだ…。なぜ俺の大切な人は皆いなくなる…」
顔は見えなかったが、グレイヴたちにはどれだけルシファーが哀しい思いをしているのか、よくわかった。グレイヴは小刻みに震えるルシファーの背中をさすった。しかし、――
(…なんて言えばいいか。わからねー…)
黙って一緒に泣くことしかできなかった。自分がバカだからか?未来が変わるのが怖いから?理由はわからなかった。すると、ルシファーは体を起こした。目はわずかに赤い。そして呟いた。
「…敵襲だ。人数は、数え切れん」
すると、ルートもやってきた。焦っていて走っている。
「大変だ!階段の下からこんな見た目の奴らがどっさりと押し寄せてきた!」
ルートは変身魔法である姿になった。ルシファーは歯を食いしばる。
「…アシガルだ。ウラヌスの戦闘員の簡易使い魔の」
そしてルシファーは時計塔の針の裏に駆け上がると両手を合わせて詠唱した。すると、グレイヴたちが入ってきた時空の穴が発生した。ルシファーはグレイヴたちの肩を掴む。
「ここは俺がなんとかする。お前たちは元の時代に逃げろ」
しかし、グレイヴは動かない。
「…嫌だ。俺たちも戦う」
「ごちゃごちゃ言うな!」
ルシファーは2人の反対を押し切って、2人を念力で浮かせた。そして強制的に穴に入れさせた。
「…待って、ルシファー!!」
そのまま穴は閉じた。グレイヴたちがいなくなったあと入れ替わりで大量のアシガルが飛び掛かったがルシファーは大鎌を召喚して次々に片付ける。その光景を時計塔の上の窓から、10歳ほどの少年のディエゴが見ていたのであった。
※この物語はフィクションです。




