第36話 死神の堕天使
カインはファイティングポーズをして戦闘服で東雲を見続ける。魔法が使えなければカインも不利だろうと思うだろうが実は問題ない。
「おい、魔法が使えないのはお互い様だろ?」
カインはその一言に笑みを浮かべる。
「果たしてそうか?」
カインは東雲に向けて氷のブレスを優雅に出した。これは魔法だ。
「噓だろ。お前自分の身も…」
東雲は反射的に避けたが青紫の長髪の毛先にわずかに霜ができていた。カインは1歩前に出る。
「…残念だが不利なのはお前だけだ、東雲」
「は?」
カインは自分の腹の装甲を開いて自分の内部装置を見せる。その奥底の暗闇の中の”ある物体”は東雲の冷や汗をさらに誘う。
「俺はサイボーグ。それに魔王だ。生命力など持っていない」
「…!」
カインは装甲を戻して東雲に歩みを寄せる。その立ち姿は”美しい死神”だった。東雲は走り出した。だが、カインは追いかけない。
(この狭い複雑な空間にどれだけいられるか…。)
カインは楽しくてしょうがなかった。こんな風に人を恐怖で脅かして逃げ回る姿を見るのはいつぶりだろう。100年ぶりだ。火を放てばその場からちょこまかと涙と汗でぐしょぐしょの顔で逃げ回る。ただそんな光景が昔は楽しくて酒の肴になるくらいに愉快だった。
しかし、今回は精密機械が多いので火は使わず、代わりに使ったのは音だ。
「おーい、どこだー」
カインは感情のこもっていない目で見事に相手の心を掴むセリフを言い続ける。
「早く出てこい!」
――…コツッ、カツッ
戦闘服のヒールの音が東雲の息の根を止めるように鳴り響く。カインは既に東雲のすぐ近くにいた。
(あの男、情報屋という割には体が鍛え上げられている。それに隙がない。武術にも長けているな)
カインは呼びかけながら東雲の外見から特徴を洗い出していた。
(…それにあの目は――)
脳裏に冷静になった東雲の表情が浮かび上がっている。その目は相手を生命として見ておらず、冷え切ったものだった。カインも少し焦りを感じ始めた。
(…あいつ、葬っているぞ。それも何人も)
東雲の種族は”破壊雷獣”という特殊な霊獣だ。本来神の使いや式神に相当する存在だが、何かしらの理由で1体脱走したらしい。これは最初の魔界の調査班による情報だった。
そして、カインは東雲の隠れた装置の真正面に立ち、もたれかかる。東雲の呼吸音は荒くない。
「雷獣は…」
カインが振り返ると東雲が飛び出してきて持っていたナイフでカインの首筋を切りつけた。しかし、カインはそれを首の接合部分で挟んでへし折った。
――ゴキン!
「…こんなの効くわけないだろ」
カインは冷静に真っ二つに折れたナイフの先端部を左手で掴んで構える。間合いは狭く、互いの動き
感じ取れる範囲内だ。しかし、東雲のナイフは焼ける音を立てて溶け始めた。
「…アッツ!」
あまりの熱さに東雲は手を離した。そして、カインは隙をついて東雲の喉元にナイフを瞬時に切りつけようとした。しかし、ナイフを持っていた手の白く輝く結婚指輪にカインは目を奪われ、動きを止めた。東雲の首にナイフが少し当たりわずかに赤い血液が流れる。
「…はっ、何をしてるんだ、俺は」
我に返ってカインはナイフを落として跪いていた。真上を見ているのに天井と焦点が合わない。
「る、ルシファー?」
東雲はカインの呆然とする姿を確認するとそのまま逃げてしまった。カインは混乱していた。戻りそうだったからだ、昔の自分に。怖かった。血濡れた崩れた心を持つ残酷な自分に。
(まだ、俺は…ルシファーなのか…)
カインは苦しそうに自分の金属の左手を握る。そして冷静になるとカインは結婚指輪に目をやった。
「…ありがとうな。クロエ」
カインはこのとき初めて東雲がいないことに気づき、すぐに自分も出口に向かった。
――カインの左手には未だにナイフの感覚と、もしも指輪を見ていなかったときの光景が残っていた。
※この物語はフィクションです。




