56cs 「優しさ紛失届」
夕方のオフィスは、昼間より静かだ。
電話も鳴らず、コピー機も眠ったように黙っている。
残っているのは、帰りそびれた数人と、画面の光だけだった。
島の向こうで、引き出しを開ける音がした。
がたん、がたん、と少し乱暴に。
「まだ見つからない?」
誰かが声をかける。
「うん。たしか、このへんにあったはずなんだけど」
返事は軽い。
冗談みたいでもあり、本気みたいでもある。
「机の中、全部見た?」
「見た。棚も、ロッカーも」
「落としたとか」
「それなら音がするでしょ」
近くの席から、くすっと笑いが漏れた。
けれど手伝う者はいない。
みんな自分の締切と、自分の生活に追われている。
また引き出しの音がする。
書類の束がめくられ、ペン立てが倒れ、何かが床に転がった。
「何探してるの?」
少し離れた席の者が、モニターを見たまま尋ねた。
しばらく間があった。
「優しさ」
誰かが鼻で笑った。
誰かがキーボードを打つ手を止めた。
誰かは聞こえなかったふりをした。
「そういうの、総務じゃない?」
「備品申請、通るかな」
「在庫切れかもね」
小さく笑う声がいくつか重なり、すぐ消えた。
探していた者は何も言わず、しゃがんで机の下までのぞきこんだ。
その背中だけが、少し疲れて見えた。
やがて一人が立ち上がり、黙って紙コップを置いた。
別の一人が、散らばった書類を拾って揃えた。
また別の一人が、消えていた蛍光灯を点けた。
オフィスが、少しだけ明るくなる。
探していた者は顔を上げ、周りを見回した。
そして、笑った。
「あったかい……」




