日陰の英雄
夕方過ぎの街は、どこも似たような喧騒に包まれるものだなと、ナリアは店の窓から外の夕日に目を細める。
少しお洒落な雰囲気のある飲食店は、まだ夕方過ぎだというのに、それなりに客入りがいいようだ。店の雰囲気に溶け込むような音楽と、五月蝿すぎず、かと言って静か過ぎない客層もちょうどいい。
あとは肝心の料理だが、目の前の姉弟の様子を見るにこれも合格なようだった。
「ナリアのねぇちゃんかっけぇ!ビュン!ビュンッ!シュパッ!ってめちゃくちゃ強かったし!おまけに、すげぇ美人だし!」
「あ、ありがとう……」
先ほどから一向に止む様子のない少年の賛辞に、ナリアは少し困ったかのように言葉を返す。
「ねぇねぇ、わたしは?」
今度は、にこにこしながらエマが自分を指差し少年に問いかける。ナリアも、これで少しは少年の矛先がエマに向いてくれるだろうと期待を寄せるが、
「ん?まぁまぁ」
「こ、こら」
ほとんど見向きもせず、口に食べ物を運びながら一蹴。そんな弟の態度を慌てて嗜める姉は、「こんな、ご馳走をしてもらっておきながら、弟が失礼なことを……」とぺこぺこと頭を下げるが、それが余計にエマを涙目にさせていることに気づいていないようだ。
「ふ、ガキは正直だからな」
「笑うな、ジン!」
弟の方は言うまでもなく、姉の方も遠慮がちではあるが、ちゃんと食べている。
朝方の一件以降、二人とも夕方近くになるまで死んだように眠っていた。肉体的にも精神的にも、限界だったのだろう。
幸い、身体に目立った外傷はなく、ミチェフの見立てでは特に病に侵されている様子もないようだ。今は顔色もよく、最初に見たときの憔悴の色は消え去っていた。
「ナリアのねぇちゃん、どうやったらそんなに強くなれるんだ?おれも、あんな風にかっこよく剣が使えるようになりたい!」
「たくさん練習するしかな……」
「おれも、あの英雄みたいになりたいんだ!」
ナリアが答えきるよりも前に、前のめりになって言葉を続ける少年。
その瞳に、ナリアは何となくリンが重なって見えた。
あのときのリンと、目の前の少年の雰囲気は全然違うはずなのに。
リンの方が、少しだけ大人びていた気がする。それでも、リンの面影が見えたのは、そのまっすぐな瞳のせいだろう。
それともう一つ。
「この子、あの『日陰の英雄』に憧れているんです」
「日陰の英雄?」
姉の言葉に返したのはジンだ。
「はい、六年ほど前に噂になった英雄の話です。何でも、その英雄は奴隷でありながら、たった一人で吸血鬼の大群から逃げ切ったとか」
「あ、もしかして、『小さき英雄』のこと?」
「あー、その話か。こっちの方では、『日陰の英雄』って呼ばれてるんだな」
姉の説明に、エマとジンも心当たりがあったのか、すぐにぴんと来たようだ。
「その英雄って、地域によって呼ばれ方が色々あるのよね。他にも、弱き英雄とか、最底辺の英雄とか。でも、日陰の英雄は始めて聞いたかも」
ナリアも当然その話は知っている。誰よりも知っている。
しかし、エマの言うとおり『日陰の英雄』という呼ばれ方は初めて聞いた。
「他には?その英雄について何か知ってることってある?」
「え?あ、えっと……」
今まで受身の姿勢だったナリアの質問に、緊張しながらも思い出そうとする姉だが、自分の番だとばかりに答えだしたのは弟の方だった。
「知ってる!その英雄は、吸血鬼の貴族に買われたんだけど、同じ奴隷だった愛する人を助け出すために、たった一人で吸血鬼の大群相手に立ち向かったんだ!それも、何の武器も持たずに!」
「こら、口にものを含んだまましゃべらないの」
「だいたいは、わたしたちが聞いてるのと同じだね。わたしは、愛する人って言うより、妹を救うためって聞いたけど。って、ナリア顔赤いよ、暑いの?」
「まぁでもどれも嘘くさい話だけどな。どこまでが本当か分かりやしねぇ。その英雄が、十にも満たないガキだったとか、すげぇ珍しい種族だとか、逆にただの人間だったとか、色々言われてるが結局のところあれだろ?希望のない奴隷たちが勝手に作り上げた妄想かなんかだろ」
「うーわ、ジン感じわる……そんなんじゃモてないよ?」
「うるせぇ、じゃあ、お前は信じてるのかよ?」
「えっと、わたしは……」
「ほら見ろ」
「でも、何もないところから噂は立ったりしないでしょ!だから、何か似たようなことはあったんじゃないの?」
「どうだかな」
鼻で笑うジンだが、何か気になることでもあったのか「そういえば」と言葉を続けた。
「なぜか、うちの連中は妙にその話を信じきってる奴が多いんだよな」
「あ、それわたしも思った!信じきってるというか、確信してる感じ?ミチェフはどう思う?」
「……知らん」
エマの問いかけにぶっきらぼうに答えるミチェフは、いつの間に注文したのか、大容量の器に入ったパフェを長いスプーンで器用に食べている。
「まぁ、ジンの意見に納得するのは悔しいけど、さすがに全部が全部本当ではないのかもね……」
エマが、この話題に区切りをつけようとする。
事実はどうあれ、結局は信じるか信じないかの平行線の話だ。
しかし、
「いるよ!英雄はいる!いるに決まってる!」
急に立ち上がり、声を張り上げる少年。
何事かと周りの客も、こちらに視線を送り、店内は一瞬の静寂に包まれた。
少しの間をおいて、ナリアは少年に問いかける。
「どうして、そう思うの?」
ナリアは、純粋に聞いてみたかった。一度として出会ったことのないこの少年に、かつてのリンの行動がどんな影響を与えたのかを。
「いないといけないんだ!だって、そうじゃないと誰も俺たちみたいな弱い奴助けようとしてくれないじゃんか!みんな、もう終わりだってあきらめちゃうじゃんか!おれ、「狩人」に捕まったとき、何も出来なかった……本当は、ねぇちゃんのこと守らなきゃいけなかったのに、怖くて……ジンの兄ちゃんの言うとおり、英雄の噂は全部が本当じゃないのかもしれない。だけど、絶対いるよ!奴隷なのに、諦めなかった奴が!誰かのために動けた奴が!」
小さな拳をぎゅっと握りしめ訴えかける少年は、もしかしたらこの中で一番達観出来ていたのかもしれない。
自分の置かれた状況と照らし合わせることで、奴隷にもかかわらず、行動することの難しさを悟ったのだろう。
今度は、目の前の少年が昔の自分と重なって見えた。
エマとジンも何か思うことがあるのか、特に口を開こうとはしなかったが、その表情にはまんまと言いくるめられたと書いてある。
「さっきの答えだけど」
ナリアは、少年を見据えて言う。
「強くなるには、たくさん努力するしかない。でも、英雄になるには、きっとそれだけじゃ足りないと思う。もっと別の何かが必要なはず」
「何かって?」
「分からない……わたしは英雄じゃないから」
分かりやすく落ち込む少年に、少し大人げないことをしたと思いつつも、やはりこう答えるしかなかった。
あまり適当なことを言いたくなかったというのもある。
「ソーマ、あんまりナリアさんを困らせないの。そういえば、ナリアさんたちって……その……いったいどういった方々なのでしょうか?最初は、行商人か何かだと思っていたのですが……」
ちらちらと、ナリアに視線を送っては外す姉のネイ。
言いたいことなら分かる。
冷静になった今、明らかに身なりも商人のそれではなく、何よりナリアの剣の技量は商人にしては不自然すぎると感じたのだろう。
ただの用心棒と言っても過度なほどだ。
ネイの疑問に、ナリア、エマ、ジンの三人はミチェフに視線を送る。
どう答えるべきか、判断を仰ぐためだ。




