奴隷解放軍幹部
どこへ向かえばいいのだろうか。
暗い路地裏で、たった一人。
さっきまで、隣にいてくれた少年はもういない。
どこへ続いているかもわからない道は、進めば進むほどに闇を濃くしていき、孤独を煽ってきた。
(……寒い)
雨が髪を濡らす。
立ち止まりそうになるのを堪え、一歩、また一歩と歩みを進めた。
終わりの見えない一本道。
その先で声が聞こえた。聞き慣れた声だ。
『―――ア』
よく聞こえない。
歩調をあげて、声に向かう。
『—――リア』
だんだん声が大きくなる。
あともう少しだ。
『ナリア!』
「ナリア……ナリアってば!起きて!」
ナリアは覚醒仕切らない意識のまま、無理やり目の前の人物に焦点を合わせにいく。
「……エマ」
「何も羽織らないで寝ると風邪引くよ……それにもうすぐ到着だからそろそろ起きて」
「……うん」
夜風にあたり、少し体を震わせたナリアに、エマと呼ばれた猫族の少女はひざ掛けを分けてくれた。
フードを被り、外套に身を包んでいるエマは一見普通の人間の少女にしか見えないが、隠れた彼女の頭と腰には、可愛らしい猫耳と尻尾がある。唇から少しだけ覗かせた八重歯は、童顔な彼女の顔と相まって見るものに幼げな印象を与えているが、ナリアと同じ十六歳だ。
「大丈夫?また、うなされていたけど」
エマが心配そうに顔を覗き込んできた。
また、あの夢を見ていたようだ。
少しだけ汗をかいてしまったためか、肌をなでる風が冷たく感じる。
「大丈夫」
ナリアは抑揚のない声音でそう答えた。
「それなら、いいんだけど……」
何か言いたげな表情を浮かべるエマだが、それ以上は何も言ってこない。いつもそうだ。エマがどんな言葉を飲み込んでいるのかは何となくわかる。
そして、それを口には出さない理由も。
「おい、いい加減聞かせろよ、ナリア」
急に、話に加わってきたのはジンと呼ばれる人物だ。
「ちょっと!何言って……」
ジンの言葉に、食ってかかるエマ。
しかし、
「俺たちが、いまここにいる理由を聞かせろってことだ。勘違いすんな、雑魚猫」
「あ、そういう意味……って、雑魚猫って言うな!」
「雑魚に雑魚って言って何が悪い?」
「え、何言ってるの?わたしより弱いくせに?」
「あぁん?じゃあ、試してみるか?」
「いいわよ。泣かしてあげる!」
ジンは、吸血鬼と人間のハーフだ。証拠に、中途半端に長い耳と八重歯を持っており、目の色もほんのりと赤い。肌の色はどちらかと言えば人間よりかもしれない。年は、ナリアやエマと同じだが、吸血鬼の血のせいか少し幼く見られがちだ。
ジンの言葉のとおり、エマとジンはこの遠征の目的を知らない。
限られた者だけが知っていればいいとの結論から、二人には伝えられなかったためだ。
しかし、本当の目的はただの我侭だ。
私的な理由でしかない。そんな自分の我侭に、隠すような形で二人を付き合わせてしまっている事実が、ちくりと胸を刺す。
だが、ここまできたら後は、目的を果たすために全力を注ぐだけだった。
そして、達成した後にちゃんと話せばいい。そう自分に言い聞かせておく。
ここで、ナリアは二人の喧嘩を横目に、この場にいるもう一人の人物に目を向ける。
「ミチェフ、あとどのくらい?」
「……あと数十分といったところじゃな」
ミチェフと呼ばれた男は、その図体に似つかわしい野太い声で返す。
立派なあご髭と、人間よりも一回りは大きい巨躯、そしてそれを支える幹のような両腕と両足はドワーフのそれだ。今では、すっかり見慣れてしまったものの、六年前に初めて見たときは、少し気圧されてしまったことを覚えている。
ドワーフは、エルフからの迫害を受け、今では随分とその数を減らしてしまった種族で、もう、ほとんど生き残りはいないとか。
この四人の中で、最も年長者であるミチェフは、他の三人の世話役といったところだろう。
現在、四人は荷馬車に揺られ、前方に見える街へと向かっていた。
ミチェフが馬車を操縦し、ナリア、エマ、ジンの三人は荷台で腰を下ろす。天蓋もあり、それなりの広さもあるので、さほど居心地は悪くない馬車だ。
時間帯は早朝。空中に漂う薄い霧が、陽の光を反射して、きらきらと光っていた。
「おい、話をそらしてんじゃねぇ、ナリア。そろそろこの遠征の目的を説明しろ」
エマとの言い合いもそこそこに、ジンが再び尋ねてくる。
「それは……北の方に行きたくて……」
「あ?よく聞こえねぇぞ?」
要領を得ない答えにジンは、詰め寄ろうとする。
「ちょっとジン!あんまりナリアに近づかないでよ!」
ナリアを庇うようにして、間に割ってはいるエマ。その表情は、先ほどの口喧嘩のときよりも、ずっと険しい。
それに対して、ナリアと自分との距離が存外にも近くなっていたことに気づいたジンは、少しばつが悪そうな表情を浮かべた。
そして、ナリアも……
また、仲間に気を使わせてしまっている……
これで何度目だ。
そのうち、治ると思っていたのに。
時間の問題だと思っていたのに。
しかし、六年たった今でも、この有様だ。むしろ、悪化しているようにさえ思える。
ナリアは、人知れず強張った身体を、抱きかかえた。
一向に拭うことのできない男に対する嫌悪感。
六年前の傷は、思いのほか深かったようだ。
エマとジンに自分の過去について、話したことは一度もない。しかし、それなりに長い付き合いの二人には、すっかり気づかれてしまっているみたいだった。
「その……悪かった……」
そう言って、ナリアと距離をとるジン。
「ううん、大丈夫。わたしの方こそ……」
ナリアの言葉を最後に、微妙な沈黙が流れてしまう。
エマも、特に何か言おうとはしない。
しかし、長い一瞬の後、口を開いたのは意外にもミチェフだった。
「そもそも、何も知らなくてもいいと言いながら、付いてきたのはお前たちじゃったろ?」
「それは、そうだけどよ……」
「先日のことを気にしているのなら、それは問題ない。あれも、作戦のようなものだ」
「……」
図星だったのか、ジンは苦い表情のまま押し黙る。
「でも、本当に大丈夫なの?わたしも……心配だよ……」
ジンと同じことが気がかりだったのか、エマが手を握ってきた。
ミチェフの言う先日のこと。
それは、ある事件の首謀者として、ナリアが指名手配されたことだ。
遅くとも明日には、新聞に載るだろう。
「まぁ、確かにナリアが写真に写るようなへまするわけねぇもんな」
作戦と聞いて、少し安堵したのか、ジンは落ち着きを取り戻す。
エマは、それでもまだ不安そうだ。握られた手に僅かに力がこもった。
しかし、なぜだか自分は無表情のまま。
まるで、他人ごとのように……
あの日以来、上手く表情が作れない。笑い方も、怒り方も、泣き方も、何もかも忘れてしまったみたいだ。
残ったのは、あの日の後悔と恐怖—――
そして未練だけだ。
「まぁ、次の街ではゆっくり休め。目的地は、そのもっと北にある偏狭の街。出発は今日の真夜中の予定じゃ」
「ちっ、まだ北に進むのかよ。いい加減寒いぞ」
「ナリアが行きたいって言ってるんだから、黙って付いてきたらいいのよ!」
「分かってるよ、んなこと!」
「ごめん、もう少しだけ我慢して」
舗装されていない道のため、ガタガタと馬車の乾いた音が会話に紛れ込む。
「てか、なんで北にこだわるんだ?何かあるのか?」
「ちょっと、ジン……」
「いいだろこれくらい……答えたくなかったら別にいいけどよ」
エマの制止を振り切り、拗ねたように目を背けるジン。
「北には……」
『それで、リンは外に出たらどこに向かうの?』
『まだ決めてない。お前は行きたい場所とかあるのか?そう言えば、お前って北の方出身だったよな?』
「北には……約束があるの」
約束と呼ぶには、少し無理があるかもしれない。ただのなんてことのない会話の一部だと言われてしまえばそれまでだ。
それでも、自分は全て覚えている。
「全て」を覚えている。
あの日の彼の必死の表情も。
あの日の彼の照れた横顔も。
あの日の彼の涙を堪えてつくった笑顔も。
夢で何度も出てくるほどに……まぶたの裏に張り付いているかのように……鮮明に覚えている。
あの日の彼の声も。
あの日の彼の言葉も。
あの日の彼の僅かな温もりも。
ふとした拍子に右耳をくすぐるかのように……右肩が名残惜しそうに何かを探すかのように……近くにいた時間を思い出す。
そして、彼が言った最後の一言は未だに頭の奥底から、鼓膜を揺らしていた。
『だから!外の世界で待ってろ!』
彼が……あの少年が、今どこでどうしているのかは分からない。生きているのかも定かではない。
だけど、もし彼も同じなら。
あの日の自分との会話を覚えていてくれたなら。
必ずいるはずだ。必ず近づいているはずだ。
手がかりは、六年前交わした言葉と、昨日襲った貴族から聞きだした情報、そしてもう一つ……ナリアは懐に閉まってあるそれにそっと触れる。
ただ、ナリアにはどこか確信にも似た自信があった。
彼は、絶対に生きている。そして、必ず再会できると。
(……リン)
寒さを忘れて、それどころか少し身体の内側からぽかぽかと温まってきたナリアは、反応がない二人を不思議に思い、顔を向ける。
すると、ばっちりと目が合った。
エマ、次いでジンと、なぜか少し驚いたような表情で、こちらを見ている。
そして、しばらくこちらに目を向けていたかと思うと、おもむろに二人で顔を見合わせ、何やらこそこそと話し始めた。たまに思うが本当は仲がいいのかもしれない。
「見た?今のナリアの顔⁉」
「見たけど……別に普通だろ」
「はぁ?本気で言ってるの?約束とか言ってたけど、あれ絶対男だよ!」
「あん!んなわけあるか!」
「あー、認めたくないのは分かるけどね……」
「なっ!ばか!何の話だ!」
「え?もしかして気づかれてないと思ったの?みんな気づいてるよ?」
「……」
「気づいてないのは、本人だけかもね」
「うっせー!そんなことは、どうでもいい!ただ、ナリアにとって、かなり大事な目的があるってのは分かった。それだけで今は十分だ」
「ジンて意外とものわかりいいんだね。もっと、拗ねると思ってた」
「なんで俺が……ってばかばかしい。別に、約束の相手が……その……あいつの好きな男と決まったわけじゃねぇだろ。どうせあれだ、お世話になった恩師とかそんな感じだ。男だったとしても絶対おっさんに決まってる。そもそもナリアは男が苦手だろ」
「どうだか……でも、わたしはちょっと妬いちゃうかも……どんな人であれ、ナリアがすごい気にかけてる人ってことでしょ?羨ましいし、妬ましいよ」
「ガキかよ……」
「はいはい、わたしより悔しいくせに」
「ちっ、いちいちうるせー」
「でも、やることは決まってるよね。少しでも力になって、恩返ししないと」
「あぁ」
「なんの話をしてるの?」
話の途中で、ちらちらとこちらを見られては、さすがに気になってしまう。
「別になんでもねーよ」
「そうそう、ジンの好きな女の子の話をっ……ふぐっ」
「てめぇ!この雑魚猫!」
「ちょっと信じらんない!女の子の首絞めるなんて!」
いつもの調子に戻った二人に、少しだけ安堵する。
このまま順調に行けばいい。
しかし、思わぬ事態というのは、こういった気を抜いたときに降りかかるものでもある。
馬車が徐々に速度を落とし、停止する。
街の入り口に着いたのかと思い、三人とも荷台の横から顔を覗かせるが、街まではまだもう少しある。
今まで黙々と馬車を操縦していたミチェフが、口を開いた。
「どうやらまた客のようだ」
ミチェフがあきれたようにため息をつくと、次に声を発したのは、知らない男のものだった。
「おい、ぼさっとしてねーで荷台にいる奴も降りて来い!おとなしくしてたら、命まではとらねぇからよ」
「またかよ」
「まただね」
ジンとエマも、ここ数日で何度目とも知れない客に、疲れたような顔で言葉を漏らしていた。どうやら、北の方に行くほど治安が悪くなるという噂もあながち嘘ではないらしい。
「しゃーねぇ、俺がいって……」
「大丈夫、わたしがいく」
ジンが、腰を上げかけたところで、ナリアは傍らに立てかけておいた剣に手を伸ばした。
「ミチェフ、人数は?」
「六人と……二人じゃな」
ミチェフの答え方で、全てを察した。
何となく気分がよかったところに、水をさされたような形で少しうんざりしていたが、その客が「狩人」だと知り、徐々に苛立ちへと変わっていく。
「ナリア、手伝おうか……っていらないか……」
「あほか。お前が行っても、邪魔になるだけだろ」
「うるさい、ジンも似たようなもんでしょ」
ナリアは剣を片手に、馬車を降りる。
馬車の前方には、進行方向を塞ぐかのように六人の男。そして、道の傍らには年端のいかない少女と少年。姉弟だろうか。手首に雑に巻かれた縄と、ぼろぼろの衣服は、二人が奴隷であることを物語っていた。二人に覇気はない。それでも、弟の方は無意識に姉の服の裾を握っているようだ。
「うお!嘘だろ!めちゃくちゃ上玉だぞ!」
「ついてるな!売るか?それとも飼うか?」
「馬鹿いってんじゃねぇ。売れるときに売っとくんだよ。でも、新品かどうかの確認だけはしておくか」
下衆な笑みを浮かべる六人の男。
肌を舐めるような気持ちの悪い視線。
ナリアは一つため息をつき、剣のつかに手を添える。
そして―――――――――――――――――――――――――
数秒後、男たちの下卑た笑い声は、うめき声へと変わる。
驚きに目を見開いた姉弟の視線を受けながら、ナリアはむき出しの刀身を鞘へとしまった。
僅かに吹いた風がナリアの髪をなびかせ、毛先が顔をくすぐる。それでも、凛とした表情を崩すことなく、ミチェフに向かって「おわったよ」と一言。
ミチェフはナリアの言葉を受けて、あくび混じりに「ご苦労さん」と答えた。
「それにしたって……ナリア強すぎだよ……」
「さすがは解放軍の幹部様だな……」
荷台から成り行きを見守っていたエマとジンは呆れにも似た感想を呟いた。
薄くかかっていた霧は、いつの間にか晴れつつあった。




